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8粒目

狼男は、朝食の後は狸擬きと森を走り、戻ってくれば言葉と文字の勉強。

この世界の人間の常識、基本的な礼儀作法を男が教える。

馬車の扱い方、調理の仕方。

教えることは、山ほどあれど。

それは、たった2日後、昼過ぎであったか。

「おやの」

「あぁ、始まったか」

「思ったより早かったの」

『……?』

狼男は、知恵熱を出した。

『……なんだ、これは……?』

自身の両手を眺め、

『身体が重い……熱い……視界が不良だ……』

普段は男と我の寝ている布団に寝かせると。

「洗礼のようなものの」

『せんれい……?』

「人の世界に馴染むための、通過儀礼の」

『……つうか?』

「そのしんどさも、何度か夜が来て朝が来れば治まるのの」

『嵐の、ようなものか……?』

「そうの」

男も狸擬きも我も滅法丈夫たなめ、病人は珍しくすらある。

男も、子供の頃に熱を何度か出した程度で、その記憶もうっすらとしか残っていないと。

だからこそ、ここには狼男に寄り添える者がなく。

『怖いな……』

たまに寝ている時に見る、暗く悪い何かを、目が覚めているのに見ているようだと、横に座り込む我に手を伸ばしてくる。

怖い。

我には、あまり存在しない感情。

「怖いのの?」

『あぁ……とても』

山では、1つの小さな怪我も死に直結する。

そうか。

こやつは、仲間たちの中では長に続き、異例の長命。

さすればこやつはこの若さで、一体、何頭の仲間の死を見送り、土の中に眠らせてきたのか。

自分もああなるのかもしれないと、えもいわれぬ不安と恐怖心に脅かされるのも、当然か。

ふぬ。

ならば。

「我の手で良ければ握ればよいの」

狼男の力が強くても、我ならばそうそう簡単には潰れたりしない。

『……あぁ、小さい……あぁ』

狼男は我の手を握り、力なく引かれた手は、狼男の頬に当てられるように包まれる。

『仲間たちの……』

「……?」

『生まれたばかりの、子供を抱かせて貰った時を思い出す……』

辛そうな口許が、ほんの少し弛む。

「そうかの」

『あぁ……小さくて、暖かくて……とても、愛おしい』

狼男は眠り、眠り。

狼男の助けになるものがあるかもしれないと、一足先に馬車で村の方まで向かった男は、

「子供用の解熱剤程度しかなかった」

戻ってくると、いかにも不味そうな荒い粉薬の小瓶を見せてきた。

「ののん」

村の様子はどうのと訊ねると、

「旅人の対応には慣れている、貸し宿もありそうだ」

それはそれは。

我等にも都合の良さそうな村である。

長が世話代と報酬として寄越してきた橙色の石は。

「この辺りの色の1つでもあるわりに貴重なものだから、安定して高値が付くだろうと聞いたよ」

ふぬふぬ。

この辺りの色と言うのは、橙色と、もう1色は赤色だと。

どちらも屋根の色である。

たまに目を覚ました狼男に、

「ほれ、あーんの」

(ぬく)い汁粉や、赤飯をやわこくしたものを食べさせれば。

『あぁ……すまない』

おとなしく口を開き、我の隣では、狸擬きも黙って口を開けているため。

「なんの」

「フゥン」

「くふふ、仕方ないの」

少し口に運んでやる。

狼男の脳内で起きている多大な情報処理のための熱のため、我の小豆や赤飯でもさすがにケロリと治せはしない。

けれど。

『美味い、身体が楽になる』

3日も経てば、自ら積極的に食べ始め。

『こんなに早く、足を引っ張るとは思わなかった』

身体を起こした途端、愁傷に謝られたけれど。

「くふふ、こんなもの、足を引っ張るどころか、軽く袖を引いたうちにも入らぬの」

男は、好奇心でこちらへやってくる旅人に行商人を捕まえては、言葉を始め、この辺りの土地や国のことを訊ね、狸擬きは飽きずに森へ遊びに行く。

我は文字を覚えつつも、なるべく狼男の側にいた。


知恵熱から数日後の朝。

「もう大丈夫だ」

と元気一杯に起き上がった狼男は、狸擬きと森を駆け回りに行き。

1匹と1頭?ではなく、1匹と1人が戻って来るのを待ち、朝食を終えると、天幕の外に出て、狼男の髪を、長さはそのままに男が少しハサミで整えている。

「このもふもふは何かに使えそうの」

少し整えただけでも大量に出た毛は、袋に詰めて取っておく。

荷台に積み上げ。

我は、森の中で拾ってきた、狼男の身長より少し長い木の枝を、持ち手の部分をナイフで少し削り整えたものを、片手に持ち上げる。

『……キミには、それは少し長くないか?』

狼男が、我の何倍の長さのある棒を振り上げる我に、不可解な顔を見せてくるけれど。

「平気の、……ほれの」

狼男の横っ面を目掛けて振れば、

『おわっ!?』

それでも、卓逸した動体視力とそれ以上に鋭い反射神経で、ヒュンッと屈み、こちらの攻撃を軽くかわす狼男に。

『……キミは、あの男の様に、何かを投げる方が向いてるんじゃないか?』

そう問い掛けてくる狼男に、

「そうかの」

休みなく棒を突きつけてみれば、手の平で受け止められ。

その棒を掴まれ力比べをされる前に、棒を引き上げる。

狼男の言う、投げる、いや飛ばす、は我の十八番である。

まだ狼男には見せていないだけで。

「お主も、何か覚えるとよいの」

せっかく人形(ひとがた)であるのだ。

道具を使ってなんぼである。

けれど、短剣などは鋭利な爪と被るであろうか。

「いや、ナイフには毒も塗れるし、投げられる。応用は利くと思うぞ」

馬の機嫌を取っていた男がやってきた。

「そうの」

男を見上げながらも、横目で狼男の足許に棒を滑らせれば、狼男は高い跳躍で難なく避けて行く。

けれど。

「狸擬きの」

隣にいる狸擬きをけしかければ。

「フーン」

狸擬きがテテテと素早く駆け、

「フーンッ!」

『……うおうっ!?』

跳躍した狼男の脇腹に狸擬きが突っ込んで行く。

宙で、なすすべなく狸擬きに激突され、そのまま放射線を描き、土の地面にゴロゴロ倒れ込む狼男と狸擬き。

「長い棒も、なかなかに良いの」

気に入ってブンブン振れど。

「持ち運びが邪魔だな」

「ぬぅ」

確かに。

そして。

狸擬きを小脇に抱え戻ってきた狼男に、

「飛ばせる武器もなしに、安易に飛んで避けるのはご法度であるの」

忠告してやれば。

「んん、その通りだ」

滅法素直である。

「剣士も魅力的だと思うけどな」

男が狼男の全身を眺め呟く。

確かに、狼男の見た目からしても、とても絵になりそうである。

「フンフンッ」

剣士の言葉に、狼男の手で地面に下ろされた狸擬きが無駄に胸を張るけれど、別に剣士とはお主のことではない。

『……剣。あの中途半端な長さのナイフか』

通りすがりでこちらに声を掛けてきた冒険者が、腰に差していたのを見掛けていたらしい。

「そうの。お主のその恵まれた運動能力の高さでは、弓も勿体ない気がするしの」

単純な腕力も相当であるし。

『ゆみ?』

男が弓矢と言うものだと身振り手振りで説明してると。

「フーン」

「の?」

「フーン」

狸擬きが、自分もその棒で遊びたいと。

何でも真似したがるお年頃である。

「ほれの」

渡してやれば。

「フーン♪」

狸擬きは、前足で持ちやすく削った先を持つも。

「……フッ?……フンッ!フンッ!フーンッ!!」

木とはいえ、長さがあるためそう細くもなく、軽くもない。

狸擬きでは全く持ち上がらず。

「フンフンッ」

さては重くしましたね?

と眉間に毛を寄せて責められるけれど、冤罪である。

『俺にも貸してくれるか?』

と狼男。

「フーン……」

仕方ないと狸擬き。

狼男は、さすがに片手で易々と持ち上げ、

「……いいな」

軽々と振っている。

重く空気が切れる音。

そこいらにいる熊でも、一撃で頭をカチ割れそうである。

ただ。

「お主が長い棒を持ってそこいらを歩いていたら、国も街も、出入りを止められるであろうの」

どんなに平和な世界でも、大男が長い棒を片手にぶら付く姿は、単純に恐ろしい。

男も苦笑いで同意してくれる。

『そうなのか……』

「腰に剣か、短剣かな」

弓矢の場合は、背負ってるだけでも冒険者でございと解りやすくて良さそうな面はある。

「の、短剣の両刀使いはどうの?」

跳脚力と相まって、なかなかに使えると思うのだけれど。

「それもいいな」

『試してみたい』

ニコニコ楽しそうな狼男に、今のところ山への未練は見られず。

きっと、今も気が気でないであろう長のことを考えると、親の心子知らずであるのと、我は1人、今は見えぬお山の方を振り返った。


「村にパンツとシャツは何とかあった」

男が村へ向かった時に、大きなサイズの服を男が仕入れて来ていた。

狼男に服を着せれば。

「ぬん、とかく体躯に恵まれた、凜然とした顔立ちの若者にしか見えぬの」

耳も、珍しいものが生えてるなと思える程度である。

「耳はどうしたい?」

『このままでも、問題なさそうか?』

「そうだな、視線は感じるし聞かれるだろうけど……」

本来あるはずの耳の部分に人の耳はなく、毛で覆われている。

「フンフン」

耳はとても大事ですと狸擬き。

「そうの」

「後は靴だな」

『手間をかけるな』

「こんなもの、手間のうちにも入らない」

男が笑う。

もともと穏やかな男と、野生の狼の割りに気性の荒くない狼は、うまが合う様子。

天幕を閉じ、満を持して、我等は村へ向かう。


煙草畑を通りながら、狼男は、

『……人と言うのは凄いな』

畑に感銘を受けている。

『食べ物や馬車も、天幕などにも、ええと、“圧倒”されたけれど、この大きな土地をこんな風に“利用している”事実に驚く』

ののん。

驚く視点が人とはまた異なる。

先に見えるあの赤や橙色の板も不思議そうに眺めている。

あれは人が寝て起きて生活をする場所であると教えると、

「あの”天幕“が家じゃないのか!?」

ベンチの上で飛び上がる狼男。

煙草畑の小さな小屋や、見えてくる赤や橙色の屋根の家に、

「とても丈夫そうだ」

そんな感想を漏らす。

大きな厩舎と隣り合うお宿。

馬と荷台を預けて宿へ向かうと、そう広くない広間の掃除をしていた女将が、

「あっら!?やっと来てくれたね!」

噂の旅人さんたち!と、煙草を咥えた歯をニカッと見せてきた。

女将の、噂の、やっと、などの疑問は一旦横に置き。

それよりも我が圧倒されるのは。

(お、おっきいの……)

背は男より少し低いくらいだけれど、そして曲がりなりにも女性に対しての褒め言葉ではないけれど、頑丈そう、逞しそうな肉厚な身体。

男の問いに。

「靴屋はあるかって!?はぁん!?何だい!?冗談で聞いてるんじゃないの!?」

額を押さえながら大笑いされた。

「?」

「うちの村は、靴と煙草の村で有名なんだよぉっ!」

ほーぅほう。

先に村を訪ねていた男も、狼男のために取り急ぎの必要なものだけをかき集めたため、全く気付かなかったと。

煙草は、先の街やいくつかの国へ向けて、多くが卸されていると言う。

立地だけでなく、余所者慣れをしているわけである。

鼻を蠢かせると、確かに、革の匂いが流れて来る。

女将は、狼男の、いかにも獣でございな足を見ても、

「立派な足だねぇ!!」

と熱心に眺め、

「でもね!この靴の村で裸足なんてね、私も村のみんなも黙っちゃいないよ!」

お勧めの店を教えられ、宿の部屋に案内さえる前に宿を追い出された。

木彫りの靴が、店の看板兼目印になっている。

その靴も、大きさ、色、形で、それぞれに得意な店があるらしい。

女性の靴と小さな靴の飾られた靴屋の前で男が足を止め、

「我のは後であるの」

我を抱く男のシャツを引っ張り、先を促せば。

山を降りた先から見えた屋根はほんの一部で、

「村と言えど、とかく大きいの」

すぐ先に、大きな街が続くと。

「村だけでなく、人も大きいの」

大柄な狼男がそうそう浮かないくらいには。

そして更に驚くのは、街を歩く、女たちも、

「こぞってパンツ姿であるの」

細身の女もいるけれど、ほっそり華奢ではなく、むちりとみちりと筋肉で引き締まった身体に合うのは、タイトスカートかと思うけれど。

皆、パンツに厚手の飾り気のないシャツかセーターなど、服にはあまり頓着していない様子。

通り過ぎて来たお隣の国では、組合の女性のパンツ姿ですら、街中ではとても目立つものだったのに。

そして、我のようなちんまき娘たちも、やはりツナギだったり、肩紐でパンツを吊るしていたり。

なんなら、我の黒髪よりも、着ている水色のワンピースに、ちらりちらりと視線を感じる程。

「あぁここだな」

大きな木彫りの靴の飾られた店の扉を開くと、

「……ぐぬ」

きつい革の臭い。

「……おぅ、いらっしゃい……」

男盛り、尚且つ職人気質な雰囲気を漂わせた男が、休憩中だったか、奥の窓を開き、煙草を吹かしていた。

順繰りに我等を眺め、再び視線が止まるのは我。

「……ちっちぇえなぁ」

正確には我の履いた靴。

ただ髭で隠れた口許には笑みを浮かべ、

「……サイズはあってるか?……踵には当たらないか?……痛くないか?」

とのんびりなトーンで我に話し掛けてくる。

「平気の」

答えれば。

「……女はなぁ、お洒落やら可愛いを優先して我慢しちまうからなぁ」

伝わっているのかいないのか、フーッと大きく紫煙を吐き出すと、

「……まぁ、平気そうだなぁ」

どうやら、我が道を進む男、でもありそうである。

「……んで、靴が必要なのは、あぁ、そっちの兄さんか」

あんたのその耳、かっこいいなぁ……とそう世辞でもなさそうに、いいなぁと口をへの字にする。

羨ましいらしい。

ぼそぼそとした低音の聞き取りはまだ苦手な狼男は、男の訳に、

『それは、褒められていると思っていいのか?』

耳に触れる。

「あぁ……」

店主が頷けば。

『そうか。店主、ありがとう』

生真面目に返している。

少し片言の狼男の言葉に、

「……んんん?あーあぁ……、あんたたちか、村に来ないで、森の近くで天幕建ててた変わり者っていうのは」

変わり者。

「彼が、森で遊びたいと利かなくて」

こんな時にはとかく便利な狸擬きのせいにすれば、

「……はぁん、待遇が、まるでお獣様じゃないか……」

狼男に続いて、店主にまで指摘された。

けれど。

「……まーなぁ、色々と違うんだなろうなぁ」

別に揶揄するわけではなく、そんな事柄もあるのだなと、新鮮に感じてる様子。

「……てぇーと、随分と、遠いところから来たみたいだな……?」

この狼男は、お主等のお隣さんであるのだけれど。

「えぇ、少し遠いかもしれません」

「……ははぁ、俺が思うより、遥かに、遠いんだろうなぁ」

「……」

どうにも。

何となくでもなく、ペースを崩される。

ただ、

『ゆっくりだから、聞き取りやすい』

慣れてくれば、狼男には好評な様子。

「……じゃあそこになぁ、座って、足を見せてくれ」

背凭れのある椅子と、対面に、何であったか、長くこき使われていそうな、布の張られた足置き台、オットマンだったか、を置かれる。

狼男は、少し怖々と椅子に腰掛け足を乗せると、靴屋の店主は目の前に屈み、

「……おー……?おおお……うーん……ふぅぅぅん……」

眠そうな目をしたまま、まじまじと眺め、

「靴を履かせるのが勿体ない足だな」

そんな返事が来た。

「……でも、そうだなぁ。街を歩くと石畳も多いだろうし、衛生面での問題もあるしなぁ」

うーんうんと大きく頷くと、形や大きさを計り、

「……この爪は、切れないか?」

少しばかり厄介だぁと靴屋の男。

爪先か。

狼男が、この先どこへ行くかは分からないけれど、目的は人里の生活に馴染ませることであるし、しばらくは、足の爪が必要そうな山などに行かせる気もない。

狼男が迷うようにこちらを振り向いたため、

「平気の」

頷いて答えれば、

「……なーんだねぇ、嬢ちゃんの方が、姉さんなのかぁ……?」

また眠そうな目を、今度はしぱしぱ瞬きながら我に向けてきた。

姉さん。

(ふふぬ♪)

「そうの、我はお姉さんであるの」

ふふんと腰に手を当てて胸を張って見せれば。

「……ははっ……そうかそうか、そうだな、立派な“お姉さん”だ」

なぜか、おかしそうに笑われた。


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