淙淙たる人間の堰成らず、随にて 終
羽流と俺の関係の齟齬について、思い出したことを少し話そう。
俺はサッカーが好きで、羽流はバスケットボールをよくやっていた。俺がサッカーをやっている時、羽流はいい顔をしなかった。
だが、果たしてそれだけで、親族すら殺す程の怨恨を抱くことがあるのか。まだ何か、重大な事象を思い出せていないからなのか。
それらが分かる日は来るのか。
破裂しそうなこの戦慄を六つの脳で押さえつける。幸い、こちらには一度足りとも視線を向けていなかったので、気づいていない様子だった。
川の様に淙々と流れる人混みに紛れて、なんとかやり過ごすことが出来た。
俺達は、相手がいた地点から、十数キロ離れた場所にある喫茶店で、テレポート帰宅までの時間を稼ぐことにした。
「テレポートまでの時間、後二時間半だってさ」
「危なかったねー、あんなの背筋凍結するって。でしょ?」
「……冷汗三斗のそれだった、あの時は」
ここの喫茶店は閑散としていて、どうすれば効率的に時間を使えるかを非常に良く考えられるぐらいにまで落ち着くことが出来る。
ヒヤヒヤした所為で小腹の空いた俺達は、サンドイッチを四つずつと、コーヒーとコーラを注文した。コーヒーはきょう、コーラは俺の注文だ。
本来、俺達の生物種は「どんな怪我でも七十二時間経てば治る」という特徴があるのだが、俺の場合はコーラを飲み過ぎて「コーラの液体が緑細胞に触れた瞬間に緑細胞が活性化し、全ての傷が立ち所に治癒する」様に成った。俺は細胞レベルのコーラジャンキーみたいだ。
今は何処も怪我をしていない。然るに、コーラを頼んだのは、ただ飲みたかっただけだ。
「あなた、どうする?」
「どうするって、このまま帰るだけだけど……」
「買い出しにも行かないの?」
「食糧なら数十年分ぐらいあるじゃん。元々核シェルターとしても使う為の地下基地なんだし」
「まぁ、それもそうか」
平らげ、レジで会計を済ませた俺達は外に出た。その瞬間、腹部にありふれた刺激を感じた。その時点で俺は(ああ、敵に刺されたんだな)と感づいた。刺された方向を見た時、そこには先程俺達を探していた敵が、右腕に巻き付いた電子機器を弄っている様子が見て取れた。血液が俺の腹から流動する。きょうは何処も刺されていないらしく、ただただ俺が刺される所を見て、口を手で覆いながら唖然としている。
俺は喫茶店内部の方によろめいた。店内を見ると、数秒前まで確かに居たはずのレジ係の店員の姿が見えない。それだけなら「奥に引っ込んだ」で納得出来るのだが(それでも些か移動するのが速すぎる様に感じるが)、客すらもいない。
さっきまで電話で仕事の話をしていた、スーツを着たサラリーマン風の男性や、その隣で気難しそうな顔をしながら新聞を読んでいたおじさん、そのおじさんに「話し声が煩い」と注意されたのに、本性を隠し切れず大きな声で笑ってしまった、女子高生っぽい二人組に至るまで、すっかり消えてしまっている。
俺達が店を出る時は、きょうと二人で出たはずだ。仮に、皆一斉に出たとしても、この出入口の幅では、一人ずつ列に並んで出るのが精一杯だ。
これはもう、あの機器を弄っている時に人から見えなくする為のフィールドを張っていると見ていいだろう。
……人がいつも通りの時間、つまり「人間」を過ごしている。そういった人達が一箇所に集まり出来る流れは川の様で、せせらぎすら聞こえて来るかのよう。そんな人間のせせらぎというのは、個人個人の感情、といった感じだろうか。
その随で、それらの「堰」に成り得る相手が使う技術で、堰に成らせない事の確認が取れただけで、このデートをする価値があった。
羽流だって、実際は優しい奴だ。自分たちの問題に他人を突っ込ませない様にしているのだろう。(羽流からしたら、俺に彼女がいるのは想定外らしい。ひどい奴だ)
この事で、もう一つ気になることが出来た。何故、俺が子供の姿をしていることを突き止めたのか。謎が謎を呼ぶ。
俺は呆気に取られているきょうを後目に応戦した。俺は四肢欠損する程度の怪我までなら、痛みに縛られて、思うがままに動けないということにならない。アドレナリンの分泌量が、ヒトの十二倍という所に起因する。
テレポートまでの時間はもう残り三分。体を動かしていたらすぐにも思えるぐらいにまで経過している。戦闘中に帰還出来るだろう。
店内は狭いので表に出た。表もやはり、歩行者も、駐車している車も、走っている車もいない。心置き無く道路で戦えるという訳だ。
戦っている間、相手は全く表情を変えない。なんてポーカーフェイスな奴なんだ。という訳でこちらも途中から出来るだけ真顔で戦ってみた。そんなことしてる場合じゃない程シリアスなのは分かっているが、どうせテレポートで中断してしまうのだから、ただ戦うだけじゃ勿体ないと思ってしまった。
その気の迷いが原因か、今までずっとナイフを腕の硬い部分で防いでいたのだが、少しずれて、手首に深く刺さってしまった。だから何だ。深く刺さったナイフを抜かせない様に、相手の手を柄から引き剥がした。
そこで家にテレポートした。家に着いて最初に思ったことが「このままだと、床と家具に血液がこびり付く」というものだった。
取り敢えず浴室に移動して、刺さったナイフを抜き、血液をシャワーで洗い流した。衣服は着用した状態だ。
「ごめんね、あの時何も出来なくて……」
浴室に入って来たきょうが言う。
「いいよ別に、コーラ飲めば治るし」
俺は最近、「コーラ飲めば治る」が専らの口癖になっている。
「本当にごめん……」
俺達は浴室を出て、血塗れの服を着替えて、リビングに一息をついた。
「デート始める前に『ぼくが護る』みたいな事言っておいてさ、いざ護らなきゃいけない時が来たら何も出来ないなんて、情けなさ過ぎるよ……」
「そんな俺みたいにくよくよしなくても……ケーキ作るから元気出して」
「ほんとに!?やったー!!ありがと!」
元々甘い物好きだったのは承知していたが、ここまで切り替えが早いのは舌を巻いた。俺は幾ら自分の好きな食品を食べても、羽流の抜けた傷が癒えないというのに。まぁ、それでこそきょうだ、という俺の期待に応える反応をしてくれたのでむしろ嬉しい。
コーラを飲んで外傷を癒した後、ずっと気になっていた事をきょうに訊ねる。
「きょうって、昔の事覚えてる?」
交際一ヶ月、思えばきょうの過去の事を、全く以て知らなかった。一体、どんな過去を巡って、大企業の社長令嬢にまで成ったのか。そこできょうの過去をなぞってみる。
「うーん、でもぼくってずっと隠遁生活しながら世界を転々としてたから、面白い話とかあんまないんだよねー」
「一つも?」
「面白いって言ったらあれだけど、一つはあるかなー」
きょうは真剣な眼差しで話を進める。
「ここの八つ前に居た世界だったかな、ぼくその頃顔を見られない為にずっとローブを纏ってたんだよね。そんなぼくに助けを乞う家族の人が居て、『子供達の命が狙われてる』って言うから、その度に役に立つ道具とか渡したりしてたんだけど、ある時遂にその家族の命を狙う奴を見つけて、懲らしめた。終わり」
「なるほどなぁ」
「その家族が今どうしてるか知らないけど、円満に暮らしていればいいなぁ」
「それで、この世界に来た時は?」
「最初来た時、子供の姿だったんだよねー。ずっとその姿のまま過ごしてたら、養護施設の人に拾われた」
きょうと話し合いをした事で、疲れが少し取れた。が、それでもまだ誤差レベルだ。睡眠を取らなければ、動き回れる程の体力まで回復しないだろう。
「じゃあ、俺寝るから、ケーキは明日ね」
「はいはーい、お休みー」
「……きょうなら待ちきれずに自分で作りそうだな」
俺は呟いた。