ジョン・ゴールド 様
事務室のドアが開く。
「ハロー」
背の高い男が立っていた。
「え? は、ハロー」
とりあえず返すむっちゃん。俺の想像に過ぎないが、多分むっちゃんはハローしか英語を話せない。そうでなくともロットンケーキの名づけから英語のレベルは察せられる。
男は黒い髪と瞳だが、顔立ちはアジア人のそれではなかった。加えて背が高いだけでなく、体格も良い。ジーンズとシャツ越しにでも膨れ上がった筋肉がわかる。
「あー……。日本語はわかりますか? こちら、関係者以外は立ち入り禁止となっております」
恐らく迷い込んできた客だろうとアタリをつけて、俺は立ち上がった。
「ハッハッハ、日本語わかりますよ」
陽気に言うと、その大きな手が差し出される。思わず握手に応じようとして、俺の体はくの字に折れ曲がった。
「支配人!」
「ぐふっ」
何が起きたか、どうやらロットンケーキの一人わらびが俺の腹に体当たりをしていた。そのまま近くにあった椅子をなぎ倒して、俺は全身の打撲を堪えつつ頭を起こす。
「何が……」
起きたのか。実際に目で見ても、いまいち状況が理解できなかった。
「貴様……何者だ」
男の前にはよもぎが立ち塞がっており、よもぎの腕には大振りのダガーナイフが貫通して突き刺さっていた。
「なんと、本物のゾンビは血が出ないのか」
男はおどけたように言い、手に持つダガーナイフを振り上げた。すらり、と小気味よい音と共に、よもぎの腕が床に落ちた。
「貴様ぁ……!」
よもぎはその目にごうごうと憤怒の炎を燃やしている。
俺の体を覆うようにわらびは立ち、さくらときなこは陸奥を守るように立っている。あんこはよもぎの隣で男を警戒している。
何が起きたと言うのか。
「ふむ。支配人よ。ちと良くないな。負けはせんだろうが、こちらも無傷では済むまい。恐らく、むっちゃんあたりは殺されるぞ」
覇王がそう言ったと同時に、男は腰から二本目のダガーナイフを取り出した。
「そんな怖い顔をしないで欲しい。何もゾンビと戦う気はないんだ」
「嘘である。あの男は皆殺しを厭わん」
肩をすくめる男に対して、覇王は即座に指摘した。
「戦況は不利だ。せめてあのクソガキがいれば何とかなったが、まぁいない者を嘆いても仕方あるまい。とりあえず、むっちゃんが死ぬのは忍びない。支配人よ、助けてやってもらえんか」
無茶を言う。ここ何日も四六時中俺を監視していて、まだ俺があんな奴に勝てると思っているのだろうか。
ロットンケーキは各人が人間を凌駕する筋力を備えている。体は小さくとも、ゾンビの不死性と合わせれば男を取り押さえる事ができるだろう。そう俺は考えているが、覇王は違うようだ。
「如何に五人がかりとは言え、加護を失っている。その上、支配人とむっちゃんを守りながらとなると、完全勝利とはいくまいよ。とはいえ、奴も無傷では済むまい。まずは奴の目的を聞いたらどうだ?」
のんびりと、まるでスポーツ観戦でも楽しむような様子の覇王。色々と思う所はあるが、こと荒事において覇王の見立てに間違いがあるとは思えない。
俺は覇王の提案通り、男に声を投げかける。
「……日本語で良いんだったな。目的はなんだ? ミスター」
「ジョンだ」
「ミスタージョン」
確実に偽名なのだろうが、とりあえず男の名前が判明。ジョンと言うようだ。
「目的は支配人のお迎え。一緒に来て欲しい。それだけだ」
目の前で低く唸る、よもぎとあんこから目を離さないまま言う。
俺が目的とはどういう事だろうか。身代金を要求するなら、もう少し適当な相手がいそうなものである。
「念のため言っておくが、当パークは危険物の持ち込みはお断りしている。それに、うちのゾンビはゴリラと同じくらいパワーがあると思ってくれて良い。通報される前に引き上げる予定は?」
ジョンは首を振って、わざとらしく肩をすくめて見せる。これ見よがしの溜息までつけてくれた。
「ここには友達と一緒に来たんだ。そいつらも納得するなら、俺は構わないよ。試してみるかい?」
言うと同時に、よもぎとあんこが後方に跳躍。俺の側まで来て、警戒態勢。何か起きるのかと思えば、事務室のドアから複数の男が足音も荒く現れた。
全部で五人いて、皆一様に顔を何かで隠している。手にはそれぞれ小銃を構えており、防刃ベストの上から防弾ジャケットを着ている。
その銃口がこちらを向いている。
「人間が、舐めるなよ……」
ふと、それを見たわらびが低い声で唸った。歯を剥き出して獣のように吠えると、踏み込んだ一歩で高く跳躍。銃を構える一人に狙いを定め、猛禽類がそうするように襲い掛かった。
何の躊躇もなく小銃から弾丸が放たれる。
「無駄だ!」
わらびが吠えた通り、弾丸は肩の肉を貫いたものの、それでわらびを止めるには至らない。痛覚がないゾンビ故に、穴が一つ二つ空いたくらい問題にもならない。そのはずであった。
しかし、次の瞬間わらびの肩が爆ぜた。
「ぎゃあっ!」
空中で吹き飛ばされたわらびは、背中から床に落ちる。今も白煙を上げ続ける自分の肩を見て、その目が驚きに満ちた。
「これ、は」
だらんと下がった腕はぴくりとも動かない。肩の肉は吹き飛び、じゅうじゅうと灼けるような音は骨から聞こえてくるようだ。
「聖浄化魔法、であるな」
覇王が言った。
「支配人よ。これはもう勝てまい。あの弾は聖浄化魔法を込めて作られている。当たれば取れた肉をくっつける程度では治らん」
わらびを見下ろすようにして、ジョンが言う。
「本当に効果があったのか……。次は頭を吹き飛ばしても大丈夫か試そうか?」
そして構えられた銃口は、それぞれがロットンケーキの面々に向けられる。
「支配人、チェックメイトだ。どうする?」
ダガーナイフがゆらゆら揺れた。
「支配人! この程度の事でひるむ事はありません!」
「我々をお間違えなきよう」
あんこ、それときなこが声高に言うと、じりじりとさくらが俺の側まで寄ってきた。
「私たちが突破口を開きます。支配人は、むっちゃんを連れて走って下さい」
それは、決死の覚悟であった。
「不死王、造物主が最後に下された命令は、支配人をお助けする事。どうか、亡き主の言葉に殉じさせて下さい」
さくらは真剣だった。その目に嘘は感じられない。
俺は思わず、振り返って覇王に視線を送る。
「で、あろうな。余であるならば、五人を犠牲に撤退。後にクソガキを率いて反撃。勇者の力で締め上げ、余に逆らう相応の罰をくれてやる。……が、支配人よ。あくまでそれは、余であったならばの話だ」
だろうな。と俺は頷いてから、立ち上がった。両手を軽く上げる。
「降参だ。だからもうやめてくれ」
「支配人!」
半ば悲鳴のような声で、さくらは俺を見上げる。俺はジョンに向けて一歩踏み出す。正直、足の震えが止まらない。靴底から順に、体の感覚が消えていくようですらある。
「あー……できれば痛いのは勘弁して欲しいんだが、一緒に行くだけで構わないのか?」
「あんたと、このゾンビ達がおとなしくしてくれるなら。約束しよう」
両手を上げながらジョンに近づくと、ロットンケーキの面々が動く気配を感じる。力を貯めて、全員で飛び掛かろうとしていた。
「やめろ。絶対に手を出すな」
強気に言ってみるが、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。視界の端に見える陸奥など、腰が抜けた上に泣いてしまっている。当然だ。銃口を向けられる経験など初めてだろう。
俺が少しでも落ち着いていられたのは、背後に頼れるアドバイザーが浮いていたからに過ぎない。
俺はジョンに連れられ、事務室を後にした。
パークのお客様駐車場に、当たり前のように駐車していた大型バンに俺は乗せられた。
目隠しをされるが、特に縛られるような事はない。俺に抵抗する意思がない事よりも、俺が抵抗しても意味がない事を知っているのだろう。
車中では俺が何を言っても無視され、唯一ジョンだけが黙っていろと告げるだけだった。この辺も俺と会話しないよう示し合わせているのだろう。
もちろん、車内には覇王が漂っているので周囲の情報は筒抜けだった。
「小刀は聖銀製で、弾丸には聖浄化魔法。それから護符や呪符も持っているな。攻撃、隠密用の魔法媒体も懐にある。ほぉほぉ、なかなか勉強しているではないか」
感心した様子である。どうやらこの連中はゾンビや魔物と戦う事を想定し、異世界の装備を整えているらしい。
覇王の実況めいた言葉のおかげで、俺は都内から離れていない事を知った。どうやら似たような道をグルグル回りつつ、何度も遠回りしてどこかへ向かっているらしい。距離や曲がった回数を誤魔化すためなのだろう。
そして車が停まったのは、一時間以上が経過してからだった。
「さぁ降りてくれ」
ジョンが俺の手を引いた。
「うむ。余の見た限り、危険はないぞ。何の施設であろうな? 家ほどの建物が均一に並んでおる。何かの貯蔵庫に見えるが」
倉庫か何かだろうか。
ジョンに引かれるまま車を降り、よたよたと歩く。足元の感覚はコンクリートのままだったが、どうも何かの建物に入ったらしい。床板はないようだ。本当に単なる倉庫なのだろう。
ガラガラとシャッターの下がる音が響き、ようやくそこで目隠しが外された。
「座ってくれ」
目の前にはパイプ椅子が一脚。辺りにはジョンを含め、武装した男たちが十数人はいた。
薄暗く、高い天井と剥き出しの鉄骨。やはりどこかの倉庫らしい。
おとなしく座った俺は、思わず背後を振り返った。
「……」
「どうした?」
「いや……」
おかしい。そんな訳がない。この状況で、それだけは冗談じゃなかった。
背後はおろか、視界内に覇王がいない。
つい今の今まで、覇王は俺の隣に浮いていたはずだった。倉庫に入るまでは確実にいた。それがいないという事は、覇王が気まぐれを起こしたのでなければ、一体どこへ消えてしまったのだろうか。
頭の先から血流が弱まるのを感じた。さぁっと血の気が引いて行く。
「さて。ビジネスの時間だ」
「……ビジネス?」
浅い呼吸を繰り返していた俺は、それを悟られないようにジョンを見た。
「日本語じゃなくても大丈夫か? 改めて挨拶させてくれ。俺はジョン・ゴールド。あぁ、もちろん偽名だ。そんなふざけた名前の訳もないだろう?」
「……」
フランクな感じで話し出すジョン。舌の動きも滑らかである。
「驚くなよ。それが翻訳機なのは知ってる。そうじゃなきゃ、イヤホンなんて物はとっくに没収しているさ」
どうやら俺の翻訳機は異世界語だけでなく、地球の言葉でも問題ないらしい。意訳とは言え、万能翻訳機として売り出せば世界中で大儲けできるだろう。
いや、それよりも問題なのは、これが翻訳機であると知っている事だ。知っているのは大間をはじめとした政府の人間に限られている。
装備に魔法を使っている事から考えて、異世界に対して何らかのパイプを持っている事は疑いようがない。しかし、それはどんなパイプだろう。
「それよりもビジネスだ」
ぽん、と手を叩いたジョンは続ける。
「俺たちは単に雇われただけで、あんた自身に興味はない。だが雇い主はあんたを連れて来て、お話をしたいらしい。しかし、雇い主はあんたと直接交渉はしたくないそうだ」
どうやら金で雇われただけらしい。
「だから俺たちが代わりに交渉する。なぁ、あそこにカメラがあるだろう? あっちにもある。雇い主は今も俺たちを見ている。それを踏まえて話をしたいんだが、聞く気はあるか?」
壁や天井から無数の監視カメラが俺に向けられている。俺は唇を湿らせてから、答える。
「聞かせてくれ。俺は帰って片付けなきゃいけない仕事があるんだ」
「あぁわかった。多忙だもんな。手短に行こう」
ジョンは腰にあるダガーナイフの柄を撫でながら、俺の前に立って言う。
「異世界と魔王の存在について、全てを公表して欲しい」
言葉は続けられる。
「台本はこちらで用意する。異世界から魔王が来た事と、魔王らがどれだけ悪辣で、凶悪な連中かをあんたには語ってもらう。同時に、あんたらが政府から受けた多額の支援金についても公表する」
「なんだ……それ……」
「全世界同時、生中継でやってもらう。あんたに対しては世間から賛否両論あるだろうが、雇い主は出来る限り配慮すると言っている」
そんな事をする意味はわからないが、そんな事をしたら世界は大混乱だ。
そもそも信じる奴なんていない気もするが、こいつらは魔法を使っている。魔法なんて目の前で見せられたら、それを見た何割かは信じるだろう。そして何割かが信じれば、あとはずるずると真実が明らかにされるはずだ。
だがそれよりも、魔王? 悪辣で凶悪? 彼らをそんな言葉で俺は紹介しなければならないのだろうか。
そもそも、パークはどうなる。
「ちょっと待ってくれないか。支配人の俺がそんな騒ぎを起こしたら、パークの運営にも差し障る。せめて事前に……」
「おっと」
すら、とダガーナイフの刃が鼻先にやって来た。
「そういう話をしているんじゃない。勘違いするな? ビジネスの相手は俺とあんたじゃない。あくまで俺たちと、その雇い主の話だ。ここであんたに言う事を聞かせるまでがビジネスの契約なんでな」
そもそもどうして俺なのだろう。俳優でも何でも、代役を立ててそいつに喋らせても良いはずだ。何故、わざわざ俺を拉致してまでこんな馬鹿げた事を。
「まぁ……まだあんたを傷つけるつもりはない。正直、これだけで世界に公表しても意味はない。誰も信じないだろ、異世界への渡航技術が確立されたなんて」
エイプリルフールに放送するくらいしか使い道がない、と肩をすくめている。
では、何故こんな事をしているのだろう。ますます目的がわからない。
「あんたの仕事は、ここにのんびり座ってる事だ。今はまだ、な」
口元だけで笑い、ジョンはそう言った。
「……」
まだ座っているだけ。まだ傷つけるつもりはない。何かを待っているのだろうか。
異世界の存在を公表する。その目的は一旦置いておくとして、そんな荒唐無稽な話を世界に信じさせる方法などあるのだろうか。
いずれにせよ、何かを待っているのであれば、その何かが来る前にどうにかしなければならないだろう。
覇王のいない俺に、果たして何が出来るのか疑問だが。




