4.9 変な部活は部員も顧問も変わっている
ふっと漏れ出た吐息にさらに緊張感を高めつつ答えを待っていると、そんな俺の様子に田辺先生は「仕方ないな」と小声で呟く。そしてゆっくりと俺の方へ体を向け口を開いた。
「この写真撮影な、実は去年から私が頼まれてたんだ。しかも期限が今日までだった。けど私が完全に忘れていた」
「………。」
意味は余計なほどに理解できる。ただこの人の言動が理解できない。
「分かりづらかったか?とどのつまり……」
「いや分かりますよ。そんなん完全にあんたのミスじゃないですか!自業自得ですよ。残りは1人でやってください」
そうだった。この人はこういう人だったんだ。一瞬でもこの人を心配してしまった自分が馬鹿だった。
緊迫していた筈の気持ちも完全に冷め、俺は田辺先生の眼前にデジカメを突き出した。すると焦ったように突き出されたカメラをそっと押し返しながら苦笑。ワタワタと言い訳を構築する。
「まあまあそう怒るなよ。私だってただぼさっとしていて忘れたわけじゃあないぞ!色々あって忙しかったんだ!ほら……そのぉ……運動会のボランティアとかな」
それだけかよ!この人は本当に教師として認められているのだろうか。必死に他の言い訳を考える田辺先生に俺は再度カメラを押し付けた。
「とにかく、残りは生徒会でも帰宅部でも他を当たってください。俺だけあなたの尻拭いさせられるのはもう嫌なんで」
普段は得体の知れない迫力のせいで唯々諾々と従うしかない俺だが、このような圧倒的優位に立った今は違う。恐らく時間的にも1人では厳しくなってきたことから珍しく低姿勢な田辺先生。なんか良いなこの眺め。
「そこをなんとか頼むよ、柳橋!……生徒会には早朝に断られて後がないんだよ。お前の担任兼顧問の私が年配の先生に怒られている姿なんか見たくないだろ?」
今度は上目遣いで揺さぶりを掛けようとしてきた。自分の2倍も生きている人の上目遣いなんざ可愛げのかけらもない。寧ろ不気味だ。こんな奴さっさと撒いて帰ろ。
———いや待てよ……。こんなチャンスは今後もそうそうないだろう。
となると、このままあっさり帰るのは1番良いチャンスの消費方法とは言えまい。
俺は即座に踵を返してやや憔悴した田辺先生の手からデジカメを取った。
「貸し1なんで。今後1度だけは俺の手足として使わせてもらいます。あ、あと最近飲み物買って貰ってないので今日お願いします。値段無制限で」
俺が言い終わるとほぼ同時に田辺先生はニヤリと口角を上げた。
「まったく、ホントお前はそういう奴だよな。まあ今回はありがとな、助かるよ」
「……はい」
こんなあっさり感謝されると対応に困る。この人こーゆー人だったか?逆に怖いんだけど。
***
残りの文化部とグラウンドで活動している部活を2人で周るにはあまりにも時間が足りないということで、ここからは別行動となった。
そして俺は今グラウンドにいる。
俺は手伝わされている身ということもあり、あの人なりに気を利かせて部活数の少ないグラウンドを俺に譲ったのだろう。
しかも文化部といえばほとんどの部が専用の部屋で活動している。いちいちノックをして撮影の許可を取るとなると面倒だし、俺のコミュ力ではまず無理。そもそもカメラを持った俺に許可が降りるかすら怪しい。
田辺先生がここまで考えていたとしたらそれはもう優しさを通り越して切ない。
その点グラウンドは良いよな。こんなだだっ広い砂地でどこの誰が何をしてようが誰も気にしたりしない。そう、例え俺がテニスコートを向いてカメラを覗いていようとも。
「柳橋くんだよな……なに……してんだ?」
「あ、なんだお前か。別に……お前の見たまんまだけど」
若干、いや、かなり軽蔑した目で俺を見てくるそいつは中澤優也だった。そういやこいつはサッカー部だったな。どーでも良いけど。
中澤は赤みを帯びた頬に水滴を光らせ、片手に持ったスポーツドリンクをくっと喉へ流す。ドクンドクンと中澤の喉元が躍動する。飲み終えるとキュッと雑にキャップを閉め、俺へと向き直る。
なーんだ、ただの爽やか優男だけじゃなくてこういうワイルド系イケメンにもなれるってか。もう誰も敵わないじゃん。
「これぞモテ男だ!」と俺に見せつけるような立ち振る舞いに少しイラッとしたので一度手を止めていた撮影を再開した。
「撮った写真はどうするんだ?」
「そんなん知らん。俺に聞くな……別に俺がやりたくてやってることじゃない。細かい話は面倒くさいから言わないけどな」
言い終えると「なんだそうだったのか」と安堵を感じさせる声が聞こえた。けどまあ今回ばかりは怪しまれても仕方ない。
良い写真かどうかは別としてそこそこ枚数も取れたので他の部活へ移動しようとグラウンドの方へ目を向ける。するといつの間にか居なくなっていた中澤を含むサッカー部の練習が行われていた。
中澤は素人目にも分かるほどに上手い。恐らく3年だろうと思われる人達に紛れても明らかに突出している様にすら見えてしまう。これは贔屓目というやつなのだろうか。いや、キモいからやめとこ。
「さっさと撮るもん撮って終わらせるか」
時間も時間だ。のんびりしていては本当に終わらない。
俺はややペースアップしながらシャッターを切る。
程なくしてサッカー部、野球部、ラグビー部、登山部、など怪しまれながらもテキトーに撮り終えた。
ここへ来る前に田辺先生に渡されていたリストによると残すは陸上部だけらしい。
しかし、その姿がどこにも見当たらないのだ。正直なところ、普段どこで活動しているかもよくわかっていないため、他に検討がつくはずもない。このまま闇雲に歩き回っても意味はないだろう。ぶっちゃけ面倒くさいし。
「誰か探してるのか?だったら手伝うけど」
背後から優しげな声がした。中澤だ。長時間彷徨いている俺に不信感を持っているのだろうか。さっき誤解は解けたと思ったんだけどな。
「誰って言うか……部活だな。陸上部って今日休み?」
「あ、陸上部なら今日はここで練習してないよ。近くの陸上競技場に行ってるから」
なるほど、それでここには居ないってことか。じゃあ俺はもう目的は果たしたってことで良いだろう。
「そうか、ありがとう」
「え……あ、うん」
「なんだよ」
謎に動揺の色が見える中澤は目を泳がせながら「あー」やら「いやー」などと曖昧な返事で誤魔化した。まぁ良いや。
ふと、朱色のに包まれるグラウンドを見るとパラパラと活動を切り上げる生徒群が目についた。混んでいる中帰るのも嫌なので、俺はそのまま校舎へと向かった。
***
部活動の時間も言い渡された仕事も終わっているが肝心な田辺先生の居場所を俺は知らない。玄関で上履きに履き替え取り敢えず教室へと向かった。
寒々しい鉄筋に囲まれた廊下を進む。体育館の部活動もだいたいは終わっているようで話し声が僅かに響く程度だ。そのせいか俺の足音がやたらデカく感じる。
程なくして教室の近くへ着くと中の方からは数人の女子生徒と思われる話し声が聞こえてきた。
———その会話は近づくにつれて段々と鮮明に俺の耳へ届く。
「これじゃない?」
「うん多分そうだね」
「うわダッサ!これはないわ」
明らかに誰かの陰口だ。こーわ。男子同士より女子同士のいざこざの方が怖いってのは聞いたことはあるが本当だったとは。
本来ここへ踏み込むべきではないことは分かっている。しかし、ここ以外俺に行くあてもない。まあ強いて言えば部室だが、俺がそこまで気を回すのは癪だ。なるべく気づかれぬよう、慎重な足取りでドア枠をくぐった。




