4粒目
先を飛ぶ蝙蝠に、少し止まって欲しいと声をかけ。
我は、狼男の腕の中から手を伸ばし、近くの木から葉を千切る。
少しずつ葉の形を整え、また大層不恰好ではあるけれど、よく見れば鳥が羽ばたいている様に。
(……見えなくもないはずの)
『器用だな』
それでも狼男は楽しそうに見つめてくる。
出来の悪いものでも、新鮮に映る様子。
ならば。
「後で草舟でも作るのの」
今は。
葉鳥の腹部分に歯を立て、力と唾液を馴染ませる。
「頼むの」
手の平に広げ、ふっと飛ばせば、葉鳥は風に乗り、すいすいと上空の気流に沿って飛んで行った。
蝙蝠は枝にぶら下がりながら、不思議そうに首を傾げている。
『仲間たちを軽くあしらっている時も驚いたけれど、今のも、君の力なのか?』
「ぬふん、秘密であるの」
唇に人差し指を当てれば、
『それは、秘密の合図か』
狼男も真似をして、唇に人差し指を当てる。
「そうの」
蝙蝠に再び道案内を頼み、狼男が不意に立ち止まったのは、今回の雨のためではなく、とうの昔に崩れていた崖の先。
我は、狼男の腕から降ろして貰い。
お向かいの崖と、幅はなくとも高低差が多少ある。
こちらが上。
お向かいは雨の影響をしっかり受け、被害の差があからさまに違う。
我は、狸擬きは勿論、狼男も余裕で渡れるであろう、離れた場所に倒れていた大木を引き摺り、
「んしょの」
持ち上げてお向かいの崖に向かって倒せば。
『……』
お手本のように驚いていた狼男は。
けれど、架けられた簡易な大木の橋へ手を当て、固まってしまった。
「の?」
『ここから、出られない……いや、先に進めない』
(のの?)
それは。
「お主の心の問題の?」
狼男は胸に手を当て、じっとしていたけれど。
『君を迎えの者の元まで送り届けたい、君をこうして抱いてもっと先を走りたい、縄張りの外へ出てみたい』
気持ちを言葉にして教えてくれる。
ふぬ。
「では、我を引き留めたい気持ちは?」
『それは後々、別れの時に強く来るだろう』
ふぬん。
全く素直である。
そして、進めないのは、この狼男自身の枷ではなく。
「やはり原因は、お山であるの」
『やま?』
「理由は解らねどの、どうやら我はこのお山に、お主たちの縄張りの一部であるお山に、大層気に入られたか、もしくは、我を取り込みたい様子であるの」
このお山が、自身の一部だと感じている広大な一帯から。
このお山の生き物である狼男も、我のとばっちりを食らい縄張りから出られないし、我を迎えに来ようとしている狸擬きも、どんなに迂回しても近付けない。
ただ。
唯一空を飛ぶ鳥や蝙蝠は、地を這わない生き物は、山に化かされることはない。
『……そんなことがあるのか』
狼男の返事は、我の言葉を疑うものではなく、その不可思議さに、強く心惹かれた様な浮わつきを含み。
「たまにはの。山の力は強大であるし、お山も気紛れであるからの」
お山を見上げれば。
狼男は、
『今起きている、この事柄は、きっと、なんだ、あまり“良くないこと”なのだろうけれど』
我を見下ろし。
『とても、とても面白いな』
キラキラと目を輝かせている。
なんと。
どうにもこやつは胆が座っている。
「そうの」
我がくふふと笑うと、狼男も笑う。
狼男が出られずとも、こちらからは道案内を飛ばしたし、ならばと蝙蝠も共に、大人しく狸擬きを待つことにする。
「我のいた山には、大きな青い熊がいたの」
『手強そうだな』
「大きくて力が強くて、好戦的であるのの」
『君と同じくらい強いのか?』
ふぬ。
「我の方が少しばかり強いのの」
我の山の者たちであるし、少し青熊の事も立てておこう。
「ただ、青熊はとても不味いらしいの」
顔をしかめてみせると、狼男はおかしそうに笑う。
お向かいの崖からは、すでに興味津々に、栗鼠や兎が、こちらを、架けられた大木を眺めている。
そのうち渡ってくるだろうか。
『先刻、君は』
「の?」
『俺の仲間たちに、なにかを使うのは勿体ない、的なことを呟いていた』
おや、地獄耳であるの。
黙って先を促せば。
『まだ何か、君自身の、特別な力があるのだろう?』
「ぬふふん」
我は、
「それも秘密の」
唇に人差し指を当てる。
『内緒、なのか』
残念そうに顔を曇らせる狼男。
「ふぬ。女は秘密が多い方が魅力であるからの」
これは我の座右の銘の1つなのである。
『おんな……』
「メスであるの」
ふふんと澄ましてみせれば。
『……』
「なんの」
その穿った様な目は。
『人の世界では、君くらい小さくても、子を孕めるメスなのか』
ぬぬん。
そう来たか。
孕めればメス、孕めなけば子供か。
「我のは、心構え的な話であるの」
それに。
「お主こそ、我のようなちんまき幼子に対して」
なにやら如何わしき気持ちを抱いた様に感じたけれどの?
と、にんまりと唇を弛ませて見た時。
「フーンッ!!」
主様!!
と茶色の塊が、すったかすったか駆けてくるのが見えた。
おやの。
「さすが、早いの」
口には我の飛ばした葉を咥えている。
我の、大木を倒しただけの橋にひょいと飛び乗り、トトトと渡ってくる。
『な、なんだあれは?』
若干、引き気味の狼男に。
「あれが我の従獣、狸擬きの」
教えてやれば。
『タヌ?』
「タヌキ、であるの」
「フンフン」
とても助かりました、どんなに迂回しても近付けずに困っていたのですと、我の前に立つなり、葉をむしゃりと飲み込む狸擬き。
「フン?」
してその半獣半人は?
と、大きく首を傾げる狸擬き。
たまたま知り合い、ここまで連れてきて貰ったのと伝えれば。
「フーン」
わたくしは主様の従獣の狸擬きである、心得よと、何とも上から狸。
しかし。
『……?』
不思議そうに狸擬きを見下ろすだけの狼男。
「のの?」
もしや、狸擬きの言葉が通じないのか。
「フーン?」
そう言えば、蝙蝠の言葉も通じていない。
その蝙蝠は、今も大人しく木の枝にぶら下がってる。
『この生き物は、だいぶ人よりの獣でありますね』
狸擬きが声を出せば。
『うおっ……!?』
狼男はその場で飛びずさるように飛び上がるけれど。
狸擬きは。
『とりあえず、甘味と身体を拭く布などを持ってきました』
全く頓着せず、ぺたりとその場に座り込み、背負ったいた鞄を降ろすと、もさもさと鞄を開く。
『水場がなく布を湿らせませんね』
キョロキョロ辺りを見回す狸擬きに。
『……これは、中に、君のような何かが入っているのか?』
狼男はまじまじと凝視し。
「の、これはこやつの力であるの」
『飴玉と、主様お手製のアーモンドのキャラメリゼです』
「の」
受け取りつつ、
「男は大丈夫かの?」
訊ねれば。
『酷く顔色が悪いです』
ののぅ。
早く戻ってやらねば。
蝙蝠も飛んで来ると、狸擬きが小さくキャラメリゼを割って分けてやっている。
吸血鬼の従獣である蝙蝠はともかく、人の手が入った甘味を、野生の獣人に食べさせて良いものかと迷ったけれど。
ぐいと覗き込んでくるため、手の平に落としてやれば。
『こう、何だ、作りが、手の加わり方が凄いな』
アーモンドのキャラメリゼを太陽にかざし、食べるより、眺めて喜んでいる。
けれど、ポーンと口に放り込む狸擬きの真似をして口に放り込み、口の中で噛まずにキャラメリゼを転がした狼男は。
『……むっ!?』
目を見開き、カリコリといい音をさせて噛み砕くと、
『んんん……』
愉悦とも言える恍惚とした顔を見せる。
「これは、凄いな。甘さが濃くて、なんだ、夢中になる」
好評な様で何より。
蝙蝠は、自分はそろそろ戻ると、羽を広げる。
「お主には大変に世話になったの」
「♪」
狸擬き曰く、気にしないでください、これからもご主人様と仲良くしてもらえたら嬉しいですと、昼でも難なく、パタパタ飛んで行く、心の広い蝙蝠を見送り。
「我も、一度男の元へ戻るの。お主には改めて礼を伝えに来るの」
口の中で、甘味の余韻を噛み締めている狼男に伝えれば。
『あぁ、……そうか』
寂しさを隠しもせずに溜め息を吐き。
「一先ずの、お別れの」
残りの飴玉とキャラメリゼを渡しておく。
『……あぁ。また、来てくるのか』
甘味の礼と共に、今度は大きな安堵の吐息。
「このお山には、どうやら我は若干好かれている様であるから、辿り着くのは容易であるしの」
きちんと礼もしたい。
『分かった、待っている』
「我が流れ付いた川辺まで向かうからの、陽が上がった頃かの」
狸擬きの代わりに鞄を背負い、狸擬きに股がれば。
『飛ばします』
「の」
『……君を、君を待っているっ』
大木の橋は抵抗なく渡れ、狼男の声だけは追い掛けて来たものの、一瞬で景色が変わる。
『あの辺り一帯、驚く程に大雨の余韻が少ないです』
「どうやら、お山に強い意思があるの」
『では山の主は』
「別に存在しているのの」
『それは。……山も色々ですね』
「そうの」
水量がだいぶ引いた川を渡り、
『今回の大雨で、だいぶ地形が変わった様子』
狸擬きは、たまに立ち止まると、キョロキョロを辺りを見回し、最短の道を探っている。
やがて人の道に出た時には、
「のん、眩しいの」
夕陽が我等の影を長く伸ばして来た。
山道を通り過ぎる旅人と話をしていた男は、我等が来た方へ進む旅人に、作り笑いで手を振っていたけれど。
「フーン」
狸擬きの鳴らしたフーンにこちらを振り返り。
狸擬きに乗る我に気付くなり。
作り笑いをやめ、こちらへ駆け出してきた。
「の」
狸擬きが強く肉球ブレーキを掛け。
我はそんな狸擬きの背中から、両手を広げる男の胸に飛び込めば。
「……あぁっ」
狼男にも負けない、押し潰される勢いで胸に抱かれ、
「すまなかった……!」
震える声で、謝罪をされた。
「ののん、平気の」
どちらかと言うと、我がへまこいたお陰で、この男の精神崩壊の方を懸念していた。
男が、我の頭に強く頬を擦り寄せてくる。
我の存在を確かめるように。
深く長い吐息を漏らしながら。
そんな男の、体温も、匂いも、触れ方も。
(ぬぬん)
「何だか久しいの」
離れていた時間は、そう大したものでもなかったのに。
おかしなものである。
我も、ぎゅうと男の首にしがみつけば。
「あぁ……」
男の深い吐息に熱が籠る。
「の、我は元気であるの」
身も心も。
「そうだな」
解っている、とそれでも男の力は弛まず。
(ぬん……)
我を抱き締める男から、どうにも強い自責の念が伝わってくるため。
「お主は、ねんねしたのの?」
問うてみれば。
「いや……」
「食事は?」
「……それどころじゃなかった」
ののん。
これはもう。
「我はお主から、一時も離れられぬの」
くふふと笑ってみせても。
「あぁそうだ」
男はクスリとも笑わないし、我を抱く力も、やはりこれっぽっちも弛めない。
どうにも。
だいぶ消耗しておる。
意図的に離れた時と比べ、目の前で我が濁流に飲まれれば、多少は気をやられもするか。
「の、顔を上げるの」
「……」
眉を寄せて我を見つめる男の顔に唇を寄せ、唾液をまぶした舌先で、男の唇をぺろりと舐めてやれば。
「……」
男は瞬きすら止め。
「目が覚めるであろうの」
気付け薬であると、口角を上げてみせ、男の頬を撫でれば。
「……あぁ。……あぁ、しっかり、目が覚めた」
ちらと唇を舐めながら、男は、やっとその顔に笑みを見せた。
「お主は、少し食べて寝るのの」
と言ってみたものの、ここは行商人や旅人の通り道。
端に寄っても、こんな場所でどうしたと心配されるであろうか。
「いや、もう夜になる、通り過ぎる人間はいないよ」
そう言えば、辺りはもう夜が始まっている。
荷台へ上がり、炊飯器に小豆を落とせば、荷台の外で足の泥を落としていた狸擬きもひょいと上がってくる。
男は、
「君の従獣に、お前は通り過ぎる旅人に、先の国の言葉や文字を教わっておけと助言されて、行き来する人に声を掛けては、簡単な単語を教わっていたよ」
ほうほう。
男の気を紛らわせるためであろうけれど。
「良い案であるの」
こやつにしては。
「フーン」
機転を利かせたのでありますとしたり顔狸。
男が、くしゃりとした数枚の紙を広げ。
そこに書かれた文字は、
「……ぬぬ?お隣の文字と似ているの」
来た土地の方の文字の上に、点が付いていたり、線が入っている程度。
「あぁ、文字は隣の国から伝わって来たらしい」
「なんと」
これは、我も文字を覚えるのが楽である。
手前の村は、隣国の言葉もよく通じるため、そこで覚えればいいと聞いたとも。
ふぬぬ。
2人と1匹、炊き立ての赤飯おにぎりを噛りながら。
(そうの)
「明朝、世話になった者に挨拶へ行くと約束しておるのの」
男に伝えれば。
「……人が、いるのか?」
ギクリと強張るように驚かれたけれど。
「狼の」
男は、
「君は狼と縁があるな」
ふっと力を抜いて笑う。
「そうの」
縁があるとはいえ、あの狼男を除き、長も含め、残りの狼たちには、酷く距離を置かれたけれど。
それに。
そう。
すっかり忘れていたけれど。
「大木に幌を潰された旅人は大丈夫だったのの?」
「あぁ」
男は思い出す顔で、
「彼は、俺よりも動揺してあの場にうずくまっていた」
自身の荷の救出のために、幼子が崖に落ちたのであるしの。
旅人には、急いで助けを呼ぶとも言われたらしいけれど。
「彼女は大丈夫だから、もし恩を感じているなら、この出来事を誰にも話さないで欲しいと頼んだよ」
ふぬ。
口約束に効果があれば良いけれど。
「どうだろうな」
小さい幼子が崖下に落ち濁流に流されている。
ただ、旅人にとっては、命の次に大事な荷を大木から解放した恩人でもある。
どちらの感情が勝るであろうか。
大袈裟にならないことを、祈るしかない。




