71粒目
狸擬きが椅子の背凭れに身体を預けてうとうとし。
男が描く夫婦は、身体を動かさぬまま、ゆったりと何か話している。
客がまた1組そっと立ち上がり、我等に手を振ってテラスから出て行ったと思えば。
村の方から帰ってきた客に、事情を伝えてくれている。
親切極まりない。
しばらくすると、
「まぁまぁ、精が出ますね」
マダムが飲み物を運んできてくれたけれど。
「あら、あらら……?まぁまっ!?」
男の描く夫婦を見て目を見開くと、
「額縁、額縁が必要じゃないの!」
両手を合わせ。
「いや、あぁ。いえ、それは大袈裟かと……」
男の集中力が切れたのか、簡単なものですからと手を止めると。
「どんな感じかしら?」
どれどれと男の手元を覗き込んだ2人は、
「やだ凄い、凄いわ!」
「なんだ、私は2割増しでいい男に描いてもらった様だな」
どうやら好評らしい。
そして。
我がレモネードを飲み干す頃。
「すみません、次の方たちの時間もあって」
ここまでですと男が描いたものを渡せば。
「いいのよ、もう充分に完成よ。こんなに素敵なお土産が出来るなんて、嬉しいわ」
「いやぁ、描かれる前は、どんなものかと少し疑ってしまっていたのだけれど、そんな事を考えていた自分が恥ずかしいよ」
と男に握手を求めている。
「でもどうやって持って帰りましょうね?丸めてしまうと傷みそうだし、勿体無いわねぇ」
「ううん、でも村に額縁は売ってなさそうだしなぁ」
それには同意する。
再び現れたマダムが、
「それなら、裏方に徹してる夫に聞いてきますっ」
宿の主人でありながら、建物の補修も料理も担当しているけれど、
決して表には出てこないのだと。
すぐに戻ってきたマダムは、
「簡単な額縁でいいなら、明日までには作って挟んで渡せると言うので、そちらをお預かりしても?」
表に出てこないのは、事情があるのではなく、あの若オーナーを遥かに上回る人見知りな様子。
夫婦がマダムに絵を託すと。
こちらも明日、この土地を立つと言う新婚夫婦が。
「その、図々しいかもなんだけど……」
海を背景に描いてもらうことは出来ないかと頼まれた。
男が構わないと、宿の方で馬車を貸して貰えば。
マダム伝に、昨日の門番を男が、普段から客を乗せて村と宿を往復している馬車を牽いて来てくれた。
「あなたたちは、ずっと旅をしているの?」
若い新婚夫婦の、どことなくお嬢様感のある新妻に問われた。
この土地で買ったと思われる麻のワンピースを纏っているけれど、小さな仕草からして綻びが少ない。
「そうですね」
男が頷けば、
「凄いわ、私たちは山の近くに住んでるの。だから今回は思いきって海にまで来てみたけど……」
宿に付いた日から次の日まで、
「ぐったり疲れてベッドからも起きられなかったよ」
夫の方は、自分は木こりで体力に自信はあったのにと笑う。
木こりであるか。
確かにいい身体をしている。
我は綺麗さっぱり記憶からは抜け落ちているけれど。
道を下れば。
昨夜、我が遊泳を楽しんだらしい浜辺へ辿り着く。
宿の男は、男が描き終えるまで待っていてくれると。
ならばと男が宿の男に煙草を渡し。
「あぁ、これはこれは」
恐縮ですと受け取る宿の男は、早速取り出し煙草を嬉しそうに咥えて火を灯している。
海を背景に夫婦が少し緊張気味に立ち、男は立ったまま、サクサクと筆を動かす。
我と狸擬きと狼男は、邪魔にならぬように少し離れた場所で、海水に浸された砂浜の、
「穴があるの」
我の小指くらいの小さな穴を覗き込み。
『……何かいるのか?』
「いるの」
海辺の生き物の観察をしたり。
「フンフン」
砂でお城を作ってみるも。
「……フーン」
「のの」
あっという間に波に飲まれ。
まさに砂の城。
諸行無常を身を持って体感してみたり。
狼男は、
『これは、“しおが満ちる”現象』
「そうの」
お勉強をしたり。
靴と靴下を脱いで、浅瀬で波を飛び越えて遊んでいると。
不意に、女の甲高い悲鳴。
何事かと思えば。
「本当に私たちが描かれてるっ!」
男の描いた自分達の姿に興奮した新妻の叫び。
「君はともかく、僕はこんなにいい男かな……?」
夫の方は、気恥ずかしそうに頭を掻いている。
「ここに描かれているのは、私に映るあなたそのものよ」
なんの。
ご馳走さまであるの。
男が、
「自分達は徒歩で帰るから、ご夫婦を宿に送って欲しい」
と宿の男に伝え。
また宿で会うのに、2人はこちらに大きく大きく手を振って浜辺から宿へ帰って行き。
「お主の絵は、とても喜ばれておるの」
「そうか?」
と男が首を傾げながら木陰に腰を下ろした。
釣られて皆で腰を落ち着ければ。
「疲れたのの?」
「少しな」
いつもと違う頭の部分を使っている感じがすると苦笑いの男。
「でも」
ふぬ?
「思ったより、楽しい」
男は、我と旅をするまでは、
「人はほとんど描いたことがなかった」
のの。
そうであったか。
先に見える小さな島へ小さなお舟が向かって行く。
「フーン」
「そうの、絵を描き終く仕事が終わったら行ってみようの」
「フーン♪」
『キミたちが乗ってきた船は、あれの何倍大きいんだ?』
狼男に問われ。
「そうだな……」
立ち上がった男が、木の枝を拾って砂に船を描き。
「これくらい違う」
『デ、デカいな……』
ふぬふぬ。
一度港の方へ向かい、狼男に大きな船を見せる仕事が出来た。
しばらく思い思いに海を眺めていると、宿の男が、
「ちっちゃい子もいるし、宿まで歩くのは大変だろう」
宿まで新婚夫婦を送った後に、再び我等を迎えに来てくれた。
夜の食堂は昨夜よりも若干ざわめきが増している。
悪いものではなく、緊張や力の抜けた笑い声や話し声。
狼男は、食前酒の後は、
『彼女と同じ、白葡萄のジュースを頼む』
昨夜のことで懲りたらしい。
『キミの従獣は凄いな』
あれだけ飲んでも何も変わらないと感心されるけれど。
「なんの、飲み始めた頃は、次の日は丸1日使い物にならずであったの」
「フンフン」
昔の話ですと狸擬き。
昔とな。
まだ数年も経っていないけれども。
『俺は、酒は少し怖い』
おやの。
『大事な時に身体が動かないのは絶望に近い』
自身の手の平を見つめ。
男が、
「食前酒と食後酒から徐々に慣れていこう」
俺もちょっと急かしすぎたと肩を竦め。
美味しい食事と食後酒の後。
昼間に男が描いていた二度目の旅行中の夫婦が、
「私たちは、明日の朝には出発してしまうから」
と、わざわざ絵の礼を伝えに来てくれた。
「きっと、生きている中では最後の旅行だから、絵がね、本当にいい思い出になったのよ」
「感謝するよ。僕たちの国に立ち寄ることがあれば、うちにも是非、顔を出して欲しい」
世辞だけでもなさそうで、国の名前と住所、店の名前と思われるものが書かれたメモを渡された。
レースの蚊帳に覆われて目覚めた翌朝。
朝食は、摂らない者たちも多いらしい。
我等は、
「フーン♪」
腹時計で生きている狸擬きの催促で、欠伸をしつつ食堂へ向かい。
本日、男が絵を描く者たちとは、村の方で二度目の鐘が鳴らされてからと約束しているため。
のんびり朝食を摂り、テラスに出ると。
「ちょうどよかった。部屋まで挨拶に行こうかと思ってたんだ」
「見て、額縁に入れて貰ったの!」
昨日の新婚夫婦。
雑に枠組みを合わせただけかと思いきや、縁は丁寧にやすりまで掛けられてる。
我等に見せてくれてから、絵を大事そうに大きな鞄に仕舞い。
「ここに来て本当に良かった、ありがとう」
「一生の思い出が出来たよ」
宿の馬車に乗り込み、今度こそ本当のお別れの手を振る若い2人に、我等もマダムと共に手を振り。
「おっはよー!絵を描いて貰えるから、特別なおめかしして来ちゃった!」
「お、おはようございます。よろしくお願いいたしますっ」
宿の広間に現れたのは、元気な若い女と、控えめな若い女の2人連れは。
元気な方は焦げ茶色の髪を頭の上で纏め、控えめな垂れ目が印象的な女はゆらりと背中に髪を流し。
耳の上にお揃いの髪飾りを付け、華やかなワンピースを身に付けている。
2人ともほっそりとしており、色素の薄い肌はあまり焼けていない。
「宿からあまり出てないのよ」
うふんっと意味ありげな元気な若い女に。
「ちょっ、ちょっとっ」
少し垂れ目な若い女は、あわあわと元気な女のワンピースの裾を引っ張る。
「ち、ちっちゃい子もいるのにっ」
「えー?仲良しですよって言ってるだけじゃない」
「そ、それがダメなのっ!」
駄目であるか。
「どこで描きましょうか?」
男はさらりと流し。
「それが、少し迷っててねー」
「う、うん……」
「部屋だと、特別感ないかなぁ?」
部屋と。
男が、落ち着ける場所がいいと思いますと頷いたため。
「じゃあじゃあ、私たちの部屋へごあんなーい!」
「あ、どうぞ。あんまり広くないんですけど……」
漆喰の壁の階段を上がり。
3階の部屋は、確かに少しばかりこじんまり。
けれど細身の女2人なら十分な広さ。
(のの)
まず感じるのは、匂い。
仄かに甘い香り。
狼男などは落ち着かないのではと思えど。
『……』
どちらかと言うと部屋の大きさの違いの方が気になる様で、
『ベッドは、1台なんだな』
「仲良しは1台で十分なんですよぅっ」
と恋人に抱き付く元気な女に、
「ひゃああっ!?」
人前で抱き付かれて固まる垂れ目の女。
棚には、リボンや首飾り、指輪に香水の小瓶が所狭しと置かれ。
壁には、鍔広な帽子と色鮮やかな羽織りものが掛けられ。
狸擬きは、テーブルの上の食べかけのビスケットを覗き込んでいる。
「あ、それ下で買ったきたやつ、食べる?」
下と言うのは村のことであろう。
「フーン♪」
寄越せと狸擬き。
「はい、あーん」
若い女にビスケットを口許に運ばれ、
「フーン♪」
満更でもなさそうな従獣。
「あ、あの。私たちを描いてもらうのは、テラスでもいいでしょうか?」
垂れ目な女が、おずおずと指を差し。
乱れたままのベッドや少し雑然とした部屋に今更気付いた様子。
「えぇ勿論」
部屋の、籐の2人がけのソファを狼男が持ち出し、女たちは並んで座るかと思いきや。
元気な女が、垂れ目な女を膝に横抱きにしている。
垂れ目な女は、しばらくわたわたしていたけれど、
「ほらほら、絵描きさんを待たせちゃ悪いでしょ」
の言葉におとなしくなり。
男が仲良しこよしな2人を描く姿を、我等は室内から眺めながら。
『……俺たちの部屋と、全然違うな」
狼男は無遠慮に部屋を見回す。
「の、ふわふわしておるの」
「フーン」
小物が多くて落ち着きませんと狸擬き。
『それだ』
それであるか。
『ぶつけたり、落としたりしてしまいそうだ』
ふぬふぬ。
それでも。
「甘き良き芳しき匂いがするであろうの」
若い女たちの。
『匂い……。あぁ、そう言われればそうだな』
あまり気にならないらしい。
半分は人であるため、そこまで過敏ではないのかと思えど。
若い男ならば、本能的に反応してもおかしくないのだけれども。
潮の香りで若干麻痺しているのであろうか。
絵の完成に、少し時間が掛かったのは。
「私たち、2人でアクセサリーのお店を開くのが夢なの」
素敵な夢である。
「このピアスも手作り」
若い女たちが身に付ける装飾品も、なんとも細やかに描き込んでいたからで。
狼男は、耳飾りを褒めるより、
『痛くないのか……?』
針が貫通している耳の穴を間近で見て、心配している。
「えっと、開けた時は少しだけ痛かったかな」
「お互いの耳を開けたのよ」
元気な女がまた意味深な微笑みを浮かべ、垂れ目な女の頬をつつき。
垂れ目な女は、真っ赤になっている。
『……?』
首を傾げる狼男。
「お店開いたら、この絵も飾るわ!」
「うん、絶対飾ろうねっ」
若い女たちは2人とも、男が描いた絵を見て感極まっていたし、今も、
「なんか見てるとアイデア出てくる!」
「うんうんっ、もっと欲張ってもいいのかなって思えちゃうっ」
「ねー、ちょっと新しいデザイン閃いたかも!」
それでも2人は、
「先にこっちを完成させてもらおうね!」
「だねっ」
宿の主人の作る額縁に絵を貼り付けて貰うためにマダムの元へ向かい。
廊下で男が大きく伸びをする。
「お疲れの」
労れば。
「あぁ、ありがとう」
男は片手で我を抱き上げ。
『俺は何も出来なくて、心が、ええと小さくなる』
心苦しいであるか。
「今は、対面する彼等の話を聞いているのも、君の大切な仕事だ」
そうの。
“人の世界を知る”
狼男には、それも大事なおつとめである。
『あぁ、まだまだ意図を汲み取れない事も多い』
うーんと眉を寄せ。
あれの。
特に先刻の若い娘2人のやりとりであろうか。
男は、何も言わずに苦笑い。
その辺りは、経験を積んで話を聞いて“知る”しかないことでもあり。
のの。
(本を読ませれば良いのであるか)
本ならば、そういう描写には事欠かぬのと思い付くも。
ぬぬん。
我の本は男の検閲が入り、その辺りの“デリケート”な描写の本はとても少ない。
「ぬぅ」
やはり、狼男自身が人の世を渡り歩いて知るのが一番早そうである。




