8.2 陰キャに出来る事などたかが知れてる
ムワッと肌に纏わりつく空気を拭いながら、俺は『スクールモール』と呼ばれる開放的な一階の広場に来ていた。
昼休みが始まって少し経った頃。常設された丸テーブルを囲う硬い椅子に腰を下ろす。
殆どの生徒がまだ昼食を摂っている頃だろうから、ここはかなり静かだ。時折聞こえる奇声はどの学年にも1人はいる猿みたいな輩の発したモノだろう。
しかし気になるのは本当にその程度。あとは生ぬるい風が玄関口からゆったりと吹き込むだけだ。
「お!早いなぁ」
無駄にサラサラな髪の毛を風に靡かせながらスラリとした長身の女性が向かって来た。
左手にはバインダーを持ち、右手では口の開いたタバコをぐりぐりとポケットに押し込んでいる姿が見える。
「俺が早いんじゃ無くて先生が遅いんですけど。俺、13時でお願いしましたよね?」
今は13時7分になろうと言うところ。移動距離の差とは言い切れない遅れだ。
田辺先生は俺の前に着くと、腰に手を当てはぁ、と呆れたため息をぶつけた。
「あのな、女子は色々と忙しいんだぞ」
「その年って女子の部類じゃ無いでしょ」
「聞こえてんぞ」
ボソリと漏れた言葉も地獄耳に拾われてしまい瞬時に口を紡いだ。
どーせ一服行ってただけだろうに。
「ちょっとの遅れでグチグチ言ってるようじゃあモテねーぞ!……さてはデートした事ないな?」
またこの流れか、くだらん。俺のあからさまであろう態度には気づきもせずにニタリと笑う田辺先生。
モテない人間同士の恋愛絡みの話など何より無駄な時間だ。そーゆー奴らは妄想にでも浸ってるのがお似合いってもんだろう。
「あの、本題入って良いですか?」
「ああ、大体予想はついてるよ。柏木の事だろ?前にも話したもんなぁ。お前がまた私の元に来たって事はそーゆー事と取っていいんだな?」
「まぁ大体は……」
現状お手上げ、と言うのは少し大袈裟かも知れないがそんな感じ。段々と選択の幅とタイムリミットに俺は限界を感じ始めていた。
「そうかぁ……」
田辺先生も状況を察したのか頬杖をつき吐き出すように言う。
人の悩み事をこのようにゲームのように例える事は間違っているのだろうが、先週田辺先生と話した際俺の感じた中で幾つかタスクのような物が与えられていた気がした。
しかしその中で最も重要タスクの達成にこのままでは届かないだろうと俺は予感したためここに来たのだ。
柏木の事で問題となる事、すなわち俺の思うタスクは、『事実を知る事』『原因又は柏木への敵対者を知る事』『なるべく穏便に解決する筋道を立てる事』など多くある。それぞれが順調に達成されていけば自ずと結果はついてくるのだろう。
そして俺の思う最も重要であるタスクが『柏木に周囲の協力を請求又は認証させる』だ。
おそらくこれを導かせるヒントとして田辺先生はわざわざ後日に「柏木は人に頼る事を知らない」と伝えに来たのだろう。
まぁあの人だから思いつきで話しているだけって可能性もあるが……。むしろその方が高いかもしれないが。
「私も教師だ。起きている事も知っている。当然見逃す事は出来ない。けどな……」
「柏木から止められてないですか?そんな事はされていないとか」
田辺先生はいつに無く重い面持ちで頷いた。
「まったくその通り……。『私は大丈夫』『何もされてなんかいない』の一点張りだ。本人がそう言い切る限り早計な行動は出来ない。誰にも対等って立場も良い事ばかりではないよな」
正直意外だった。
てっきり柏木と田辺先生の間では何も接触は無い物とばかり考えていたがそんな事はなかった。俺の想像よりかなり話は進んでいるようだ。こんな感じでもやはり教師だ。
しかし逆に言えばもっと余裕のある態度で来ると思ってもいたので違和感は残る。
「以前先生は『柏木は人に頼る事を知らない』って言ってましたけど多分そうじゃないと思います。……いつものあいつは知りませんが今回に限っては『頼る気が無い』とか『他人を関わらせたく無い』とかだと」
「そうだな……そこに正直苦戦している」
なんだ、全て知っていた上で俺にあーゆー風に伝えてたのか。試されていたと思うと尚更今の田辺先生の態度は不自然だ。
「そうは言いつつ何かあれば先生がなんとかするんですよね?」
「そうだな。柏木を助けるだけの手ならある。そんな物私の立場からならどうとでも出来る。だが私個人としてはあまりその手は使いたくないんだよ。柏木の意向を考えれば尚更な」
柏木を助けは出来るが本人が望まない手段……。本人の希望を無視し、強引に証拠を提示でもするつもりなのだろうか。
そうすれば確かに相手側の先輩は確実に停学だろうし嫌がらせの数々も無になるだろう。だがその反動も無いとは言えない。
本人が望まずともバレー部内での面談やら調査やらが入るだろう。となれば練習どころでは無くなるのも目に見えている。当然そんな事柏木は望んでいない。
「だから今回はお前に預けてみたんだ。私に出来ずお前の立場だからこそ出来る事もあるだろう?私は田辺明以前に柏木の担任教師って位置付けになってしまうんだ」
どこか悔しそうにそう言うと田辺先生は静かにまっすぐ俺の目を見た。俺は思わずごくりと唾を飲む。
「私はもう一度柏木に話を持ちかける。折れてしまってからでは遅いからな。だからお前はお前のやり方でもう少し頼めないか?」
そんな真面目な顔で言われてもなぁ……。
「いやぁ……俺のやり方ってまたテキトーな……」
「テキトーなんかじゃあ無い。あるんだろう?まだ考えが。今日はその確認も兼ねて来たんじゃ無いのか?」
田辺先生は鋭い目で俺を捉えて離さない。俺も視線を右へ左へ泳がせながらも思考を巡らした。
考えの確認か……。まぁあながち間違ってはいないかもしれない。もう時間も掛けられない。確かに今日この場で新たな手段の実行を示唆しようとは考えてはいた。
俺のやり方ってのはおそらく今の俺にしか出来ないことって意味だろう?自信があるわけでは無いが成功率はそれなりに高いだろうと自負している。
「詳しい内容は恥ずかしいんで言いませんけど少し強引で誰もやらないような事しても良いですか?」
「ああ、お前が本当に正しいと思うやり方を見せて欲しい」
「分かりました」
多分俺のと田辺先生の感じている「俺の考え」ってのは違う。俺と田辺先生の『正しさ』は同じじゃない。これが終わったら俺は先生に咎められるのかもしれないな。
それはそれとして今は今の俺にしか出来ない事を俺は知っている。ただそれを実行するだけだ。
「すみません、お時間貰って」
椅子から立ち上がり、俺は軽く会釈をした。
「いやいや、私がやらせてるって言っても過言ではない事例だ。ここまで頼んで言うのもあれだが……お前も無茶はするなよ?」
「無茶なんてすると思います?言いましたよね、俺は諦めが早いんです。寧ろそれを売りにしてるくらいなんで」
「それはまた面倒な性格だな。じゃ、よろしく頼むよ」
とても大役を任されたような終わり方だな。何にせよ俺のやる事は決まっている。
既に残りの休み時間は10分程しか無かった。




