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この部屋に棲みついて四ヶ月が経とうとしている。少しずつ部屋は片付き始めていた。当初は私のすることに何も言わなかった母だが、近頃は、「いい加減に部屋のダンボールを何とかしなさいよ」と注文をつけてきた。さすがに私も色彩のない箱に囲まれる生活に飽きてきて、のそのそとだが過去の遺物を掘り返し始めている。
CDや本、雑誌を棚に整理するだけでもそれなりに空間に色が溢れて格好がつくものだった。衣類をクローゼットや箪笥に仕舞ってしまうと一気にダンボールが片付いていく。大きな鏡を一つ置くだけで空間が華やかになる。少しずつ部屋の雰囲気ができてくると配置やバランスにも凝り出して時間はあっという間に過ぎていった。イメージが膨らむとあれがほしい、これが足りないという欲求まで形成されてくる。
私の集中力を殺ぐように携帯電話が鳴る。圭介からの着信だった。思わず、何よもう、と口が動く。せっかく面白くなり始めていたのだ。私は一つ大きく息を吐いて通話ボタンを押した。
「何してるかなと思ってさ」
「部屋の片付けしてたところよ」
もちろん私は不機嫌な声など出さない。私が機嫌悪く応対すれば圭介も気分を害し、結果として圭介のつまらなさそうな態度に私の不快指数が上がってしまうことになるだけだ。
「出てこれる?映画でも観ない?」
二週間前に会ったばかりなのにと首を捻りながら私は部屋の中に時刻を求めた。壁に、ベッドの上に、天井に。どこにも時刻は転がっていない。目覚ましには携帯電話を使っている。携帯電話は今私の耳元から離れられない。私は思い出したように腕時計に目をやった。三時を少し回ったところだ。
「いいわ。あの公園で拾ってくれる?」
電話を切ると私はいつものように下着を取り替えた。どんな壁時計を買おうかと考えながら。
圭介の電話でまた一つ部屋に足りないものが見つかった。そう思えば心のざらついた感触もあっという間に滑らかになっていく。
季節は冬を迎えていた。秋から冬への変化は一足飛びだ。日に日に空は低くなり、息は白くなり、私は嬉しくなる。
私は四季の中で冬が一番好きだ。春や秋は今ひとつ気合が入らない。そして暑い日差しの下に涼を求めるのと、凍てつく寒さに暖を得るのとでは、私は断然後者の方を選ぶ。寒いのが好きなのではない。ぬくぬくできるのが幸せなのだ。
私は初冬の風に首をすくめ薄手のコートのポケットに手を突っ込みブーツの踵を鳴らして歩く。数時間後に訪れる圭介の腕の中での至福を思い描きながら。
どうして男の身体はあんなに温かいのだろうか。ベッドの中で背後から抱き締められると必ず私は眠りに落ちてしまう。ごつごつした腕の力強さと背中から伝わる肌の深い弾力感が私を穏やかな気分に誘うのだ。死ぬときは男の腕の中がいいと私は真剣に思う。それが世界一幸せな息の引き取り方に違いない。あの場所でなら私は間違いなく平和な安息を手に入れられるだろう。
公園に着くと圭介はすでに待っていた。圭介の軽自動車が道路脇でアイドリングしているのを見つけ私は慌てて駆け寄った。ドアを開けて乗り込むと楽園のような暖気に包まれる。圭介は笑顔で私を迎えてくれた。
「早かったのね」
「姫をこんな寒い日に待たせちゃいけないと思ってさ」
これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのだ。私は圭介の首筋に抱きつきたい衝動を必死にこらえてシートベルトを巻きながら圭介の一言を待った。
「よしっ」
車は色彩の乏しい冬の街並みを動き出した。圭介がどことなくごきげんなのは顔を見た瞬間から分かっていた。特に最近圭介は私の前でニコニコしている。仕事が順調なのだろうか。それとも私が帰ってきて遠距離でなくなったのが嬉しいのかもしれない。
車は映画館には向かってはいない。間違いない。この道はいつものホテルへの道だ。だからと言って私は圭介を茶化すような真似はしない。圭介が何よりもまず私の身体を求めているということはありがたいことだ。だから私も圭介の身体を全身全霊で受け入れることができる。
私は圭介のこの車が好きだった。ペンキ臭い会社のバンよりも百万倍圭介には似合っている。広すぎない空間も必要最低限の内装も無理の利かないエンジンも素直に圭介と私には丁度いいと思う。音楽が聞けてエアコンが利いて、そして私たちをホテルへ運んでくれる。これ以上他に何を望むことがあるだろうか。
「黒髪も似合うよ」
圭介は真っ直ぐ前を向いたままそう言った。誰かさんにも同じ事を言われたなと私は含み笑いをする。同じ言葉でも主が違えば受ける感情も全然違うものだ。やはり女に飢えている感じの杉田よりも長年私を見てくれている圭介に誉められたい。仮に杉田に恋人がいれば話は別なのだが。
「黒いのが流行ってるの?」
「そうよ。私の中でね」
「なるほど」
まもなくいつものホテルは見えてくる。私たちは数分後にはよどみなく部屋を選び、慣れた足取りで部屋に向かい、ベッドの上で絡み合う。
私はそっと胸に手を置いた。千絵に似合うものは全て私にも似合うのだ。このネックレスを見たら圭介はきっと誉めてくれるだろう。そして私の身体と同じようにネックレスも圭介の愛撫を待っている。圭介の手と吐息によってシルバーに熱が伝わっていくのを感じたい。そう思うだけで私は早く服を脱ぎたくてうずうずしてくるのだった。