9.2 思い掛けない繋がりが増える事もある
「ありがとう」
優しく、クーラーの風に乗るように放たれた言葉が背後から聞こえた。自覚もない衝動で起こした行動に感謝されるとは……。
俺の返事でも待っているのか、柏木は何も言わない。2人の沈黙をただひたすらテレビの音が埋めていく。
「ま、まあ……そんなこと俺より笠原とか神谷とかに言った方がいいと思うぞ……あいつらずっと心配してたしな」
感謝の言葉が嬉しいとかそんなんでは無い。ただ俺は何もしていないからそんな言葉を受け取る道理が無いって話だ。
「そうね……でもあんたもでしょ?」
「どーゆーことだ?」
「あんたも心配してくれてたんでしょ?鈴から聞いた」
「あいつ……余計な事を……」
さんざんバレないよう俺を隠してきたってのにバレた途端これかよ。ろくな事言わねぇな。
「え?違うの?」
「あ、いや……心配と言うか……」
こんな面と向かって妹の友達を心配してたとか言えるかよ。中澤みたいなイケメン陽キャと俺みたいなどクソ陰キャが言うのとでは全然違うんだ。
「じゃあ何でそこまでしてくれたの?鈴の友達だから?希美達に頼まれたから?」
俺の曖昧な返事が不満だったのか、柏木はソファの肘置きに腰掛け見下ろすように俺に問う。何としてでも明確な理由を言わせたいらしい。
「そうだな……きっかけって言うと、まぁ鈴の事とか頼まれたからってのが合ってる……けど何か、それだけじゃ無いって言うか……」
正直自分でも何故あそこまでムキになっていたのか、珍しく小此木さんなんかに若干ながら苛立っていたのか分かっていないところはあったが……。言葉にするってなると尚更分からない。
しかし柏木の視線はじっと次の言葉を待っている。
「その……俺もよく分かんないけど、何となくムカついたから」
「は?亜美さん達に?何であんたがムカつくのよ」
そーなりますよね。俺も分かりません。
でもどうやら柏木は納得の行く答えが出るまでこの姿勢を変える気は無いようだし……。
「俺の中で柏木は凄い権力者って言うか、強い?みたいなイメージがあって」
「またそれ?」
柏木はむすっとした顔で首を傾げる。
「まぁ聞け。だから全く知らない奴にその立ち位置が崩されるのが気に入らなかった……みたいな?兎に角見ていて気分が悪かった」
我ながら意味不明な答えだな。これでも一生懸命形にしたのだが。
「ちょっとよく分かんないんだけど」
「だよな、俺も分からん。でも俺の中での感覚はそんな感じだ。絶対これだとは言い切れないが」
「…….そう」
諦めたのだろう。柏木は俺から目を逸らし肘置きには腰をかけたまま再度テレビを見始めた。悪いな語彙力無くて。やっぱ俺は理系らしい。
ふと柏木の方を見ると相変わらずのそのスタイルの良さに驚かされる。腕も脚もスラッと長く、思わず自分の腕と見比べてしまう。
しかも今日はいつもより化粧が薄いのか穏やかに見える。そして服装もそうだ。薄ピンク色のシャツに白っぽいチェック柄のスカートといういつもの柏木からは想像し難い柔らかな雰囲気だ。
「何?」
気付けばテレビ画面へ向いていた視線がこちらへ向けられていた。
「いや……これから鈴とどっか出かけんの?」
「別にそんな予定無いけど。何で?」
大した質問したつもりはないのに思ったより強めの返しが来る。
「なんつーか、行き慣れたうちに来るだけにしては凄い他所行きの服装じゃねーか?」
「ぜ、全然いつも通りだけど!」
「あそう」
陰キャからしたら相当お洒落してるように見えたんだけどな。ピアスとか付けてるし。気を抜いた服がこれってこいつモデルかなんかなのか?
勝手な想像を膨らませていると何か思い出したように柏木が口を開いた。
「あ、そうだ。あんたさ、今私があんたの命令何でも1つ聞いてあげるって言ったら何を頼む?」
「何その宝くじ当たったらどうするってのと同じぐらい可能性低い話」
「は?どーゆー事?」
「……いや……なんでも無いです……命令ね……」
怖っ。鼻で笑いそうだったのに一気に血の気が引いたわ。
とは言え命令と言われてもなぁ……。今のところ特に……いや待てよ?
「『何でも』って本当に何でもってこと?」
だとしたら凄いな。答えなんか一つしかないだろ。ニヤりと自然に漏れ出る笑みを堪えながら返答を待つ。すると、
「はっ!?馬鹿!マジキモっ!」
「え?キモい?」
どーゆー訳か隣にいる柏木は異常な程に赤面し、手をクロスしながら自らのその豊満な胸を隠すように俺と距離を取った。
最初こそ何にそんな拒絶しているのか分からなかったが少ししてから察しがついた。
「いや別に変なこと言うつもりねぇよ、鈴に知れたら殺される。てか俺は最低限の倫理観は持ち合わせているつもりなんだが」
「誰がお前なんか!」とは言いきれないが俺はそーゆー欲求をも容易に跳ね除けるほどの根性無しなんだ。そんな心配はいらない。「気付いたら勝手に〜」なんて事も俺にはあり得ない。
柏木は安心したようにすすすとソファの肘置きに戻ってきた。
「じゃあ何言おうとしてたのよ」
「そんなん一つしかないだろ。『今後いかなる時でも幾つでも命令を聞くように』って命令」
俺は得意げに言ってみたが当の柏木はかなり表情を引き攣らせた。
「つまんな。そんなんダメに決まってんじゃん」
「何でもじゃねぇのかよ。じゃあ他には特に無いな……てか俺にどんな面白回答期待してたんだ?」
「別に期待はしてないけど…….私に出来そうな事なら今回の借りを返すために一つくらい聞いてあげてもいいかなぁって思っただけよ」
相変わらず上からだなこいつ……まぁ色々と上だからいいけどさ。
「これと言ったのはねぇな。俺は貪欲だけど無欲なんで」
「は?意味分かんない」
「分からんで結構」
不意に視界に入った時計を見ると14時10分前を指していた。俺はソファから立ち上がりキッチンへと向かった。
「どうしたの?」
「もうすぐ鈴帰ってくる頃だろうから俺は部屋行くわ」
「え?まだ答え聞いてないんだけど」
キョトンとした顔で柏木が俺に言う。こーゆー顔の時は怖さよりも普通に可愛いく見えてしまうから困る。
俺はゴホンと咳払いで雑念を吹き飛ばした。
「何、答えって」
「ほら!さっき言ったでしょ!私に命令する事1つ!」
えぇー、無いって答えは無効って事なのか……。でも本当に無いんだけど……。まぁそれで通らないのが柏木だし、それっぽい当たり障り無い事言っておくか。
「もうすぐ鈴の誕生日だから何か買わなきゃならないんだが……何が良いか教えて欲しい。あいつ俺が聞いてもまともな事言わないから」
免許も無いくせに車とか部屋とかパソコンとかエグい値段のものを請求してくるし。去年なんか「イケメンの兄」と言う一番残酷な事言ってきたからな。
まぁ結局何あげても一応は嬉しそうな顔してくれるから良いんだけど。
「まぁ分かったわ……日は……」
「ただいまー!ごめん美香ちゃん遅くなって!……あれ?今日どこか出掛ける予定だったっけ?」
「え?そんな予定ないでしょ?」
「だよね、美香ちゃんなんか今日凄いおしゃれだね」
「べ、別にそんな事ないわよ……」
柏木が何か言いかけていた気もしたが鈴がドタドタと物凄い勢いで廊下を駆けてきた事で途中で打ち切られた。そして鈴は俺がこの格好だからか、かなり冷めた目で睨みつけてきた。
「お兄何してんの?」
「飲み物飲みにきただけだ。もう部屋戻るよ」
まったく、俺には自分の家を歩き回る権利すらないのかね……。




