離別の不死王ヘバナ 様
その出来事はしばらく前に遡る。
俺の知りようもない、異世界でそれは起きていた。石造りの暗い神殿の、その最奥。
「伏せよ」
不死王がゆらりと指を向け、告げる。それだけで戦いは決着するはずであった。だが果たして、その男は身の丈程もある長剣を軽々と振り上げると、不死王に向けて突進した。
「効かん!」
布と革で出来た軽装の鎧に身を包み、猛然と不死王に迫る。
「……裂けよ!」
不死王が指を振るだけで、その男は真っ二つに裂ける。そのはずだった。しかしその長剣が勢いよく振られると、空中で何かが弾ける音が響く。
それは不死王の放った不可視にして触れられざる一撃を、刃で弾き飛ばした音であった。
不死王は驚愕のあまり次の一手に迷う。放った魔法は刀剣で物理的に受け止められるような、そんなものではなかった。極めて濃密な魔法による防御があって、初めて防ぐ事が可能な一撃だったのだ。
それを易々と防ぐとなれば、どんな攻撃を行うべきか。剣一本でやってのけた仕組みがわからない為に、不死王に一瞬の迷いが生まれた。
「不死王ヘバナ! その永遠の命のために、何人の罪なき人を苦しめた!」
叫びながら振った一撃で、立ち塞がった亡者が吹き飛ぶ。刀身よりも長い範囲で、男の倍はある巨体の亡者が切断された。
「笑わせるな勇者よ。我が魔道を阻む者に、罪がないとでも言うつもりか?」
「その傲慢さ、人に非ず! 闇に還るが良い!」
「裂け、潰れ、燃え、砕けよ」
不死王の指が向けたのは、必殺の連続攻撃。しかしやはり、その目には見えない攻撃は長剣に弾かれる。
「なるほど……。ゆうしゃのつるぎ、か」
納得したように頷くと、不死王は己の不利を悟る。その長剣は恐らく、ありとあらゆる存在に干渉し、拒絶する。どうやって目に見えない攻撃に長剣を当てているのかは別にして、いくら魔法を放った所で無駄だろう。
「まさか本当にそれを持つ人間がいるとは思ってもみなかったぞ」
「不死王! 貴様の敗因は、まさにそれだ!」
更なる連続攻撃が数を増して放たれる。同時に、羽のように重さを感じさせない長剣が舞い踊る。だが男の脚はそこで止まった。不死王の連続攻撃の多さに、その場に釘付けとなってしまう。
「我の敗因? これは奇妙な事を。まるで貴様が我に勝つかのような言い方だな」
指一本ではなく、両手を広げて魔法を繰り出す。それは不死王に出せる全力の攻撃だった。
このまま剣を振る体力が尽きるまで、何時間でも魔法を放ち続ける。じわじわと精彩を欠いていく剣技と、最後に無様な死を迎える姿を幻視し、不死王は肉のない顔で笑った。
だが、男の目は輝きを失わなかった。
「それが、お前の……お前たちの敗因だと、何故わからない……!」
絞り出すように、どことなく悲しみの滲んだ声を上げる。そして一歩、前に踏み出す。
「自ら犠牲となり、村を助けるために死んだ少女がいた」
一際大きな魔法を両断し、また一歩進む。
「片目を失ってまで守った人々から、石を投げられる兵士がいた」
救えなかった人々を想い、また一歩進む。
「人の不幸は尽きないだろう。だが、それでも諦めない人がいる。戦う事しか出来ない私に、希望を託す人がいる。その想いが、願いがこの胸にある限り。私の歩みは止められないぞ」
不死王との距離が近づくにつれ、防ぎきれない攻撃が肌をかすめる。
「愚かな……。人の短い生を、わざわざ苦しむ必要もあるまい。真の安息は死後にある。人はみな、我が眷属になれば良いのだ!」
「不死王、ここまでだ」
また一歩踏み出したそこは、長剣の攻撃が届く距離である。
「幸せも、永遠の生も……誰かを踏みつけにしてまで得てはいけないんだ」
そして勢いよく長剣が銀色の弧を描いた。軌道上の不死王の体を通り、刃は振りぬかれる。
「なん」
だと、と声は続かなかった。
如何にその長剣を以てしても、不死王の骨を断つ事は出来ないだろうと不死王は踏んでいたのだ。
しかし、腰から下を失った不死王は驚愕に言葉を失う。何の抵抗もなく、すらりと落ちた下半身は地に落ち、一瞬で黒い灰と化した。
よろめきながら、不死王は後退する。だが長剣は再び振り上げられる。
「お前の敗因は、人間の力を軽く見た事だ。俺たちは不死に縋るほど弱くない」
しかしその時、奥の暗闇からぺたぺたと裸足で駆けるような音が聞こえた。ここに至るまで不死王の配下は全て斬り捨てたはずであり、男は予想外の物音に身構える。
「お、おたすけします!」
それはいつの日か見た少女。魔物の群れに襲われ、助けられなかった少女だった。
しかし肌は青黒く、全身にいくつも接合した痕がある。元の面影を残した、別の存在となり果てていた。
「その子は……」
言いかけると、少女は不死王の前に立って両手を広げた。
「あ、あ、あるじ! おま、おまもり!」
そして男に飛び掛かる。全身を使って脚にしがみつくと、不死王を守るべく決死の戦いを挑む。
「……六号か。まだ目覚めぬと思っていたが……」
「不死王! 人の命を、死者を弄ぶな!」
「いのち? では貴様は死んだ者は捨ておくのか? 貴様らは死を嘆きながら、蘇らせる事には反対する。永遠の生を拒否する。命を粗末にしているのはどちらだ?」
「蘇った死者は生前とは別人になる。お前のソレは、命への冒涜でしかない!」
そして不死王は見る。長剣が白く発光し、振り上げられる様を。
「聖浄化剣」
まずい。
何が起きようとしているのか察した不死王は両手で構えた。
「おのれ……。おのれ、おのれ! 我を相手に、無事で済むとは思うな!」
白と黒が交差した。
勇者と呼ばれたのは、旅立ちの日だった。勇者シラカミはその日の事を未だ覚えている。
勇者様と呼ばれ、浮かれていた。恥ずかしい事にも、何でも出来ると思い込んでいた。
だが、自分には剣を振るしか能がない。そう思い知るのに必要な時間は、あっという間だった。
助けられなかった人、守れなかった人、救えなかった人。
山ほどの不幸を見て、死を見て、悔しさのあまり頭が狂いそうですらあった。
「だが、私はここまで来た。あまり人間を舐めるなよ」
シラカミはとうとう魔王幹部と相対していた。
「あらぁ……。別に人間を軽く見てなんかいないわぁ」
毒々しい色の肌を持つダークエルフの妖精王。
「せやな。ワイのダチも人間やけど、あいつめっちゃ強いで多分」
竜の鱗を纏った巨体の竜王。
幹部を二人同時に相手する事について、シラカミはある程度予想していた。しかし、想定外だったのは不死王の一撃であった。
「あら。それってヘバナにやられたの?」
「やるやんヘバナ」
シラカミの左目は見えていなかった。眼球に傷はなかったが、視力だけを奪われてしまったのだ。不死王の最後の一撃を、完全に防ぎきれなかった結果である。
「せやけど、容赦せーへんで」
竜王が手に持つのは巨大な槍である。軽々と振り回すと、シラカミに槍を突き出す。
「おう! いてこましたる!」
「アレネンタ、ゆうしゃのつるぎに気を付けてね」
「わかっとるわ! わかっとる事は言わんでええねん!」
「あなたが何を知らないかまでは知らないわぁ」
「ほなアドバイスはええわ。それより、余裕かましてる場合ちゃうぞ。お前も魔法とか使わな。何かやれや」
「どんな魔法が良いかしら? あぁでも勇者ったら動きが速くて狙いづらいわぁ……。広域魔法が使いたいんだけど、良いかしら? この辺りを吹き飛ばせるわ」
「あかんあかーん! ワイがおるやん! めっちゃ前線で戦ってるやん! 嘘やろ何で選択肢にあんねん。ここはワイの肉体強化とか、何かそういう魔法あるやろ。そんなんでええねん!」
「ダメよぉ。私、呪いしか使えないもの。癒したり強化したりなんて、そんな魔法あったかしら……。もう長い事使ってないから、思い出すまで待ってくれる?」
「はよしてくれよ? ワイかて勇者の相手やからな。いっぱいいっぱいなんや」
「えぇ。今使える魔法を書き出すわ。あっちでメモ帳をもらったの。……あら? どこにしまったかしら。ちょっとしまった場所を思い出すまで待ってもらえる?」
「いやいやいや、待たれへん待たれへん! この土壇場でそんな待たれへんよ!」
「動物の絵が描いてある可愛いメモ帳なの。失くしたら悲しいわぁ」
「その情報は要らん! おい頼むから真面目にやれよ!」
「仕方ないわねぇ」
竜王の槍とシラカミの長剣が激しく交差する中、妖精王の眼が発光した。
「ノロイアレカシ」
瞬間、シラカミは左腕の感覚が消失するのを感じた。片手で竜王の槍を受け止めるが、抑えきれずに受け流す。と、同時に竜王の拳が眼前にあった。
「フッとべや」
岩をも砕く膂力の拳は、シラカミの体を吹き飛ばすのに充分すぎる威力を持っていた。
シラカミは土の上を跳ねながら転がり、全身の苦痛に呻いた。頭を振ると、血が地面に広がっているのが見えた。
ぐにゃ、と視界が歪む。シラカミは荒い呼吸の中、ここに至る道を思い出す。
妖精王と竜王の軍勢は、その物量だけでシラカミを確実に葬るはずだった。しかし、シラカミもまた、一人ではなかった。
俺たちの誰がどうなっても、お前は振り返るな。
道は作る。俺たちを信じろ。そして俺たちの信じるお前は、きっと勝つ。
お前の戻ってくる場所を守る奴がいなきゃ、困るだろ。
各々が親し気に言って、それから死地へと飛び込んで行った。全てはシラカミを妖精王と竜王の元へ到達させる、そのために今も仲間たちが戦っている。多勢に無勢の絶望の中、シラカミという希望を信じている。
人は魔族と違う。その身も、心までも脆弱である。そんな事、自身が一番わかっていた。
そして。
だが、と口に出して呟いた。
「……だが、それでも……」
長剣を地面に突き刺し、震える脚で立ち上がる。たった一撃当たっただけで、体がバラバラになりそうだった。しかしシラカミの目は真っすぐ竜王と妖精王を見ている。
「嘘やん普通もう立たれへんやろ……」
「直撃してないんじゃないの? 魔法障壁も出てたし、上手に防御したものねぇ」
妖精王の繰り出す呪いを掻い潜り、竜王の攻撃を避ける。同時にこなすのは不可能だと、シラカミは感じていた。
「しかし、それでも」
前へ出る。
「ええやん! 来いやワレぇ!」
「……おかしいわ」
「何がやねん」
「あの勇者、ヘバナが負ける程強くない。何か、変じゃない……?」
「変な事あらへんがな。ワイら二人同時やで? ヘバナはあいつ一人だったやんか。こんなもんやろ」
「だと良いけど……」
瞬間、竜王と妖精王はシラカミを見失った。
「は?」
間の抜けた声を出したのは竜王だった。竜王よりも少しだけ離れていた妖精王だけが、それに気付く。
「アレネンタ! 後ろ! 後ろ!」
「え、なん……」
振り向くと、そこにはシラカミがいた。
「クイックムーブ……!」
足元で魔力を暴発させ、推進力に換える荒業である。客観的には瞬間移動とそう変わらない速度であり、そのコントロールは人間の反射神経には不可能である。はずだった。
「それでも、私は!」
長剣が閃いた。
「人間を諦めない!」




