4.6 変な部活は部員も顧問も変わっている
「表情……あっ!」
突如柏木は歩道脇の家の窓へ近より鏡代わりに自分の顔を確認。掻き分けた前髪を再び前に戻し始めた。
俺は意味が分からず一緒に彼女を眺めていた神谷に視線で尋ねる。
「お化粧が落ちちゃったんだね。結構汗かいちゃってたから」
なるほど、だから以前の女王様的な印象と違って見えたって訳か。
「あ、それでこの前も……」
「うっさい!あ、あんたも急がないともう授業終わるわよ!」
「そうだな……」
何もそんな怒らんでも。俺に見られて困るようなもんじゃないだろ。
まぁなんとなく気まずいから俺はすぐに校門へと走り出した。
***
放課後。
いつもの数倍の疲れを感じながら身支度を整える。今日は久々に早く帰れるのがまだ救いだった。早く眠りにつきたい。
ベッドに五体を投げて眠ることを想像していたら大きな欠伸が出てきた。両手を上に引き伸ばし大きく伸びをする。
──よし、帰るか。
「帰るの?」
「うおうっ!」
右手から聞こえるか細い声が一瞬で俺を縮こまらせる。せっかく伸びをしたのに台無しだ。俺の机のすぐとなりに立っていたのは見慣れた小さな生き物。
「なんだお前か……そりゃ帰るだろ。部活もないし。あれ?まだ聞いてなかったか?」
「ううん。希美から聞いた」
端的に答える。うん、「じゃあなんなんだよ」って話なんだが。まぁいいや。
「なら問題ないな。……じゃあまた明日」
「部室行こ」
「え?」
俺の話聞いてました?たった今帰るって言いましたよね。
そんな凛とした顔で見られましても……。
「活動もしないのに行ってどうすんだよ」
「私電車の時間まで暇なの。だから部室に居ようかなって思って」
じゃあ一人で良いだろ。いつも一人でスマホ弄ってんだし。
「今日は体育で疲れてるから尚更眠いんだよ。あんな長距離まともに走ったのいつぶりかも分からん。とにかく帰って早く寝たい」
神谷の表情は変わらない。小さな口を少し開け何かを思い出そうとするように視線を上方へ向ける。
「長距離走は去年もあったと思うけど……春と秋に」
「あ、あー……そうだったな」
くそ、咄嗟の発言にぼろが出た。
去年の春は仮病で、秋は脚の怪我を装って一回も走っていない。なんなら今回もそうするつもりだった。しかし、予告されていたことをすっかり忘れていたため走るしか無くなったのだ。
こういう対策は念入りに行かないとな。あのアホっぽい田辺先生は何故かそう言うところだけは勘が鋭い。去年もまあまあ怪しまれてたしな。
「どうだった?去年と比べて」
ただただ純粋な疑問という感じに聞いてくる。これが笠原や中澤辺りなら無駄に隠すことなく「去年は仮病で走ってない」とかで済ませるだろう。何か言われようものなら陰キャ特有の屁理屈で捲し立てれば終いだ。
だが神谷はなんか違う。あんなへとへとになって走っている姿を見てしまった以上、軽々しく「仮病使った!」とか言えない。俺にも一応そういう心はある。
「ま、まあまあだったな……」
「へー。私は去年の方がまだ体力あったかも」
「……そうか」
沈黙……。神谷はこちらを見てただ立っている。え、マジで何の時間?俺の帰宅許可は降りたのか?
そして遂に、薄い唇が小さく開かれた。
「部室行こ」
「……分かったよ」
あ、そこは変える気無かったんですね。多分このまま断り続けても埒が明かないだろうし、こんな雑談で神谷の電車時間くらいになりそうな予感がする。
相手が折れるまで全く手法も変えずに攻めるあたりがこいつらしい。内気そうに見えて意外と頑固だよな。
──仕方ない、少しくらい付き合うとしよう。
***
薄々勘づいてはいたがやはり何かをするわけではなかった。いつも通りの位置に神谷は座る。そして今日もスマホに目を落としている。
ただ一人でここに居るのが嫌だっただけ、といった様子だ。
「お前の電車の時間って何時なんだよ」
おもむろに尋ねると神谷はぱたりとスマホを視線から外しこちらを向いた。
「次は5時くらい……その次は6時半。その次は7……」
「あー分かった分かったもう大丈夫だ。お前はロボットかよ……」
一本調子な口調でつらつらと声を発する神谷を俺は無理やり割り込んで制止した。
にしても、1時間に1本も走ってないなんて田舎感が凄いな。さらに冬場なんて大雪で運休とかもしちゃうし。さすがにもう少し住みやすくてもいいと思う。
「いいなヤナギは、歩いて学校行けるんだもんね」
息を吐き出すように呟く。
「まあな、それは確かに楽だ。ギリギリまで寝てられるし人混みで疲れることもない。……あ、でも電車が止まって公欠とかにはならないからそれは損だな。去年大雪に便乗して休んだら怒られた」
フスッと神谷は静かに笑った。
こんな他愛もない話を同学年の生徒とすることが俺にとっては妙に不思議な感覚だ。しかし、ここ最近ではこれが当たり前になりつつあるというのがもっと不思議だ。
「中学生の時も徒歩通学だったの?」
「いや、中学はチャリ通だ。家からだとここよりも遠かったしな。冬は歩いてたけど」
「ふーん……何中?」
え、何。ヤンキー達の良く言う「お前どこ中?」的なアレ?言う本人次第で大分印象変わるな。なんか可笑しく見えてきた。
「北山。てかお前の家この辺じゃないなら聞いてもよく分かんねぇだろ」
「うん、でも名前くらいは分かるよ。同じクラスの子の話とか聞こえたりするし。北山中学は……あ、希美だ!」
神谷は点と点が繋がったようにはっとした顔になる。しかし俺はそうじゃない。
「え、笠原も北山出身なの?」
「なんでヤナギが知らないの?」
「いや、なんでって言われても……」
めちゃめちゃ目立ってた奴とか少し話したことある人とかは知っていたつもりだったのだが……。笠原が目立ってないわけないしな。
けどまあ「そんな人居なかったぜ!」なんて自信満々に言えるほどの情報は持ち合わせていないので黙っておこう。居たっていう証明はできるけど居なかったっていう証明は難しいし。
「そういや、ちょうどこの前鈴とそんな話してたんだよ。あいつがどっかで笠原を見た気がするって言っててさ。やっぱ中学だったか」
思いもよらないところで他の問題の答え合わせが済んだ。これは1つの収穫と言えるだろう。わざわざ卒アルを探す手間も省けて良かった。
ふと、室内の時計に目をやると今は4時半前。移動時間を考えると、あと20分程か。俺はスマホに写るゲームのアイコンをタップした。
———直後。
カタッ……。
音と共に小さな影が動いた。神谷は昼休みに読んだ物と思われるマンガを棚にしまい、バッグからは電車の定期券らしきものを取り出している。見るからに帰り支度を整えていた。
「ん?まだ時間じゃないだろ?」
「うん、でもちょっと寄りたいところがあるから」
「そうか」
俺もスマホをポケットへしまい、手軽な荷物をまとめた。帰宅時間が予想より早くなり俺としても悪い話ではない。
窓を閉め照明を消すと二人で部屋を出た。
いつもの分岐点である信号までは当然特に会話もなく歩いた。俺は沈黙を気にしない相手となら何も喋らずとも気まずくはならない。
むしろ気を使って執拗に話しかけられる方がその気遣いに気づいたとき無性に虚しくなるから嫌いだ。その点神谷は一緒にいて楽でいい。
「じゃあな。また明日」
いつもの信号に差し掛かったところで俺は定型文のような挨拶をした。しかし、それに対し神谷は何か言いたげな幼い表情を見せた。
普段であれば気にしないのだが、今日は体育授業であのバテバテになった神谷を見た後だ。「やっぱり具合悪かった」とか言われて倒れられても困る。
「どうかしたのか?」
「うん……私の用事……ヤナギが居ないとダメなんだ……」
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