お茶会
「……殿下?」
ひとり残された私は、アルヴィッド様の運ばれたほうを見てぼんやりしていた。
すると、背後から「フェーリーン公爵令嬢」というさわやかな声がする。
振り向くと、森林の奥を思わす深い緑のドレスに身を包んだ王妃様が、手を振って立っていた。
「フェーリーン公爵令嬢。お茶をしましょう」
「申し訳ございません、殿下の後を追いかけ――」
「わかっています」と、王妃様は近づいてきた。
「ただ何も知らないで追いかけるより、少しアルヴィッドのことを知ってから追いかけた方が、随分と違うと思いますよ」
王妃は慈悲深い笑みを浮かべている。
そういえば、と私はうつむいた。アルヴィッド様のことをあまりよく知らない気がする。もちろん当初は戸惑った縁談で、断る予定だったのだが。
もう国王王妃両陛下に報告した以上、断るのは無礼どころの騒ぎではなくなっている。だというのに、アルヴィッド様のことを何も知らないまま、彼の愛情の言葉を受けるまま。
——変な言い方で言えば、ぬくぬく過ごしすぎたわよね。
私は王妃様にうなずいた。
「まいります。アルヴィッド殿下について教えてください」
素敵な部屋に招き入れられた。テーブルの上にはお菓子が並んでいる。職人の作るものにしては少し不格好だが、素朴で大変可愛らしい。
誰が、と思っていると、王妃様が答えた。
「わたくしの趣味はお菓子作りなの」
「おめずらしいですね」
この国では普通、上流の貴族の令嬢は厨房に立たない。立たないのではなく立ってはいけないのだ。お抱えの料理人や菓子職人の仕事を奪って、面倒を増やすと思われてしまうから。
「悪いかしら」
「いいえ、心を傾けるご趣味がおありになるのが大変すばらしいかと。お恥ずかしながら私、なにもありませんで」
音楽も絵画も舞踏も。刺繍もなにもかも、本当になにもかも、母に強要されたものだから、本当に好きなことなど、したことがなかった。
王妃様をうらやましく思った。
ティーカップに茶が注がれた。薫り高くも身体を刺激しないハーブティーだった。すぐ体を壊す私をおもんぱかってか、それとも王妃様の気まぐれか、どちらだろう。
あまりうぬぼれるのはよそう、と思いながら、王妃様のほうを見る。
「召し上がって。お菓子は自信がないけれど、お茶はおいしいわ。ここの菓子職人がね、お茶にもかなり詳しくて」
「まあ」
まずお菓子から食べる。王妃様が作った小さくて可愛らしいブールドネージュ。
真夏なのに雪の玉を模したお菓子を作る王妃様は、よほど冬が恋しかったのだろうか。
歯ごたえは最初サクサクとしているが、口のなかでほろほろ溶ける。周りにかけられた粉砂糖の甘みを、アーモンドのからりとした味が押さえていた。
「王妃殿下をうらやましく感じます、この見事なお菓子を作る手をお持ちだとは」
「ありがとう」
王妃様はお茶もすすめてきた。
「召し上がって」
ハーブティーもいただく。夏らしいラベンダー。ラベンダーのハーブティーの色ははやや紫色がかっており、一瞬だけびっくりしてしまうが、飲むとラベンダーの上品な香気が口の中一杯にはじける。
特に今回のラベンダーティーは調合がうまく、ブールドネージュによく合っていた。
「その菓子職人に賞賛を。調合の妙を感じます」
王妃様は「菓子職人に対する賞賛のが、気が入っているわ」と冗談を言った後、真剣な顔つきに戻った。
「アルのこと、なんだけれど」
「はい」
「あの子は、心に深い傷を抱えている。どうしようもないほど」
「……」
心に引っかかるある出来事を思い出す。何故アルヴィッド様は十年前、王子なのに一人でいて、しかも怪我をしていたのだろう。
そしてあの言葉。
——ははうえ、ははうえがいなくなってから、ぼく、乳母に殴られるのです……!!
嫌な予感がした。
「……乳母に相当いじめ抜かれていたのよ」
「……は? 何故です?」
嫌な予感は嫌悪感となり、声が尖る。
「わからない。アルはたぶん、乳母の鬱憤の発散道具になっていたのよ。おとなしい子だから」
「……そんな」
彼女の心に鋭い痛みが走る。
母を思い出す。私を苛み抜いた母を。
私がただ黙って謝るしかないということもわからず、それに甘えて暴力を繰り返した母を。
あの小さな子は、私と同じだったということだろうか?




