9粒目
靴屋の店主に見本の靴達を見せてもらい、
「……革の質にも寄るけどなぁ、うちの村の牛たちの革は、元々質がいい……」
そう気張らなくてもいいもんは出来ると。
ふぬふぬ。
「……特にいい革は、あれだ、気取った服に合わせるのに使う……」
ほうほう。
ならば丈夫さを優先してもらい、後は任せようと足の形や大きさを計られ。
「……途中で、合わせに来てくれ」
来た時よりは、目が覚めた顔で見送られた。
狼男に必要な細々としたものを、買い物の仕方を教えつつ揃え。
言葉が片言なのは、旅人だからで説明が付く。
むしろ、
「言葉が流暢だねぇ」
と驚かれるのは男の方。
茶屋に腰を落ち着けると、
『ここは、いい匂いがするな』
狼男にも、先刻の靴屋の臭いは少々癖が強かった様子。
男が、茶屋は主にお茶を飲める店だけれど、甘味のある場合も多いと、メニューを広げる。
小さな絵は描かれているけれど、文字の方が大きい。
『んんん……』
少し癖のある文字に、狼男が、難儀している。
「いらっしゃいませっ。はじめてましてのお客様には、今の季節のお菓子をお勧めしてまーす」
こちらもどうやら旅人には慣れっこでありそうな、年若い可憐な声に顔をあげると、
(のん)
若い娘でもやはり背が高いし、女将程ではないけれど逞しい。
「とは言ってもね、今はキャラメル菓子がお勧め。ベリーが実るまでもう少しかかるから」
キャラメルとな。
若い娘はテーブルに広げられたメニューを指差し、
「ヴィェトゥルニーク。シュークリームって言うお菓子と似てるってたまに言われる、通年だけど人気のお菓子」
むむ、シュークリームとな。
それは見逃せない。
「うちはメインはコーヒーとビールなんだけど、チビっ子ちゃんはミルクがいいかしら?」
「の」
「フーン」
わたくしはカフェオレを所望と狸擬き。
「はーい、待ってて」
軽い足取りで跳ねるように厨房へ戻って行く若い女を見送った狼は。
『……自分は、半分しか人でないし、人間の世界では、奇異な顔をされても当然だと思っていたけれど』
けれど?
『……今も、感じる視線の半分は、キミ達に向かっているな』
狸擬きの隣に腰を降ろす狼男が、首を傾げる。
「くふふ。そうの、お察しの通りの」
我や狸擬きだけでない。
我の男の髪の色も瞳の色も肌の色も、この村では大変に浮いている。
むしろ、この村で買ってきた服を着ている大柄な狼男の方が、馴染んでいるとすら言えるのではないか。
椅子もテーブルも、この村の人間に合わせて一つ一つが大きく、厨房から出てきたウエイトレスが、厚手の座布団、クッションを我と狸擬き用に運んできてくれた。
男が礼を伝えると、ウエイトレスは、
「あなたたちは、どっちから来たの?」
男が、来た国の名を告げると、
「へー、離れたお隣さんの国の方からなのね。じゃあ、これから街の方へ行くんだ」
若い女が言うには、首都には大きな川が3本流れ、大きな橋がそれぞれに架けられていると。
「恋人橋、求婚橋、友達橋なんて名前が付いてるのよ」
ほう。
「恋人橋と友達橋はまぁ後付け、真ん中の求婚橋が有名なの」
言葉通り、橋の上でプロポーズされると、された方もした方も幸せになれると。
それはまた、乙女ちっくなお話であるの。
狸擬きは欠片も興味はなさそうで、半目で訳してくれるけれど、狼男は聞き取りに必死で耳を傾けている。
小さな厨房から声がかかり、
「はーいっ」
キビキビ戻っていく若いウエイトレスは、やはり飾り気のないパンツ姿。
「お待たせ、ヴィェトゥルニークと珈琲とミルクにカフェオレね」
ヴィェなんとか、シュークリームに似たその菓子は。
シューに似た生地は横に割られ、中にキャラメルクリームがみっちり詰められ、上段には艶めくキャラメルが塗られている。
『……おぉ』
狼男は顔を近付けてまじまじと眺め、男は小さなメモ帳にスケッチを始め。
我と狸擬きは、そんな2人を尻目に、
「あーむぬ」
「フーン」
早速手に持ってかぶり付けば。
「……ぬぬ♪」
「フーフン♪」
とろりとしたキャラメルクリームが溢れ出し。
「ぬふん♪」
口の中で多幸感が広がる。
少し固い皮にかかったキャラメルの食感がまた良き。
(美味、大変に美味であるの)
あむあむかぶりついていると、
「ついてる」
男が指先で唇の端のクリームをさらっていく。
「とても美味の」
「そうか」
指先を舐めた男も、メモ帳を置いて口に運ぶと、狼男もやっと、そっと持ち上げ、そろりそろりとかぶり付き。
『んんん……!?』
目を見開くと、ガツガツと一瞬で食べ尽くしている。
『ふわふわとした霧みたいだった』
とても美味いと、そして珈琲には、ウエイトレスに追加でミルクを貰い、砂糖を落としている。
『このコーヒーと言うものは、香りはとてもいいのに、そのまま飲むのは苦いな』
狼男の甘党は、母親の血なのであろうか。
おかわりをして、満足して茶屋を後にする。
狼男の服を買い足しつつ、店の者に話を聞けば。
「村だけでなく、この国全体が、引き締まった肉体が一番のお洒落、と言う認識なんだそうだよ」
服には頼らないのだと。
ほうほうほう。
どの土地も国も、文化も美意識も、それぞれに個性と美学があるの。
買い物を済ませ再び宿へ戻れば。
「はいお帰りっ!2人部屋じゃなくて、2部屋がいいのかい?」
「ええと、2人部屋で」
「はいよっ!夕飯の時は鐘鳴らすからねっ!」
部屋は簡素なベッド2台が並び、小さなテーブルと椅子も2台。
窓からは、煙草畑が見渡せる。
その窓から狼男は顔を覗かせ、山からやってくる旅人を眺めている。
『馬車は、人が移動する乗り物』
「あぁ、荷運びも兼ねている。皆が皆ではないな。たまに単騎の者もいる」
『たんき』
「馬1体のことだ。馬に荷を背負わせ、徒歩で旅をしていたり」
『それは、随分とのんびりだな』
「そうだな。仕事ではないからだろう。ただ、天幕も小さな1人用になるし」
あまり勧められないなと男。
ううんと眉を寄せて考える狼男。
おやの。
「なんの、お主はもう独り立ちを考えているのの?」
若干気が早いのではないか。
『いや、声を掛けてきた旅人や行商人たちを見ると、人は1人も珍しくないのだなと思ったんだ』
狼は、冬場は仲間と、それ以外も割りとツガイでいることが多いため、人が1人なことが不思議で新鮮らしい。
一匹狼なんて言葉もあるし、実際遭遇もしているけれど、それもやはり土地土地と個体差か。
「俺も、彼女と出会う前はずっと1人だったよ」
男の、少し懐かしそうに煙草を吐き出す姿に、
『キミたちは、どこで知り合ったんだ?』
ベッドに腰掛ける我に視線を向けてくる。
「石の街と言う、少し変わった街だ」
『石の、街』
「そうだ。あぁ、君をスケッチさせてくれないか」
描きながら話そうと男が狼男に提案し、2人はテーブルに向かい合って座る。
我はベッドに飛び上がってきた狸擬きを枕にして、ベッドにだらりと寝転がる。
耳に心地好い男の声を聞きつつ。
男の思い出話に耳を傾けつつ。
「……」
石の街を、懐かしく思いつつ。
我は。
(……ぬん)
煙草畑が夕陽に染まるまで、狸擬きと共に、ぐっすり寝こけていた。
夕食は、煮込まれた牛肉がどんと出された。
大変に美味ではあれど、食事としてはそう珍しいものでもなく。
代わりに。
「ぬ?」
「フン?」
「凄く柔らかいな」
『キミたちの焼くパンとはまた違う』
もちもちと非常にやわこく、男が訊ねると、
「なんだい、パンは茹でるもんだろ!?」
茹でる?
パンを?
こちらでは発酵したパンを焼かずに、火が通るまで茹でるらしい。
「そっちでは焼くのが主流?こっちでは茹でたものがパンだよ!」
焼いたりしたらパサパサになっちゃうよ!とガハハと女将に笑われる。
「の、ののぅ……」
世界は広し。
けれどやわこいパンは、牛肉の煮込みにもよく絡み、食べやすくはある。
付け合わせは、玉ねぎの酢漬けと、じゃが芋を潰したもの。
他の客たちは、ビールと思われる酒をちびちび飲みながら、和やかに話をしている。
「フゥン」
そんな客の姿に、狸擬きが爪を咥え、羨ましそうに眺めているため。
「そうの」
狼男にも少し飲ませてみるかと、1杯だけビールを頼めば。
狼男は匂いを嗅ぎ、
『……独特の匂いだな』
と、少量口にし、
『苦い……』
あまり得意ではないと、狸擬きの前に戻している。
そして改めて周りを見渡すと、
『これは、飲めた方がいいのか?』
と、隣でカパーッと苦い液体を喉に流し飲む狸擬きの姿に、酷く解せぬ様な不思議そうな顔をする。
「そうだな、でも無理して飲むものでもない」
「そうなのか。……キミは、飲まないのか?」
問われるけれど。
「子供の身体には毒であるの」
『毒』
「即座に死に至る様なものではないけれどの」
『ううん……』
難しいなと狼男。
そうの。
「お酒は、場を和ませることに長けた飲み物の」
結局。
ビールと、ワインをもおかわりした狸擬きが、
「フーン」
もうお腹いっぱいですと腹を擦る程度には、食事はボリュームがあった。
女将をはじめ、逞しい身体を維持するには、これくらい食べなければ維持出来ないのであろう。
「そういえば」
部屋にお風呂がないのは仕方ないけれど、どうやら浴室そのものが宿にない。
あるのは共同の雪隠れだけ。
「乾燥が強く、風呂の習慣はとても少ないそうだよ」
絞った布で身体を拭くだけの日も少なくないと。
宿の夫婦の住居には、身体を洗い流す風呂場はあるらしい。
「フーン」
いい土地ですねと狸擬き。
我には少々物足りない。
狼男は、1日の情報量の多さに、知恵熱こそ出さなかったけれど。
“ベッドという専用の寝床”
に更にわくわくを隠さなかった狼男は、それでもやはり疲れたのか、そのベッドに横になるなり、気絶するように眠り出し。
(ふぬ)
そんな狼男の姿に、我も、宿でベッドを見て、はしゃいで飛び乗ったことを思い出した。
まだ、狸擬きを枕にして、1人と1匹で寝ていた頃。
(そうの)
ベッドと言えば。
「我のいた場所では、回転するベッドがあると聞いたことがあるの」
「回転する、ベッド?」
「フン?」
なんですかそれはと狸擬き。
「文字通りの、くるくる回るらしいの」
男が、なんだそれはと笑い、
「フンフン」
とても楽しそうですと、その場でくるくる回る狸。
「その部屋は、鏡張りであるとも聞いたの」
「部屋がか?」
「フンッ?」
「そうの」
「……何か、儀式でも行う部屋なのか?」
儀式。
深刻な男の問いに、今度は我が笑ってしまう。
あれも儀式の1つであるとも言えるか。
「回転するベッドは、消防法、違うの、風営法でか、なくなったとか聞いたような気がするの」
「ふうえいほう?」
「国の大事な決まりごとの1つの」
「……ベッドが回転することが、国の決まりに反するのか」
「フーン?」
不可解と言った顔をする男に、狸擬きも不思議そうに首を大きく傾げ。
「我も詳しいことは分からぬけれどの」
寝巻きに着替え、ベッドに潜り込むと、狸擬きは、2つのベッドを見比べ、狼男のベッドへ飛び乗っている。
男が灯りを消す後ろその姿を、見るともなしに見ながら。
あれは、いつだったか。
以前いた世界。
雨の日。
もう廃業して久しい、外国の城を模倣した廃墟の宿の屋根の下。
雨宿りをしたことがある。
人ならざるものも無論いたけれど、互いに無干渉で、ただ、雨がやむのを待った。
我と、人ならざるものは、また違う。
あの世界にいた長い年月。
我は出来るだけ、人の、例え廃墟だとしても、人の住まう建物の中には、足を踏み入れることはしなかった。
どうしてかは、自身でも未だに解らぬけれど。
人形故に、何かしらとの境界があやふやになるのが怖かったのかもしれない。
「……」
暗くなった部屋で、我の隣に静かに横たわる男にしがみつけば、男は黙って我を抱き寄せてくる。
(ぬん……)
我には、あまり恐怖の感情はないと思っていたけれど。
今、我が怖いものは、この男を失うこと。
それは、我の、数少ない、恐れの1つ。




