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愚痴

作者: 海星

 浅知恵で物を語るな、と言うのが私の信条である。世の中には、私達が知り得ることから知り得ないことまで、多種多様な法則、規則、物質、事柄が存在するが、こう言う場合、必ずと言っていいほど、他者と自己の間には知識の偏りが生じる物である。だからと言って、相手が知らないことを馬鹿にしてはいけない、と私は思う。

 それは、相手への憐れみや同情からではなく、自分の為にすることである。情けは人の為ならず、と言った言葉があるが、それと同じ具合である。

 中途半端な知識は、人を満足させ、それ以上の探究心を奪うものだと思う。例えば、とある現象に関して、その仕組みは知らないが、名前を知ることで、あたかも自分がそれに関する知恵を持ったかのように錯覚してしまうのだ。そうすると人は、それ以上その現象について探究する意欲を失ってしまう。

 もう一つは、中途半端な聞き齧りの知識は、時折間違いを引き起こすと言うことだ。

 これは、迷信などがそれに値するが、科学的根拠のない事柄を、調べもせずに鵜呑みにすることで、それをひけらかし恥をかいた、と言った具合である。恥をかいて間違いを改められるなら良い方で、本当に危惧すべきなのは、その間違いに気付かず過ごし続けることである。

 こうした本当の無知は、時として犯罪にすら似つかわしくなり得る。

 我々に今求められているのは、知性である。そしてその知性とは、浅知恵で物を語らない勇気である。常に自分を無知と置き、他者から知恵を授かり、自分の間違いを修正し、また、知識を貪欲に深める探究心である。

 私達は、考える葦である。常に己の知識を修正する柔軟性を持ち、自己の解釈を広げることができる生き物である。それゆえに、現状に満足せず、自分が無知であることを自覚し、驕り高ぶらないことこそが、人間の本来あるべき姿なのではないかと私は思う。

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