第15話 愛と真の赤き聖石
「ハハ…確かに素敵だね。ところで、その赤いドレスは買ったのかい?」
自身の着るチュニック同様、青ざめたレーガン。
罠を仕掛けた張本人に教えるのは癪だがこの際だ。
私がいかにテオフィルスの心を重んじたか、その努力を知らしめるためにもここで語ることにしよう。
「いいえ、用意されたドレスをお城にあった物で赤色に染め直しました」
「それは一体どうやって…?」
「レモンと紅花です」
「何?」
そう、役立ったのはドレスを買うお金でも使用人を従わせる権力でもなく、昔家庭科の教科書で見た知識だった。
まずは厨房からレモンパウンドケーキを作った時のレモンと、パンを焼く時の重曹をこっそり拝借して、それでドレスを大胆に手洗いした。
レモンと重曹には天然の漂白作用があるから。
ドレスの色が脱色されて徐々に青色が薄くなったら今度は紅花の出番。
紅花茶用の紅花をこれまたこっそりと拝借してドレスを紅花と水に浸して赤色に染色した。
そうして紅花で染まったびしょ濡れのドレスを最後に蒼炎が炎で乾かしてくれて、これで即席赤色ドレスの出来上がりというわけだ。
やり方は至ってシンプルだった。
しかしそれは今世紀最大の肉体労働でもあり、ほんの1時間少しの間に何度も心が折れかけたものだ。
お蔭様で今は疲労困憊、すぐにでも部屋で休みたいのが本音である。
「というわけでかなり苦労しましたが、こうして大好きな赤色で参加できて嬉しいです!」
「そう…それは何よりだね」
「ミ、ミミだって赤が好きだもん!だからほら!レーガンと相談してこのルビーをテオフィルスにあげたの!」
青くなるレーガンとは真逆に赤く燃えるミミの顔。ミミはテオフィルスの腕をグイッと掴み引っ張ると、ルビーを持つ彼の手ごと私に見せてきた。
脱力して指が弧を描く彼の手には確かに赤い宝石があり、私はそれを手に取った。
直径1cm程の大きなそれは私の手の中でもキラキラと日光を反射し、これ見よがしに光って見せる。
これだけ見かけが綺麗なら本物と思っても無理はない。けれど宝石バイヤーの私は知っている。
これが偽物であると。
「レーガン様、ミミ様。これは偽物です」
私は確かめるために宝石を持ち太陽の光にかざすと確信した。
「は!?嘘つかないで!これは紛れもなく本物よ!本当のルビーよ!」
「そうだね、いい加減な事を言わないでほしいな。スペアさんとて流石に不敬だよ?」
私を威圧する2人。
私に詰め寄りにじり寄る彼らの足で芝生が軋むが、テオフィルスは相変わらず白濁した目で私の横にぼーっと立っているだけだ。
私を常に支えてくれていた彼の遠い目に心が痛む。
彼をきっと取り戻してみせる、そう思い、私は野次馬の青い貴族達をすぐ近くへ集めた。
ゾロゾロと半径1mまで私達4人を囲むように集まった彼らは聖女とスペアの冷戦を固唾を飲んで見守っている。
そうだ、そこで見ていればいい。私はその宝石を摘んで持ち、宝石を語った。
「私は宝石を見定める仕事をしていたので。まず1つ、本物のルビーは光が当たると光の帯ができます。でもこれにはそれがない。ほら、ね?」
近くにいた貴族に石を手渡し、順に石を見ていくとざわつく彼ら。レーガンとミミの顔が陰った。
私はさらに続けた。
「決定的なのはこの傷です。偽物はガラス混じりなので硬度が低くて傷がつきやすくてこうなります。一見本物のようですが、これに本当の宝石の価値はありません」
私は断言した。
ザワッ
貴族達がざわめいた。第1王子と聖女様を真っ向から批判するただの無礼なスペア。
けれど私の言葉に彼らの気持ちが偏ってきたのは明らかだった。
私のことは好きに言えばいい、今更批判なんて怖くない。
この世界でテオフィルス以外に私を肯定してくれた人など元よりいないのだから。
でももし少しでも良心があるのなら、知っておいてほしい。
私が決心して一歩前へ出ると、強く踏みしめた芝生が青臭く匂い立つ。
テオフィルスの不名誉なデタラメを流したレーガン、そしてその噂を広め、まことしやかに語った愚かな貴族達に私は言った。
「騙されても無理もありません。悪徳な宝石商は自分の利益のために騙るものです。そして人はその嘘を信じて、まるで本当のことのようにまた周りに語ってしまう」
そう、レーガンがテオフィルスの赤色を「呪いの血」と偽の噂で固め、人々がそれを流言したように。
生まれてからずっと根拠のない侮辱に遭い、自らが母親を傷つけたかもしれないという罪悪感に苛まれて傷ついたはず。
それでも人の心を失わず、私のような得体の知れない人間にも優しくできるのがテオフィルスだ。そう、彼は誰よりも温かくて優しいのだ。
だから彼の赤色は「呪い」だと人々に忌避される理由には決してならないし、腹立たしくてたまらない。だから私は言った。
「ご存知ですか?赤い石にはピジョンブラッドという宝石があるんです。その名の通り、血のような深い赤色で、本物の最高級だけが貰える称号です」
手の中のルビーのような物を見て、それからテオフィルスの瞳を見る。
私を見つめる彼の赤い瞳はこんなルビーもどきでは比べ物にならないほど、いつだって輝き美しかった。
そう、本物の美しさは決して嘘と偽物には屈しない。それを他でもないテオフィルス自身に知ってほしい。
そして私は、遠くを見るような彼の白濁した瞳を見て言った。
「私はテオフィルス殿下の赤い瞳が好きです。嘘に汚れず屈しない、本物の強い美しさだから」
ーーーーキラッ
それはほんの一瞬の事だった。
柔らかな風が吹いて木漏れ日が漏れ、眩しい白い光の粒が彼の瞳を隠すと、瞬きの後に再び現れた彼の瞳が変化した。
彼の、あの深く赤い瞳が輝いた。
(戻った…戻ったよ…!!)
そう思い、私に押し寄せた安堵で腰が抜けそうに揺れると、テオフィルスが私の腕を引き、彼の体の中に私をすっぽり埋めた。
そして私の耳元でテオフィルスが言った。
「………エレナ」
初めてだ。
テオフィルスが私の名前を呼んだ。苦しそうに絞り出された彼の低い声が私の鼓膜と心を震わせる。
お礼でも謝罪でもない、ただ精一杯に呼ばれた名前に、テオフィルスの感情全てが詰まっているのは想像に難くなくて。
彼に掻き抱かれて、彼の匂い、体温、声を直に感じる。
熱い、でもそれが私を安心させて、久しぶりに生きた心地がした。
テオフィルスが帰ってきたのだ。
「おかえりなさい、殿下」
私は自分の出す優しい声に驚いた。
こんな声出せたんだ、私。
それから腕の力を緩めて私の顔を見るテオフィルスは潤んだ瞳だ。
困り顔と笑顔が混ざったような、とてもぎこちなく複雑な顔をしていたが、彼の熱い体温がそれが喜びによるものだと示してくれている。
テオフィルスから解放されると青色の貴族達が先程までとは違うザワつきをした。
第2王子と聖女スペア、私達の中で何かが変わった事を彼らも気づいていた。
テオフィルスが私をようやく解放すると、彼の横顔を見るといつもの無表情に戻っていた。その視線を辿るとそこにはレーガンとミミがいて。
「いやー勉強になったよスペアさん!偽物だったなんて…今度から気をつける事にするよ。ね、ミミ?」
「そうだね。でも本物みたいに綺麗だからテオフィルスにもらってほしいな!受け取るだけなんだもん、いいでしょ?」
「そうだね、是非とも受け取ってもらおう。スペアさん、テオに渡してもらえるかな?」
テオフィルスにどうしても偽ルビーを受け取って欲しがるレーガンとミミ。
テオフィルスをこんな風に貶めた2人の思い通りにするのは腹立たしいが、有力貴族のいる手前、私も言うことを聞かざるを得ない。
そう思い、偽ルビーを握っていた手を開いて私は驚愕した。
(……嘘、でしょ?)
私の手の中にあったのは偽ルビー"だった"モノ。
先程まで形があったそれは、すっかり砕けていた。
「…は、ちょっと信じらんない!あんたミミのルビー壊したわけ!?」
「はい!?誤解です!そんな握力持ってません!」
それからミミがレーガンのもとを離れズンズンと私に近づいてきた。
しかしミミが一歩進むたびに偽ルビーはどんどん砕けていき、やがて、
「ーーー!?消えた!?」
貴族達が一斉にどよめいた。
私自身も驚きのあまり声が出ない。
手の中の偽ルビーどんどん砕けて散っていき、ミミが私の目の前に着いた時にはすでに微細なパウダーになっていた。
そしてそれは粉雪のように風に攫われ、消えていき、私が呆気に取られているとミミの手が震えて。
「あんた今度は何をしたわけ!?言え!!」
ミミの振りかぶった手が私の頬を目掛けて振り落とされるところだった。
「うちの妻に何か用でしょうか、聖女様」
ミミの手をテオフィルスが力任せに掴んで止め、彼女から手を離すと、ミミに触れた方の手袋を外してミミの足下に勢いよく捨てた。
ミミはテオフィルスに触られた手を摩りながら目を丸くし、レーガンと貴族達は一様に口をあんぐりと開け固まった。
この会場だけ時間が止まったように皆が動かず、その中でテオフィルスだけが身軽に私に振り返る。
その清々しい笑顔と輝く赤い瞳が本当に、とてつもなく綺麗で。私の中で何かが弾け、心臓がドクンと大きく脈打った。
ーーーーーーーカッ
その瞬間、私の左手首につけていたブレスレットがサーチライトように四方八方へ真っ赤な光の柱を放ち、青い貴族や庭園の青薔薇、そしてレーガンとミミ…全てを赤く照らした。
そして光が収まりブレスレットを見たテオフィルスと私は驚愕することになる。
「殿下、原石が…原石が研磨されてます…本物のルビーになってます!!」
手首で光る輝くルビーをテオフィルスに見せ、私達は2人で目を丸くした。