5.5 人の本心など簡単には分からない
田辺先生はなるほど、と相槌を打つ。どうやら俺に妹がいると言う設定がすっぽり頭から抜けていたらしい。鈴は田辺先生に体育も持たれてないらしいし、覚えていないのも無理はないだろう。
「ん?てことは……じゃあやっぱりお前は妹に追い出されてきたってわけだ!」
随分と前の答え合わせが完成し、大層なドヤ顔が俺に向けられた。もはや弁解すらも面倒臭くなり、俺はため息混じりに答えた。
「そうですよ、まあ半分は自主的に家を出たんですけど。遭遇すると何かと面倒なんで外にいた方がいくらか安全なんですよ」
「面倒?なんで?鈴ちゃんの友達なら偶然会っても簡単な挨拶とかするだけじゃないの?」
助手席から聞いていた笠原が顔だけをこちらに振り返って不思議そうに尋ねてきた。
「普通はな。まあ色々問題があるんだよ」
細かい話をするのも面倒だし、何より柏木と笠原は側から見ても分かるほどの仲良しだ。ここで柏木の名を出す事で、俺との関係が上手くないことを明確に知ったら、恐らく笠原は自分がなんとかしようとするだろう。笠原はそう言う女の子だ。けれどそんなことは俺も柏木も望んではいない。
笠原は前へ向き直り、へー、と答えた。
少しの沈黙の後、車が止まった。左後部座席に座っていた俺の前には見慣れた家が見えた。
「着いたぞ」
「今日はありがとうございました」
俺がドアを開けて降り、軽く頭を下げると田辺先生はいつになく優しい表情で「おう!」と片手を挙げた。
「また機会があったら誘うから来いよ」
「バイバイ!柳橋くん!」
脅迫じみた声の後助手席の窓から華やかな笑顔で手を振られたが、それに応じるのは柄に合わないと思い、会釈に近い頷きを返しておいた。
俺の前をSUVが走り去って行くのを見送り、俺は玄関口へと向かった。
***
条件反射的に発していたただいまを抑え込み、静かにドアを開ける。やはり玄関には見慣れないローファーが一足丁寧に揃えられていた。
一足ってことは予定通り柏木だけが泊まっていくのだろう。
なるべく静かに廊下を進むと、中からは話し声が聞こえて来た。
「……でさー希美がね!」
「うんうん!」
希美……笠原のことか?まあそんなことはどうだって良い。早いところ安全地帯に向かわねば。
足早に洗面台に向かい、慎重に手洗いを済ませると再度廊下を戻る。後は静かに階段を登りきればミッションコンプリートだ。
「ねぇ、そー言えばさ、鈴の兄貴ってどんな人?」
「うぐっ……」
「ん?今の何の音?犬?」
やっべー。不意打ちに一瞬変な声漏れた。残念ながらちゃんと人間の声だ!
家を出る前に俺の存在はバレてしまっているがそこまでは想定内。問題はこの一晩にそれが俺であることを隠せるかどうかだ。
俺はごくりと唾を飲み、慎重に歩みを進める。
「あー何の音だろ……虫?とか?うち犬は居ないから……」
あ、これ、鈴は気付いてる奴だな。頼むなんとか誤魔化してくれ。
「虫!?大丈夫なの?……それで?どんな感じの人なの?チャラい系?クール系?どっちにしろ鈴の兄貴なら絶対イケメンじゃん!」
「ど、どうだろう……チャラくはないかな……クールって感じでもないけど……イケメンでもないし」
うーわ、くっそハードル上がってんじゃん。てかしれっと鈴に全否定されたんだが。……クールってとこくらいかすってねぇかな……。
「そんなわけ無いじゃん!今居るんでしょ?呼んできてよ!」
「いや……やめておいた方がいいと思うよ、ほんとそんな感じじゃ無いから……」
「いいよ!一回会ってみたいだけだから!」
柏木からの期待値がえげつない程に跳ね上がったこの状態で俺が登場するとどうなるかなど知れたもんじゃ無い。けど確実に良い方向に進まないことだけは分かる。
今家にいると言うことまでバレてるのに今更物音なんか気にしてもしょうがねぇよな。
俺は急いで階段を駆け上がり自室へ直行。多分ドタドタと慌ただしい音が響いていただろうがそんなことは気にしない。部屋に入ればこっちのもんだ。
転がり込むように部屋へ入ると速攻ドアを閉めた。無駄に体力を使ってしまったため、ドアに背を預けると隙間からはまだ話し声が聞こえた。
「え〜!マジで楽しみ〜!」
「本当にそんな美香ちゃんの想像している感じじゃ無いからね?」
………あれ?なんか話進んでね?
それだけじゃ無い。話し声と一緒に一定のリズムを刻む足音が段々と近づいてきている。いや、まさかな。そんなはずは……。
———コンコンッ!
「お兄居る〜?友達が会ってみたいんだって〜」
マジか。展開早過ぎだろ。こんな逃げ用のねぇ状況作られたら修羅場確定だ。鈴は何考えてんだよ!
「お兄?」
おいおいおいおい!本当にまずいぞ!ここからの打開策がまるで見出せない。それなのにここからの流れは容易に予測できてしまうのが残念だ。
パターン1、俺がこのまま籠城する。当然身バレはしないがこの後鈴が明らかに気まずくなる。
パターン2、諦めてそのままドアを開け俺であることがバレる。なぜか執拗に俺を嫌う柏木の機嫌が悪くなり、恐らくその矛先は俺に向けられる。
パターン3、マスクやフード等でバレない程度に顔を隠し、ドアを開ける。上手くいけば正体もバレず、「よくわからない人物」と言うイメージのみつけられてその場が収束する。
よし、これで行こう。
「開けるよー」
「はっ!?うっ……」
突然開かれたドアに後頭部を強打しそのまま前傾にうずくまる。うずくまった体の隙間から2人の脚が見えた。
どうやら既に手遅れのようで強制的にパターン2へ移行するみたいですね。もうどうでもいいや。
「……」
俺は怯えたアルマジロのような体勢で頭部を抑えつつ時を待つが一向にその時は来ない。誰もいないわけでは無いのだ。体の隙間からはちゃんと2人分の脚が見えている。だから俺も動けない。
ようやく鈴が口を開いた。
「……何してんの?」
「いや……まあ……うん……」
———もう無理だ。諦めよう。
俺はゆっくりと立ち上がり2人の方を向いた。鈴は申し訳なさそうに眉尻を下げている。その背後には表情1つ変えない柏木。こう言うのが1番怖いんですけど。
「どうも。鈴の兄の克実です……」
「お兄でーす……」
クソ気まずいなこれ。鈴も苦笑いで紹介してるけどこんな紹介される兄の気持ち考えてくれよ。しかし、
「鈴の友達の柏木美香で〜す!いつもお世話になってまーす!」
柏木は俺の部屋のドアを開ける前までの声色で明るく笑顔にそう言ってきた。なになになに。マジで怖い。この後殺されたりすんのかなとか思っちゃうくらいのサイコパススマイルじゃん。
「あ、美香ちゃん、そろそろお風呂沸いたんじゃないかな?」
「そうだね、じゃっお兄さん。また後でね〜」
目だけはしっかりと俺を突き刺したまま、柏木は再び異常なほどの笑顔を作り、鈴と共に部屋を出ていった。
後でって、なんだよ。後で話すようなこと何も無いだろ。マジで殺されたりしないよな。今日は早く寝よ。




