2001年10月7日
アメリカは、先日の同時多発テロによって、イスラム教徒からの明白な宣戦布告を受け取った訳だったが、実は、彼らの対立関係は前々から存在した。具体的には、アラビア半島に駐在しているアメリカ軍を、異教徒だという理由で、イスラム教徒が一方的に怒りを抱いていたのだ。
ただ、彼はアメリカ生まれアメリカ育ちにもかかわらず、自国がサウジアラビアと敵対していることなど、全く持って知らなかった様だった。
まあ、知っていたとて、彼の選択肢の中に、自分の家族を犠牲にすることが、存在し得たのかすら怪しいところだが。
彼は不気味にも、自分の選択をあまり悔いてはいなかった。寧ろ、家族を守り切ったという達成感すら、覚え始めていた。
そうして彼は、ふと、テレビを点けた。丁度、ブッシュ大統領が、アフガニスタンへの侵攻を始めることを表明していた。
アメリカがアフガニスタンと全面戦争を始めるにあたって、動機はこれ以上無いほど十二分に有った。こうなったのは、当然と言えば当然だろう。
「はぁ」
彼は、小さく息を漏らして、ソファに腰を掛けた。
彼はどうやら、自身が911事件の「戦犯」であることを、漸く思い出した様だった。
彼がテロの被害者を見殺しにしたにも関わらず、自慢気に振る舞っているのは、おかしな話だろうか?
意外とそうでも無い。
言い換えれば、今回の事件で、彼は不本意でありながらも、テロを大成功させた張本人なのだ。彼がアキヒロを上手く騙したおかげで、テロ組織はアメリカ人の無差別殺人を無事に完遂することができ、アメリカという国からイスラム教を守ることが出来たのだから。
彼も、ダニエルも、本質的にはテロリストの一員のようなものだろう。守りたいものが、家族だったか、信仰だったかの違いで、ツインタワーで亡くなった人々を、彼らは共に「犠牲」にしたのだ。
だが、彼らはお互いに、何も知らない。知る由もない。
彼らはただ、互いに正義を振りかざし、守りたいものだけを盲目的に守っただけなのだから。
その夜、彼はうなされていた。
夢の中で、アキヒロが彼を追い詰めていたのだ。
どうして、嘘をついたんですか? ねえ、ダニエルさん。自分ばかりが生き残って、ずるくないですか? ねえ、ねえ、ねえ、ダニエル、なんとか言ってくださいよ。ねえ、ねえ、なあ、おいダニエル、答えろよ。答えろ。答えろ。コタエロ。コタエロ、コタエロ、コタ、エロ、コタ……エ…………
「アキ……ヒロ」
「パパ」
そんな時、隣で寝ていた彼の娘のアンナが、彼を揺さぶって起こした。
「パパうるさい。静かにして」
そう言ってアンナは、口に人差し指を当てて「しーっ」と言った。
「ごっ、ごめんなぁ……ちょっと、先寝てな」
急に現実に引きずり出されて、混乱する中、彼はとりあえず、ベッドを抜け出そうとした。
が。
アンナがそれを許さなかった。
「だめ」
彼は腕を掴まれたので、なんだなんだと思って振り返ると、不意にそのまま固まった。
困惑したのだ。
「ア、アンナ?」
それは決して、咄嗟に腕を掴まれたからではなかった。
「なんで、泣いてるんだい」
「……グスッ、ズッ…………泣いて、ないもん」
彼は踵を返すように、何も言わずに素早くベッドに戻って、アンナを抱きしめた。そして娘が泣き止むまで、頭をゆっくり撫でて、なんとか落ち着かせようとした。
泣き止んで、彼が気づかぬ内に、アンナは寝息を立てていた。
「もう……どっかに行かないで……」
彼はハッとした。
こんなにも身近に、守りたいものがあるのに、自ら失う訳にはいかないだろ!
「ごめんな、アンナ。心配かけたな。安心しろ。もう、離さない」
彼はそう呟くと、アンナをより一層強く抱きしめた。
そうしてダニエルは心の中で、自分勝手に誓いを立てたのだ。その愛情が、どれほどの犠牲の上に成り立っているかも知らずに。