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僕は、ぺルセウス流星群を観察するために夜の海にいこうと思った。毎年見にいっているわけではじゃない。たまたま夕食を食べているときにテレビのニュースで見ただけだ。まだピークを迎えないらしいけれど、衝動を止めることができなかった。

「母さん、ちょっと海に行ってくるよ。流星群をみてくる」

母は、半分飽きれた顔をして了解をした。僕が思いつきで行動することをわかっているのだ。そして、言いだしたら聞かないということも知っている。

二階の僕の部屋からリュックを持ってくる。部屋の海に向いた出窓から空の具合を確認する。月がくっきりと出ているきれいな夜空だった。窓から顔を出せば、波音が聞こえる。家から海までは歩いて一〇分くらいだ。距離にしたら一五〇〇mくらいだから、僕の部屋にもかすかな波音が届く。海は見えないけれど、海がそこにあるという雰囲気は感じられる。一度電気を消して流れ星が見えるかを試してみる。三分くらい夜空を見上げてみたが、流れ星を見ることはできなかった。ここでも都会に比べたらかなり暗い方だけど、夜の海とは暗さが違う。外灯も何もない夜の海は特別なものなのだ。僕は、落ち込んだときには夜の海に行った。何をするわけでもなくただ立っているだけで、気持ちが楽になってくる。目をつむり、波音に耳をすませると世界に包まれているような気がするのだ。

「やっぱり海しかない」と僕はひとりごとを言う。

机の引き出しから小さいビニールシートを出してリュックに入れる。そして一階の台所に行って親にばれないようにこっそりと缶ビールを一本、戸棚から取り出した。親は、ニュースを見ながらウトウトとしている。


 静かに玄関を出ると、昼間の暑さが嘘のような涼しさだった。多分、海風のせいだろうなと思う。ナイキのTシャツに高校のハーフパンツでは、少し肌寒いかもしれないと思ったけれど迷った末にそのまま海に向かった。もう一度、家に入ったらこの胸の高鳴りが止んでしまうかもしれない。

 ところどころ外灯が消えかかっている細い道を夜空を見上げながら、歩いていく。車は全く通らない。ほとんど農道のような道だ。家もほとんどない。ビニールハウスと田んぼと僕がいるだけだ。ただ一本だけ海岸通りの道路が大きい。通称「サーフィンロード」と呼ばれている。もう少し南に行けば、海を見ながらドライブができる。

 その「サーフィンロード」を渡るとすぐに何軒かの海の家と大きな駐車場があり、そして海が広がる。駐車場には、常に満車の昼とは違って数台しか車はなかった。多分、ロマンチックなカップルたちだろう。僕は、メインの砂浜を避けてできるだけ端のほうの砂浜に向かう。目が慣れるまでに時間がかかり、何度か砂浜の盛り上がりにつまずいてしまう。


 ここでいいだろうというところでビニールシートを敷いて大の字に寝転がる。やはり海風が少し肌寒い。僕は、とりあえず夜空をただただ見つめる。

 流れ星は見事なほどに何回も何回も夜空を駆け抜けた。流れ星にもいろいろな種類のものがあるんだなと思った。それぞれがばらばらの意思を持っているはずなのに(流れ星に意思があるのかはわからないけれど)それをひとくくりに《ペルセウス流星群》というのはどうなのだろう。僕たち人間もそういうのが嫌だから個々に名前を付けるし、犬に「タロウ」とか、猫に「タマ」とか名付けなきゃいけない。そして、僕自身のことについて考えた。僕は、「青山啓介」という名前だけどそれは自分を認識してくれる人だけが必要とする名前で、もしくは自分が僕を見失わないためのものだ。外国のひとから僕を見れば「日本人」だし、ライオンから見れば「人間」だ。宇宙人から見たら「地球人」だ。そういう中で僕は存在している。こんなことは当たり前だ。

 僕は、缶ビールを持ってきたのを思い出した。リュックのなかから汗をかいた缶を取り出す。よく冷えている。ビールが特に好きなわけではないし強くもないけれど、なんとなくビールを飲みたい気分だった。高校生の夏にはビールが似合う、そう思っただけだ。プルタブを強く開けて、思い切ってビールを飲む。やはり少し苦いと思い、顔が引きつる。胃の当たりがじんわりと熱くなってくる。

 そして、また寝転がり夜空を見る。

 頭がぼんやりとしてくるのを感じる。アルコールが回ってきたのか、気分がよくなってくる。夜空を見上げながらサザンオールスターズの「TUNAMI」を口ずさむ。声は、波音と暗闇が吸収しているのか僕自身の声ではないように聞こえる。

 途中から本当に僕の声とは別の声が聞こえてきた。

 僕は歌うのをやめて体を起こす。その誰かは、まだ「TUNAMI」を歌っている。

 後ろを振り向く。

「誰?」

恐る恐る声を出す。月に照らされたシルエットが徐々に近づいてくる。

石橋愛? 同じクラスの? 

 僕はどうしていいかわからなくなった。まず、ひとりで海に来て歌っていることを見られた恥ずかしさがあった。それと、なんで石橋愛がここにいるのかということも全くわからなかった。同じ町に住んでいるのは知っていたけど家から海は遠いはずだった。なぜこんな夜に一人で海にいるのだろう。

彼女は水玉のワンピースを着ていた。普段、高校で見るよりもずいぶんと大人びて見えた。それは、夜だからということも関係しているのかもしれない。僕は、石橋愛のことが正直言えば苦手だった。どことなく人を寄せ付けないような雰囲気を出している。教室でもどちらかと言えば一人でいることが多いと思う。かといって、いじめの対象になったりはしなかった。しかも、男子からの人気が高く、僕の友達が何人も告白したらしい。ただ、聞くところによると「まだ君のこと、よく知らないから」とかうまくかわされてしまうみたいだ。つまり、つかず離れずうまく過ごしているタイプだ。だからこそ、僕はそんな彼女に何かしらの壁みたいなものを感じていた。

 彼女は僕の左隣に腰を下ろす。

 缶ビールを手にとり、ひと口だけ上品に飲む。僕は、ビールをこんなに上品に飲めるものだと知らなかった。唇の右上にほくろがある。きれいなほくろだ。ふと、その缶ビールは僕が飲んだものだということを思い出し、急に恥ずかしくなった。

「こんなところで何してるの? 青山啓介くん」

彼女は僕の目を見つめて気だるそうにそう言った。

「流星群が来るっていうから……」

僕ははっきり話すことができない。

「そう。じゃあわたしといっしょだ。わたし、星とか見るのが好きでね。今日は、よく見えそうだなってときは必ず海に来るの。家からはちょっと遠いけど、でも、自転車で二〇分くらいだしね。高校に通うのと同じくらいだから。啓介くんもここによく来るの?」

「僕は、たまたまだよ」

「へぇ」と彼女は短い相槌を打った。僕は、何を話せばいいのかわからなくなった。今度は寝転がらずに首を傾けて夜空を見る。でも、それは流れ星を探しているふりをしているだけで、本当は話題を探していた。

 波の音だけが響く。

「でも―」石橋愛が言う。「でも、啓介くんって歌うまいんだね。なかなか感動したよ。『TUNAMI』。特に夜の海にはよく似合ってた。なんていうか、誰かに向けて歌っているような気がしたんだけど」

「誰かに向かって? そんなことないよ。ビールを飲んで気持ちよくなったから口ずさんだだけなんだ。石橋さんこそ、本当にうまいと思ったよ」

彼女は、何も言わなかった。何も語るべきことはないというように、じっと真っ暗な海を見つめている。

また、波の音だけが響く。

 僕は、石橋愛が口をつけた缶ビールを飲んだ。今度は思い切って。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。僕は、腕時計も携帯電話も持ってきていないことに気がついた。だから、時間の感覚が夜に吸い取られていってしまうようだった。ほんの五分だとも三時間とも感じる。僕と石橋愛は寝転んで、流星群をみていた。何を話すわけでもなかったけれど、飽きることはない。途中で、本当にこれが現実かどうかもよくわからなくなってきた。もしかしたら夢かもしれない。もしかしたら、その狭間かもしれない。缶ビールも空になってしまった。珍しくまだ飲みたいと思う。さっきまでの肌寒さがなくなっている。


 目を覚ましたとき、石橋愛はもういなかった。まだ空と海は暗い。僕は、冷たい海風に身震いをする。夢を見ていたのだろうか。それが夢だという証拠はない。けれど、それが夢じゃないという証拠もない。

ふと、周辺を見渡したときにさっきまでとは違う空間にいるような気がしてきた。この暗闇や夜の海は僕を受け入れていない。何かが僕をここから追い出そうとしている。そう思った。急に不安になる。月も星ももう意識の外にあった。僕は、ビニールシートの砂を掃いグシャグシャのまま、リュックに詰め込んだ。立ち去ろうと足を踏み出したときに、ビールの空き缶があったことを思い出ス。一瞬迷うが、それを無造作に掴んで砂浜を全速力で駆け抜けて「サーフィンロード」に出た。少しだけほっとして、走るのをやめる。異様に明るいコンビニには、大型のトラックが二台停まっているだけだった。空き缶をコンビニの前のゴミ箱に捨てて家に帰る。


家に帰ると、リビングで父が横になってドラマを観ていた。流行りの純愛もののドラマだ。僕の好きな女優が出演している。小説が原作で、それを先に読んでしまったひとからすると「配役がイメージと違う」そうだ。父がそんなことはわからず、ただやっているから観ているだけだろう。時計は十時三十分だった。この時間なら母はもう寝てしまっているのだろう。僕が家を出たのが七時過ぎだから三時間海岸にいたことになる。そのなかでどれくらい寝てしまったのかはわからなかった。おそらく二時間くらいだと検討をつける。

僕は、風呂に入ってからすぐに自分の部屋に行き、蒲団の中に入った。そして夜の海でのことを思い出す。流星群、ビールの味、海風、石橋愛のこと、ひとりになったときの寂しさ。それはついさっきまで自分がしてきたこととは思えなかった。頭のなかがどんよりと霧がかかっているようだった。眠いのか眠くないのかがよくわからない。多分眠いのだろう。

僕は耳を澄ます。波の音を聞く。

それに反応するように、心臓の鼓動も高鳴る。ぼんやりとしたものに包まれていく。


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