第12話 理不尽な血
テオフィルスの赤い視線が真っ直ぐ、私の瞳を突き刺すように届いた。その強く悲しい彼の赤に瞬きさえできなくて。掴まれた私の腕は彼の握力が緩まると呆気なく重力に従い、垂れ、私の上半身に収まった。
"呪いの血の王子"
…まるで10代で終わる虐めのような、幼くも残酷な呼び名。なぜ貴方がそんな風に呼ばれるのか聞き出したいのに、彼の顔に落ちる陰を見ては「なぜ」「どうして」が喉奥で詰まった。それからテオフィルスから言う。
「俺の母上はもう長く病体でとこに伏せておられる。それは俺を孕み産んでからの事で、医者は『赤子が母上の胎の中で母体を蝕み、血を穢したから』と診断した」
(え………?)
「そして生まれた子は見事なまでに"血のような赤"の瞳の持ち主だった。それがその証拠であるとあらぬ噂が立ち、俺が生まれてこの27年を経て、今では誠の事実として囁かれている」
「何ですかそれ…!医者の診断もおかしいし、周りの人達もどうしてそんなっ…」
ああ駄目だ、言葉が続かない。
「そんなの藪医者ですよ」「周りも馬鹿だ、どうかしている」。頭の中で次々に浮かぶ非難の言葉は、彼の長きに渡る苦悩の前にはどれもこれも安っぽくて。そんな事なら言わない方がマシだと思った。我ながら心底情けない。
私はなんて言えば良いのだろう。非難できないのなら、彼の悲しみに寄り添って一緒に悲しめばいいのだろうか?けれどもし的外れだったら?静かに優しい彼のことだ、きっと心の内で静かに傷つくのだろう。
「俺は慣れているから、お前が悩む必要はない。ただ"あちら側"にお前の身元が割れた以上、お前に危害がないとも限らない。明日から護衛を付けるから…大人しく過ごせ」
「危害、ですか?」
「………行くぞ。部屋まで送る」
テオフィルスは一言も二言も飲み込むように私の顔の上で視線を左右させ、私に背を向けるとゆっくり歩を進めた。砂利が踏まれてはその態勢を静かに変え、ジャリジャリと音を立ていて。黒百合が砂利の音と共に無情に揺れた。
すぐ後ろから見る彼の広い背が普段より小さく見えどこか幼ささえ感じる。私は彼をこのままにしてはいけない気がして、けれど安易に踏み込むには闇が深そうで、彼に新たな闇を刻んでしまいそうで怖い。彼を救う光源を見つけなければいけない、そう思った。
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バシャッ!!
ここに来て日課の中庭の散歩。私はいつもこうして日陰になっている壁沿いを平和に歩いているわけだが。
今日はこうして頭上からシャワー…もとい水掛けをされている。本日2度目水を掛けられ、水源を辿るべく私が上を見上げると窓から隠れた侍女の姿。まあ、十中八九作為的なものだろう。そしてこれが昨日のテオフィルスが想定した「危害」の1つと思われる。
「はあはあっ!スペア様!僕から離れて歩かれますと困りま……ってああっまた水をかけられて!言わんこっちゃない!!」
「はっくしゅ!すびばぜん。ハーベスト卿が気持ちよさそうに寝てたので起こすのも悪いかと…」
「そういう時は叩き起こすものです!!」
「ええっ!?」
いや、問題はそこではない。そもそもハーベスト卿が寝なければいい話なのである。
今日付けで私の護衛になったハーベスト卿。赤毛に茶目の彼は、筋肉質で恰幅が良く、背丈も高くて例えるなら"屈強な壁"だ。真面目だが気のいい人で、どこか天然で憎めない。
というわけで、私が部屋から外出する時に高確率で寝ている彼は私の水掛けられショーに立ち会えず、護衛しそこねているわけだ。
そんなハーベスト卿の理不尽なお小言を聞きながら、水を存分に浴びて冷えてきた体を摩ると救世主が現れた。
「エレナぁ〜そろそろ3時のお茶の時間だべ〜って!何さアンタその格好!」
ふよふよとどこからともなく火の玉が現れた、蒼炎だ。
私はハーベスト卿と別れ部屋で着替えると、今は東の宮図書室にいる。埃と枯れ葉を混ぜたような匂いの古書が並ぶ図書室は、屋内2階建ての一軒家のような造りでとてつもなく広い。
私が目当ての本は1番人目につく所に収納されており、図書室に入ってから本を開くまでに5分とかからなかった。それから蒼炎の権力で室長に温かい紅茶とジャムクッキーを出してもらい、こうして彼女の横で歴史書と眺めていた。
理由は1つ。
テオフィルスを知るためにはテオフィルスを育てた国を知らなければならないと思ったから。
例えば、東洋と西洋で文化や言語あるいは思想も異なるように、何がこの国の人達の礎となり、この王族をつくりあげているか。私が水を掛けられた理由も分かるはず。王子の隣にいる以上、私も知らなければならない義務がある。
「誰がどうして、こんなにつまらない虐めをするんでしょうか」
「んま〜昔からテオフィルスに好意的な者は虐げられて城を追われたっけな。今回もおそらく第一王子派だべ。自分の王位のためにあいつは邪魔だべな?」
「レーガンの仕業ですか?でもこの国の王位継承は長子制だから彼が次期国王で決まりですよね?兄弟を貶めるなんて悪手なのでは?」
気持ちが急いて、思わず雪崩れのように言葉が漏れた。蒼炎は黙り図書室の乾いた空気の中で静かに自らの炎を揺らし、私を見る。その目はどこか幻滅したような冷めた目をしていて、思わず肩が強張った。
そうしてクッキーを一口齧ると、紅茶の湯気を自身に巻き込みながら語り始めた。
「あのな、この国では生まれながらに自分の価値が勝手に決められんだ。貴族、平民。王族の中も例外じゃねぇのよ」
「価値…」
「いいか?レーガンは"側室"イザベラ様の御子、テオフィルスは"正室"ソフィア様の御子。王はソフィア様を寵愛してたけんど、長らく子に恵まれねぇで、後に娶ったイザベラ様がレーガンを身籠った。んだけども、その1年後にソフィア様も御懐妊してなぁ〜。
王はいまだにソフィア様を寵愛してんのよ。ほんで貴族もそれに乗っかってテオフィルスを支持するべ?それはあいつに権力が傾いているのと同義ってわげだ」
「長子制とは言えレーガン殿下の地位は確実じゃない、と。でも私を邪険にする理由は?」
「婚姻の起源は聞いたべ?国を担うのは王と聖女。今のレーガンのフワッフワの地位を固める唯一の方法が聖女との婚姻だったわけよ。それがおめさんが現れちゃったもんだから!エレナが万が一聖女なら、長子制なんて関係なく、テオフィルスに地位も権力もぜぇぇんぶ奪われちまうのよ。だぁからあんだは邪魔なわけ!」
「つまりレーガン殿下が自分の利を得るために嘘でテオフィルスの支持率を下げつつ、もし万が一私が聖女だった場合にも継承権を奪われないよう画策してる…?」
なんてやるせない王族の事情と悪意の流言。頭が痛くなる…が、テオフィルスはこれに27年も耐えてきたのだ。そう気づくと鼻の奥がツンとして、図書室の乾いた匂いが湿っぽく鼻をつく。
彼自身は一体どれだけの涙を流してきたのだろう、いや、流せたのだろうか?それすら聞けない私達の関係がもどかしい。
頭を抱える私に蒼炎はズズイッと顔を近づけ、持っていたジャムクッキーを私の口へ放り込んだ。口いっぱいに苺ジャムの味が広がる。甘い。私も楽こそしてきたわけではないが、これだけの終わらない辛さは感じた事はない。
口の中で溶けていくクッキーを感じながら思うのは彼の辛そうな表情と背中で。ああ私はこんなジャムのような甘ったるい世界で生きてきて、あの時彼の痛みを受け止めてあげることができなかったのだ。
「相手に寄り添う事はあっても、呑まれる事はあっちゃいげねぇからね。おめさんがしっかりしろ?な、エレナ」
蒼炎の改まった低い声がもうすっかり暗くなった図書室に響く。
冷めたティーポットからカップにお茶を出せば、茶葉からすっかり抽出されたお茶の色が黒い。それは飲むと苦味が口一杯に広がり、私の悩みを凝縮したようだ、などと感じた。
窓際に座った私の側では手元のランプが橙色に光り、タマさんの蒼い火は私の顔を青白く窓ガラスに映す。
(まるで出張を詰め込んだ時の顔ね…)
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そして水掛けられ事件から、私の身の回りは一気におかしな方向へ変わった。
私物を全て赤色にされたのである。
「あのぅ…今日も赤ですか?」
「はい、テオフィルス殿下からの贈り物でございます」
そうしてこの日の夜に渡された品々も赤い物達。赤いドレス、赤い帽子、赤い下着、生けられる赤い花、赤いジュエリー等々。
ただし、赤い品を持ってくるのは決まってあの"兼任侍女"だった。そう、王の謁見の日に私の着付けをした後ミミに付き従っていたあの侍女である。ミミもこの件に一枚噛んでいるのだろうか?
侍女がわざとらしいくらいに恭しく礼をして部屋を出ていくと、私はため息をついた。
もう1週間、テオフィルスに会えていない。
もちろん会う努力はした。
剣先が行き交う鍛錬場に顔を出し、そこにいなければ騎士に居場所を聞き、彼の散歩道に隠れて待機してはその間に水を掛けられたり。
失礼を承知で執務室に直接行った事もあった。しかし執事から公務を理由に断られ、お目通り叶わず。
彼に毎日毎日避けられる、そんな日々。
だから実力行使に出る事にした。
赤い絨毯と両壁に聳える高く分厚い本棚、そして奥の大きな窓の前に設えた重厚なデスク。彼は毎日多くの時間をこの執務室で過ごすのだ。
この1週間、テオフィルスの行動を観察し続けたおかげでこうして無人の時間を狙って忍び込んだ。この時間は毎日の定例会議の時間で、もちろん執事も同席である。
ちなみに20時に始まる会議はもっと早くの時間にずらすべきだと常々思っている。どう見たってブラックだ。
さて、作戦は極めてシンプル。この部屋でテオフィルスを待ち、戻った彼と話し合う。
なぜ私を避けるのか、それに尽きる。"呪いの血の王子"を告白されてから拗れてしまった私達。呪いだの、血のような目だの…それがなんであれ私は彼の味方だ。彼が私にそうであったように。
そうして決意を新たにした所で扉が開いた。深く柔らかいウォールナットのドアが開く様はまるでスローモーションのようで。祈るように組んだ両手に、力の籠った指先が白くなった。そして私は固まる事になる。
「あれぇ〜?あんたがここに何の用?」
めかし込んだミミだった。