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女病  作者: 彩杉 A
9/19

 自動ドアから入ってきたその女性に見覚えがあった。

 高級ブランドのスーツに何の動物かは分からないが値が張ることは疑いようもない毛皮のコート。足先から頭の先まで贅を尽くした装飾を身に纏っている。この街でこんな格好のできる人はわずかしかいない。そう考えれば推理は簡単だった。

 彼女は整理券を取ることもせず真っ直ぐ私の方に向かって歩いてきた。昼前の今の時間帯は客が少なく並ぶ必要はなかったのだが、彼女は仮にどれだけ列ができていようが、私が他の客に対応していようが関係なく私の前に立とうとしただろう。彼女の歩き方にはそう思わせる上流階級特有の傍若無人なオーラがあった。

「いらっしゃいませ。大野様」

「郁子ちゃん、久しぶりね。千絵がいつもお世話になってます」

 彼女が前に立つと思わず息を殺したくなるようなきつい香水の匂いが漂ってきた。

「私の方こそ千絵さんにはお世話になりっぱなしで。・・・今日はお着物ではないのですか?」

「私、実は着物は好きじゃないのよ。普段はお店があるから仕方なしに着てるだけなの。プライベートはいつも洋服よ」

 シャネルのイヤリング、シャネルのバッグ、シャネルの香水。おそらく化粧品もシャネルだろう。会うたびに私は本当に彼女が千絵の母親なのかといつも疑ってしまう。それは千絵がまるっきり飾り気のない格好をしているからなのだが、そこには装飾を前面に出すこういう母親を持つからという確固たる因果関係があるのかもしれない。しかしそうは言ってもやはりこの母親からあの娘を想像するのは至難の業だった。

「千絵にせっつかれて、口座を開きに来たのよ」

「それはありがとうございます。それではこちらにご記入願います」

 大野百絵。本人の氏名の欄に書かれた文字を見て私は初めて千絵の母親の名前を知った。百絵と千絵。二人は本当に親子なんだなと生々しく実感できる。名前だけを見れば仲の良い親子像を想像してしまう。実際はどうなのか知らないが。

「百と千なんですね」

 私は口にしてから後悔した。百絵はこんなことを今まで何度となく言われ続けてきただろう。小さい頃から世話になっているのに初めて名前を知ったというのも失礼にあたる。

「そうなのよ。千絵って名前、姑が付けたの。表面上は私の名前から一字とったってことになってるけど、実際は私の百よりも大きい千を選んだだけなのよ。嫌味ったらありゃしない」

 言い慣れているのだろう。百絵の台詞は漫才師のネタのようによどみがなかった。しかし本音が篭っているのは間違いない。百絵には百絵の苦労があるということだろう。私はどう返事したものかと曖昧な笑みを浮かべたが、百絵は顔を起こすことなく記入を続けながら言葉を繋いだ。

「でも、私に頼むぐらいなら自分のフィアンセに頼めばいいのにね。宮本さんならいい人だから口座ぐらい二つ返事で開いてくれるでしょうに」

 百絵の言葉に私は愛想笑いを浮かべることさえもできなかった。千絵に婚約者がいる。完全に初耳だった。千絵が結婚する。考えてみたこともないことだ。そんな大事なことを千絵は何故黙っているのか。

「あら。私、変なこと言っちゃって。こちらで口座を開きたくないって意味じゃないのよ。郁子ちゃんが勤めていらっしゃるんだもの。喜んで作らせていただくわ」

「ありがとうございます。・・・あの・・・千絵は婚約してるんですか?」

「あら?郁子ちゃん、千絵から何も聞いてないの?千絵には中学の頃から親公認の婚約者がいるのよ。宮本さんっていって私の遠い親戚のご子息で、お父様は不動産の会社を経営なさっていて・・・」

 途中から百絵の言葉は私の耳に届いてこなくなった。

 中学のときからの婚約者。つまり私はその事実を十年以上知らなかったことになる。そんなことがありえるのだろうか。私は千絵のことなら何でも知っているつもりだった。私たちは双子のように似ていると言われ、何をするにも行動を共にし、私は千絵よりも千絵に詳しいと自負していた。その私が千絵に婚約者がいることを千絵以外の人間から教えられるなんて。

 似たような苦々しい経験を私は思い出さないわけにはいかない。

 あれは大学受験のときだった。もちろん私は千絵が行く大学に進学するつもりで千絵にアンケートを重ねた。千絵は二つ三つ大学名を挙げてはくれたが、学部までは教えてくれなかった。どちらにせよ文系なのだから学部ぐらいは別々でもいいかと思っていた私はそこにはこだわらず願書を出した。いざ、受験というときに千絵は驚くべきことを言い出した。

「私が受けるのは、あの大学の短期大学部だよ」

 福祉の勉強がしたいから。千絵は事も無げにそう言った。同じ名前の大学でも短期大学部はキャンパスが違うところにあり、本校との交流はほとんどなく、別の大学と言っても過言ではない。私は目の前が真っ暗になった。郁子がいるからと公立の高校に進学してくれた千絵はもういない。いつまでも私の傍にいてくれると思っていた千絵はあっさりと私を排除した。私は千絵のいない世界なんて考えてもみなかった。

 結果として私は千絵が合格した短期大学部がある大学に落ち、他の大学に進学することを余儀なくされた。それぞれの人生と言えばそれまでだが、私は勝手に千絵に裏切られた気持ちになっていた。実家から通うと言った千絵に対し、私は一人暮らしを始めた。千絵の通学にかかる時間を私は他の事に使う。千絵より長い大学生活を貪欲に楽しむ。大学進学以降千絵と顔を合わさなかったのは私の意地だった。私は負けず嫌いなのだ。

 百絵は手続きを済ませ、「とりあえずね」と五十万円を入金して帰っていった。私はその背中に頭を下げながら目の奥に重い痛みを感じ全身に悪寒による震えを感じていた。


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