5.11 人の本心など簡単には分からない
眩しいほどの光の中盛大に鳴り響く目覚まし時計の音で目を覚ました。
休日から目覚ましをかけて起きるなんていつぶりだろうか。
少しばかり身体に疲れが残ったままバターを塗りたくったトーストを食らった。
神谷は今日は確か笠原のバスケの試合と言っていた。鈴のバレーの試合すらほんの数回しか見に行った記憶がない。当然楽しんだ記憶もあまり無い。こんなんで良いのか?
てか俺はなんで楽しもうとしてんだよ。
「さてと……」
俺はクローゼットに掛けられてある服に適当に着替え身支度を始めた。身支度といっても俺の場合10分も掛からずに終わる。
歯を磨いてスマホと財布をポケットに押し込んだら、後は派手すぎる寝癖を軽く水でわしゃわしゃして終わりだ。
全て終わったところでスマホを見ると、時刻は午前9時20分を過ぎたところだった。ここからの距離を考えるとそろそろ家を出る時間だろう。
玄関へ出て外履きを履き、おそらく誰も聞いていないであろう「行ってきます」を静かに発しながらドアノブを捻った。
「おはよう、ヤナギ。早く着きすぎたから家まで来ちゃった」
「はぁ……おはよう……ございます」
なんだろうな、最近はこの生き物の行動パターンに順応してきているのかあまり驚きはしなかった。
てかこれって付き合ってる恋人同士がするようなことだよね。当然こいつは無意識だろうけど。
神谷は白い長袖シャツに淡い紺色のスカートをその華奢な身体に纏い、穏やかに微笑んだ。
「行くか」
「うん」
***
体育館はものすごい熱気に包まれていた。女子バスケ部らしい甲高い声がそこら中で余韻を残して響く。こんな状態でまだ試合前のウォーミングアップの段階らしい。
スーパーインドア男の俺には少々厳しい。いやかなり厳しい。
「すっごいね……!」
「そうだな」
心なしかいつもより元気な神谷にニコニコしながら笑い掛けられたが俺は不慣れな環境に未だ適応できていない。
周囲を見渡すとギャラリーの観客は50人前後と言ったところだろうか。そう考えるとそこまで多くはないのか?まあ、相場を知らない俺が考えたところで無駄だろうけど。
「あ、そろそろかも」
神谷の声に柵に手を掛け下を覗くと、手早く片付けをして整列をする部員たちの姿が目に映る。キビキビとかテキパキとかそんな感じの擬音が合うような無駄のない行動。俺にはプログラムされていない動きだ。
程なくして整列が完了するとワーワーガヤガヤした状態のまま人が流れ、自然な流れで試合が始まった。
***
試合は白熱していた。
細かいルールや反則に関する知識を全く持っていない俺ですらそのくらいは雰囲気でわかる。
終始コート内ではボールの取り合いが繰り返されその度に目で追いかけるのが大変で、途中からは敵味方関係なくゴールの瞬間だけを待っている状態だった。
隣にいる神谷はずっと「おー!」や「あっ!」など様々な表情を見せ、彼女なりに結構楽しんでいたようだ。
それならまぁいいか、俺は付き添いだし。
とは言っても、俺がずっと退屈していたのかと聞かれると別にそうではない。神谷ほどの興奮は得られずとも、この弱い両脚が立ちっぱなしによる疲労感に気づかない程度には楽しめていた。
しかし、見ていてどうにも気になる点が浮上した。
「なぁ、あいつって何者なんだよ」
俺が視線を送る方。そこにいるのはあの見慣れた茶髪の少女だ。この前の練習の時も然り、異様な光景だ。
目立ったプレイとか決定的な何かをしたとかそーゆーのはよく分からない。だが、明らかに輪の中心にいてチームを先導している。
「うーん……希美はなんて言うか……別格なんだよね、全部が」
神谷もボールを目で追いながら苦笑する。常に近くにいるこいつがそう言うなら相当だろう。うん、なんか人間と言うか生き物としての上位種と言った感じか。
***
終盤になるに連れ城北高校と相手校との差はじわじわと開き、最後はまあまあ余裕を持って城北高校の勝利となった。
今日の城北高校の試合は終わりのようで俺と神谷はギャラリーを降り、学校を出た。
「ヤナギはもう帰る?」
「まあ……別にやることも無いしな」
今日の目的は果たしたわけで俺にはこれ以上の予定はない。今も時間としては昼飯には少し早いくらいだし、このまま帰って一眠りするくらいが妥当だろう。
「じゃあちょっと付き合って」
「え、何に?」
戸惑う俺には目も向けず神谷は俺の家とは逆方向へ淡々と歩き始めた。あ、これは俺の解答権は無い奴か、なるほどなるほど。
並木道を黙って小さな背中を追いかけていると向かう先には看板が現れる。
———緑屋書店……。
俺は来たことないな。本は読むが大抵は借りてくるからあまり買わないし。まあ予想はしてたよ。神谷が付き添いさせる場所なんて本屋くらいだろうし。あ、でも今日は違ったか。
神谷は慣れた様子でスッと本屋へ入店、そして漫画コーナーの一角で立ち止まった。
「……」
はて、これはどう言う意図があるのだろう。目の前にあるのは以前から勧められていたような凶々しいものではなく普通の少年漫画だ。
「買うのか?」
「これはそんなにグロくない。だからヤナギも多分見れると思う」
「……そうか」
俺の質問には答えずなぜか普通のバトル漫画を勧められた。
何かを待たれているような気がしたので一応試し読み用に置かれていた一巻を手にとった。
記載されたあらすじを見た感じ、超能力者同士が戦うと言うまぁよく見る雰囲気のもの。少年漫画と言うだけあって、どちらかと言うと男子が好んで読むものという感じだ。で、だ。
「これを見て俺はどうしろと?」
「良かったら読んでみてほしい」
……うーん。流石にそういう意味だろうなってのは知っている。しかし今一つ釈然としない。
「まぁ読むけどさ……そこまでして俺を漫画にハマらせたい理由でもあんのか?剛田とかその辺との方が話合うだろ」
神谷はどこか理由でも探すように視線を上に彷徨わせた。そして、少ししてから小さな口をそっと開いた。
「希美と美香は漫画自体あまり読まないし部活忙しいから私もちょっと控えめにしてる。剛田はたまに図書室とかで会うくらいだし連絡もそんなに取ってない。でもヤナギは帰りにいつも会うし勧めるとだいたい試してみてもくれるから」
俺の目をまっすぐ見たまま神谷は結論を出した。達成感に満ちたその目から納得のいく答えが出たことが窺える。
うんうん。要するに俺は寛大な心を持った便利な暇人だからと言うことか。
……あれ?こんなようなこと相談部に入れられた理由とほぼほぼ同じじゃね?
てことはそれが俺の長所ということでいいのか。柳橋克実、長所『暇人』……うん。いい響きだ。
「あと……帰り道に友達とそーゆー話をして盛り上がりながら帰ってみたいってのもあったから」
神谷はいつもよりさらに小さい声でポロポロと言葉をこぼし、やや頬を紅らめながら視線を俺から下へずらした。
ほう、俺はいつの間にかオタク友達候補にも上がっていたのか。けど残念ながら陰キャのボッチだからと言って全員が全員オタクであるのではないと知っておいてもらいたい。
「じゃあ俺はレジ行ってくるから先に外行っててくれ」
何となく一瞬変な間が出来たので俺は勧められた漫画の3巻までを手に取ってレジの方向へ体を向けた。悪いが流石に全巻買う勇気はない。30巻まであったし。それは流石に俺の質素倹約センサーが反応する。
神谷は「分かった」と頷くと出入り口の方向へ向かっていった。




