耳かきの梵天みたいに
☆プロローグ☆
「なにしてんの?」
直也が隣の部屋からこっちへ来て、私の座っているソファに並んで座った。
「耳掃除」
「わ。俺も!俺の耳もやって欲しい」
「しょうがないなぁ・・・」
私の両太股の上に頭を乗せて、直也が嬉しそうに笑った。
耳たぶを引っ張って、直也の耳の中をのぞきこむ。
「あっ!でっかいのいるよ!」
「嘘!取って取って」
慎重にそうっと耳かきを直也の耳の中へ入れる。耳垢を掬い取る。
「もうちょっと力入れても良いよ。そうっとされるとかえってくすぐったい」
「注文の多い・・・」
「注文の多い料理店!」
「宮沢賢治か?食べられちゃうぞ~」
きゃっきゃ言いながら笑う私たち。
丁寧にちょっと力を入れてお掃除する。無言の時間が流れて、ふいに私は直也の耳にふうっと息を吹き込んだ。
「わー何すんだよ!」
「おしまい」
「あのな、耳かきの梵天は何のためについてんの?」
「梵天?」
わざと梵天で直也の鼻をくすぐった。
「バカ明美」
「なによぅ」
二人同時に吹き出した。
☆1☆
小学生の頃、何を思ったのか、私は新聞についてくる広告のチラシを細くちぎってこよりみたいにして遊んでいた。
「お母さん、こっちの耳、聞こえない~」
「えっ?」
母が大慌てで私を自転車の後ろに乗せて、耳鼻科に連れていった。
「聞こえないのはこっちの耳?」
お医者さんがそう聞いて、ライトで照らしながら私の右の耳の中を覗き込んだ。
「なんかつまってるな・・・」
細いピンセット登場。
「なんだこりゃ」
くしゃくしゃの色つきの紙が幾つか。
「あー、よく聞こえる!」
私は耳を指でほじりながら言った。
「これなに?」
お医者さんが優しく聞いた。
「新聞の広告。丸めて遊んだ」
「お母さん、子どもは気を付けとかないとなにするかわかりませんよ。たまに耳の中にドングリ入れる子がいたりするし・・・」
「えっ?まあ!すいません」
母がお医者さんに謝った。私は怒られもせずにまた自転車の後ろに乗せられて家に向かった。
「耳の病気じゃなくて良かったね」
「うん」
母のお腹に両手でつかまりながら、上を向いた私は鱗雲の空を不思議な気持ちで見ていた。
なぜ広告を耳に詰めたりしたのか、自分でもよくわからなかった。
☆2☆
春の植木市に母と行った。
枝振りの良い松の盆栽とかさまざまな植物がところ狭しと並んでいたけれど、私は翡翠とか瑪瑙とか水晶とかの小さい石ころを売っているところとか、でっかい錦鯉のいるブルーシートの水槽のところとか、民芸品を扱っているところとかに興味があった。
母は椿とかを見たいらしく、私に500円玉を持たせて、後で植木市会場の入口で待ち合わせしようと言った。
民芸品売り場で南京玉簾とかヨーヨーとかけんだまなんかを一生懸命見ていたら、孫の手の近くに耳かきが売ってあった。
梵天じゃなくて、小さなコケシみたいなものがついているのがあった。一個ずつ顔の表情が微妙に違う。首のところに赤や黄色の紐の飾りがついていた。
「これ、ください!」
気に入ったものを一個購入した。
家に帰ると、梵天がついた耳かきが何本かあった。それらと一緒にコケシつき耳かきを飾った。
「明美。これもかわいいけれど、梵天がついてるのの方が良いと思わない?」
「んー」
純白の鳥の羽毛の集まりはふんわり丸く広がっていた。
「きれいだね」
私は笑って言った。手触りもなんだか幸せな感じがした。
「コケシちゃんも、梵天のついてるのも、両方使う!」
「はいはい」
母は笑っていた。
☆3☆
夏の体育でプールの授業があって、なんだか耳がぶあーん、と音を響かせていた。
「耳に水が入ったみたい」
「頭を傾けてピョンピョン跳んだら出るよ」
友だちに言われてやってみたけれど、耳の中の水は出なかった。
熱くなったコンクリートの段差に耳をくっつけてじっとしていたら、ふいに水が流れ出た。不思議だった。
「一応、綿棒で耳かきしておく?」
更衣室で友だちが持っていた綿棒をくれた。濡れた耳垢が白い綿棒にくっついてきた。
「少し湿っぽい」
「私はお風呂上がりとかに綿棒使うよ。」
「ふうん」
「耳が乾燥気味の人は普通の竹製の耳かきを使うけど、耳の中がウエットな人は綿棒かな・・・」
「そういう人もいるんだ・・・」
「綿棒も良いよ」
「うん。ありがとう」
私はその日、母にねだって買い物の時に綿棒を買ってもらうことにした。
「明美。黒い綿棒もあるよ」
「えっ!本当だ」
びっくりした。清潔で、取れた耳垢がよく見えるらしい。
「黒い方を買って!」
「はいはい」
母がクスクス笑いながら買い物かごにお徳用の黒い綿棒を入れた。
飽きっぽい私はどのくらいその綿棒を使っただろうか?そう頻繁に耳が汚れる訳じゃないし、毎日の雑事に忙しかった。
☆エピローグ☆
夏祭りの夜だった。私は浴衣を着て、直也と夜市の露店めぐりをした。
「ビール、うめえ」
「もう!酔っぱらい!」
「ちょっといい気分なだけだろ?酔ってないって・・・」
つまみに呼子のイカ焼きを美味しそうに食べる直也。
「浴衣似合ってるねーとか、なんか無いの?言うこと」
「何が?」
「もう!ひどい」
ぷうっとふくれる私。それを面白そうに見てる直也。
バン、バババン。
打ち上げ花火が上がった。
「きれいだね」
「うん」
「しょってるね」
「なにが?」振り向き様にキスされた。アルコールの匂いが鼻をくすぐる。
「家に帰ったらさ・・・」
「何?」
「して」
「えっ?」
「耳かき。もう痒くてたまんない」
「直也のバカ」
余計なこと考えちゃったじゃないか!バカバカ!
自分の頬が火照って真っ赤になってるのがわかる。
「早く帰ろう」
「えーっ。私まだたこ焼き食べてない」
「じゃあ、たこ焼き買ったらすぐ帰ろう」
「もう!」
「牛」
「違う!」
何だかんだ言いながら、帰路につく。
直也と一緒に住んでいる家は、田舎の古い家屋で、雨漏りとかすきま風とかがひどかった。でも、広くて、木造で、土壁とか畳の匂いとかとても大好きだった。
草履を脱いで土間から家に上がると、直也が後ろから「おんぶお化け~」とか言いながら抱きついてきた。
「ちょっと!ちゃんとしてよ!」
「耳かきしてくれ~」
「浴衣着替えるから待って」
「そのままで良い」
「もう!」
「出た、牛」
「違う!」
直也は、さっとタンスの上に置いてあった耳かきを取ってきて私の手に握らせる。本当に酔ってるのかな?
「明美」
「何?」
「耳かきには耳かきのちゃんとしたやり方があるんだぞ!」
「なにが?」
「うえーん」泣き上戸か?直也が赤く上気した顔でちょっと泣いた。
「いいか?自分で自分の耳掃除するのならしょうがないが、誰かにしてもらうんならその相手は特別な人ってことになる」
「なんで?」
「耳の奧を突かれたら、死ぬことだってありうるんだ。」
そりゃあ、耳は頭に付いてるからそうかもしれない。
「本当に信頼できる相手にしか耳かきさせたりしないよ。・・・それがどうだ?お前この前、仕上げに梵天使うどころか息を吹き込んだじゃないか?」
「・・・ごめん」
「俺はやり直しを望む!」
「わかったわかった」
畳の上に正座すると、浴衣の裾を整えて、電灯の灯りの向きを確かめる。
「どっちの耳?」
「左」
直也が頭を私の足に乗せて寝た。
「良かったじゃない。『夜に左に耳が痒いと翌日何か良いことがある』って言うし」
「何それ?初めて聞いた」
「でも、あんまり耳かきばっかりしてると外耳道に炎症ができて癖になるらしいから」
「ふうん」
「じゃあ耳掃除するね」
「うん」
耳かきの匙の部分をそっと耳の中に入れる。耳の穴の入口近くから丁寧にこすって耳垢をとり、左手にくっつけて、新たな耳垢を取りに戻る。
「今、がさっていった」
「でっかいのがある」
「取って取って」
「じっとしててね」
耳垢って、皮膚が古くなって剥がれたものだよね・・・と私は思いながら、でっかいのを取った。
「取れた。ほら」
「わー」振り向いて直也が大袈裟な声を出す。
あらかた掃除すると、耳かきを持ちかえて梵天を直也の耳の中に入れる。そっとかき混ぜて引っ張り出すと、梵天に耳垢の小さな粒子がついていた。
「おしまい」
「うん。今日は合格」
「耳かきに合格不合格があるの?」
「当たり前だろ?」
変なの!
fin.