40粒目
その日の夜。
老婆は珍しく起きてこないと思ったら、
「婆さん、婆さん?」
朝。
老人の声で寝室を覗けば、老婆は眠ったまま、天に召されていた。
誰が迎えに来たのか、とても穏やかな表情だった。
老婆を墓に寝かせた後。
老人は、珍しく1人で街へ向かったと思ったら、謝礼の代わりだと、茶葉を運ぶ馬車で立派な甲冑を運んできてくれた。
「山で獣退治の時に使えるかと作られた物だとか、どこぞのお城の門番の見映えのためとか聞いたなぁ」
街の鍛冶屋で飾られていたものを大枚叩いて買ってきたと。
「大きさはちょうどいいんじゃないか?若くガタイのいい兄さんが身につけるものだしなぁ」
「……」
老人は、私が、人ではないことはおろか。
中身は、骨でしかないことを知っても尚。
「……」
骨でしかないのに、目頭が熱いと感じるのは、人の名残か。
甲冑は、ぴたりと骨の身体に馴染み。
「?」
これも己の力なのだろうか。
「おお、これは立派な騎士様だな」
褒めてくれた老人との穏やかな生活は、たった2年程。
収穫の忙しい時は、
「ねー、なんで甲冑着てるの?」
「硬い、カチカチ」
「彼は大きな事故に遭ってな、甲冑が皮膚の代わりなんだ」
不用意に触れてはいけないよと手伝いに来る子供たちに、老人が自分のことをそう説明してくれた。
街に茶葉を卸しに行く時も、
「この男は、わしの息子みたいなものだ、わしが来なくなったら、少しの間は彼が来てくれるから」
卸し先にそんな事を言って回るようになり。
「……ここでこのまま暮らしてもいいし、畑は売って旅の資金にしてくれても構わない」
老人は昼間の茶畑で倒れ、老人を迎えに来たのは、まだ老人が若い頃の、若い姿の妻だった。
老人も、老婆同様に穏やかな表情で逝った。
街の方へ知らせねばと思っていたら、老人に用があって訪ねてきた客が来てくれたため、街の方の組合に伝えて貰い、墓に眠らせるのを手伝って貰った。
この街では、老人と老夫婦の茶畑のお陰で、自分の様な、見た目からして不審を抱く者でも受け入れて貰えている。
甲冑男は、しばらくはここで茶畑を枯らさないように生きていこうと決め、今に至ると。
そして、我等のことは。
茶葉の卸し先の茶屋であなた方を見掛けた時、勿論、同じ人外だとは気づき、驚きはしたものの。
躊躇しつつも、あまりに別の種族であるし、街に脅威を持たすような「もの」でもなく、ただ、茶を嗜んでいるだけ。
珍しい人外も存在するのだなと、自分の事を棚に上げつつ、それきりになり。
先日の市場への出展は、老夫婦が毎回出ており、老婆が残してくれていたレシピ通りに作れば間違いないものが作れるし、どうやら茶畑の菓子を楽しみにしている街の人たちもいるため、今回も席を用意して貰えるように頼んだと。
「“市場で再びお会い出来た時、私のことも異形であると分かっていながら、私の売る、やはりどんな代物かも分からない焼き菓子を買ってくれたあなたに、勝手に、感謝と親近の念を抱きまして”」
ふぬぬ。
互いに希少が過ぎる異形だからこそ、距離感を計りかねる気持ちは解る。
こやつはどうやら永いこと眠っていても、元はこの世界の人間、常識も良心も多く残している。
きっと、人間として生きている間も、困っている者には迷わず手を差し述べていた男なのであろう。
そして、なんら異形仲間でありそうな我等を、わざわざ呼び出したのは。
自身の身の上話を聞かせたいわけではなく。
感謝の言葉を告げたいだけではないのであろうし。
無論、異形同士の苦労を語りたいわけでもなく。
「“お知恵をお借りしたいのです”」
そう書いて見せてきた。
知恵とな。
「“自分は、言葉が使えるようになりたいのです”」
おやの。
同じく言葉が通じない聞こえもしない我は、見た目は幼子である故、言葉が発せなくとも、大きな問題はない。
(聞くに関しては、こればかりは役に立つへっぽこ従獣もいるしの)
けれど。
今は1人で仕事を、老夫婦から受け継いだ大事な茶畑を維持していこうと考えている甲冑男には。
(言葉は、なくてはならないものであるの)
「“遠い場所から旅をしているご様子”」
「“何か、取っ掛かりになりそうな出来事などがあれば、聞かせて貰えたらと思い、お呼びだてしてしまいました”」
言葉を手に入れたくても相談できる相手がいなくて困っていたと。
あれの。
こやつに取っては、我等は、
「飛んで火に入る夏の虫」
ではなく、
「藁にも縋る」
であるの。
「フーン」
発声ですかと狸擬き。
「の」
そう言えばこやつも、
「人の言葉を操れる」
個体である。
ただ。
『わたくしめは、青のミルラーマの保護下にある森の主であり、更に主様のおにぎりやお力が源になっております故』
食事も出来ない骨には同じ手は通用しないかとと眉間に毛を寄せ狸。
唐突に口を開いた狸擬きに、甲冑男が驚きガシャリと音が鳴る。
「そうの」
そもそもこやつは、この骨は。
あの盲目の女の様に“無”であるのか。
けれども。
骨、骨格からしても、元は五体満足と思われる人間。
更に人を人となし得る、皮膚や肉、内臓を失ってから、自身を異形だと知った、相当な強者である。
腹部辺りにふわりと空気的なものを溜めること位なら出来ると、何気にすごいことをさらりと書く。
(では)
「1つ1つ試して行くかの」
『“試す?”』
不思議そうに、首を大きく傾げられた。
言葉が通じない分、身振り手振りが大きめな様子。
「の。ほとほどに遠くからは旅をして来ている身ではあるけれど、取っ掛かりになりそうなものは、せいぜい我自身だけであるの」
「……」
大層不可解な空気は伝わる。
小さな紙を貰い、椅子に座る我の前に置いて貰う。
男に、手伝うのと、やり方を伝えれば。
「……唾液じゃ駄目なのか?」
眉を寄せて渋られた。
「唾液では少し弱いの。ただ、お主が拒否するならば、他の方法を考えるの」
男は、躊躇を隠さずに押し黙り。
狼男を見て、狸擬きすらにも視線を向け、
『……』
「……フーン」
それぞれにかぶりを振られれば。
「……すまない。君に頼るしか思い付かない」
なんの。
「助けずに見放す手もあるの」
にんまりも唇の端を上げて見せれば。
「……いや」
大きな溜め息と共に男は、クッションを重ねた椅子に座る我を背後から覆うように立つと、我の右手を包み、我の唇に、我の指先を当てる。
男に、逃げる、匙を投げる選択肢はないらしい。
「これは、お主がいないと出来ぬことであるからの」
「あぁ」
解っていると男。
我は絵を描く事に関しては、とんと下手くそ。
我は犬歯で人差し指の先に穴を開けると、男が我の血の滲んだ指を、筆代わりに紙に走らせる。
紙には、サラサラと、人の男と分かる、若干薄目な横に広い唇の形が描かれていく。
歯の輪郭は曖昧でも、歯並びのよさは分かる。
『成人した男の口だ』
「フーン」
まあまあ上手いと上から狸。
描き終えれば、指先の傷口に唇を寄せ、男が舌先で我の血を拭う。
「……」
身体を、甲冑を硬くしてじっと眺めていた甲冑男は、紙を、我の血を凝視しているのを感じる。
(我の男でなくとも、我の血は若干魅惑的なものであるのかの……)
血は、不思議と鮮やかな朱色のまま、乾いていく。
乾くまでの少しの間の後。
我が伝えるままに、唇の描かれた紙を仮面の下に滑らせた甲冑男は。
初めこそ、
『……』
何の変化も見えなかったけれど。
それでも。
『……、……』
徐々に、ひゅうひゅうと呼吸の様な音を発し。
「お……?」
呼吸混じりの、
『“……△△○”』
何か、音が漏れている。
『……イ……□……わ……』
「フーン?」
耳をそばだてる狸擬き。
『“……し……は”』
狼男も、耳をピクピクさせて、何とか聞き取ろうとしている。
「……」
甲冑は、ひゅう、ひゅうと、呼吸音を交えながら。
『“……ぶんは、もとは、元は……であり”』
「おやの」
『“今は骨の……”』
「お、聞こえる」
「フーン」
この辺りの言語ですねと狸擬き。
(ほうほう)
それも興味深いけれど。
何より。
『とても、美声だな』
ふぬ。
『“この声は、発声は、正しく、聞こえていますか?”』
「えぇ、聞こえています」
男がしっかり頷けば。
『“あぁ、あぁ。嬉しい、こんなに、こんなに嬉しい”』
広げた手の平を見下ろし。
『“……あー、あー♪”』
次は音程を確かめるように、
『“いっぽ、歩けば♪”』
『“小鳥は、飛び立ち♪”』
『“お馬の闊歩は、どこまで行くのか♪”』
街の子供たちが唄っていた歌を口ずさむ。
おやの。
「お主は、お歌がとても上手であるの」
『“照れます”』
と甲冑の肩を竦める甲冑男は、
『“自分の才能なのか、この唇のお陰なのかは不明なのですけれど”』
茶目っ気たっぷりにかぶりを振って、笑ってみせたくせに。
『“は、はは……っ”』
その笑い声には震えが混じり、しばし何か耐えるように俯き、嗚咽を洩らしながら、甲冑越しの胸を押さえている。
どうやら骨の不具合ではなく、
『“声を、声が……声が出せる……”』
喜びに打ち震えていた。
胸に手を当てたまま、やはり何度見てもけったいな仮面の顔を上げると。
『“あまりに大きすぎる喜びで、一度は弾かれた天に、今にも召されそうです”』
大きく両手を広げる。
「のの、それは困るの」
折角言葉が生まれたのだ。
「我の血の力で、紙は当分はくたびれないの。ただ落として失くしたりした時に、どんな悪夢が起きるかは、未知数であるからの」
紙の唇が、生きた人間を飲み込むくらいはしそうである。
もしくは、何かしらを、吐き出すか。
骸骨はこっくりと頷くと、
『“これは、茶畑と同じくらいの私の宝です。絶対に失くしたりしません”』
仮面の奥の紙を仮面越しに触れた甲冑男は、
『“そうですね、私のこの骸骨の寿命が終わる時に、同時に何とか消滅させる方法を考えます”』
ふぬ。
そう易々と破けたり燃えたりしないのは解るらしい。
しかしである。
狼男も吐息混じりに呟いた様に。
「何とも、良き声であるの」
元々が美声であったのであろうか。
男の描いた唇から、すでに決まっていた音なのか。
(そうの)
狼男もそうであったけれど、
「急な身体の変化であるから、無理はせず、初日はほどほどにするのの」
例え人外だとしても、骨には負担がかかる。
『“そうか、ううん、そうですね”』
とうなづいてみせるも。
それでも。
『“そうでした、色々と気持ちが焦るあまりにお茶すらの用意もなく。せめてお茶だけでも振る舞わせて下さい”』
甲冑男が生きている間に老人からみっちり教わったと言う、丁寧に淹れた、大変に美味な紅茶を頂き。
そのお茶が呼び水になったのか、狸擬きの腹が鳴り。
『“家主がいなくなってからは、食べ物を置いておらず……”』
焼き菓子の素材があるだけだと恐縮され、
「では、我等は食事に行こうの」
建物を出れば、甲冑男は乗り合い馬車の乗り場まで見送りに来てくれた。
「声を出せるようになった言い訳を考えておくのの」
『“はい、信憑性のあるものを考えておきます”』
街中で馬車を降り、ふと、
(何か忘れている気がするの)
「フーン?」
どうかされましたか主様と狸擬きに問われ、
「ふぬ」
何か浮かびそうになったけれど。
ふわりと肉の焼ける匂いに、
「フーンッ」
狸擬きが馬車道を横切り、
「フンフーンッ」
この店から間違いのない匂いがしておりますと尻尾をくるくる。
「これ、危ないの」
馬車が通り過ぎるのを待ち、道を横切りながら、
「ぬぬん、いい匂いの」
ふと浮かんだ何かは、あっさり、はらりと霧散した。




