7.相談
野坂家では、福井北自動車への話合いや残された大掃除・買物・正月料理の準備と怒涛の2021年の年末を過ごし無事に正月を迎えることができた。一方、正月もまともに休んだのは、1月1日のみで、2日と3日は、労基や保険紛争センターへの相談資料の作成を行いゆっくりと休めなかった。
ついに、正月も終わった1月4日、山口に帰った敦を除き大樹、夏帆、ひろみは、労基署に相談に行き、1月5日は、大樹が保険紛争センターとの問い合わせを行った。本章ではその状況を記載した。
(1)労基
2022年1月4日、天気は曇りである。朝の6時40分にいつものように大樹は起床する。
夏帆は自分の部屋で寝ている。昨日までは敦がいたので、夏帆の部屋は、明け渡していたが、山口に帰ったので、昨日からは夏帆が寝ている。
今日、大樹は今日まで休暇であるが、明日からの出勤に体を慣れされるため、いつもの起床時間に起きた。また、夏帆もいつまでも寝させると片付かないため、ひろみが起こす。
大樹とひろみは、「夏帆は、朝が弱いのでよく仕事に行っていたな!!」と笑う。夏帆が起きてきたので、ご飯と味噌汁だけの簡単な朝食を3人で食べた後、ひろみは、パートへ出勤する。
残された大樹と夏帆は、10時頃までゆっくりとして、その後に労基に相談する資料を印刷して確認するとともに、大樹は、夏帆に説明方法のレクチャーを行う。レクチャーと言っても資料に沿って説明することと、労基からの質問は、正直に伝えることを説明するだけの簡単なことである。
12時30分頃にひろみが帰宅するので、昼食を作るが、年末にうどんを買ってきたので、鍋にめんつゆを入れて、そのうどんを入れて、出来上がり後は、海老天を入れるだけの簡単な物である。
ここで、うどんはGENKIで一玉9円(現在は18円)、3人前で27円と安く、海老天は3枚入って128円なので、かなりコストが安めな昼食である。
昼食を食べた後、3人で労基署へ出発する。大樹は、労災認定が難しいとは思ったが、3章で示したように福井北カントリークラブの不備を告発して、今後の交渉を有利にできないかと考えたとともに、今後に夏帆が職場で同じようなことが起きたときに本人が対応ができるようになればいいと思ったためである。3人は労基署が入っている建物に約20分で着く。駐車場には、車はほとんど止まっていない。これは、敦賀を含む福井県は有効求人倍率が高く失業者が少ない。また、確定申告も始まってないため、少ないのだろう。
3人は、労基署に入り、担当の山本さんを呼んでもらうと、山本が奥から出てくる。夏帆から「12月21日に相談しました野坂夏帆です。あの後、病院と会社と話し合いなど進展がありましたので相談に来ました」と言うと、山本は前回の相談資料を持ってきて個室に3人を通した。
大樹は「夏帆のフォローについて、私も仕事があり、細かくすることができないため、妻を連れてきました」と言うと、山本は「山本ですよろしくお願いします」と言う。
席に座ると夏帆が、年末に作った資料を山本に渡し、内容を説明したあとに、次のようなやり取りを行った。
夏帆が「転籍時に賃金等で労働者が不利益を被る場合は、説明等を行わないといけないと思いますが、会社から説明がありませんでしたが、これは問題ではないでしょうか」というと、山本は「転籍時に関して、労働契約は結ぶ必要があるが、特に大きな問題ではない」と答える。大樹が「福井北グループで賃金規定を確認し、福井北グループでは3年以上は出るが、福井北カントリークラブではそのような規定はないので、退職金が出ないのは違反では」と言う。山本は首をかしげて「退職金規定が無かったらもらえないでしょう」と答えた。
次に、山本から「労働契約・賃金規定が事業所に備えておく必要があり、違反となりますが、備えられているでしょう」と言われた。更に、「夏帆さんは、3月に退職するのですね」と言うと、夏帆は「3月に退職します」と言う。すると、山本は「退職方法については、次の会社のことを考えて自己都合退職のほうがよいでしょう」と言われた。大樹は「このようなことは、言うべきではないですが、退職に関しては夏帆の方から、既に意思表示をしているみたいです」と言うと、山本は苦笑いで「そうですか」と言った。実は、大樹が夏帆から10月頃、このことを聞いた時「お前、アホか、退職の意志を伝えると不利益を被るぞ。何で相談しなかった」と叱った経緯があった。
山本から「給与の残業計算については、後日、タイムカードと給与明細で確認してください。また、メンタルヘルス診断は、50名以上の企業で義務つけされているので法令違反ではないです」と言われ、夏帆は「確認します」と言い、大樹は「もしかしたら、この会社が49名なのはそのためかも知れませんね」と言い、山本は「そうかもしれませんね」と苦笑いし、「労災対応に関して、森田が案内します」と言い、森田がこちらの方へ来た。森田は、髪の短い30~40歳の女性が来て、「労災担当の森田と申します」と言い、「労災保険給付の概要」、「職場のトラブル解決サポートします」、「精神障害の労災認定」、「労災保険 療養(補償)等給付の請求手続き」のパンフレットを渡してきて、次の説明があった。
①労災認定を行うには「精神障害の労災認定」に記載している該当する項目で、セクハラ・・パワハラの内容を纏めてください。
②「労災保険 療養(補償)等給付の請求手続き」に従い労災の申立書を纏めてください。
③嶺南こころの病院に行ったときに、嶺南こころの病院に行ったときに、敦賀労基署のアドバイスで1月分だけ労災認定で請求したいことを伝える。詳細は敦賀労基署に伝えるようにしてください
④労災保険給付の詳細は、「労災保険給付」の概要を参考にしてください。
と言われた。
大樹は、「持ち帰って確認します。ありがとうございました」と言い、夏帆は「ありがとうございました」と言って、頭を下げて労基署を後にした。
帰りの車の中で、大樹は「なかなか、ハードルは高いね・・・まあ、ゆっくりと纏めるしかないが、夏帆の負担がかかるならば、どうせ辞めることだし、傷病手当をもらえばどうにかなるので、引くことも考えるか」と言うと、夏帆は「記載できるだけ、やってみる」と言い、ひろみは「協力するよ」と言って自宅に帰った。
大樹は、会社でパワハラやセクハラを受け、神経がズタズタになった方々が、これらのパンフレットを理解して、資料を作成し、申請するのは、一人で行うのは厳しいし、家族等の廻りの人間の手助けが必要だと感じ、世間の厳しさを感じた。
(2)問い合わせ
2022年1月5日、相変わらず寒いが、朝から日差しがある、敦賀等の北陸の冬は、ほとんどが雨か雪で、太陽をみたのは、久しぶりである。
大樹は、背中に軽い日差しを浴びながら、会社へ向かう。会社へは通勤バスの駐車場までの1km位を徒歩で向かい、そこから、約40分くらいの敦賀半島の中にある。
大樹は、通勤バスに乗ると、すぐに眠りにつき、気が付いたら会社に着くというようなルーチンで、通勤途中には都会の人がうらやむような、海岸線を走り、景勝地の水晶浜を通るが、それが、日常になると感動というのも無くなる。
会社に到着後は、職場の仲間に新年の挨拶後、制服に着替えて、ラジオ体操を行った後に朝礼を行い、業務に入る。大樹は、年末までに実施した業務の進捗状況と課題を記録していたので、それを確認すると同時にメールを確認して、本日に実施する業務を確認する。
10時頃、落ち着いてきたので、医務室へ向かう。医務室では松原がいたので、娘の状況と自動車保険のことに対して戦うこと、労基に相談したことを報告する。松原から「まあ、無理をしないようになね。それと、娘さんの健康が一番だからね・・・」と釘を刺されたので、大樹は「わかってます」と答えて健康管理室を出た。大樹は、健康管理室の中で保険紛争センターへ電話をするつもりであったが、電波が小さいか圏外になるので、誰もいない別の場所に行き、電話を掛けることにした。
11時頃、玄関近くの会議室があいていたので、正月にまとめた資料を持って、保険紛争センターへ電話をした。すると、事務担当の女性が応対したので、大樹が、「自動車保険に関する苦情処理をお願いしたい」と言うと、事務担当の女性が「少々お待ちください」と言い、若干、待っていると「お待たせしました保険紛争センターの田中と申します。本日はどうされました」と言われたので、大樹から「娘の車は、娘が就職した3年前の4月に私が購入し、自動車保険も私名義で契約していたが、1年後に娘の会社のグループ企業の保険代理店に切り替えました。昨年の11月に娘の自動車を私が乗ってた車に切り替え、自動車保険も切り替えました。その自動車保険には車両保険も付帯していたので、娘の会社の保険代理店にFAXで保険証券を送って同じ条件でお願いしますと言ってました。12月に娘が自損事故を起こしました。もちろん、車両保険に入っていたので、保険金が出るのだろうと思いましたが、車両保険が限定付きなので出ないと娘のグループ会社の保険代理店に言われました。12月30日に保険代理店に話し合いに行きましたが、保険代理店から、弊社に切り替えたときに限定付きに変更した。限定付きから全保証への切り替えは指示がなかったから変更しなかったと言う。私は、限定付きにしたのは知らなかったので、車を切り替えたときに、車両保険が限定付きになっていることを含む重要事項説明が必要ではないかと反論し、娘に説明したのかと質問をしましたが、重要事項の説明をしたと答えた。この点、最初は指示がないから切り替えなかったと言っているのに対し、重要事項説明はしたと矛盾した回答で、納得できないことから、苦情・紛争処理を行いたい」と言うと、田中は「了解しました。当社からパンフレットを送ります。その中に、苦情・紛争処理の手続きの様式を含まれているので、それに記載して申し立てしてほしい」と答える。大樹は「了解しました」と言うと、田中は「当機関は紛争の仲介なので、不調の場合は裁判への申し立てとなります。また、紛争でのやり取りは原則、文書でのやり取りで切手等の通信料はそちらの負担です。更に、文書でのやり取りが原則ですが、状況によりヒアリングを行いますので出席の程、よろしくお願いします。福井だと大阪か金沢になります」と言い、大樹は「よろしくお願いします」と答え、田中は「では、資料をお送りしますので、住所と電話番号をお願いします」と言うので、大樹は、住所と電話番号を教えて「一つ質問ですが、この紛争の当事者は娘ですので、娘の名前がいいですか」と質問すると、田中は「娘さんでお願いします」と答えるので、大樹は「娘の名前は、野坂夏帆です」と言うと、田中は「娘さんの名前で資料をお送りします」と言う。大樹は「では、よろしくお願いします」と言い、電話を切った。
大樹は、これで保険紛争センターへのコンタクトができたと言う安心感と厳しい戦いになるな~との複雑な思いであるとともに、少しでも車両保険が降りたらいいなとも思った。
17時に仕事が終了し、17時40分頃、帰宅すると、大樹は、夏帆とひろみに「今日、保険紛争センターへコンタクトした。資料が送付されたら、渡してね。また、労基の件は、よろしく!!」というと、ひろみは頷き、夏帆は、「わかった!!」と答える。
1月4日に山口に帰った敦を除き大樹、夏帆、ひろみは、労基署に相談に行ったが、労災認定や保険給付には多くの資料を見ながら作成しなければならないので、大樹は厳しいなと感じたが、夏帆が資料を作るということで、フォローを継続することにした。
また、保険紛争センターにおいても問い合わせを行い資料を送ってもらうようになった。大樹は、保険紛争センターへのコンタクトができたと言う安心感と厳しい戦いになるな~との複雑な思いであるとともに、少しでも車両保険が降りたらいいなとも思った。
次章では、読者には面白くないと思いますが、どのような資料を作成して提出したかを記載したいと思います。