第6話 誓いの指輪
あまりの衝撃で自分の頭の上をぐるぐる回るひよこが見える。ひよこが1羽ひよこが2羽ひよこが3羽……。
しかし泳いでいた視線がテオフィルスの熱のこもった瞳に吸い寄せられ焦点が合うと、私は現実に戻る。
針の筵の中で紡がれた、柔らかくも温かい愛の誓いの言葉。
うっかり召喚された先でやっつけ結婚なんて笑えるが、強制されたものだとしても相手に愛されたいし、私も愛したい。
テオフィルスが私に愛を誓ってくれるなら迷えるはずもなく。
だから答えは1つ、私はその言葉を生まれて初めて言う単語のようにぎこちなく口にした。
「私も、ち、ち、誓いますっ」
テオフィルスは私の返事に目を丸くして即座に立ち上がると、私の左手に優しくキスを落とした。
(ひいいっ唇が熱い…!)
ワッ…!!
歓声が上がった。大きな拍手に陛下もここ1番の笑顔で。目の前のテオフィルスは私の手を両手で包み、それで自分の顔を隠している。その彼の行動が喜びによるものだということは、彼の赤く染まった耳を見れば明らかだった。
彼の喜びが伝染するように私も多幸感を噛み締めて。
そして自分の顔から私の手を離すと彼は私の手のグローブを取り、キラリと光る"それ"を私の薬指に構えた。
ーーーー指輪だ。
私の薬指が指輪を迎え入れると、それは黄金のアームが肌に馴染み、オリーブブラウンの宝石が上品に光って見せて。自意識過剰だと自覚はしているが「石が私の瞳の色に似ている」と、そう思ってしまった。そうして私が指輪を愛でていると渋い顔のテオフィルスが補足で言う。
「ちなみに、その指輪は神聖力が宿っていて俺が死なない限り外れない」
「へ?」
「王と聖女の契りは、はじまりの王と聖女に基づき生涯唯一の愛の誓約だ。だから指輪も誓約を解くか死ぬかしない限り取れないのだが…」
(それはつまり、"死が2人を分つまで"を地で行く指輪ってこと?ってそんな気まずそうな顔しないでよ!綺麗な顔が台無しよ!)
「でっでは、殿下は長生きしてください!指輪は私が命に変えても大切にするので!」
「そうか。では互いに長生きしよう」
「はい!ふふっ」
お堅い感じに見えるが案外話が分かるというか、少しは冗談の通じるタイプかもしれない。私が初めて自然に笑うと、彼は僅かに目を細めため息を吐き、自分の顔を私の額へ寄せた。
「よく似合っている」
そう言いながら私の耳をひと撫ですると、そのまま私の額にキスを2つ落とす。
1度目は確かめるように触れるキス。2度目は掠めるようにため息と共に落とされて。そして私の額からテオフィルスの顔が離れると彼の長い指が私の頬の輪郭をなぞり、そのまま掬うように顎先を上へ起こされた。
私は目を見開かずにはいられない。眼前にはシャワーカーテンのようにサラサラ落ちる濃紺の髪と、赤い瞳は私を貫きそうなほど強い視線。
テオフィルスのそれがそのままゆっくり近づいてきては額、瞼、鼻先と上から順に唇で触れてきた。残すところはあと1つ、目をギュッと瞑り口先に神経が全集中して…
チュッ
「誓いのキスだ。口は嫌だろう?」
テオフィルスはそう言って私の頬から顔を離し、遠慮がちに微笑んで。頬に柔らかくもジンと残る感触と、キスの場所をシュミレーションした自分の想像力に思わず顔が火照る。無理もない、私の"想像"は外れてあえなく"妄想"に終わったのだ。
それから夢心地に浸…る暇もなく、大きな声が広間に響いた。
「今この時を持って、第1王子レーガン殿下と聖女ミミ殿、第2王子テオフィルス殿下と聖女スペア・エレナ殿の婚姻が結ばれ、ここにめでたく神聖なる夫婦が誕生した!」
「王子殿下万歳!聖女様万歳!」
「ルチルゴールド王国万歳!!」
宰相が声高に宣言すると貴族達が一斉に声を上げ陛下も玉座から立ち、ここにいる誰もが王子と聖女の婚姻を歓喜した。
そう、私達は夫婦になった。
*****
激動の1日が過ぎ去り、私は空を見上げた。
今宵も誰かの期待に応えんとばかりに美しく星々に彩られている夜空は、昨日よりも低い気温の中でより一層鋭い輝きを放っている。
そんな事を考えているこの部屋は、暖炉で火が焚かれてほんのり暖かく、私は星々から暖炉の火に関心を移した。
焚き火なんていつぶりだろう?大学時代に友達とキャンプをした時以来だ。木が燃える独特の香りと、燃える火の橙色。
その揺れる灯りと不規則なパチパチと燃える音に加え、キャンプ地の美味しい空気にはリラクゼーション効果があった事を思い出す。
あの時は良かった。ただ火が燃えるのを眺めていれば良かったのだから。
「ああもう…どうしよう…」
私はこの1時間、自問しながら燕のように部屋の中央を旋回し続けている。事の発端はそう、婚姻発表後の晩餐会の席でのことだ。
ーーーーーー
ーーー
4m程はありそうな長テーブルでそれは開かれた。
陛下がいわゆる誕生日席に腰掛け、レーガンとミミ、正面にテオフィルスと私の並びで席に着き、祝いの酒と食事に各々舌鼓を打つ。
聖女召喚と婚姻の祝いの晩餐会だ。
「ミミお風呂に入ろっかなぁ〜って思ってた時に召喚されたんです!」
「では少しタイミングがずれてたらえらい事になってたな!ワハハ!」
「ハハッ!まあ陛下、いずれにせよ今晩はお互いを隅々まで知ることですし。ね、テオフィルス?」
顔を赤らめてはしゃぐミミとお酒が入り上機嫌な陛下、それに乗るレーガンのテンポよく進む会話に、ナイフでステーキを切る私の手が止まった。レーガンに話を振られ、テオフィルスが口を開く。
「………何のことでしょう」
テオフィルスが何も知らないという顔で答えるも、この空間はまるで負荷がかけられているかのような重い雰囲気だ。
「なーにを男のくせにカマトトぶりおって!"初夜"は夫婦の初めての共同作業であり神聖な儀式だ。お前とて心得ておろう?」
ーーー
ーーーーーー
こうして晩餐会のやり取りの一部をショート動画よろしく頭の中で再生しては悶え早2時間。そう、何を隠そう私はこれから王子様と"初夜"なのだ。
うっかり召喚、やっつけ結婚、とっとと初夜。どれもこれもぶっつけ本番のこの世界には呆れると同時に感動すら…しない。
ソワソワと私が歩き回る度に空気が撹拌されたのだろう、侍女がベッドサイドに置いていったアロマキャンドルの香りが部屋に広がっていて、酔いが回るような感覚に陥る。
甘く鼻腔にねっとり残るこの香りはイランイラン?それともネロリ?女性らしい香りはムード作りにぴったりで、準備万端感が否めない。
それだけではない。
蝋燭の灯りで窓に映された私の姿を見れば私自身も相当磨かれ、飾り立てられていた。昨日私が済ませた入浴とは打って変わり、数人の侍女が私を囲んで肌を磨き、全身に薔薇の香りの香油を塗り込めたのである。
しかしこの肌を包むネグリジェが問題だ…初めて身につけるが、これが世に言う勝負下着だろう。
侍女に着せられたそれは、黒いチュールで出来た透ける素材に所々レースが編まれているも布面積は殆どなく、この上なく扇状的なデザイン。私はそのほぼ裸の格好でいられるわけがなく、ずっとバスローブを羽織っていて。暖炉の火を浴びる今、バスローブは炬燵のように温まっていた。
(こんなの着てたらやる気満々だと思われるじゃん…いやそれでいいのか?いやいや、でも…)
コンコンコンッ
「へぁいっ!?」
突然の訪問に裏返った自分の声は、初めての名刺交換の時に出た時のような情けなくも初々しい声で。ギイイ…と重い扉が唸りながら開かれ、ドアの影から彼が言った。
「……入っていいか?」
「殿下!はいどうぞ」
私がそう答えるとゆっくり入ってきたのが黒いバスローブ姿のテオフィルスだ。湯上がりの髪は濡羽色に光って雫を降らす。これぞ水も滴るいい男、これだけ体現できる人間が他にいるだろうか、いやいない。
見惚れる私をよそに彼はキョロキョロ見回して、例のアロマキャンドルに気がつくと素早く吹き消した。
「あ、苦手な香りでしたか?」
「いや?だがこれは性欲誘引剤だ。おおかた父上が侍女に指示したのだろう」
「性欲誘引、なるほど……………え!?」
私の思考と体が固まってる間にテオフィルスは部屋の窓を次々に開けていく。外から吹く冷たい夜風にカーテンが揺れた。すると彼は風に身を任せるようにそのままフワリとベッドの上に身を投げた。
「………」
黙りこくるテオフィルス。まさか蝋燭が効いてしまったのだろうか?火を消されたそれは静かに煙を燻らせている。そしてその煙が大きくうねったところで彼は口を開いた。
「初夜が無かったと知れれば、お前の立場が悪くなる」
「そう…ですよね…」
その通りだ。私の立場もきっと彼の立場も良くはならないだろう。この初夜に納得できるよう説得する気だろうか?私が次の言葉を選んだいるとテオフィルスが続けて言った。
「だから俺も一応この部屋で休むが、今夜は何もしないから安心しろ。俺はそこで寝る」
そう言うとテオフィルスは枕を掴んでベッドから起き上がり、ソファの方へ移動した。目の前には枕を持って歩く優しい王子様。
「ありがとう王子様、お言葉に甘えます」
…などと言えるはずもない。
私はフリーの宝石バイヤーだった。会社勤めはした事がないが、一応常識はあるつもりだ。
ではここで問題、一国の王子がソファに寝て一般人が特大ベッドで寝ていいか?私でも分かる、通り答えはNOだ。そんな常識あるわけない。いや、あってはならない。私は反射的にテオフィルスの腕を掴んだ。
「ダメですよ!私がそこで寝ます!」
「は?」
そこからは小さな戦争で。
テオフィルスの持つ枕を2人で取り合いながら、「俺が!」「私が!」とソファ争奪戦が繰り広げられた。いつもは無表情のテオフィルスも眉間にシワを寄せて応戦してくる。私達2人に引っ張られ行き来した枕のカバーが今はもうすっかりシワっぽい。
「ハァ…埒があかない。2人でベッドを使うぞ」
「はい!?でも私寝相悪いですし!」
「文句があるなら俺は床で寝る」
「…ありません…ベッド広いですしね…」
王子がソファどころか床に寝るとは、何にも勝る脅迫ではないか。そうして大人しくなった私とテオフィルスは同じベッドの端と端に入った。
さあ、初夜が始まる。
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