2001年9月10日(1)
その夜彼は、部屋に閉じこもって、ベッドで頭を抱えていた。
ユダヤ教徒である彼が、仕事から早めに帰ったというのに、家族と共に時間を過ごさないでいたという事実は、かなり異常であったと言えるだろう。実際、職場で彼の隣の席に座る同僚が、同時刻、家族と行きつけの高級レストランに行っていたように、家族との時間を大切にする行為は、ユダヤ教の教えの中ではかなりの割合を占めているのだ。
彼自身が、この異常性を理解するのに、時間は要さなかった。
というのも、彼の生活は、世間的に見ても、まるで順風満帆を体現したようなものだったのだ。ニューヨークの郊外にひっそりと建つ二階建ての一軒家で、六歳と四歳になる子供と、幼馴染の妻と仲睦まじく暮らす様子は、まさに、アメリカンドリームの象徴であったと言えるだろう。
そんな中で、彼は自分の部屋に引き籠もって、一人で頭を悩ませていたのだ。彼が自分の頭の中にある課題と向き合うたびに、自己矛盾に陥ってしまっていた、というのは、最早言うまでもない。
時刻は午後八時を過ぎたあたり。毎週月曜日の、彼の大好きなバライティーショーがやっている時間だと言うのに、彼の部屋は気持ちが悪いほど静かだった。
彼は一瞬、時計を確認すると、そのことを思い出した。彼の意識が、少しだけ、現実世界に戻って来たようだった。
「サーシャ」
彼の妻の名前が、か細く、部屋中に響いた。
彼は、家に帰ってくるなり、リビングにすら顔を出さずに自室へ直行したので、彼女が家に居るかどうかすら確認が取れていなかった。
彼は、ドアの方を見た。下の隙間から、微かに外の光が漏れていた。
一部だけ、淡い黄色に照らされていた。これは、彼が彼の妻と一緒に買い物に行って、間違った色を買ってきたからだった。
「…………よし」
彼はおもむろに立ち上がって、一歩踏み出した――
が。
次の瞬間には、足を踏み込んで、そのまま止まってしまっていた。
「アキヒロ」
彼は頭を押さえ、そのまま倒れ込むように、ベッドに横たわった。
「ハァ、ハァ、クソッ、耳鳴りがする……」
それは、彼の唯一の、ユダヤ人以外の知り合いだった。