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女病  作者: 彩杉 A
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 月末はどうしても仕事がたまってしまう。月末にしかできないのに月内に処理してしまわなければならないものが多いのだから仕方がない。この不況で当然のことながら残業手当が十分に出るわけでもなく、どうせ何時間残業しても同じなのだから上司に気兼ねせずゆっくりやればいいと終業時刻が過ぎる頃には私のやる気は半減する。明後日が締めという今日も私はだらだらと職場に居残っていた。

「雰囲気変わったね」

 脇に立った人の気配に私はパソコンの画面から目を放した。採用面接以来ほとんど言葉を交わしたことのなかった杉田がいつの間にかそこに立っていて紙コップのコーヒーを差し出してくれる。その仕草が実にさりげなくて甘いような苦いような気持ちになる。

 杉田は背が高く顔も良い。女性への気配りもスマートにこなす。そんな杉田にこんなことをされると嬉しいようでその後ろに何があるのかと構えてしまう。

「そうですか?」

 私はコーヒーを受け取ってとぼけて見せた。

大したことはない。ウエーブのかかった茶色い髪にストレートパーマを当て、色も黒く染め直し、バレッタで一つに束ねた。たったそれだけのことだ。

 辺りを見渡せばフロアには私と杉田以外にもう一人中年の職員がいるだけだった。

「彼女、雰囲気変わりましたよね」

 杉田はその中年の職員に大きな声で問いかけた。声を掛けられたその男性職員は書類の山から顔を起こしたが曖昧な返事を残して再び仕事の山に埋もれていった。声の響きにぞんざいなものがある。雑談に付き合っているほど暇ではないようだった。

 邪魔する者がいなくなったと思ったのか杉田は近くの椅子を引き寄せ馴れ馴れしく私の傍らに腰を下ろした。

「ねぇ、仕事慣れた?」

「はい。みなさんによくしていただいているので大分慣れました」

「えー。みなさんって誰?俺以外にもそんな人いるの?嫉妬しちゃうなぁ」

「・・・」

「黒い髪、いいじゃん。ピアスをやめたのも個人的には好きだなぁ。どういう心境の変化かは知らないけど俺はいいと思うよぉ」

「・・・」

 二度不自然な沈黙が流れたが、私は取り合うことをせずひたすら熱いコーヒーを飲み続けた。

 杉田は二年前に離婚をして今は独身だ。離婚の原因は杉田の女癖の悪さで、最近この会社を二人の女性職員が辞めているが、このことにも杉田が関係していると専らの噂だ。杉田の前妻は上層部の役員の娘で、彼女と離婚してしまったことにより杉田には出世の見込みがないらしい。

 こういう情報は知りたくなくても耳に入ってきてしまうのが田舎の特性だ。千絵からのセクハラ情報も正確だったということになる。この特性を私はしばしば疎ましいと思うことがあったが今回は良い方に働いたと言えた。

 杉田は私を口説こうとしている。そのことは私の首筋や膝の辺りを刺す彼の視線に如実に現れていて、女の経験上、今、私がどう振舞うかでこれからの私と杉田の関係は決まってしまうことも分かっていた。そして私は杉田を心理的に遠ざけることを即座に選んでいた。

 幾らマスクが甘く言葉が巧みでも、妻に捨てられ社内の女性社員からも愛想をつかされている男に私は価値を見出せなかった。私は誰かの男に興味はあっても、誰のものでもない男に心が動いた試しはない。そんな男にどれだけ執拗に愛撫されても私の女の器は満たされることはないのだ。

「残業大変だよね」

 敵もなかなかのものだと私は思った。ここで、「はい、大変です」と答えれば杉田は手伝うよと言ってくることになる。逆に、「もう終わりますからと」返せば、「じゃあ一緒に帰ろうよ、ごはんでも」という話になってしまう。ここまで社内一の色男に揺さぶりを掛けられると私も悪い気はしないが、それでも私は杉田に一瞬の隙も与えない。

「この仕事が好きですから」

 私はそう言いのけて再びパソコンに目を戻した。

 嘘と分かっていてもここまではっきり言い切られればたとえ杉田でも言葉が見当たらないだろう。私の予想通り杉田は、「あんまり頑張り過ぎないようにね」と愛想笑いにも見えない冴えない顔になって頭を掻きながら自分の机へと去っていった。

 私は軽く伸びをして肩や首を回した。制服の下で微かにネックレスが揺れるのが分かる。足を棒にして隣町の駅ビルで漸く見つけたシルバーアクセサリーだ。思わず頬が緩みそうになる。私はとても満足していた。


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