第8話 愛のカタチとは
カチャカチャ……
使われる銀食器の音が広い食堂で反響し、しつこくこだまする。
私は目の前の料理、黒パンとステーキがこれでもかと言うほど重ねられ、上にポーチドエッグが乗せられたエッグベネディクトの進化形態と睨み合っていた。
(これナイフで切れるの?いっそだるま落としみたい崩して食べる?いやそれはあり得ないでしょ落ち着け。どこからナイフを入れてもこぼしてテーブルもドレスも汚しそう…ああもう!)
そんな私を見て正面に座るミミが言った。
「スペアさん大丈夫ですかぁ?こう言う上品な物って食べ慣れなれてないと大変ですよね…どうしましょうね……」
「あははっお気遣いありがとうございます聖女様。大丈夫です何とかして食べます」
ミミは謁見の時ぶりに顔を合わせたが、その姿は頭のてっぺんから足の先まで艶々ピカピカだ。召喚された時もブルーアッシュの髪に滑らかな肌と豊満な体つきが魅力的だったがさらに磨き上げられたようで。デコルテが開きレースがふんだんに裁縫されたドレスは彼女の魅力を惜しげもなく露わにしている。
隣に座るレーガンもその碧い瞳でどこか誇らしげに私を見た。
(この料理が上品かどうかは置いておくとして、なんかすっごく悔しい!)
奥歯に軽く力が入り、私の難しい顔が銀のナイフに映って表情を直した。そうだ、悔しがってどうする。大人になったらその人の人生が現れる人相が物を言う…だから表情には気をつけよう。男は愛嬌、女も愛嬌だ。
そんな心得を胸にナイフとフォークを構えて頭の中で進化系ベネディクトの食べ方をシュミレーションしていると、隣からテオフィルスの手が伸びてきた。
そしてそのまま私の皿を奪うと、今度は自分の皿を私に寄越した。それは一口大に綺麗に切り分けられたベネディクトで。驚きと感動でテオフィルスの方を振り向くと、涼しい顔して私の皿のものをいとも簡単に切って食べている。それから一口食べ終わるとテオフィルスが言った。
「これは夫が切り分ける料理だ。気にせず食べろ」
「……あ、ありがとうございます殿下!」
私は笑顔で御礼を言う。これが、テオフィルスに"もらってばかり"の今の私に出来る唯一だ。聖女のスペアというだけの存在だが、やれる事を精一杯やろう。仕事は自分から探すものだ、と社会人生活で学んだ。
だから料理を切り分けてもらったことも、それに対するこの笑顔の御礼も立派な仕事なのだ………と言う事にしておこう。でもまあ、それにしてもだ。
(夫が切り分ける料理…そんな料理あるかいっ…私も王子様にこんな事させてバカ!情けなさすぎる!)
頭の中の私がツッコミを入れている。いや本当に自分のツッコミにぐうの音も出ない。そう思い自分の皿を見ると、進化系ベネディクトは今や黒パンとステーキが一層ずつセットにして切られており、一口で口にできる大きさだ。山の上のポーチドエッグは破られずに付け合わせのトマトと一緒に横たわっていて。卵を破る楽しみを残してくれるとは、なんて行き届いたサービスだろう。
私はいざって時にテオフィルスに何をしてあげられるか分からないというのに、テオフィルスは惜しげもなく私を助ける。
だからこうやって自分に出来ない事をサラッとこなす人の姿は"憧れフィルター"がかかり、それはもう一層輝いてかっこよく見えるのだ。
まあつまり、何が言いたいかというと。
今のベネディクトのヘルプに不覚にもキュンとときめいてしまったのである。
彼は私への好意を伝えて安心させてくれて、恩着せがましくない優しさで助けてくれて、そんな所がとてもかっこいい。その事を自覚して首と耳が熱くなった時、一連のやり取りを見た陛下が言った。
「いやはや、皆よき夜を過ごしたようで何より。これで名実共に夫婦になったわけだ。初めての仕事、ご苦労だったなミミ殿とスペア殿」
「えへへっ愛の力で王子さま達に力を与えることも聖女の仕事ですから」
「さすがだね。僕もミミの愛のおかげで、色んな意味で元気になったよ。そうだ!テオもいざという時は頼むといい」
ああ…なんて下世話で、礼儀知らずなのだろう。別にテオフィルスが私の物とは言わないが、彼は私と結婚した立派な妻帯者だ。そんな変な事は言わないでほしいし、彼に手を出すような事は絶対しないでほしい。
テオフィルスをじっと見つめるミミの熱い視線を見ると、なぜだかみぞおちが熱く沸いてくるのを感じた。その熱の正体が分からないまま、その熱はどんどん強まっていく。まるで大鍋でぐつぐつと何かを煮立たせているような感覚だ。
私は口を引き結び、膝上のナプキンを握りしめて体の中で生まれる熱い何かが溢れるのを我慢していると、テオフィルスがカトラリーを静かに置いて。ナプキンで口を拭くとはっきりと言った。
「結構です。俺には大切な妻がいるので」
彼が答えた瞬間、私のみぞおちから沸き上がって来た何かが堰き止められじわじわと冷めると、心が凪いでいくのを感じた。ミミとレーガンのタチの悪い冗談だろうが、それでもテオフィルス自身がきちんと否定してくれた事が嬉しくて。
隣のテオフィルスを見れば、あの初夜を思い起こさせる穏やかな横顔とまつ毛が綺麗な節目でレーガンに答えていた。そして私が見惚れていたまつ毛が上がり、ルビーの瞳が私を捕えると言った。
「ついてるぞ、そこ」
「えっどこですか?ここですか?ここ?」
どうやら私の顔に食べかすが付いているらしく、指でさしてくれたが恐ろしいくらい探し当てられない。見かねたテオフィルスは自身の手を私の顔に添えて、親指で私の唇を撫でた。
「さっきのソースだな。取れた」
スローモーションで離れていく彼の温かく大きな手。そうして私の口に付いていたそれがソースだと教えると、私の唇を拭った親指を何の迷いもなく舐めた。
「〜〜〜〜っ!?」
(今の間接キスってやつでは…!?)
私は慌てて両手で唇を押さえ、彼の指の感触を確かめた。驚きで体が僅かに跳ねると、テオフィルスは片側の口角が少し上がり、悪戯っぽく小さく笑った。
「ははっ驚きで跳ねる人間は初めて見た」
「殿下がおかしな事をするからです!」
間接キスもさることながら、彼のいつもと違った表情にも驚いた。こんな顔をして笑うのか。まだまだ小さな笑顔だが、彼の咲くような笑顔の片鱗が見えて。きっと心からの笑顔は周りを明るく照らするほどの魅力があるのだろう。そんな彼を側で見てみたい、そんな日が来ると良い、そう思う。
そんなやり取りをしている私の正面のミミは、顔周りの後れ毛の隙間からレーガンを睨み、レーガンもまた眉間にシワを寄せてミミを見返していて。
2人こそ仲睦まじい夫婦だと思っていたので、テオフィルスのこの反応に不満剥き出しなことがどうも腑に落ちない。彼らの1番の目的であり、また成すべき使命は、互いに愛し合って汚穢退治することのはずだ。けれど今の2人はテオフィルスに執着しており、そうでない時は決まって私を蔑み排除しようとする。
なぜ?どうして?謎のピースが足りなくて答えはまだ出ない。
そうして私達の一部始終を見た陛下は、まるでゴシップ紙を見た直後のような高揚した様子で話し始めた。
「まあまあ、愛とは人それぞれの形で生まれるものだからな。人にそれを語るのは野暮だろう。若者の閨事に口は出すまい」
「…………」
沈黙の中見れば、レーガンは背もたれに深く腰掛け陛下に呆れ顔を向け、テオフィルスは視線を落としていて。
この反応はごもっともだ。
なぜって、元はと言えば陛下が初夜の事を口にしたことがこのピリついた話題を作り出したのだから。
だが皆無言になった所を見るに、仕方がない事なのかもしれない。この世界に"セクハラ"の定義が存在しているかも分からないし、例え定義が存在してコンプライアンスで禁じられていても「言う奴は言う」のだ。
特に外部から来た者にはそうなりがちだ。〇〇社の課長に「経験人数は?」「体位は?」「え、まさか処女!?」と忘年会でしつこく聞かれた恨みは決して忘れない。
「だがお前達はもっと親睦を深めるべきだ。そうだ健全に、4人で茶会でもしなさい」
「「はい?」」
4人が奏でる4重奏の「はい?」は綺麗に食堂に響いて消えていった。
「こう言うのもなんだが、有事の時はスペア殿とテオフィルスの出番もあるやもしれん。その時にミミ殿とレーガンとうまく意思疎通取れた方がいいだろう?もう少しで"聖女修練"も始まることだしな」
「俺の妻も参加ですか?」
「もちろん、これはここで暮らすためのスペア殿の義務だ。神聖力を少しは持っていて貰わんとスペアにならないからな」
ーーーーーーー嫌な気分だ。
あくまで私はスペアで、私の意思や人権は無視。それでいて陛下はその意識がなく、なんなら良い提案だとすら思っていそうで余計にタチが悪い。
だが義務と言われてはやるしかあるまい。そうでないとここには居れない、と陛下はそう言っているのだ。だから私はこう言うしかない。
「分かりました。善処します」
こうして私は、悪意を隠さない王子と聖女に心強い味方1人と挑む事になって。
人生はじめての優雅なティータイムはレーガンとミミのおかげで殺伐としたティータイムになりそうだ。