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僕は、夏というものについて考えてみる。海の近くに住む僕にとって夏は特別なものだ。暑くなるにつれて交通量が増える。十キロの渋滞ができるほどだ。夏以外の季節は、毎日同じような車しか通らないのだけど、夏には埼玉ナンバーなどが多い。けれど、観光客が増えると僕は何だか寂しい気持ちになった。どうしてかというと、海が観光客に借りられてしまっていて僕の手元にないような感じがするからだ。もちろん、海が僕のものというわけではないけれど普段の海とは違う雰囲気になるのがなんとなく切なかった。

はっきりと目を覚ましたのは昼前だった。開け放した窓から海風が強く吹きこんでいた。かなりの汗をかいていたので、Tシャツを着替える。頭がぼんやりとするのは、飲みなれないビールを飲んだからだろうか。たとえ一缶だけでも飲みなれないアルコールはきつい。リビングに降りると、家には誰もいなくてやけにがらんとしていた。母も父も仕事に出かけているのだ。母は、近所の保育所で働いていて、父は隣の市の役所で働いている。決して裕福とは言えないけれど安定していると僕は思う。僕から見ても両親に不満はないし、尊敬もしている。ただ、僕はそうなりたくない。僕はもっといろいろなところを旅したい。一人っ子としてそれがどこまで許されるかはわからないけれど、安定だけを求めるよりも自分の限界を見るような旅をしたい。来年になれば進路を決めなければいけない。でも、そんなことなるようになる。そのときの気分で決めればいい。それが人生だ!

冷蔵庫からコーラを取り出し、むりやりに一気飲みをする。

 冷蔵庫の中にある缶ビールを見て石橋愛に、もう一度会いたいと思った。これが、夏休みじゃなかったら毎日のように会えるのに。

 コーラを飲み干す。

 とにかく、夜まで待とう。また、流星群を見にいくことだ。きっと彼女も同じことを思っている。


 僕は、それまでの時間を図書館で過ごすことにした。公民館のなかにある小さな図書館だが、小さいころから通っているせいかどの図書館よりも使い勝手が良かった。

「今日も勉強?」と受付のおばさんは聞いた。

「勉強というか……暇つぶしです。本を読むだけですから」

「それでもえらいじゃない。本は読んだ分だけ成長するものだから」

僕は、お辞儀をしていつもの窓際の席へ荷物を置いた。何を読もうかと考える。小説という気分でもない。伝記、実用書。おもしろそうな本を探しまわる。ふと、昨日の流星群のことを調べてみたいと思いついた。天体についての本は、一番隅にあるはずだ。僕は、そのなかからわかりやすそうな天体についてのガイドブックをニ冊持っていった。天体についての本を読むのは初めてでなんとなく大人になったような気がした。

 最初に目次からペルセウス流星群に関するページを確認して順番に読んでいく。初めに読んだ本には、流星群の時期とどの方角から流れるのかということが説明されていた。ペルセウス座は北東方向に現われるが、実際には全方向に流れるということが分かった。そして、二冊目には似たような情報とともにペルセウス流星群に関する神話が紹介されていた。

それによると、ペルセウスは大神ゼウスとアルゴスの王の娘ダナエとの間に生まれた子だったそうだ。アルゴスの王アクリシオスは「自分の娘に産んだ子に殺される」という神託を受けてダナエを部屋に閉じ込めたが、ゼウスは黄金の雨になって部屋に忍びこみ、ペルセウスが生まれたらしい。しかし、アクリシオスがダナエとペルセウスを海に流してしまった。やがて、セリフォスという島に漂流した二人はしばし平穏に暮らせたが、島の王ポリデクテスがダナエに惚れこんでしまい、なんとかペルセウスからダナエを奪おうとしてペルセウスに怪物メデューサを退治してくるように命じた。見事にメデューサを退治したペルセルクはメデューサの血しぶきから生まれたペガサスの背に乗って帰路につく。帰路の途中で生贄にされていたアンドロメダを化けくじらから救い出し、アンドロメダと結婚した。セリフォス島に帰ったペルセウスは、ダナエに強引に迫るポリデクテスを殺してしまった。その後故郷に戻ったが、アクリシオスは再び神託を恐れて国外へ逃亡する。最終的に、円盤投げの競技会に出場したペルセウスが誤って観客席に投げた円盤がアクリシオスに当たってしまい「自分の娘の産んだ子に殺される」という神託が果たされる。

僕は、ついこの前「オイディプス王」を読んだばかりだったのでそれとの類似点について考えていた。そして、なんで親や血の繋がっている者を殺させるような神託を授からなければいけないのかがどうしてもわからなかった。それが何かしらのステップになっているのだろうか。

僕は本を閉じて、目をつむる。ひどく眠たくなってきた。瞼が段々と降りてくる。


高校の教室にいる。僕は机の上に両手を置いて、その間の空間をじっと見つめている。廊下から足音が聞こえてくる。石橋愛の足音だ。僕にはわかる。その足音は教室の手前でぴたっと止まり、教室のなかに入ってくる。

「何をしてるの? こんなところで」

僕は答えない。時間が止まったかのように沈黙が訪れる。

「ねえ、答えてくれないとわからない。早くして。私には時間がないのよ」

僕は、答えられない。何かが僕の邪魔をしている。

 気がついたときには、僕たちはまた夜の海にいた。

これは夢だ、と直感する。

僕の足元に波が触れている感覚がする。けれど、海水が冷たいのか温かいのかがよくわからない。

「早くして」と石橋愛は言う。

「わからないんだ」と僕はやっと声を出せるようになる。

 次の瞬間、波が一気に顔まで達してしまう。僕はそれをおだやかに受け入れる。


 体がびくっと動き、目を覚ます。時計を確認する。四時三五分。一時間ほど居眠りをしてしまったみたいだ。冷房の直接当たるところにいたので頭が重い。

受付のおばさんがカーテンを閉めに窓際までやってきた。

「ずいぶん疲れているみたいね。勉強のしすぎじゃない。たまには休むことも大切よ。これ、あげるから」

そう言って飴玉を机の上に置いていった。


 その日の夜も同じ時間帯に海へと歩いていった。今度は、缶ビールを二つリュックにつめた。親にばれてしまうだろうなと思ったが気にしなかった。そんなことよりも大事なことがある。そういえば、石橋愛がビールを飲むことは高校での態度を見るとあまり信じられなかった。でも、なんで僕は、今、石橋愛に惹かれてしまっているんだ? 高校では、何とも思わなかったはずだ。少なくとも今までは。

 昨日と同じ場所で流星群を観る。今日も雲は出ていない。ピークが近づいているらしく何回も何回も勢いよく星が流れては消えていく。缶ビールを開けて、ひと口だけ飲んでみる。おいしいとは感じないけれど昨日よりはだいぶ飲めるようになっている。少しずつ、少しずつ、ビールを飲んでいく。そして、『TUNAMI』を口ずさむ。曲を全て歌い終わると波音だけが寂しく響き渡った。目をつむる。

 足音が聞こえる。石橋愛だ。今度こそ夢じゃない。

 目を開けると石橋愛が僕の目の前に立っていた。

「待ってたんだ。きっと会えるって」

「そう。でもいつでも会えるじゃない。学校が始まるまで待てないの?」

僕はそのことについて考える。

「いや、今じゃなくちゃだめなんだ。理由はわからないけど、強くそう思う」

彼女は昨日と同じように僕の隣に座ってビールを飲んだ。

「そうかもしれない。私もそんな気がしたからここにきたの」

僕たちはしばらく暗い海のほうを見つめていた。

「ねえ、啓介くん。わたしのこと、どう思う?」

「うん。ずっとこうしていたいと思う」

僕は、教室にいるときと今の石橋愛の違いに今気がついた。僕が感じていた壁が全くない。触れようと思えば簡単に心の奥に触れることができる。僕は、彼女の頬に手を触れる。彼女の頬に涙が伝った。その涙の跡に、キスをする。頬の弾力と涙のしょっぱさを唇に感じる。涙は次から次へと流れてくる。彼女のなかで何かが壊れてしまったように。僕は彼女を抱きしめて、彼女は僕に身を任せるように力を抜いた。石橋愛を好きだと強く感じる。それは、もう自分が自分ではなくなってしまうようだった。肉体的なだけではなく、意識の上でも石橋愛とひとつになっていた。それは水中にいるような感覚だ。包まれている、と言うことができるかもしれない。とにかく、僕たちはひとつになった。

「君のことなんて呼べばいいんだろう」と僕は言った。

「今さらのことだよね」と彼女は軽く笑いながら言った。「なんでもいいよ。名字でも名前でも」

「愛さん、でいいかな」

「なんで『さん』づけなの? まあいいかな。なんでもいいって言ったのはこっちだし」

 僕たちは、サーフィンロードで分かれた。

僕の体にはまだ彼女との余韻が残っていた。


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