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青い鳥ははじめからいました  作者: 林はるる


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後編 キャサリンの都落ち

 

 ジェフと結婚したローラは、二人の子に恵まれて幸せだった。


 結婚前後はしばらく休んでいたが、ジェフが元々貯めていた財産と、ローラの財産を合わせて事業を興していた。毎季かなりの収入があったが、結婚時のローラの家のどたばたがジェフにはこたえたらしく、警備が厳重な高級マンションに住んでいるため、家賃を払うのがかなりたいへんだ。もっと安い所に住もうと何度か提案したが、「俺がその分稼ぐから」とジェフが言い張って、かたくなに住み続けていた。


 確かに安全な場所に住んでいると、それだけで心労がなくなるので、ジェフの気持ちもわかるローラだった。


 そしてそんなローラの前に、なぜか今日、キャサリンが座っているのであった。


 ローラは子育てサークルで知り合った婦人を、家に招いていた。その婦人が連れてきたのだ。


「ローラさんにどうしても会いたいっていう女性がいて。お話しを伺ったら、なんと生き別れの妹さんなんですって。もうわたし話を聞いて、泣けて、泣けて。可哀想だから連れてきちゃった」


 マンションの厳重な警備も形無しである。


 ローラは今でもキャサリンのことは、手のかかる妹としか見ていないので、驚きはしたが招き入れて、話を聞くことにした。


 キャサリンはレンス男爵の元で、学校に通っていたが、無理矢理結婚させられそうになり、隙を見て逃げ出してきていた。そしてあちらこちらを訪ね歩き、ローラを探し当てたのだ。キャサリンは相変わらず、人に取り入るための嘘が上手かった。



 キャサリンは妙におどおどした様子で、それでいてローラのことを見下すような目で見てきた。そして応接間に招かれると、まるで物色するような目で辺りを見回した。


 応接間は台所や食堂と続き間のワンフロアで、かなり大型のバルコニーがあり、この季節は中庭の鳥の鳴き声が、やかましいほど響いてきた。

 招かれた婦人はそれに負けないほどの声量で、おしゃべりをしていて、ローラはあいまいにうなずいていた。


「ねえ、ちょっと。ミルクも砂糖もないんだけど」


 突然キャサリンが言った。今日用意したお茶は外国産のあっさりとしたもので、味を殺さないようミルクは用意していなかった。砂糖も合わないと思いはちみつだけ用意したのだ。だがミルクも砂糖もたっぷりいれるキャサリンは、戸惑ったようだ。今までのローラなら、キャサリンのために、言われなくても用意していたからだ。


 その時、ローラの耳に小さな泣き声が聞こえた。だから隣の部屋に行ったのだ。使用人にまかせて。キャサリンはあてがはずれたように、ローラを見ていた。そしてローラが赤子を手に戻ってきたのを、困惑した顔で見ていた。ローラはまた婦人に適当に相づちをうちだした。


「あのさあ、わたし困ってるんだよね」


 話の流れを読まず、突然キャサリンがそう言った。そのためローラは今まで通り、こう言おうとした。


『どうしたの? キャサリン。困ったことがあったらなんでも言って』


 それはもう習慣のようなものだった。

 だが腕の中の赤子が、目を覚ましたのだ。ローラに気づくと嬉しそうな笑みを浮かべた。そして不器用なのびをしたのだ。ローラはつられて満面の笑みを浮かべた。キャサリンはぽかんした、不思議そうな顔でローラを見ていた。


「ねえ、お菓子ってこれだけなの?」


 使用人がすっと寄ってきて、キャサリンの横についた。だがキャサリンは傍若無人に、ローラに話しかけ続けた。


 ローラの家ではお茶うけに、小さくて固いビスケットのようなものを出すことが多い。来客が多くてお客の好みに合わせるのは大変なので、その線で固めているのだ。だがキャサリンは柔らかい口当たりのパウンドケーキのような大きなものを好んだ。そのことを使用人に伝えようとしたが、赤ん坊がねだったので母乳を与えるのを優先した。


 ローラは中途半端な姿勢で、母乳をあげながら客の話に相づちをうった。その姿をキャサリンは、恐ろしげな物を見るような目で見てきた。


「あのさあ、いい加減に人の話聞いてよ」


 キャサリンはたまりかねて、少し声を荒げた。するとローラの娘のアリシアが、横から不思議そうにのぞきこんだ。


「だあれ?」


 ぎょっとしたキャサリンは、アリシアを驚かせないように声を小さくした。


「こんなに大きな子がいるの?」


「そういえば紹介してなかったわね。長女のアリシアよ。こっちは長男のフレデリック」


 ローラは二歳のアリシアと生後七ヶ月のフレデリックを紹介した。

 その後もキャサリンがなにか話し出そうとするたびに、子どもたちがなにかを始め、ローラはキャサリンのことが気になったものの、対応を使用人にまかせた。


「キャサリン。うちの子抱っこしてみる?」


 ローラがそういうと、キャサリンは激しく拒否した。


「無理無理無理、絶対無理。私なんかが抱っこしたら怪我させちゃう。私、こういうの向いてない」


 キャサリンは意外に小さな子どもに関しては、用心深い所があるようだ。

 ジェフが帰ってきて、キャサリンの姿を見ると、仰天しすぐに子どもとローラの安全を確保して、ハウス子爵家の人間がついてきていないようだと確認すると、ようやく安心した。

 ジェフはキャサリンのせいでローラが誘拐されたことを、一生忘れられないだろう。


 それにしてもキャサリンの、ローラへの態度はひどいものだったが、ローラの子どもたちには、過敏に遠慮しており、気を遣う場面すらあったのだ。ローラに対しては非常識なほど甘えるキャサリンだが、小さな子は、自分より優先されてしかるべきだという、常識を持っているようだった。


 ジェフが場を整え、キャサリンの話を聞くことになった。


「困っているから助けて欲しいの。私、養父に学校を中退して、お金持ちのおじさんと結婚しろと言われているの。貴族と結婚する宛てもないのなら、学費が無駄だって。イズレイル様ももう負担してくれないし。だから養父から逃げたいの。でもそうすると結局学校をやめないといけない。貴族狙いはやめたけど、それなりに裕福な人と出会うチャンスがなくなっちゃう。だから……、お姉様、学費を払ってくれない?」


 キャサリンはそう言いつつも、どうせ無理だろうと思っているのが、顔に出ていた。だがジェフは、ローラが払ってしまうのではと、はらはらしていた。


「駄目」


 ローラはばっさりと切り捨てた。キャサリンは苦笑いし、ジェフは驚愕の目でローラを見た。


「私はもうジェフと結婚したから、一番大事な人はジェフに変わったの。結婚ってそういうものだと思ってるわ。そしてそれより大事なのは子どもたちよ。だから自分の財産は、ジェフと子どもに使うわ。でもキャサリンも大事な妹に変わりはないわ。手助けならなんでもするわ。だけど学費のような大きな援助はもうできないの。ごめんなさいね」


「うん。わかってた。お姉様がそういう考えの持ち主だって」


 キャサリンは落ち込んでいたが、予想はしていたようだった。


「……イズレイル様はどうしたの?」

「ハウス子爵家の跡継ぎを下ろされたの。だから地位もお金ももうないの」


「まさか、キャサリンの件で?」

「子爵様によると、レンス男爵に財産を巻き上げられていたのが、決定打なんですって。家をまかせられないって」


「他の方は?」

「商会のアラン様は、仕えていたイズレイル様を諫めるどころか、同調して失脚させたと父親に評価されて、将来がなくなったそうよ。騎士のトーマス様は、さっさとイズレイル様たちと縁を切ったわ」


 キャサリンは悲しそうに言った。


「私に学費を払ってくれるのは、養父だけになってしまったわ。その養父が結婚しろというのなら、諦めるしかないわね。お姉様もそう思っているんでしょう?」


「いいえ。ハウス子爵家の無責任さに腹が立ちすぎて、頭ががんがんと痛むわ」


「あの……、今の話のどこにそんなに怒る点があったの?」


 キャサリンは心底理解できないとばかりに、ローラを見ていた。

 だが隣のジェフは、なんとなくローラが怒っている点が理解できた。なぜならジェフもキャサリンへの苛立ちをのぞくと、ハウス子爵家の無責任さが気になっていたのだ。


 確かにキャサリンは騒動を起こし、イズレイルをたき付けた。だがイズレイルがそれを利用しなければ、スコット一家がばらばらになることはなかった。そしてその責任をとる形で、キャサリンは罰のような生活を送っているが、ハウス子爵家そのものは騒動の責任を取っていない。


 しかもキャサリンがそのことに気がつかず、男爵家で良いように搾取されているのも、気に入らなかった。


「私が気に入らないのは、ハウス子爵家のイズレイル様と、商会のアラン様、騎士のトーマス様の三人は、キャサリンの面倒を見ると言ったのに、見ていない点よ。一度決めたのなら最後まで面倒を見るべきだわ。仮にキャサリンの嘘が原因だから、面倒を見るのをやめるって言うのなら、きちんと親元に返すべきじゃない? 人一人さらったのよ。それにキャサリンの嘘を責めるのなら、鵜呑みにして、なんの罪もない平民の一家を一方的に打ち壊して、離散させた自分たちの罪はどう思っているのかしら?」


 ローラはずっと我慢していた不満を一斉にぶちまけた。


「それにレンス男爵という悪質な人間に、キャサリンを預けるなんて。あなたは学費を出して貰っているって、恩義を感じているみたいだけど、向こうは投資でやっているのよ。イズレイル様からお金を巻き上げ、あなたに恩に着せ、あなたの嫁ぎ先からまた巻き上げる。

 あなたが嘘をついたことを、いつまでもあげつらって、搾取する。最低だわ。ずっとあなただけ責められているけど、他の人は責任なんて誰も取っていないじゃない。確かにあなたの嘘が発端だけど、そんなに人を責めるのなら、己だって顧みなさいよ」


 キャサリンは、温厚な姉が突然、怒り出した姿を見て、ただ茫然とした。頭が真っ白になり、口がきけなかった。


「キャサリン。あなたはどう思っているの?」


 ローラは鬼のような目でキャサリンを睨んだ。


 キャサリンの目からだんだんと涙があふれだした。キャサリンは一応、自分の罪は理解していた。だからなんとなく、誰になにを責められても、全部自分のせいなのだろうと、我慢しなければならないと思っていた。


 だがほんの少し、いや、かなりつらかった。


 だがそれをどう言えば良いのかが、わからなかったのだ。だから周囲に責められるまま大人しくしていたが、ローラに説明されて、わかったのだ。

 確かに自分が悪かったが、すべて自分のせいとは言えないことを。


 そこを姉のローラに説明され、まるで慰めてもらったような気持ちになり、ずっと我慢していた気持ちがあふれ出た。先ほどまでの、自分の心を守るためのつんけんとした態度は鳴りを潜め、ローラに怒られるのではと、びくびくと怯えた様子も落ち着いてきた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 キャサリンは鼻水まで吹き出しながら、ダミ声で、頭を下げて謝った。


「あんなことして、本当にごめんなさい。お姉様を傷つける気はなかったの。ちょっと気を引きたくて。まさか学校で話した噂が、あんなに広まるなんて思わなかったの。私のせいで家がなくなっちゃうし、きっとみんな怒っているだろうと思うと、怖くて家には戻れないし」


 キャサリンは自分を見捨てたと思っていた姉が、自分のために怒ってくれた姿を見て、わんわんと泣き出した。

 ローラはキャサリンが、少し落ち着いた頃合いを見計らって聞いた。


「それでキャサリン。学校にはまだ通いたいの?」


「ううん。それにどうせもう通えないし。でも、おじさんと結婚するの嫌だなあ」


「それなら良い方法があるわ。ねえ、ジェフ」


「そうだな。ローラ」



 ◇◇◇◇◇◇



 ローラもキャサリンも、なにも持っていない平民だ。

 だから、ハウス子爵家に実家を打ち壊されても、キャサリンをさらわれても、なんの抵抗もできなかった。平民にできることといったら、逃げることくらいなのだ。


 だからキャサリンは、スコット氏の手配で、カレ男爵家の領地まで逃げ、そこで働くことになった。カレ男爵領では、ハウス子爵家もレンス男爵家も、権勢を振るうことができないからだ。


 華やかな世界が好きなキャサリンには、都落ちの上、一生田舎から出られないというのは、もう罰のようなものだった。


 田舎ではキャサリンはかなり学がある方だったので、事務仕事にありつけ、それなりの高給を得た。一方生活は今までローラに甘えてきたツケが出て、なにもできず苦労をした。


 キャサリンは世話をしてくれていた男爵に、黙って消えたことに罪悪感を覚えた。


 一方ローラは、ハウス子爵家のイズレイルとの交渉材料として、キャサリンを手に入れた以上、男爵にとってキャサリンはただの投資材料であり、恩を感じる必要はないと思っている。むしろ実の親がいるのに、勝手にイズレイル経由でキャサリンを手に入れ、勝手に嫁に出して金儲けしようとしていた点が許せなかった。


 キャサリンがそういう点には気がつかないのが、もどかしかった。


 キャサリンは目に見える損得しか理解できず、男爵にちょっと優しくされれば、無理矢理結婚させられても仕方がないと考えてしまうのだ。そんな風に今まで搾取され、それに気づかず来てしまったのは、ローラには悔しかった。




 ◇◇◇◇◇◇




 ローラは、姉として娘として、イズレイルとアラン、トーマスに一言言ってやりたい気持ちがあった。だが、キャサリンの件がきっかけで、イズレイルは跡継ぎをはずれたのだ。アランもだ。二人には申し訳ない気持ちのほうが勝った。


 それでもトーマスには、もやもやした。騒ぐだけ騒いだ後、トーマスはさっさと別の女性に乗り換え、キャサリンとのことなど、なかったようにすごしているのだ。


 だから王都の人気カフェで、婚約者を連れたトーマスとぶつかりそうになった時、つい言葉がもれてしまった。


「……お久しぶりです。キャサリンの姉のローラです。妹がお世話になりました」

「なんだ、お前は。あっちに行け」


 婚約者といたトーマスは、やり過ごせば良かったのに、後ろめたさから過敏に反応した。周囲が振り向くほどの大声を出したのだ。


「トーマス……。どなた?」


 トーマスの婚約者は驚いて、ローラを見た。

 トーマスは、キャサリンに騙されたことを思い出し、被害者の自分が婚約者の前で恥をかかされそうになっていることにかっとし、ローラを突き飛ばそうとした。騎士なのに女性に手を上げようとしたのだ。


「失せろ。この物乞いが。まだ金が欲しいのか」


 それはキャサリンに向けてのものだった。トーマスはキャサリンに騙された被害者なのだ。だからその家族も同類でいくら非難してもいいと、その時は思ったのだ。


 結果として、トーマスの婚約は解消された。




「だから説明しました通り、恥ずかしいですが性悪女に騙されてしまったんです。そいつの姉に、ちょっと、乱暴に、対応してしまって……」


 婚約者の父親は困った顔をしていた。


「一連の経緯は聞いたよ。だが君はその女性の面倒を見ると宣言して、彼女の家族から引き離したんだろう。彼女は今、どうしているんだい?」


 トーマスは返事ができなかった。キャサリンがどこにいるか知らなかったからだ。だがそう言えば、無責任に思われてしまう。


「今はちょっと……、あのきちんと調べますので、婚約の解消だけはご勘弁を」


「私も『娘』の父親なんだ。どんな理由であれ、娘と引き離されて、その後の行方もわからないなんて胸が痛む。確かに君は被害者なんだろう。その少女が君を騙したのは事実だ。だが親元に返してやるくらいのことはできたんじゃないのか」


 トーマスはまずいことになったと思っていた。

 目の前の男性は、明らかにキャサリンの父親に共感していて、トーマスがいくら自分の被害を訴えても、聞いてくれそうにないのだ。


 おまけにトーマスがその後キャサリンの行方を調べた所、男爵のところからある日突然行方不明になってしまったのだ。その話を聞いた婚約者の父親は、申し訳なさそうに、だがきっぱりと言った。


「すまないが、君に娘はまかせられない。自分が一度守ると決めた女性に、問題があったからといって、親元にも戻さず放置するなんて。私の娘にも同じことをするのではないかと、心配になる」


「特殊な状況です。相手の女が性悪女だったのですから。俺は騙されたんですよ」


「それは気の毒に思う。だがその少女はまだ十四歳だったのだろう。その子はその後どうなったんだ?」


 トーマスは退散した。


 どいつもこいつも、どうでもいいことにこだわりやがって。そう腹を立てた。だがまだ在学中だ。次の女性を見つければいい。そう思ったが、別の女性に声をかけた所、やはりその父親から同じ質問があったのだ。


「キャサリンという少女はどうなってしまったんだ?」と。


 その時にはキャサリンの行方不明は学校で、ちょっと話題になっていた。


 その場しのぎで感情の赴くまま行動していたトーマスは、そういう人物だと評価されてしまったのだ。




◇◇◇◇◇◇




 田舎にこもったキャサリンは生活が落ち着いてくると、まわりを見る余裕がでてきた。


 毎日が退屈で、面白みに欠け、人間関係もキャサリンが辟易するほど保守的だった。


 そしてその内、勤務先の領主館の目の前にある教会に併設された、孤児院があるのに気がついたのだ。中には、だぼだぼのシャツを着た、小汚い子どもたちが預けられていたのだ。


「なにあれ、汚い」


 子どもたちは裸足で、頭にはシラミがわいていた。入浴の習慣がないのだ。


 ぞっとしたキャサリンはそこを避けて歩いた。子どもたちを目に入れたくなかったのだ。だが避けて通るには街中の橋を一本ずらして通らねばならず、不便だった。子どもたちのせいでキャサリンは、自分に迷惑がかかっていると感じた。


 だから日頃から、子どもたちに対して、腹を立てていたのだ。その感覚は毎日続き、だんだんはっきりとストレスとして現れてきた。


 そしてある時、キャサリンは見たのだ。子どもの一人が、通りすがりの大人から、いわれもなく殴られるのを。


 キャサリンは今までため込んだ怒りが爆発し、領主館を衝動的に飛び出し、殴られた子どもの胸ぐらをつかんで怒鳴ったのだ。


「あれぐらいの攻撃、よけなさいよ。ちゃんと清潔にしないから、馬鹿にされるのよ。髪なんて井戸でも、川でも、どこでも洗えるでしょう」


 そう怒鳴られた子どもは、ただ困ったような顔をした。怒鳴られ慣れているのだ。ぽかんとキャサリンを見上げている。


「髪の洗い方、知らないの?」


 子どもはこくんとうなずいた。

 キャサリンはますます腹が立ち、子どもたちを孤児院の裏手にある水路の所につれていき、シラミ用のくしを取り出して、全員に髪の洗い方を教え始めたのだ。




 キャサリンは、スコット家に引き取られる前は、世話をしてくれない実母と暮らしていたため、身だしなみなどは、見よう見まねで覚えたのだ。


 だから観察すればわかる髪の洗い方を、覚えていない愚鈍な子どもたちに、いらいらして仕方がなかった。


 大人は子どもの前では、残酷なほど暴力的なのに、不用心な子どもを見ると、腹が立って仕方がなかった。


 キャサリンは次の日も、その次の日もいらいらしていた。


 そしてとうとう我慢ができず、休みの日に孤児院に顔を出したのだ。


 孤児たちを世話している地元の人々には、洗髪騒動の時に顔を覚えられていた。孤児院は寄付が足りず、そうなると節約をする。そうすればその分手間がかかり、だが人手もなく、結局、孤児たちを放置するしかなかった。


 キャサリンは苦手な分野を懸命に考え、必死に働き、ローラにしてもらった通り、生活を整え、最低限の教育を施した。そしてその費用は、それほど多くない自分の給料から出した。


 キャサリンにとって孤児たちが、なんの関係もない存在なら、「可哀想」と「同情」しただろう。だが関係ないので、少しの寄付はしても、生活を傾けるほどのことはしなかっただろう。


 だがキャサリンには、孤児たちは、ローラがいなかった頃の昔の自分に見えた。だからなにもしないでいるように見えるのが、ぐずぐずしているようで腹が立って仕方がなかった。口が裂けても「可哀想」なんて言葉を使いたくなかったし、「同情」なんて死んでもされたくなかった。


 孤児院の現状にむかついたキャサリンは、ローラに手紙でそのことを伝えた。



◇◇◇◇◇◇



「あらあら。キャサリンったら、孤児院を改革しているみたい。あの子、子どもが嫌いだって言っていたのに、大丈夫かしら」

「へえ、かなり本格的だな。我が家からも少し支援しようか」


「いいの? ジェフ」

「キャサリンの気持ちが少しわかるから」


 ジェフの家は大きな商会で、両親と祖父母、叔父叔母、従兄弟など、たくさんの親族と暮らしていた。ジェフは七人兄弟の五番目で、家族の中では透明人間だった。ジェフが一生懸命両親にアピールしても、忘れられてしまうのだ。


 他の兄弟と名前を間違えられることはしょっちゅう、食事の時間にいなくても気づかれない。がんばって学校で良い成績を取っても、良い商談を取り付けても、なぜかそれは別の兄弟の手柄になってしまう。


 家族に悪意があるならましだった。だが家族はただ単に、人数が多くて、仕事が忙しいから、「うっかり」忘れてしまうだけなのだ。幼なじみのローラだけは、ジェフのことを見分け、一人の人間として大切にしてくれたのだ。


 その時にジェフは、ローラに『見つけてもらった』という感覚を味わった。そしてキャサリンが引き取られた時、キャサリンもまた、ローラに『見つけてもらった』という顔をしていた。だからジェフは、子どもっぽいが、なんとなくキャサリンが気に入らなかった。ローラを取られてしまったような気がしたのだ。


 だが同時に、世の中にはローラのように愛情豊かで、それを惜しみなく人に注ぐ人間を、どれだけの人が求めているかも、なんとなくわかってしまうのだ。キャサリンは孤児院で、昔の自分を見つけたらしい。同じように放置されていたジェフは、その気持ちがわかり、キャサリンを手伝うことにした。


 キャサリンもジェフも、もうローラと出会った後なのだ。愛情の渡し方は知っていた。



◇◇◇◇◇◇



「新しくいらしたキャサリンさん。子どもの面倒をみるのが上手ね」

「髪をまめに結ってやったり、身だしなみを整えてやったり、行き届いた躾をするのよね。勉強も教えてあげるから、孤児院からの就職先が良くなったらしいわ」


 キャサリンは孤児が着ているシャツにつける、小さなリボンやボタンを手に入れるのに、四苦八苦していた。今は、子どもたちのシャツは共同で着ていて、誰の物というわけではない。だがキャサリンは孤児たちに、自分だけの持ち物というのを持って欲しかった。


 キャサリンは初めてローラに会った時、可愛く髪を結ってもらい、レースリボンをつけてもらった感動を、今でも覚えていた。嬉しくて、嬉しくて、でもそのレースリボンを返さないといけないと思うと、どうやったら盗めるのか、どんな嘘をつけば返さなくて済むのか、その日一日、そればっかりを考えていたのだ。


 だがその日の終わりに、ローラはそのレースリボンを、キャサリンのために用意した小物入れに、入れてくれたのだ。


 キャサリンはその時、誰かが自分のためだけに用意してくれた物が、こんなにも嬉しく、自分がまるで一人の人間だと、認められたような気持ちにさせてくれるのだと知った。


 だから孤児院の子どもたちにも、その子だけの物を用意したかったのだ。


 そんな時、ローラとジェフから荷物が届いた。お金の他に、子ども向けの衣類や、下着などの日用品。食糧や教材などが入っていた。その中に、ローラが預かってくれていた、キャサリンの宝物入れが入っていた。ローラからもらったリボンやレース、飾りボタンなどを大切に取っていたのだ。


 キャサリンはためらいなく、大切なレースリボンにハサミをいれ、それを子どもたちのシャツに様々な形でつけていった。これで着回ししているぶかぶかのシャツが、誰の物かすぐにわかるようになった。子どもたちは大騒ぎをし、自分だけの飾り自慢を始めた。


 キャサリンは手持ちのお金もなくなり、ずっと働きづめで、疲れ切っていたが、王都の学校で嘘をつきながら暮らしていた時より、目の前がクリアに見えた。



 田舎に来てからの、ドタバタした生活の中で、ようやく見えてきたものがあった。キャサリンが、一番欲しかったのは、自分が一人の人間だと認められることだったのだ。

 そしてそれは、遙か昔、ローラが自分を見つけてくれた時に、すでに手に入れていたのだ。ばかばかしいことに、キャサリンはそれを最初から持っていたのだ。

 そのことに気がつかず、遠回りをしたキャサリンだったが、今は、自分がそれを最初から持っていたのだと、『気がつけた』ことだけで、十分だった。

 いつも胸がかきむしられるように、キャサリンを悩ませていた焦燥感は、いつの間にか消えてしまっていた。

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