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「さて、途中からだけど話は聞いていたよ。ルゥ…ルドヴィカ・スフィーア公爵令嬢と婚約破棄するのは別に構わないし、その子と婚約してもメリットはなさそうだけど、ルゥに不敬罪とか反逆罪とか適用されるのを黙ってみているわけにはいかないからね」
「なぜですか!その女が呪いまでかけてルイズを殺そうとしたのは明白ですよ!そしてその女もそれを認めました」
アンリが食って掛かる。アレクは久しぶりに見た弟が腑抜けているのを残念に思った。それほどまでにこのルイズ・ローという女に入れ込んでいるのか。王族としてはありえない行動だ。一人の女に執着しては王族などやっていけない。もちろん貴族社会でもよっぽど表と裏を使い分けなければ無理だろう。公私混同してはいけないのだ。
「アンリ。そもそもまだ彼女との婚約は認められていない。ゆえに不敬罪も反逆罪も適応されないよ。王族でなくただの貴族だからね」
「しかし、次期王子妃です」
「うーん。じゃあルゥを私の王太子妃にしよう。それならどちらが優先されるか分かるかい?」
戯れだがアンリの婚約者でなくなったのなら自分の婚約者になってもいいはずだ。なかなかいい考えのような気がしてアレクはにっこりと笑った。
「なっ!人を貶めることしか考えないような女は兄上にはふさわしくありません」
「そうです!アレク様のお嫁さんには私が良いと思います!」
ルイズがあほなことを言い出したが無視する。
「ルゥは人を貶めるようなことは考えていないよ。彼女が考えるのは魔法のことだけだ」
「しかし!」
口を挟もうとする騎士・リチャードを手で制する。王族に対する礼を叩き込まれている騎士は歯がゆそうに口を閉ざして一歩下がる。床に座り込んで懸命に式を書きなぐっているルドヴィカを見る。
「まだ時間がかかりそうだ。私が一つ一つ懇切丁寧に説明してあげようじゃないか」
にっこり笑い続けているアレクが、相当怒って見えたのはアンリだけではあるまい。
「最初からいこうか。羽ペンを盗まれたと」
「そうなんですアレク様。ルドヴィカにお父様からいただいた大切な羽ペンを盗まれてしまったんです」
アレクの登場からやけに饒舌に話し出すルイズ。今まで男たちに向けていた目線よりさらにうっとりとさせて手を胸の前に合わせている。時折「かっこいい」とか「さすが隠しキャラ」とか声が聞こえているが、誰もが無視している。
「もしかしてルゥと君は席が隣なんじゃないかな?」
「ええ、そのとおりですわ。よく物を盗まれますの。実は羽ペンだけでなく教科書やお弁当がなくなっていたこともありますのよ」
悲痛な表情で訴える。
「なら仕方ないよ」
あっさりと答えた。ルイズは「は?」と表情を変えた。他の男たちもなんだその理由はと憤りを感じているようだが、実は周囲にいる生徒や教師の中にアレクに同調する気配がある。
「どういうことですか?スフィーア公爵令嬢のすることは全て黙認しろということですか?」
宰相の孫が悔しげに訴えた。
「公爵家は関係ないよ。ルゥだからだよ。ルゥは目の前のことの夢中になると周りが見えなくなるんだ。今みたいにね。だから書きたくなったらそこにあるペンを使うし、お腹がすいたらそこにあるご飯を食べる。それが誰のとか考えないだけなんだ。こればっかりは回りに迷惑をかけるから直してもらいたいんだけど、もう直らないよね」
諦めたように床に座り込んでいるルドヴィカを見る。周りの生徒の中にもうんうんと頷く人が見受けられる。みんなルドヴィカと関わって、その被害を受けてきた人たちだろう。そしてスフィーア公爵家からお詫びの品を受け取っている。
「さすがにペンケースに入っているものを出すなんて面倒なことはしないから、その羽ペンは机の上に出してあったのかな?」
「えぇ、そのとおりですわ」
「普通、教師の話を熱心に聞くときはメモなりをとるためにペンは持っているものだと思うんだけどおいてあったんだね。そしてルゥに使われたことにも気付かなかった?」
「そ、それは…公爵令嬢様に口を出せる方なんて…」
ルイズが口ごもる。
「それにルゥの悪癖に対応するために公爵家の世話係がついてるでしょ。君の羽ペンをルゥが持っていったなら、すぐに世話係が代わりの羽ペンを君に渡したんじゃないかな。もっていったものより上等なヤツを」
「そ、それは…そうですが。父上からいただいたものですもの。代わりなんて…」
「ついでに言えば、うちの愚弟にももらってたよね。かわりだって。さらにさらに、そこの騎士君やら宰相殿のお孫さんやら魔法使い君やら公爵令息君やらにもおなじものをいただいて、最初に公爵家からもらったやつ以外は全部うっぱらってたね」
「何でそれを!はっ」
慌てて口に手を当てるルイズ。周囲の男性陣が驚いてルイズを見る。
「うれしいって」
「僕だけだって」
「父上のより使い心地良いって」
「また盗まれないように家で大事にしてるって」
ニコニコ笑って爆弾を投下するアレクに先ほどまで団結してルドヴィカ断罪裁判を起こしていた連中にひびが入った。
「さて次だよ。魔法授業の妨害、だったかな。それこそバカらしい話だと気付かないのかな? そもそも使用するカードには自分で刻印を刻まなければならないんだよ。それをなくした挙句、他人からカードを借りて、そのカードに刻まれた刻印の意味も分からず使用するなんて信じられないよ。もともと『バケツ1杯分の水を出す』って書いてあったはずだよ」
「そもそもカードの魔法呪文短縮の原理としてカードに『水を出す』という部分だけを刻んで、量や勢いを調整するのは自身の魔力を用いて行うはずです。そこまで限定的なカードである必要がありません」
魔法使い君がアレクに反論する
「うん。魔力のある私たちならね。今開発中のカードは魔力のない平民向けのカードなんだ。井戸水を運んだり、旅の途中に水を確保する面倒を省くことが出来たら平民たちの生活が快適になると思って開発してるんだよ」
「魔力のないものでもカードが使用できるのですか」
「それをいま研究中なんだよ。平民にも魔法を起こすほどではないけれど僅かながら魔力はある。その僅かな魔力で魔法を起こすにはかなり限定された魔法陣にしなければならないからね。同時に、あまり自由度の高いカードが普及するとカードを使用して争いが起こりかねない。だからこその限定カードだ」
すばらしいだろう、と平民の魔法使いに向けて言うと、確かに、と頷いた。
「でもそれを試験中の私に使わせる必要もないじゃない。私は貴族で、魔法も使えるわ」
ルイズが口を尖らせている。ルイズを囲む男たちから見たらとても愛らしく見えるのだろうが、あいにくアレクからしたら変顔をしているようにしか見えない。残念。
「さっき話したよね。自由度の高いカードは争いを生む。限定したこと以上の魔力を注いでも、刻印が書き換えられないかテストしたかったんじゃないかな。確かに試験中だったことは不幸だったと思うけど、そもそも君がカードをなくしたことから始まったんじゃなかったのかい?正確に言えば、試験までに刻印を刻みつけられなかったこと、かな?いつも手伝ってくれる魔法使い君が母君のご病気で実家に戻っているときだったからね」
ねぇ?と首をかしげてアレクはルイズに向き合った。ルイズの顔は羞恥にそまる。
魔法使いはそうなの?と首をかたむける。たしかに最近は魔法学に関して放課後に一緒に勉強していた。練習に何枚かカードに刻印を刻む練習もして、そのカードはお守りだとルイズが持って帰っていた。そのカードを使用していたのか。
高い魔力を持つものが刻印したカードを使用すれば実力以上の魔法を発動することが出来る。相性もあるので下手をすれば制御できずに暴走する危険もあるが、そこは大丈夫だったらしい。
魔法試験は授業の成果を出すところなので、毎回違う効果の魔法が課題に出される。課題に応じた刻印を各々刻み、試験に望むのだ。魔法使いのいなかったルイズは自分で刻印を刻むことができなかったらしい。
「試験期間中にもかかわらず君たちと遊んでばかりいたから時間がなかったのかな」
ルイズにカードを出すように促したがルイズは唇をかんで下を向くだけだった。
貴族として防御用のカードの1枚や2枚持っていてもおかしくないのに。たとえそれがパーティーの最中できらびやかなドレス姿だとしても。
カードなしでも魔法は発動できるがやはりあるのとないのでは初動も威力も違ってくる。
「私は…今…魔力を封じられているので…」
ルイズがぼそっと呟いた。
「うーん。それでも何かの時のために持っていたほうが良いと思うし、もっているだろう?」
「そうだ!ルイズは魔力を封じられているんだ!それにルイズに迫る危険からは私が守るからルイズはそんなものを持っていなくてもいい」
愚弟・アンリが鼻息荒く出張ってきた。
「四六時中張り付いてるわけにも行かないだろうに。出したくないなら構わないよ。
っと」
呆れてため息をついたとき、アレクの視界にルドヴィカが入る。
熱心に計算式と魔法式を組み合わせて書き続け、いつの間にやら渡した紙がなくなりつつある。ルドヴィカはそんなことお構いなしに床に書こうとしている。というかもう少し書きつつある。
「ルゥ、そこは床だよ。書いちゃダメ」
アレクの側近がどこからか取り出した紙をアレクに渡し、アレクがそっとルドヴィカのペンの下に紙を差し入れる。
ルドヴィカは一瞬書いていた魔法式が消えたことにむっとするがすぐに書き直していく。新たな紙に、今度は魔法式にのっとった魔法陣を書き始めた。
「これが、ルイズ嬢の机に魔法陣が書かれていた理由、かな」
この調子で魔法陣が隣の席に書かれていてもおかしくない。研究所に持ってきた論文に書いたはずの魔法陣が見当たらず首をかしげながら書き直していたルドヴィカを思い出す。どこかで落としたのだろうと思っていたようだが、紙に書いていなかったようだ。落としていたならルドヴィカの世話係が拾ってくるだろう。護衛も兼ねている彼らが机に書かれた魔法陣を消す前にルイズが発動させてしまったようだ。
「ルゥが本気で魔法陣を書いたら、君の魔法で消せるほどちゃちなものにはならない。今研究しているのは平民でも使用可能な限定カードの理論だからね」
ぐっと拳を握ってはなじろんでいるのはルドヴィカの義弟。魔法使いは興味が出たのかとことことルドヴィカのそばに来て魔法式を見て驚いている。
「では階段から突き落と 『ぐううううううううううううう』 し、た、件…」
大音量で鳴り響くお腹の音。前に出て追求しようとした騎士は出鼻をくじかれている。
あまりの大きさにアレクはくすりと笑いルドヴィカのそばに座り話しかける。
「ルゥ、またご飯を食べるのを忘れたんだね」
床の紙から目を話さないルドヴィカにため息をつくアレク。
すぐに側近がパーティー用に準備されている料理の中から手ごろなものを皿にとってアレクに渡す。
その中から一口サイズのマカロンをつまみ上げルドヴィカの口元に持っていくと、最初はうっとおしそうにしていたが、食べ物だと認識するとそのままぱくりと食いついた。もきゅもきゅとマカロンが咀嚼されていく。飲み込んだのを確認して次のマカロンを差し出すと今度はすぐに食いついた。その間も視線と腕は床に張り付いている。5つほど食べたところでルドヴィカは視線を上げた。
「おなか。すいた」
「あぁ、ひと段落したんだね。丁度良いから何か食べてくるといい」
そういってアレクはルドヴィカに手を差し出す。ふわりと立ち上がり、アレクの言うとおり何か食べようとテーブルへ向かう。
が、ずてーん、となにもないところで転んだ。
なぜそこで?
たった数メートル先のテーブルへたどり着くまでに2回も転んだ。
ようやくテーブルにたどりつき、用意されている食べ物から主にお菓子類を選んでパクパク食べていく。
途中、近くにいた生徒が持っていた飲み物を強奪し、別のテーブルのお菓子を食べようと移動する際にまた転び、気にせず立ち上がってまた食べだす。
「ルゥは天性のどじっ子なんだ。三歩歩けば必ず転ぶ。階段なんか、いつも落ちてるからスフィーア家の彼女の部屋は1階にあるはずだよ」
「確かに義姉上の部屋は1階にありますが、そのような理由とは…」
義弟は信じられないといった感じでもきゅもきゅとケーキを頬張る義姉を見る。
「普段は転ばないように世話係が常に付き添って支えているんだけどね。突き落とすというよりは、階段で落ちたのに巻き込まれただけだよ」
あれだけ転んでもほとんど怪我らしい怪我をすることはないというのは運動神経が悪いのか良いのか。
「しかし彼女は魔法や体術の授業のときは転びません。成績は上位のはずです」
騎士の指摘にアレクは頷く。
「今までの話を聞いていたのかな?彼女は一つのことに集中すると周りが見えなくなる性格だからね。魔法を使うとき、戦闘するときはしっかりと動けるよ。でも他の事を考えているときはおろそかになるみたいなんだよね。座学のテストなんかきっと満点か0点かどっちかなんじゃないかな?テストに気がつけばこの学園で出される問題など彼女には簡単すぎるから満点。気がつかなければ解くことをしないから0点」
確かに、と周りにいた教師も同調している。
「兄上はどうしてそこまでルドヴィカに詳しいのですか?」
元・婚約者である自分より詳しくルドヴィカのことを語るアレクにアンリが問う。
逆にアレクは驚いたようにアンリを見た。
「知らなかったのかい?ルゥは学生ながら魔法省所属の最高位魔術師として魔法研究所で研究してるんだ。そして魔法省は王太子である私の管轄。彼女の研究はこの国の防衛と発展の要だから色々様子を見ているんだよ」
「では彼女の出席日数が少ないのも、彼女のすることに関わらないように言われたのも?」
「本来なら学園に通う必要のないルゥへの配慮だね。ここで学ぶ内容程度のことはすでに学んでいる。学園の卒業生であるという箔付けしたいっていう学園長の求めに従って所属しているに過ぎないからね」
宰相の孫の言葉にアレクは何てことないように答えた。