7.3 陰キャは時に陽キャよりも強くなる
俺が下校したのは約1時間前。その時よりは明らかに雨脚は強くなっていた。コンビニ産のビニール傘を突き破らんとばかりに盛大な音を立てて鳴り響く。
「確かにこれじゃあ傘ないと無理だな」
それも車で迎えに行けば何の問題もないのだが。そもそもスマホがあるのだから連絡さえすれば入れ違いになるなんてこと無いじゃんか。
そんな事にすら気が付かなかった自分に嘆息しつつ俺は預けられた白い傘を手に学校へ歩みを進めた。
容赦なく水をぶっかけるトラックや雨音をかき消す程の大声で話す学生に時折薄闇の中で睨みを効かせてみたりしながら淡々と道を進む。
豪雨のせいでいつもより少し時間は掛かった気がしたが校門前に到着した。しかし玄関前を見ても人影は無い。
「うーわ、まさか入れ違いになってねぇよな……」
さっき気付いたタイミングで連絡しとけば良かった。まさか2度も同じミスをするとは……。
俺は急いでポケットに手を回すが手には何も感触が無い。
「あれ……」
2本の傘を持ち替え反対を探るも其方にも何も無い。どうやら俺はこの短時間で本日3度目のミスをしていたらしい。
「マジかよ……」
嘆いたところで無いものは仕方がない。鈴も見当たらないのだからこのまま帰ってもいいくらいだがもし待っていた場合を考えるとそうもいかない。
俺は仕方無く校門を抜け玄関口へと向かった。傍では、ギュゴゴゴゴォとフードファイターが麺を啜るような音で排水口に泥水が流れ込む。こんなんほぼ台風じゃねぇか。
玄関はまだ明かりが灯っていたので取り敢えず校舎内に入ろうと玄関に手を掛けたが、既に扉には鍵が掛けられていた。
うちの学校は確か19時完全下校だった気がするから……もう19時過ぎているってことか。思ったより時間がかかっていたらしい。
中に入る事は諦め、念のため1年の玄関口から順に2年、3年と辿って行く。誰もいなかった為ついでに自転車置き場の方まで覗いてみたが人1人見あたりはしなかった。
はぁ、結局無駄足だったわけか。
俺はやや不満感を募らせながら来た道を引き返そうと踵を返した。
「あんたこんな時間に何してんの?」
「うおっ!」
ガサと音がすると同時に誰も居ないと踏んでいた筈の自転車置き場、コンクリート壁に背を預ける人物がこちらを見ていた。
長い髪を手櫛でとかしながらスマホを片手にまるで石像のようにその姿勢を崩さない。
道路を通り過ぎた自動車のヘッドライトに当てられ彼女の全貌が照らし出された。
「なんだお前か……脅かすなよ」
冷めた表情でこちらに視線を送る彼女は見覚えのある容姿。柏木美香だった。
「別に脅かしたつもり無いんだけど……それ鈴の傘でしょ?鈴なら少し前に折り畳み傘みたいな小さいのさして帰ってったの見た」
「そうか折り畳み傘持ってたのかあいつ……」
そりゃあいつならそのくらい持っていそうではある。けどそんな事も何故母さんは知らなかったのだろう。容易に予測できんだろ。俺も今気付いたけど。
さて、俺の労働は全て無駄だった事が証明されたわけだが、
「お前は何してんだよ。もう誰も居ないだろ」
誰かを待っているようにも思えたが生徒は多分もう誰も居ない。教員の車もそれほど残っては居ない。
「迎え待ちか?」
「何だって良いでしょ。あんたに関係ある?」
「うっ……」
相変わらずトゲトゲしてますね。思わず言葉を詰まらせちまったよ。まぁ確かに1クラスメートの俺に柏木が何しているか知る権利は無いのだろうけど……。
「傘ねぇのか?」
「……それが何?ただ雨が止むの待ってちゃおかしい?」
「おかしいって……別にそこまで言ってねぇけど」
あー、なるほど。自分のミスを知られたく無いタイプね。こんなところですらプライドの高さが顕著に出るな。
「これ貸そうか?これなら鈴に返して貰えば良いし。……そもそもこんな雨止むわけねぇだろ」
「いい。あんたに気使われる事じゃ無い。止まらなくたって駅までなんてそんな距離無いし」
素直じゃないとかよく言うけどそんなレベルじゃ無いな。ここまで強がりというか頑固な人間初めて見た。
「そう言われてもな、俺だって『はいそうですか』って簡単に言い切れない事情があんだよ」
「は?何それ」
明らかにイライラした様子でこちらを睨む柏木。
「もしお前に風邪でも引かれたりしたら困るって事だ。その原因の1つとして俺がこうして会っていたのに傘を貸さなかったことだって鈴に知れたら酷くドヤされんのが目に見えてんだよ」
鈴の事だ。俺が何と言い繕うと聞く耳1つ持たず批難してくるに違いない。否定しきれない分それは面倒だ。いや、待てよ……?
「柏木と鈴は帰りは一緒じゃないんだな」
「え……まあ、そうね。今日は別々で……あ、でも喧嘩とかじゃないから」
何故別々に帰ったのかなどは聞く気も無いが一緒に居れば鈴は間違い無く傘を貸すか一緒に傘に入れるかするだろう。そう考えると余程の理由が無ければ別で下校する事はない筈だ。
「理由はどーでも良いけど俺もこんな事で鈴に怒られるのはごめんなんだ」
「そんな事知らない……。私はこの事鈴には知られたくないの……」
後半の方は雨音に掻き消されよく聞き取れなかったが、確かに◯◯に知られたく無い?みたいな事を言っていたように聞こえた。
話の流れ的に鈴か?だとしたら何故……。
「詳しくは聞かない方がいいんだろ?けどなぁ……」
俺としてもこんな土砂降りの中傘もささずに帰ろうとしている女の子を1人置き去りに帰ることに多少なり罪悪感が生まれてしまう。
———それなら……
「じゃあこれなら問題ないって事だろ?」
一度柏木の近くの屋根の掛かっている場所へ戻り、水滴まみれの傘をボシュと折り畳み渡した。
「ちょっと汚れてるが無いよりは大分マシだろ。これなら俺に返して貰えばいいし最悪部室に置いておいてくれりぁあいい」
こんなボロ傘そろそろ処分してもいいくらいかも知れないが。
柏木は数秒戸惑う素振りを見せた後俺の手からビニール傘を受け取った。
「そう……じゃあ……ありがとう」
思ったよりすんなり受け取ったな。相手が鈴ならこーゆー時にちょっとイジったりするけど柏木は……やめとこう。
さてと、俺はこの白い花柄の傘で帰るとするか。
「あのさ……」
バサッと厚い生地の傘を広げ土砂降りの中に踏み出そうとした時、騒音の中に後ろから何か聞こえた気がして振り返った。
「何だよ」
後ろには俺の渡した傘を頭上に広げて立つ柏木がこちらに近づいて来ていた。やはりお嬢様はそんなボロ傘使いたく無いとでも言うのかと思ったがそんな様子では無い。
「この事鈴以外にも誰にも言わないで欲しい」
真剣、と言うか何かそれ以上に重い空気を纏った瞳で見つめられ思わず一歩後退。
「まぁ言わねぇけど……言う相手も居ないし。何でそこまで……あ、お前それ」
「あ!これは……」
片手に持つ何か。慌てて隠そうとするがその形状では分からないはずも無い。
「何だ、持ってんじゃねぇかよ。だったら貸さねぇぞ」
傘を持つ反対の手には何故かもう一つ小洒落た女性らしい傘を持っていた。
……しかしギュッと握られたその傘はよく見ると派手に中棒が何本か折れていた。
「どーしたらそんな折れ方すんだよ!喧嘩にでも使ったのか?」
「そんなわけないでしょ!ただ折れただけ」
ただ折れたって……普通に使ってりゃそんな壊れ方しないだろ。




