15.突然の入院・怒濤の1日(転院→出頭)・多重債務序奏
5月22日に、夏帆が市民病院へ行き、腸閉塞で入院することになった。5月24日に大樹は、夏帆を連れて保険紛争センターへ連れて行くことになっていたので、「え・・ここで」と言う感じで呆然となったが、腸閉塞は死に至る病であるため、仕方がないと思い次の日に保険紛争センターに連絡して一人に決めて行くことになった。しかし、5月24日に転院が重なり、大樹は午前中は転院、午後は保険紛争センターの対応と怒濤の1日を過ごすことになった。本章では怒涛の1日を中心に記載します。
(1)突然の入院
5月22日の18:30頃、大樹とひろみは、市民病院へ行き、病棟に行くと夏帆がベットに横たわっていた。白衣を来た女性がこちらにきて、「主治医の永原です。夏帆さんは、腸閉塞になったので、入院しますので手続きをお願いします」と言われた。大樹は、「え・・ここで」と呆然となった。なぜなら、24日は、保険紛争センターに一緒に行く予定だった。しかし、腸閉塞は死に至ることもあるので、仕方ないと思い主治医に「どのような状況ですか」と聞くと、永原は「本日は、応急処置して入院してもらい、明日から検査をしたいと思います」と言う。大樹が「3月に、国立病院で腹膜の手術をしているので、関連があるのですか」と聞くと、永原は「可能性はありますが、明日から検査しますので、それでわかると思います」と言う。大樹は「わかりました」と答えた。その間、ひろみが入院に関する申請書を記載して帰宅した。
大樹は、会社や勤務先の人から「市民病院で手術すると死ぬと」言っていたので、手術ならば嫌だなと感じていたと同時に、何でこのタイミングかよ・・・とも思った。
5月23日、大樹は職場に出社し、携帯電話から保険紛争機構に電話した「お世話になっております24日の15:30に行く予定としていました野坂です。田中様をお願いします」と言うと、田中が「お世話になっておします。田中です。どうされました」と言うので、大樹が「実は、申請者である娘が昨日に入院しました。もし、娘の出頭が必要ならば、明日の予定を変更してほしいのですが」と聞くと、田中が「本来は娘さんが必要ですが、延期すると次の日程が決まらないので、お父様だけでも構わないので予定通りで行きませんか」と聞いて来たので、大樹は「本来は、娘のことなので、出席させたかったのですが、このような状況で、残念ですが、私1人で行きます」と言うと、田中が「お父さん一人でも大丈夫ですよね」と聞いて来たので。大樹は「資料は、私が作ったので、大丈夫です」と答えると、田中が「笑いながら、そうですよね、それでは、明日、お待ちしております」と言うので、大樹は「よろしくお願いします」と答えて電話を切った。
大樹は、これでよかった。延期だったらきつかったと思った。その後、勤務先から帰宅後に「関西1dayパス」を購入して、準備が終了した。
(2)怒濤の1日(転院)
5月24日、朝から初夏の日差しが照り付けている。大樹が7時に起きると、夏帆からラインで「国立病院へ転院を言われたので対応できる?」とラインが入っていた。大樹は、嘘だろう・・・今日は、昼から大阪の保険紛争センターに行かないといけないのに・・・と思い、時刻検索したら13:30頃の特急サンダーバードに乗れば間に合いそうなので、「午前なら対応可能」と返信すると、夏帆が「9時に来て」と返信があったので、大樹が「わかった。9時に市民病院の病棟へ行けばいいのよね」と送信すると、夏帆が「それでいいよ・・・」と返信が帰って来たので、大樹は、ひろみに「本日、夏帆が市民病院から国立病院へ転院するので対応する。車が必要のため、お前の送り迎えする。なお、手続きの時間がかかることもあるので、大阪の準備をして行くので、場合によっては、迎え後、すぐに駅に送ってね」とひろみに言うと、ひろもが「わかった」と答える。8時頃、ひろみをパート先に送った後、家に帰宅し、大阪への準備をしたのち、8時40分頃、市民病院へ向かう。
市民病院の病棟へ着いたら、看護師に案内されて夏帆のもとに向かう、夏帆の腹部には針が刺さり、袋が吊るされている状態だった。大樹は、痛々しく感じた。その後、紹介状等の書類を渡されて、「振動がないように運転してください」と永原に言われた。
大樹は、夏帆に付き添うように駐車場に連れて行き、車に乗せ、市民病院を出発した。市民病院から国立病院までは約20分位であるが、振動を与えないように気を付けて運転し、国立病院へ到着した。
総合受付で紹介状を手渡すと、いろいろな検査があり、大樹は、付き添った。全ての検査が終わり、主治医の木崎から「夏帆さんは、腸閉塞になっており、手術した部分が固着しているので、しばらく、入院になりますので、よろしくお願いします」と言われたので、大樹は「手術が必要ですか」と聞くと、木崎は「できるだけ手術をしないように薬等で治療します」と答える。大樹は「了解しました」と答える。さすがに、悪いことが続くな・・・と頭を抱えるが、悩む暇がないので、手続きをすまし、12時位に病院を出た。大樹は、13時30分頃の電車に乗らないといけないので焦っていたが、どうにか間に合ったと思った。12時過ぎに、ひろみにラインして病院を出てパート先に行くと12時30分位にひろみが出てきたので、車の運転を変わり駅へ向かった。大樹は、特急指定席券をWebのチケットレスで購入している間に敦賀駅に13時前に到着した。まだ、電車までは時間があるので、今庄そばでおろし蕎麦とおにぎりを食べて、タバコを吸ったら時間は13時20分なので、駅のホームに迎い13時30分頃の特急サンダーバードに乗った。
大樹は、本来ならば転院で疲れて、眠りたかったが、今日の勝負はこれからなので、緊張しながら、保険紛争センターに提出した資料を何度も確認した。列車は定刻通り15時に大阪駅に到着した。
大阪駅から保険紛争機構は、地下鉄で淀屋橋まで行き歩くことになる。淀屋橋に着くと土地勘がないため、携帯のナビを起動させた。しかし、充電が約40%であるため、肝を冷やしたが、15時20分に保険紛争センターにたどり着いた。
受付のインターフォンで「本日、15時30分から約束しています野坂です」と言うと、係の女性が出てきて、控室に通された。
(2)怒濤の1日(出頭)
大樹は、深呼吸をして緊張を押さえながら、資料を確認する。時間は15時30分になったと同時に、先程の女性が入って来た。いよいよ出陣か・・・と立ち上がったが、女性が「現在の審問が遅れているので、少々お待ちください」と言われたので、もう一回座りなおす。大樹は、なんとも言えない気分だった。なぜなら、早くすましたい気持ちもあるが・・・・何を聞かれるかの不安もある。
15時50分頃に女性が呼びにきて、いよいよ出陣である。大樹は、大会議室に通されて、一礼をして座った。
中には、審問委員が3名、事務局2名がおり、それぞれが自己紹介された。まずは、委員の一人が、「どのようなことで、紛争申請したのですか」と聞かれたので、大樹が「娘夏帆が自損事故を起こしたときに、任意保険で車両保険を付加していましたが、その保険が限定付きで、自損事故では出ないものだったので保険が降りないと言われました。こちらとしては、限定付きであるとは思っていませんでした。保険代理店である福井北自動車は、娘の会社の関連会社であり、事故後の12月30日に話し合いに行きました。保険担当者の説明は、こちらが限定付きを全保証に変えなかったから変更しなかったと言ったのに対し、車を変更したときには、事故を起こしたときに不利になるようなことは重要事項説明が必要ではないのかと反論すると、重要事項説明したと言い出したので、適切な対応していないと思い申請しました」と回答する。委員は「初期契約のときには説明していると保険会社は言っていますが、そこで、説明しているのではないですか」と聞かれると、大樹は「話合いのときにパンフレットに従い実施したと聞いたので、娘に確認したところ、聞いていないと言ってました。また、保険会社からは代理店の電話確認だけで、保険会社の提出書類にチェックシートが無かったので、適切に重要事項説明を行ったとは疑わしいと思います」と回答する。委員が「保険会社のマニュアルでは、自動車保険の更新では、車両保険の条件については説明義務がないので説明しなかったとの言い分ですが」と聞いてきたので、大樹は「保険募集人の試験のテキストで保険募集人と契約書では知識の違いから消費者に不利益を与える事項は丁寧に重要事項説明をしなければならないと記載されています。この場合、車を乗り変えるにあたり車両の価格が上がります。その場合、事故を起こしたときに保険が出ないことは不利益になる事項に当たるので重要事項説明をすべきではないですか」と答える。委員は「確かにそうかもしれませんね」と言うので、大樹は「私は宅地建物取引士の免許を持っております。ここで、物件の売買や賃貸借契約で重要事項説明を怠ると免許停止や取り消しになります。保険契約ではこのような罰則があるかどうかわかりますんが、募集人と契約者に知識の差がある以上、重要事項説明を行わないのは適切ではないのですか」と答える。委員が「重要事項説明が適切に行っていないと判断したのはどうしてですか」と聞かれたので、大樹は「資料の〇ページを確認してください。ここで、保険代理店から保険会社に重要事項説明をしたとの報告時間が夏帆に説明した時間よりも早い点から、本来は夏帆に重要事項説明をして、保険会社に報告する順番ではないですか、それと夏帆との重要事項説明時間が1分にある点から適切に重要事項説明をしているとは思えません。また、重要事項説明とは契約前に説明して契約者に内容を理解させるとの意味ですが、保険会社も保険代理店もその定義を理解していないとも感じられます」と答える。他の委員から「娘さんの会社の団体保険の車両保険は限定付きが標準ではないですか」との質問があり、大樹は「それは、有りません。契約担当者も否定しました」と答える。
このような、やり取りを複数回続けて、審問は終了した。時間は16時50分頃だった。大樹は、何かホッとしたと同時に、疲労感が押し寄せてきたので、大阪駅から特急サンダーバードで帰宅したのだが、どのように帰宅したか覚えていない。
大樹は、ある程度、やり取りができたのは杭を残さなかった。後は、裁定を待つだけであり、この問題はあと少しで終了する。大樹は、疲れと達成感から、その夜は熟睡できた。
(4)多重債務序奏
5月25日から大樹とひろみは、少し落ち着きを取り戻し、夏帆の退院を待っていた。大樹は「夏帆の課題は、例のニギスカードだけだな・・」と言うと、ひろみは「あれは、夏帆と塩津さんがコンタクトを取り、抗弁書を出しているから、後は、塩津さん次第だよ」と答えたので、大樹は「それなら、もう少しで終わりそうだな」と言い、2人は落ち着いた感じであった。
5月26日に夏帆からラインが来て「5月31日に退院になりそう」との連絡があり、大樹とひろみは、安心した。
5月17時40分頃に大樹が、職場から帰宅したら、ひろみが1枚のハガキを持ってきて「アトムから夏帆宛にハガキが来てたよ」と言う。大樹が「アトムはサラ金だよ、まさか・・・・」と答える。大樹とひろみは、やっとゴールが見え始めた段階で、最も大きい問題が始り厳しい戦いになるとは、思ってもみなかった。
大樹は、5月24日の午前は夏帆の転院、午後は保険紛争センターの審問と怒濤の1日を終える。特に保険紛争センターでの審問ではこちらの主張を適切に主張できたことで杭が残らない戦いができたと思うと共に終了を待つことになった。
夏帆も5月31日に退院の予定となり、残りの課題はニギスカードだけとなり、ゴールが見え始めたところで、サラ金会社のアトムからのハガキが届き、最も大きい問題が始り厳しい戦いが始まるのであった。
次章では、サラ金会社のアトムをきっかけに始まる多重債務との闘いを記載します。




