5.4 人の本心など簡単には分からない
「まあ……別に構いませんが」
一体なんだと言うのだろう。話を聞くだけではなく意見まで求められる話題などそう簡単に想像出来ない。
当の笠原は1人だけバカでかいラーメンを頼んでしまったことがよほど恥ずかしかったのか、未だ身を縮めたまま何も話さない。
「じゃあ、笠原は話せそうにないから私が代わりに話そう。良いか?笠原」
「はい……先生もう止める気ないですよね」
笠原に呆れた視線を向けられるも田辺先生はニヤリと気色悪い笑みを浮かべた。あー、この人絶対秘密とか守れねぇ奴だろ。笠原もこんな人を信用しちまうとは気の毒だな。
そんなことを考えながら無意識にやや蔑んだ視線を向けていると、少し真面目な顔持ちになった田辺先生が俺に話し始めた。
「早速だが……お前がイケイケのクラスの人気者だったとしよう」
「……はい」
は?既に訳わからんのだが。まぁいい。とりあえず聞くか。
「そんなお前は何年も前に友人達の悪意のある行動に気付かぬうちに加わってしまっていたかもしれない。お前はそれを悔いている。今その立場にあったとして、お前ならどんな行動を取る?」
思った以上に細かい状況描写だな。これが笠原の悩みだとすると本人もしくは友人辺りの話なのだろう。
俺はしばらく考えた後、問いに答えた。
「別に何もしないと思います。……しないと言うか出来ないって感じっすかね」
「ほう、出来ない?何故そう思う?」
予想と違う返しだったのか、田辺先生は首を捻りながら再度俺に問う。その横には次に発する答えを待つようにやや前のめりに身を乗り出す笠原も見えた。そんな期待されても大したこと言えないんだけどな。
「その悪意のある行動ってのが何なのかでまた変わってくるんですけど……嫌がらせを受けた側は謝られたからと言ってその相手を全て許せはしないし受けた傷が治るわけでもないので……俺はもう手遅れだと思ったってだけです」
的を得た答えなのかは不明だが、あまり長々と話せば折角のラーメンが伸びてしまうので俺は食事を再開した。
「手遅れか……じゃあもう一つ聞くぞ」
「え、まだあるんですか?そろそろ食べたいんですけど」
「良いだろ、それ私が払うんだから」
「それは……はい、なるべく短くお願いします」
それを今出すのは卑怯だろ。『じゃあ自腹で良いですよ!』とか言っても良かったのだが、質問1つと650円を天秤にかけると流石の俺も質問1つを取ってしまう。
田辺先生はうむ、と頷くと話し出した。
「お前がその嫌がらせを受けていた側に居たとしたら何年も経った今も嫌がらせをしてきた彼らを恨んでいると思うか?」
「いや……一般的には一生忘れないみたいですけど、俺は結構どうでもいいと思うタイプだと思います」
「そうか……」
「はい、まぁ俺もそっち側には似たような時期があったので」
今では事の発端すらよく覚えてねぇけどな。ただ俺が中学生になって酷く調子に乗っていたことだけは覚えている。これがいわゆる黒歴史ってやつか。
「終わりですか?」
最初より少し柔らかく感じる麺をつまみながら俺が聞くと田辺先生は頷く。
「ああ、私からはな。笠原まだなんかあるか?」
「えっ!私は……えっと……」
突然振られてドギマギしながら自分の周りのあちこちへ視線を飛ばしている。そんなにキョロキョロしてもあなたの周りにはバカでかいラーメンくらいしかありませんけどね。
「特にないなら無いでいいけど。俺もその方が楽だ」
「う、うん……じゃあ今日は取り敢えず……」
なんか微妙な空気のまま一旦話が収束する。ようやく3人がそれぞれの器に向かい、ラーメンを食べ始めた。
おい、もう麺がぐにゃぐにゃじゃねーか!
***
予想外のイベント発生により予定より長引いた夕食を終えた店外。
外もうす暗がりとなり、俺と笠原は田辺先生の会計待ちだ。
結果的に見ればただ飯も食えて良かったと言える。
「あー美味しかったね!」
「ああ、そうだな」
結局あの後どうなったのかと言うと、3人がそれぞれのラーメンを食し、まさかの俺待ちと言う状況となった。そして何故か勘違いした田辺先生が俺の杏仁豆腐を食べてしまった。もし自腹ならなかなかに悲しいエピソードだったな。
てか、笠原はあの量をこんなにも楽にたいらげたことがまだ俄に信じ難い。一体この細い身体のどこに入っていくのか。
「な、なに……?」
「あ。いや別に」
知らぬ間に横目で見てしまっていたようだ。こーゆーことしちゃうから「陰キャボッチキモい」とか言われるんだよな。気を付けよう。
「待たせたな」
会計を終わらせた田辺先生が暖簾から姿を現した。
「今日はごちs…」
「ご馳走様でしたー!」
「……」
後半に強引に割り込まれ安いお礼っぽくなってしまった。しかし田辺先生は「おう!」と片手を挙げ格好良く返してきたので、まぁその辺をつつかれる心配はないだろう。
「んで、お前たちはもう帰るだろ?柳橋、送って行こうか?」
「なんで俺だけなんですか」
夜にこの人の車に乗るなんて夜道を1人で帰るより危ない気がする。
「笠原のことはもともと私が送る予定だよ。方面も同じだしこの近辺のクラスメイトの家ならそれなりに把握してるからお前も乗っけてってやるよって話だ」
「あーなるほど」
それなら笠原がグルで無い限り安全だな。
田辺先生は既に俺を送ってくれるつもりのようで、駐車場の方へと向かっている。その背を追うようにトタトタと笠原も追っている。よし、ここはお言葉に甘えるとしよう。
俺も急いであとを追った。
***
窓の外には自動車のライトと街灯が光る。
田辺先生と助手席に座る笠原のどうでも良い会話に耳を傾けつつ、ただ無心に外を眺めていた。
徒歩では裏道を通るためそこそこすぐに着くが、車の場合は1キロ程遠回りでその上信号もあるため割と時間はかかる。
意外にも田辺先生は安全運転でキツすぎない芳香剤の香りも相まってそれなりに心地良い。しかし、2人の会話の隙間から時々聞こえて来るデスボイスの効いたパンクロックがこの全ての調和を掻き乱してくる。ここだけはこの人っぽいな。
「……あれ?私間違ってたかな」
田辺先生は信号を気にしながら片手でナビをいじり始めた。笠原も会話の流れのままナビを覗き込む。
「どうかしたんですか?」
「いや……おい、柳橋。この交差点の先にある……あの家お前の家だよなぁ?」
田辺先生が一点を指差し、ミラー越しに俺を見ていた。
「はい、そうです」
「だよな。なら良いんだ」
「どうかしました?」
ここらは住宅街だし夜になれば俺でもぱっと見分からない時もあるくらいだ。地図だけで確認した先生からしたら違いなんて分からないだろう。
「気のせいだと思うんだが、今一瞬あの家から女の子が何人も出てきたように見えたんだよ。見間違いか……」
「あ、そういや、今日鈴が友達呼んで家でパーティみたいなのしてるんすよ。多分それが終わったんですね」
あっぶねー。一瞬忘れてたぜ。このまま家に着いたらリビングに直行するところだった。今家から出てきたってのもどうせ柏木以外の人達だろう。




