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閑話 テオフィルスの夢②



「見てみて!ドレスかわいいでしょ?夢の国のぷりんせす」


 真っ暗闇の中、ドレスを模した装いの少女が俺に飛びついてきた。


 見れば少女と俺のいる所だけ光で照らされていて、まるであの悪夢の中で照らされていたグロリオサ王と聖女キクリのようだ。

 突然のことに俺の頭は混乱した。


 (これはどういう事だ?いつもの悪夢は?血走った目のアレは?)


 およそ3、4歳程に見える少女は俺を見上げて目を輝かせた。

 今まで王と聖女を見てきたような傍観的な夢とは違う、明らかに俺が存在している夢。


 これは誕生日を迎えた俺の深層倫理か何かが見せる夢だろうか。長らく傍観的な生き方をしてきたせいで、自分のことが分からない。


「ねえってば!」

「おっおい!やめろ!」


 俺が呆然としていると少女が服の裾をグイグイ引っ張りながら地団駄を踏んだ。まるで現実のように少女の重みや力を感じる。

 俺はその不敬な少女に吐き捨てた。


「俺に触れるな。俺を誰だと心得る」

「わかんない。おにいちゃんだれ?」

「はぁ…もういい」


 少女は間抜けな顔をして首を傾げ、俺を見上げた。その細いヘーゼル色のくりくりと丸い瞳が俺を見つめて離さない。正直に言えばその少女が愛らしいことは否めず、それ以上少女を邪険にすることは憚られた。


「ティアラもかわいいでしょ?にあう?」

「あぁ、そうだな」

「でしょ!ドレスは氷のぷりんせすで、ティアラはお花のぷりんせすなの!おにいちゃんはどっち好き?パパは氷って言ったけどママは…ヘブッ!」

「興奮しすぎだ。息継ぎしろ」


 俺は矢継ぎ早に語る少女の鼻をぷんと摘んだ。もう既に城で過ごす1週間分ほどは会話したと思う。こんな風に無遠慮にやかましくされた事はこれが人生初めてで、耳がキンキン、頭はガンガンしてかなわない。


 そうしてくたびれた俺はその場に胡座をかいた。どうせ夢だ。行儀などどうでも良い。

 少女はぽてぽてと俺に近づいてくると俺の胡座を椅子のように使い、そこにすっぽり座った。


(はっ…ここまでくると感心するな。俺を王族とも知らずに)


「これはね、ママがくれたの。"だいやもんと"っていうキラキラな石なの」


 それから少女の頭越しにその手を見やれば、ふっくらした手のひらに輝く石が嵌った首飾りがあり、宝飾に疎い俺の目にもそれが上等な物だと分かった。


「それはどこぞの王女が持っていてもおかしくない代物だな。お前の母親は貴族か?」

「ん?ママはあきた美人だよ。パパがいつもみんなに自慢してる」

「アキタビジン?そんな家門は聞いた事がない。隣国の家門か?没落した家門…いやしかし、見るからに平民だな」


 いや待て、ここは夢の中だ。

 何を真面目に考えているんだ俺は。夢を現実世界の事として考えるなど倒錯の極みだろう、バカらしい。


 俺は深呼吸して自分を落ち着かせようとした。しかし一つ息をすると少女の香りが鼻腔をくすぐる。花のような甘い香りは、夢とは思えない程のリアルな芳しさで、こんな五感を刺激する夢があるのだろうかと驚いた。

 俺は夢といえばあの無機質な悪夢しか知らないから他と比較しようがない。


(そう言えば、今夜はあの悪夢を見ていないな…)


 俺はふと悪夢のことを思い出したが、悩み込む前に楽しげな少女に話しかけられた。


「ねぇおにいちゃん、しってる?このキラキラ石は世界一かたい石なん────」





 目が覚めた。

 俺の耳に夢の少女の声が妙な余韻として残った。


 外は快晴で緑は朝露に濡れ、朝の涼やかな風が頬をくすぐる。物心ついた時からあの悪夢にうなされていた俺にとって、こんなに気持ちのいい朝は初めてだ。


 まぁ、もう二度とはないことだろうし今夜からはまた悪夢にうなされるだろうが、ほんの一晩でも「自分」でいられた奇跡に感謝しよう。


 だが奇跡はその晩では終わらなかった。


「これはね、"だいやもんど"っていうキラキラ石なんだよ。パパがママにプレゼントしたんだって」


 誕生日の奇跡から数日、驚くべきことに俺はあのおぞましい悪夢を見なくなった。


 そういうわけで俺は人生初めての快眠生活を享受していたのだが、代わりにあの少女の疲れる夢を見に来たようだ。

 少女はキャイキャイと喜び、その「だいあもんど」について語る。


「あーあ。このティアラも"だいあもんど"になればいいのになぁ」

「平民のお前には叶わない夢だろうな。諦めろ」

「わかんないでしょ!夢は願えばきっと叶うんだよ。絵本のぷりんせすはみんなそうだよ」

「バカを言え。現実は叶わない夢ばかりだ」

「おにいちゃんに夢はあるの?夢がなくちゃ、叶うものがないでしょ?────」





 また、目が覚めた。


(夢を持たなければ叶うものもない…か)


 兄上のスペアとして、影として傍観的な生き方をしてきたくせに今さら夢を見るだと?夢だ希望だなどと…子供っぽくて反吐が出る。


 しかし少女のその言葉が頭に残り、それが幾度も反芻される日々を過ごした。

 そしてまた数日後、あるいは数週間後に夢を見て、少女と会話をする夜を過ごすうちに俺はあることに気がついた。


 夢は前回の続きから始まる。それは次の夢が数日後でも数週間後でも変わらなかった。

 

「え?さっき言ったよ。おにいちゃん聞いてなかったの?」

「いや…俺は3週間ぶりだぞ?忘れて当然だろう」

「ふーん?変なの」


 そんな煩わしいことを繰り返すうちに、前回の夢を覚えている方が進行がスムーズだろうと、俺は夢の出来事をしたためる"夢日記"なるものをつけ始めた。


 まぁ、痛い行動だという事は重々承知の上だ。周りにバレれば頭を打ったと思われかねない行動だと思うが、あの少女のことを思えば致し方ないことだ。


 もう、夢を夢だと思えなくなっていた。


 翌年、俺が誕生日で1歳年をとると、少女は数年分成長した。髪が伸び、背が伸びて、舌足らずだった話し方も少し大人びた。


「運動会の徒競走で1位だったの!ほらっ金メダルすごいでしょ!えへへっ」

「金が好きなのか?」

「うん大好き!金は1位の色だもん」

「そうか。覚えておこう」


 真っ暗闇の中で俺と少女だけが照らされて、その中で俺は胡座をかいて、少女はペタリと座る。そこでは礼儀も遠慮もなく俺は気兼ねなく過ごしていた。

 少女はいつでも熱っぽくキラキラ光る石について俺に語った。


「原石は可能性が無限大だから好きなの」


「カッティングされた宝石はみんなに価値が分かってもらえるからそれも好き!」


「宝石って私達の知らない時代から地中で育まれた輝きの塊なんだよ。すごくロマンがあるよね」


 毎年、少女の美しく変わっていく容姿と変わらない石への情熱。俺はその少女にどんどん心を奪われて、俺は長い現実よりも夢の一時を恋しく思うようになった。


「お前、名は何という?」

「────だよ」

「…もう一度」

「────だよ?」


(やはり名前だけ聞こえないか)


 彼女が名前を口にするとその部分だけ音が掻き消されてしまい、俺に彼女の名前は分からなかった。夢日記には彼女の名前の分だけ空欄が増え、それは俺の胸の隙間に比例した。

 目が覚めると彼女のことばかりを考えた。


「オムライスが1番好き」

「おむらいす?」

「知らない?チキンライスを卵で包むの。とろとろ卵を上に乗せるタイプもあるけど、しっかり卵で包まれてる方が好きだなぁ」

「そうか。美味そうだな」


 彼女をもっと知りたい。


 それは何よりもずっと切実な願いとなり、いつしか俺の叶えたい「夢」となった。俺は「夢は願えば叶う」、そう言った夢の彼女の言葉に従った。


「テオフィルス、あなた好きな令嬢でもいるの?」

「はい?いきなり何を言うのですか母上」

「だって急に客室を改装したり、指輪まで作ってるそうじゃない?どこのご令嬢なの?」


 俺は夢の彼女を願い続け、ついには彼女の言葉を元に居城の東の宮に黄金で彩られた客室を設けた。彼女の1番好きな色が「金」だから。

 それから彼女を思ってオリーブブラウン色の石を嵌めた指輪を作った。彼女の潤んだ瞳の色に合わせた物だった。


「どこにもいない人ですよ。母上」


 俺の言動を見た父上と母上は俺の狂心を疑い、全ての縁談話を断る運びとなった。それは願ったり叶ったりで、俺は内心喜んでいた。

 そうしているうちに彼女との夢が始まって9年が経った。俺が27歳の誕生日を迎えると、夢の彼女はさらに美しくなり、おおよそ俺の年齢に追いついているようだった。そして彼女は驚く事を言った。


「私、怖い人を見たよ」

「怖い人?」

「うん。血走ったギョロ目の女の人で、物凄い形相で私を睨んで追いかけてきて…」


 彼女は眉を顰めながらその恐ろしい出来事を俺に話してくれた。けれどそれも一瞬で、今度は安堵して柔らかな顔で俺を見た。


「…でもね」

「でも?」

「男の人と女の人が、大丈夫だよって言ってくれて気がついたらここにいた。名前は知らない人達だけど、凄く温かくて…男の人は何となくあなたに似てたよ」


 あの悪夢そのものじゃないか、と思った。

その男女はグロリオサ王と聖女キクリか?俺の夢と関わりがあるのか?いや、


 これは本当に夢なのか?


「お前はどこの誰なんだ?」


 夢の彼女に意味のない事を問いかける。「どうせ夢で実態なんて無い」と思う反面、その存在の証明と確信を欲しがる自分がいた。


「きっとすぐに知れると思うよ」


 彼女はそう言いながら俺の頬にそっと触れた。頬のわずかな産毛が彼女の手で撫でられて心地いい。


「ほら、夢は願えば叶うって言ったでしょ?」


 ────カカッ!


 彼女が俺に確信めいた希望を口にした瞬間、目の前が真っ白に光り俺を包んだ。夢の彼女は消え、これまでの暗闇を塗り替えた真っ白なその空間である。そして俺は息を飲んだ。


 腰まで真っ直ぐに伸びる黒い艶髪を持ち、伝説に残された「巫女装束」を着た聖女キクリが現れたのだ。


「テオフィルス、時が来ました」

「聖女キクリ…様?」


 そして当たり前のように聖女キクリが俺の名を呼び、予言のように告げる。


「もうすぐ────が、彼女が来るわ」

「それは現実で?」

「えぇ、けれどその時はもうお互い覚えていない。彼女が世界を超える対価に貴方も彼女も互いの記憶が消されてしまうの。この夢から覚めたら、貴方も彼女を忘れているわ」

「…では俺の想いも消されてしまうのでしょうか」


 9年間温められた、いや熱せられたこの気持ちが消える事を考えると体が底冷えするようだった。俺の唯一の熱が奪われる、怖い。俺が冷や汗をかいて項垂れ、足元を睨んでいると聖女キクリが俺の頬に触れてきた。まるで先程、夢の彼女がそうしたように。


「貴方次第よテオフィルス」

「俺次第…ですか?」

「だって、頭で覚えた事と心で感じた事は別物でしょう?」

「そういうものでしょうか」


 俺は屁理屈のような聖女キクリの言葉にまた眉を顰めたが、満面の笑みで頷かれた。


「テオフィルス、大丈夫よ、きっと大丈夫」






 聖女キクリの言葉が耳に残って目が覚めた。


「……覚えてる」


 俺は目が覚めても夢の彼女を少しも忘れず覚えていて、思わず確かめるように呟いた。いや、覚えているどころか昨夜の夢を今までの中で1番鮮明に覚えていて、眠っていた気さえしない。そして自室を出ると王城が騒がしいことに気がつき、今日が"あの日"だった事を思い出した。


(あぁ、そういえば今日は聖女召喚の日だったか)

 

 俺は第2王子だし、所詮兄のスペアだから関係ないからと国の命運をかけた儀式もすっかり忘れていた。

 もし彼女が聖女として召喚されたら雄叫びを上げるくらい喜んで嘆くだろう。喜びは彼女に会えた事、嘆きは第1王子の兄上の伴侶となってしまう事。そうなれば俺の思いは永久に冷凍保存されて、永遠に溶かされる事は許されない。


 召喚されて欲しいが、されて欲しくもない。そんな矛盾に苛まれながら、いよいよ召喚の儀が始まった。

 大昔に作られた聖女召喚のためだけにある石の広間は、夏の蒸した夜でも鳥肌が立つ冷たさだ。


 ────カッ!!


 真夜中の秒針が重なった瞬間、光の柱が天まで届き、召喚に成功して聖女が現れた。俺の知る夢の彼女ではなかった。


(あぁ…これで良かったんだ)


 俺は彼女に会えなかった事より彼女を兄上に奪われなかったことに安堵していた。


 召喚された聖女は妙な猫撫で声を出して兄上にさらりと挨拶した。予定調和のように、初めから知っていたかのように、まるでこの世界を知っているかのように何の戸惑いもなく振る舞う。


 そしてその女は、陰で召喚の儀を手伝っていた俺の方を勢いよく振り向いた。そいつは俺の顔を見るなり恍惚の表情を浮かべて頬を染めた。なぜかその顔があの悪夢の女と重なり、全身の毛が逆立ち、肌が粟立つ。

 怖気を感じた俺が後退りしてその女が追いかけようとしたその時だった。


 ────カカッ!!


 物凄い豪風が吹き上がり、風を巻き込みながら光の柱が天まで伸びた。光が消えて吹き上げていた竜巻が消えゆくと、魔法陣の中に1人の女が立っている。

 予期せぬ事に力無くその場にへたり込んだその女を見て心臓が大きく脈打った。


 ────夢の彼女だ。


 聖女が召喚された後になぜか召喚されてしまった彼女に、兄上は目に見えて不機嫌になった。兄上はどんな手段であれ、邪魔なものは徹底的に排除する性格だ。

 守らなくては。俺の何よりも大切な夢の彼女を。俺はマントでそれとなく彼女を隠して提案した。


「俺が秘密裏に処理しましょうか」


 俺はできるだけ彼女を「兄上の脅威にならないもの」と見えるように雑に扱った。胸が痛むが、この場で彼女が剣で切り捨てられないために必死だった。


「では…聖女のスペア、という事で城で管理いたします」

「ああそうだね、そうしよう」


 兄上の同意を得た。俺の城に連れて行ける。彼女に触れられる。

 俺は沸き上がる喜びを兄上に勘付かれないよう噛み殺し、夢の中でしていたように地面に座る彼女を思い切り抱き上げた。


 浮遊炎が彼女を照らし出す。

 夢の彼女は夢よりもさらに美しく愛らしかった。これが現実だとは思えず、むしろこれが夢ではないかと思える程の多幸感。

 彼女の柔らかな茶の髪の毛は夢よりも柔らかく、彼女の肌は夢よりもきめ細やかで、彼女の瞳は夢よりもずっと澄んだヘーゼルブラウンに俺を映した。


 その表情は困惑に満ちていて、夢の聖女キクリの言う通り、俺を覚えていない事が分かった。だがそれでもいい。

 さあ、ここから始めよう。




「俺はテオフィルス・ルチルゴールド、この国の第2王子だ。お前の名は?」


「あ、えと、エレナです…」




 彼女の名はエレナ。


 夢で出会った俺の最愛だ。





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