4.5 変な部活は部員も顧問も変わってるい
分かりやすくバテている俺を横目に運動部の集団が通り過ぎていく。
今思えば彼らは既に4周目で俺は周回遅れになっているってことか。近道を通っているにも関わらずここまでの差が付くのだから本当に対策を考えるべきだと思う。
足並みを揃えた集団が過ぎ去ってまた1人になった。このコースは近道でも何でもないため田辺先生の監視下にあり気が抜けない。
運転席からじろじろ見てくる主婦っぽいおばさんや遠足帰りの保育園児からの無垢な視線がキツい。
散歩中のおばあちゃんに「ほら、頑張れ頑張れ」とか言われようもんなら殺意すら沸いてくる。
ようやくたどり着いた校門を横切ると既に完走した生徒が地べたに座って談笑しているのが目についた。ここに田辺先生は見当たらない。けっ、まだ監視してんのかよ。
周りとはずいぶん遅れて4周目に突入した。このダラダラと足を引きずる動作になんの意味があるのだろうか。
もはや走っていると言うより弾みをつけて歩いているといった感覚に近い。
これぞ青春!とばかりに光る汗を拭う陽キャ達が妙にムカつく。たとえ頑張って流した汗だろうが綺麗でも何でもない。汗とは汚くて臭い排泄物ですよ。
俺はこれまでと同様、1人近道を通り抜け男子の正規コースと合流。
悪い笠原。1度手を抜くことを覚えるともう辞められなくなってしまうのが人間の性なのだ。今のでまた数人は越しただろう。目の前にもポツポツ人影は見えているし俺にしては及第点だな。後はこのまま………。
「……んっ?」
突如として目の前に死にかけの小鹿のような生き物がよたよたと現れた。右へ左へと身体を揺らし物凄くスローペースで小さな背中が進む。
2足歩行であるためどうやら小鹿ではなかったようだ。ついでに言えば同じ体操服に女子のランニングコースから現れたため高確率で同じ学年の生徒。
「……はぁ、はぁ……」
疲れはてた俺よりさらにスピードの遅い彼女の吐息が距離が縮まるほどに大きくなる。そして、ついに追い越そうとした時だ。
「あ……ヤナギも……まだ居たんだね……」
「なんだお前だったのか」
その女子生徒の正体は神谷綾芽だったのだ。華奢な身体は少し風が吹けば飛んでいってしまいそうなほどにふらふら。目元もげっそりとし、まるで何者かに体力を根こそぎ吸いとられたかのような顔だ。
「私……こう見えても体力には自信が無くて……」
「そう、なのか」
一体俺にどう見えてると思っているのだろう。悪いが神谷にはなんとなく近い物を感じていたよ。
会話を交わしてしまったがためにこんなへとへとな状態の女の子を置き去りにするのはさすがに少し抵抗がある。
俺はそのままペースを落とし、並走するように彼女の横を1,5メートルほど空けて走った。
「大丈夫か」
「うん……なんとか……ヤナギは?」
「まあ大丈夫、とまでは言い切れないな。実際めちゃくちゃ太腿も痛ぇし、足の裏は熱が籠って体操着も汗で張り付いて気持ち悪い」
「それだけ話せたら……ハァ…十分だよ」
火照った顔で笑う神谷。色白のせいか他の生徒より紅陽が激しく見える気がする。……こいつ本当に大丈夫なのか?なんか不安になってきた。
「無理そうだったら早めに言えよ。隣で倒れられでもしたら俺何も出来ないから」
コクんと小さく頷き神谷は額の汗を拭った。
救命救急講座とかでよくやらされる緊急時の対応なんていざという時どれだけの人間が出来るのか。当然俺は出来ない方に属する。
あいにく俺は、周囲に大声で助けを求める勇気も最善の処置を施せる知識も冷静に手際よくこなせる器用さも全て持ち合わせていない。だからそうなる5歩手前くらいには対処せねばならない。
「あとどのくらい?」
「どうだろ、500メートルくらいじゃねぇの?」
「そっか……」
絶望感の漂う細い声でそう呟くと神谷は失速し、遂には両手を膝に当てその場に立ち止まった。
線の細い身体を小さく揺らし肩で呼吸をしている。
そしてそのまま、歩道沿いの石レンガに倒れるように体を預けた。
「ヤナギ......先行っていいよ。私も少ししてから追いかけるから」
「そんな状態で言われてもなぁ…そうもいかねぇだろ」
俺の話など聞こえているかすら分からないほどの細かく速い呼吸。顔は依然俯いたままだ。
こんなに状態の彼女を見ているとなんだか妙な背徳感に襲われた。
「なんか飲み物いるか?」
「え?」
「あ、いや……そこに自販機あるし熱中症とかになられでもしたら困るから」
「うん……じゃあお願い」
神谷は少しだけ呼吸の落ち着いた声でそう言った。
俺は手早くスポーツドリンクを2本スマホで購入し神谷の元へ戻った。
こんなことで背徳感が消えるかと言われたらそうでは無い。ただ、1つ良いことすれば1つの悪事も許されるというのがガキの頃の俺の中でのルール。
神谷が小さな口でごくごくと飲む脇で俺もペットボトルの蓋に手を掛けた。
「ありがとう。でもそろそろ行かないとだよね」
俺はスマホの時計を確認する。授業時間はあと10分もない。俺達の後ろにまだ数人の影が見えるのでまだ大丈夫だとは思うが田辺先生がどこから出てくるか分からないため早めに走り出した方が安全か。
「そうだな、お前はもういいのか?」
「うん多分大丈夫」
「じゃあ行くか」
ペットボトルのキャップを閉めややアスリート感を出しながら再度スタートしようと歩道の中央へ歩き出した。
「あれ?あやじゃん。……え、なんであんたも居んのよ」
背後から刺々しい言葉が飛んできた。
振り返ると、そこにはさぞ不快そうな顔をした女子生徒、柏木美香が立っていた。
「なんでって言われても……一応所属は2年3組なんで」
まぁ覚えておいてくれとまでは言わんさ。ただ気弱な陰キャにはもう少し優しくしてほしい。圧が凄くて顔を直視出来ない。
「そう言うこと聞いてんじゃない。何であんたがあやと一緒に居るのかって聞いてんの」
「途中で会ったんだよ。私もヤナギも走るの苦手だからこんな遅くまで残っちゃってるだけ」
神谷にふーん、と適当に返し、視線は俺だけをとらえている。毎回思うけど俺柏木になんもしてないよな?他の生徒との絡みを見る感じ俺ほど強い当たりをされてる人見たことないんだけど。
「なあ、俺お前になんかしたか?」
「は?別になにもされてないけど」
質問の意図が分からないのか不可解な目で俺を見る柏木。歩道に仁王立ちしたその姿はまさに下民を見下す女王そのもの。
じゃあ俺に対するその態度はなんなんだよ。俺は分かりやすくするため端的な質問に変えた。
「じゃあ俺のことがただ嫌いなだけってことか?」
「そうね」
「お、おう……そうっすか」
こんな直で攻撃されたのは初めてかもしれない。衝撃がグサッてきた。
「ちょっと美香!」
頬を膨れせて神谷が柏木をキッと見る。
しかし、当の柏木はそんな神谷から視線を外したまま少し悩んだ末に、新たな言葉を口にした。
「いや、嫌いって訳じゃないか。……ムカつく?とかイライラするとかそんな感じ」
「なるほど……ご丁寧にどうも」
あんま意味合い変わってねぇけどな。なんでお前は「なんかしっくり来た!」みたいな顔してんだよ。
まぁいいや。柏木が来たのならわざわざ俺が神谷と走ることもない。──ん?待てよ。そもそも何でバレー部のこいつがまだ走り終わってないんだ?もう残っているのは運動嫌いの文化部帰宅部程度のはずだ。
しかもこの前コンビニで遭遇した時もランニング中だったような……。
「ほら、あやも急がないと授業終わっちゃうよ。私もこれで終わりにするし」
柏木はとんとんと鼓舞するように神谷の背中を叩いた。そして前髪をスッとかき分ける。
一連の流れを無意識に目で追っていたため先程まで見ていなかった彼女の顔に自然と視線が向いてしまった。ただ、
「え……」
俺の頭に記憶していた猛獣のような目付きの柏木ではない。それはこの前コンビニで見た柔らかな印象の柏木だ。
「なに?」
「いや……なんか……」
「私に何か言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
あからさまに滲み出ている苛立ち。別段言いたいことなど何もないのだが、これは「なんでもない」では切り抜けられないパターンだ。適当な嘘も思い付かない。隣に神谷もいるし少しのカバーはしてくれることを信じてここは素直に思ったことを言おう。
「なんか……この前のコンビニでの時も思ったことなんだが……顔って言うか表情って言うか……前と違うような気がするなぁ………と………」




