壺を割りたい勇者と壺を絶対に割らせたくない村長
ガシャーン。
農地が広がる静かな村に、甲高い破砕音が響く。音は硬質の、しかし薄く空洞になっている物体が割れる際に発する類のものだ。
麦わら帽子を被り農作業をしていた村人が音のする方に顔を向け、そして手拭いで汗を拭うと再び作業に戻る。
響く音は一度や二度ではないが、魔物が暴れるような破滅的な騒々しさとも違う。故に村人達は納得し、それを生活音として受け入れていた。
その音は、勇者が壺を割る音である。
勇者一行がこの村を訪れたのは昨日の夜。
今代の勇者は男盛りの偉丈夫だ。年齢ゆえかそもそもの気性ゆえか、歴代の中でも性格的には温厚と囁かれている。
こと戦果においては苛烈と言っていい活躍を重ねているが、一方で村や町で人類相手に不徳を働いたという噂は今のところ聞かない。
ただしそれは、壺などへの探索行為を除いたものだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ここに一人の老人がいる。
名をキルヴィス・アーデンシュタインと言う。否、名前については本題ではない。以下村長と記す。
そう、彼はこの村の村長を務めている男だ。
若き日より野心に富み、一介の農家の出でありながら人脈や手管を尽くして村の長にまで登り詰めた。比較的新興の国家であるエッセル王国を、食料面でこの村が支えてこられたのは彼の指導力によるところが大きい。
もっとも、国内での発言力としてはまだ十分ではない。そんな折に飛び込んできた勇者来訪の一報は、彼にとっては渡りに船と言える。
「……それで、勇者殿は?」
村長が問うと、見回りの男はへぇ、と頷いた。普段は村の外周を回りながら魔物を追い払っているが、来訪者があったときは都度村長に報告も行う。昨晩勇者の来訪を真っ先に知ったのもこの男だ。
「コーデンさんとこの宿にお泊まりになって、今は村を散策されとるようですな。前払いで三泊分。しばらく滞在されるもんかと」
「うむ」
この村は王都から離れた位置にあり、あまり旅の途中に休憩するという訪問者は少ない。何かしらの目的があるのだろう。
詳細は程無く判明するだろうが、正直なところ目的云々よりも勇者一行が訪れたことの方に意味がある。
いずれ勇者が魔王を打ち倒した後、彼らの伝説の中で謳われることは村や町にとって何よりの宣伝となる。
そのため、歓迎し心穏やかに過ごしてもらうのは大前提と言える。宴まで催すと逆に下心を見抜かれかねず、加減が難しいところだ。
「くれぐれも丁重にもてなすよう各所に通達するのじゃ。村の名前をさりげなく連呼し名産品を持たせることも忘れぬようにな」
「へぇ。ただ、今は民家を回っとりますゆえ、落ち着いてからの方がええかと」
「民家?」
「ま、壺やタンス漁りですな」
「むぅ」
村長は白い髭を撫で、唸った。
時は魔王が君臨し、魔物の跋扈する戦乱の時代。
魔王を唯一撃破し得る存在、勇者へのサポートは人類にとって大いに望むところであり、そのことについて疑問を持つ者はいない。
また、壺・タル・タンス・宝箱といった、存在自体が勇者を引き寄せる性質を持つものは、勇者に中身を徴収されたりそれ自体が破壊されても国からの補助が出る。これは国際条約にも定められており、いかに圧政を強いる強権的国主であってもこれを破った場合は国際社会から手痛い制裁を受ける。ハブにされるのだ。
口さがない者は『補填するぐらいならば最初から国が責任を持って支給しろ』と言うが、曲げがたい伝統というものがある。
ともあれ、だからこそ勇者が壺を割ろうと、タルを砕こうと、へそくりを拝借しようと、文句を言う者はいない――普通であれば。
見回りの男が去った後、村長は使用人に倉庫の鍵を開けさせた。いずれ来る勇者に備え、宝箱に金品の類をしまってあるからだ。何しろ村長の家、勇者とて他の家よりも高価な品があることを期待することだろう。それを裏切ってはならない。
勇者へのもてなしで最も重要なのは、期待に沿うことである。
先代勇者の時代に『広い割に空き家ばかりだった』『魔王城近くなのに皆が日常会話しかしなかった』という評価を受けた町ガイアは戦後程なく凋落した。
小さな村でも寄り道するに足る利益が得られれば、勇者の心象は良くなる。
そういう意味で村長の準備は抜かりないものだったと言えよう。
だが。
「……壺、どうするかのう」
村長が目を向けたのは一階の奥、暖炉脇に置いた一点の壺だった。
陶器製の、どこにでもあるような壺だ。インテリアとしても周囲の他の家具に比べ質は劣る。実際、価値で言うなら炊事場に置かれた皿一枚の方がまだ高い。
あの目立つ位置に置いていてはまず勇者の割る対象となるだろうが、補填として新しい壺を貰えばむしろ得となる――しかし。
あの壺は、若かりし頃に妻との旅先で買った品だ。
何故わざわざ嵩張る壺をと今ならば思うが、あの頃は若かった。
価値より思い出のあるこの壺を、淡々と割られるのは忍びない。とはいえ隠しても同じことだ。勇者の連れた盗賊の察知能力は、物陰の死角さえも見逃さない。
悩んでいるうちに一夜が過ぎたわけだが――
「失礼する」
低くよく通る声が玄関口から聞こえた。村の者ではない。
振り返ると、そこにいたのはまさに噂通りの姿だった。無駄なく筋肉のついた体、成人して幾年かという年頃ながらも落ち着いた眼差し。腰に提げた剣にはかの大国の紋章が光る。
勇者だ。
村長はすぐに出迎えると、深々と頭を下げた。
「おお、勇者殿。ワシがこの村の村長です。奥に倉庫がございます。何かお役に立ちそうなものがあればご自由にお持ちください」
「これはかたじけない。お言葉に甘えさせてもらいます」
勇者は精悍な顔に感謝の微笑みを浮かべ、一礼した。そして、案内の通り奥の倉庫へと真っ直ぐに向かった。後ろには赤いマフラーの目立つ男盗賊、法衣から覗く全身タイツがただ者ではない女僧侶が随伴する。もう一人、魔法使いの少女は身の丈が3メートル程とやや長身のためか外で待機している。
捧げる言葉は必要なものを、最低限に。これも勇者のもてなしの基本だ。
先々代の勇者の時代に、聞かれてもいない洞窟の情報を五分間に渡って提供したアリアルの村は『とても長い』と評価を受け、戦後程なく壊滅した。愚かなことだ。
家の奥からタルが弾け飛ぶ音が聞こえ、やがて静かになる。
宝箱も当然回収されたことだろう。だが、それで満足してくれれば何も問題はない。この村において十分な収穫ではあるはずだ。
そんな楽観を胸に頷いていると、探索を終えた勇者が戻ってきた。
会釈をして茶を勧めると、彼は丁重に断った上で再び室内を見回す。
そして、視線が部屋の奥の暖炉脇に向いた。
壺がある。
勇者は一切躊躇なく身体をそちらへ向ける。『調べる』つもりだ。村のことを考えるならば甘んじて受け入れるべきだ。そう理解していたはずだ。
村長はスッ、と勇者の前に立ちふさがった。
派手な動きではない。勇者も足を進める前であり、ほんの少し立ち位置をずらしたに過ぎない。だが、その位置は壺と勇者の直線上だ。
勇者は面食らったような表情を浮かべていたが、すぐにニコリと微笑む。
村長も内心の動揺を隠したまま笑みを返した。
どうすべきか。その中には何も無いと言うべきか。否、遅い。進路を塞ぐことまでしてしまった以上、そんな言葉は壺にしまい込んだ貴重な何かを隠すための虚言にしか聞こえない。
証明のために中を覗いてもらうか。それも否だ。壺を割らず覗き込むような者は勇者ではない。それを薦めた時点で彼らを疑うことになってしまう。
「失礼」
勇者は再び一礼して村長の横を迂回し、壺へ回り込もうとした。
村長はスッ、と勇者の前に立ちふさがった。
深く考えるより先に体が動く。頭によぎるのは幸せそうに壺を抱いて昼寝する若き日の妻の顔。実利より感傷が彼の肉体を支配していた。
温厚篤実で知られるかの勇者が、この程度で不快感を露にすることは幸いにしてなかった。しかし勇者とは諦めから最も遠い場所に立つ人間。そして仲間を率いる人間だ。
勇者が指を鳴らすと、ぴったりと真後ろに控えていた仲間達が動く。
たじろぐ村長の前後を盗賊と僧侶が取り囲む。魔法使いの少女は窓からサファイアのような深い青の瞳で覗き込んでいる。
そうして村長を釘付けにし、勇者は悠々と壺へ向かう。
させるものか。
妨害に来たのが二人だけなのが幸いした。二人で完全なる包囲はできない。村長は一歩左にずれると、軽やかなステップを踏み壺の前に瞬時に移動する。
再び進路を塞がれ、勇者は悩ましげに口を引き結ぶ。盗賊と僧侶は誰もいなくなった空間を相変わらず取り囲んでいる。魔法使いの少女は窓からまばたき一つせず覗き込んでいる。
勇者はふっ、と一つ息を吐いた。
「出直そう」
そう言って彼が踵を返すと、仲間達はぴったりと真後ろに付き従って村長宅から出ていく。魔法使いの少女は座ったままスーッと地面を滑るようにしてついていった。
諦めてくれたのだろうか。壺を守りきることはできたが、村長の胸中は晴れない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
結局この日、勇者達は村の周囲の散策に終始したようで、遠出はせず再び宿に泊まった。それならそれで極めて強力なパトロールであり、村にとってはありがたいことである。
その夜。
自宅二階の寝室で、村長は目を覚ました。時計を見ればまだ夜明けも遠い深夜で、何故起きたのかとベッドの中で自問する。
決して夜尿ではない。
隣のベッドで寝る妻の寝顔を見て目を細めると、村長は寝間着姿のまま起き上がった。何か、予感のようなものがあった。
この村長には自宅の全範囲を近くする特別な力などない。だが、研ぎ澄まされた警戒心は玄関の扉が静かに開く音を確かに聞いた。
勇者だ。
歴史上の伝説には『昼には門番に塞がれていたが、夜は難なく通れた』というエピソードが散見される。彼らは村長をその門番に見立て、夜襲を仕掛けたのだろう。それでこそ万軍を相手取る勇者。村長は感嘆した。
しかし、危機である。足早に寝室を出ながら村長は思考した。
誰もいない一階を直進して壺を割るなど、スライムの手をひねるよりも容易いことだ。階段を駆け下りていては到底間に合うものではない。
ならば。
村長は二階の廊下を踏み切ると、手すりを乗り越えて吹き抜けへ身を躍らせた。コマのように高速で横回転しながら落下した村長は、忍び足で侵入してきた勇者達の正面に着地。摩擦で床板に煙を立てながら手にした杖で制動。
咄嗟に身構える勇者一行に、村長は失礼のないよう微笑みかけた。
「これは勇者殿。夜分遅くにご苦労なことですな」
勇者は真剣な眼差しで村長を一瞥して反転。マントを翻して村長宅を後にした。
盗賊が後ろ手にドアを閉め、僧侶がそれに挟まって艶やかな悲鳴を上げた。
魔法使いの少女は二階の位置の窓からじっと覗き込んでいる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日。万全の体制で村長が壺の前に陣取っていると、朝早くに勇者が三度目の訪問をしてきた。
もはや言葉は不要。村長は勇者を見て、勇者は壺を見る。
魔法使いの少女は炊事場の窓から妻の作ったシチュー鍋を覗き込んでいる。
勇者の連れる盗賊ほどの技量があれば、あの壺の中に宝がないことぐらいとっくに見切っているだろう。だが最早問題はそこにない。
割るか、阻止するか。ただそこに行き着く誇り高き戦い。そういうものになっていた。
勇者は油断を捨てた真剣な表情で一礼し、村長もそれに応じる。
挨拶とは本来闘争の前に相手を威嚇し、精神的に優位に立って事を進めるために産まれた行為だ。嘘だ。
壺を巡る攻防の幕が切って落とされる――その時。
玄関の扉からコンコンと二回ノック音。ゆっくりと開いた扉から身を屈め、頭をくぐらせて入ってきたのは黒曜の肌を持つ剛健なる巨人だった。
魔物、それもそこいらの雑魚ではない。知性を持ち、狡猾に事を運ぶ亜人種。しかもかなりの上位の個体だ。
「ホーホホホホ! 我こそは魔王軍で最も壺を割る技能に秀でた剛魔アイガイオン! 聞けばここに勇者も手を焼く最強の壺があるとの噂、それを割れば我が名は歴史に刻まれることであろう! 勇者もいるとは都合が良い! この戦槌で壺諸共貴様の背中のツボも押し割ってくれようぞ!」
今の駄洒落はあまり良いものではなかった。
村長と勇者は口頭にて厳重に抗議し、魔物は頭を下げ謝罪の弁を述べた。
そして茶番は終わりとばかりに、前言通り巨大な戦槌を振りかざして低い姿勢で壺目掛け疾駆する。
この閉所で戦闘となっては壺は無事ではいられまい。そうなれば勇者は自身で壺を割ることができず、村長は壺を守ることができない。
この招かれざる客は、双方にとって害を為す者であった。
勇者と村長は、一瞬で目配せを交わし、頷いた。
この平和な村で魔物の悪徳を見逃すわけにはいかない。
「喝ーーッ!」
村長が目と口を大きく開いて叫ぶと、その全身から極めて高濃度の村長粒子が指向性を持って放出される。
村長粒子は収束して魔物を直撃。村長耐性または村長適性を持たない生物は全身の動きを止め、最悪の場合死に至る強力な技だ。
この魔物も例外ではなく、突撃体制のままピタリとその場に縫い留められる。そうなればあとは簡単だ。この場にいるのは魔物の天敵なのだから。
勇者は剣の柄に手をかけて魔物の傍に寄る。そして抜くことなく鞘ごと剣を構えると、鞘の側面で執拗に魔物の脛を打ち据えた。
まさに『処理』としか表現できない無慈悲で凄惨な攻撃であり、五十発目で魔物は黒い霧となって消えた。
その段になって盗賊はブーメランを構え、僧侶は強化の魔法を唱えた。遅い。
脅威の去った後、勇者は剣を腰に戻すと悲しむように目を伏せた。
心優しき英雄は倒した相手の死すら悼むのか。
それとも仲間が撃破後にやっと動いたことを嘆いたか。おそらく後者だ。
村長は彼の前に立つと、一戦限りの戦友に微笑みかけた。勇者もまた微笑む。
そしてどちらからともなく、右手を振り上げ、空中で村長の萎びた手と勇者のがっしりした手が重なる。パァン、と快音が響いた。
勝利の熱量に浮く中、勇者は労うように村長の肩を優しく叩いてすれ違う。
その進行方向には壺。
その手は食わぬ。
村長は勇者を恋する乙女のように背後から抱きしめると、開いた玄関扉へ向けて放り投げた。盗賊と僧侶も後を追うように扉から飛び出ていく。
魔法使いの少女は炊事場の窓から妻にシチューの味見をさせてもらっていた。