4.4 変な部活は部員も顧問も変わっている
今日は日差しが少しばかり強い。そして無風。こうなればいつものベランダも生ぬるく、弁当もあまり旨くない。
俺の昼飯は週3程度で母親の弁当だ。その他は購買のパンを適当にかじっている。
毎日が弁当という生徒が殆んどの中平均週3というのはあまり良くは映らないかもしれない。
しかし、自由奔放でやや刹那主義である俺の両親のことを考えたら毎日の弁当作りなど楽ではないだろう。俺は十分感謝している。そしてそう思う度「良い息子だな」と自負している。
まあこんな話はどうでも良いとして、俺のこの憂鬱の原因はこの暑さなんかではないんだ。
***
5限。雲1つない青空の下生徒玄関前に2クラス合同80人の塊が鎮座している。
「よーし、今日は予告していた通り外周するぞ」
田辺先生は出席を取るときのようなトーンでそう告げた。
予告済みな上小学生でもないため顔を見合わせるものは居ても大袈裟に騒ぐものはいない。それどころか陸上部、野球部辺りからはメラメラと静かな闘志さえ見える。
「コースは去年と同じ、男子は1周1.5キロのコースを4週。女子はその内側の1周1キロのコースを4周だ」
この人はバカか。俺みたいなの6キロなんて走れるわけねぇだろ!そんな体力あったらどっかしらの運動部入ってるってんだよ。
「はぁ……」
思わずげんなりとしたため息が溢れた。
「おいどうした柳橋!ため息吐くと幸せが逃げてくぞ」
田辺先生は心なしか嬉しそうにキリッとした目でこっちを見てやがる。もっと言えば反論すら求めている顔だ。……あー面倒くさ。
この人俺のクラスでの立ち位置知ってんだろ。ちょくちょく俺に振ってくるけどマジでシラケてるからやめてくれ。
「よし!じゃあそろそろスタートするぞ、全員スタート地点に着け!」
サバサバした掛け声と共に重ダルい空気がのそのそと動きだし、程なくして大きなスポーツタイマーが動き始めた。
男女共にスタートとゴール付近は同じ道。途中から男子は大通りへ女子は内側の路地へと進む。
先頭らへんはごちゃごちゃしているが暑苦しい男達が我先にと競っているのは分かる。その中には中澤らしき姿も見えた。流石だな。
しかし、もっと驚いたことに笠原までもが加わっているのが見えた。
……いやいやいや、いくらなんでも上層部の男子と凌ぎ削ってちゃダメでしょ。これこそ人間の格が違う。もう人外。宇宙人。
「おい、なんだそのペースは!それじゃあ授業内で終わんないだろ」
気を紛らせながらアスファルトを踏みつけていると後ろから猛追してきた田辺先生が呆れ返った声で渇を入れてきた。
「ペース配分は大切ですよ、後半マジで死ぬんで」
「遅すぎるんだよ!それじゃあ歩いてるのと変わんないじゃないか!もうお前の後ろには誰もいないぞ」
「まあ見ててください、今に2人3人と追い抜いて見せますから」
初速のみ速いという奴は絶対に存在するのだ。バテバテになった文化部or帰宅部を数人追い抜けば最下位の称号を得ることはない。俺はそれでいい。
「既に前にもほとんど見えないけどな……まったくお前って奴は……時間内には完走しろよ。私もお前にばっかかまってられないんだ」
田辺先生はくるりと方向を変え、今来た道へと軽快なステップで戻っていった。
──ふぅ、これでようやく1人になったわけだ。作戦に移るとしよう。
俺は数十メートル先に微かに見える背中に申し訳ないと思いつつ横の路地へ足先を変える。そう、この外周には知られざる第3のコースがあるのだ。
アホな男子生徒はバレないと思い女子のコースを走るがそんなことを見越してか、教員が逆走しているため即バレる。
しかし、ここは違う。2つのコースの真ん中らへんに位置し、人一人少し余裕を持って通れるほどの幅で当然誰も通らない。1周はおよそ1、2キロほどだろう。たった300メートルの差と思うかもしれないが、4周も走れば1.2キロ分少なくてすむ。塵も積もれば山となるとはこの事だな。
男子の本コースとも少し早めに合流するため、周りにさえ気を配ればバレる可能性もかなり低い。後は前述したように数人追い抜けば終わりだ。
***
ぜぇぜぇと息が上がり、額と背中につうと汗がつたう。腕の毛穴からは噴火口の如く汗が吹き出ている。あーもう無理だ………。
足を止めて日陰になっているブロック塀に腰を下ろした。
今は3周目の半ば辺りだろう。1.2キロの短縮にばかり気が向いていたが普通に考えて4.8キロなんて俺に走れる距離じゃねぇわな。こんなところにも陰キャ特有の過信が出てしまうとは予想外。
「さてどうするかな……」
単純に考えてこれから2キロ弱走りきるのは無理だ。マジで体が持たない。だからと言ってその他の方法はもう思い当たらない。
諦めと疲労のみを含んだ視線を道の先へ投げる。あと50メートルほどで合流地点のようで路地の日陰が切れたそこはキラキラ光輝いていた。
そこを何人もたったっと通り過ぎていく。いつの間にこんな追い越していたのだろう、まぁ良い。最下位はまずいので俺もそろそろ行くとするか。
重い足を上げてヘロヘロと進み出した。
そしてようやく路地の切れ目に差し掛かったとき。
「うご!」
「うわぁっ!!」
右腕に何やら柔らかいものがドンとぶつかった。もはや立つことで精一杯の俺の足は衝撃に耐えきれず無様に転げてしまった。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですかっ!?……って柳橋くん!?」
なんとか上体を起こしそちらへ目を向ける。するとそこには透き通った茶髪を1つにまとめ、真っ白い肌に水滴を光らせる見覚えのある顔。はぁはぁと小刻みに息切れをし、頬は紅陽している。
「お、おう……笠原か……」
俺が上手く言葉を返せなかったのは俺が陰キャだからという理由だけではない。
目の前数十センチに笠原の顔があり、今日はずっと無風だった筈が今に限ってはそよ風が吹いている。彼女も汗をかいている筈なのにその風に乗ってふんわりと花のような香りが俺の鼻先をくすぐった。
ぶつかったのが笠原と言うことはさっきの柔らかいものは……いやこれ以上はやめておこう。自分で自分が気持ち悪い。
どうだ?こんな状況に置かれて俺みたいな人間が平常運転出来るわけないだろう?
「大丈夫!?顔真っ赤だよ!熱中症になったら大変だよ!」
「おう……そうだな。まあ大丈夫だ」
顔が赤いのは全て暑さのせいということにしておこう。
俺は尻周りに付着した砂を払いのけ立ち上がり、そしてようやくこの現状の違和感に気付いた。
「何でお前ここにいんの?ここ男子のコースだろ」
「大会が近いから気合い入れなきゃって感じで……え、待って!?柳橋くんはどっから出てきたの!?」
あ、忘れてた……。疲労のあまり俺が正規ルートを走っていると勝手に思い込んでしまっていたようだ。
「そこの細い道」
「何でこんなところ?道間違えたの?」
「なわけねぇだろ。最後尾で道間違えとか聞いたことねぇぞ」
そっか、と笠原は納得する。衝突してしまったのがこいつだったのは不幸中の幸いか。このアホさ加減なら上手く騙せそうだ。
「俺は地元民だからな、独自のランニングコースを走ってたんだ」
へー、とか言いながら、笠原はキョロキョロ周りを見渡す。そして俺の走ってきた道を確認。……まさか。
「こっちの方が絶対短いじゃん!ダメだよズルしちゃ!」
「これをズルだと言うならお前のその身体能力も十分ズルに入るだろ。違う生き物に同じ競技させんなってんだよ」
そうこうしていると正規コースを走っていた第2陣らしき集団が後ろから近づいてくるのが見えた。
「あ、私もそろそろ行かなきゃ。ほら、柳橋くんも行くよ!」
「俺は自分のペースでゆっくり行く」
「もうズルしちゃだめだからね!」
最後に一言釘を指してから笠原は軽やかな足取りで走り去っていった。




