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34粒目

「そこって……」

訝しむ女将。

娘が、母親の耳許で、異国の小さな女の子だと伝えている様子。

「異国の……女の子?」

女は理解が及ばない様子で、震える唇に細い指先を咥えるように当てると、片手はスカートを握り締めている。

「お母様?」

娘が母親の顔を覗き込むも。

「駄目よ駄目よ駄目よあなたは決して近寄っては駄目よ」

娘の腕を掴み、歯がガチガチと鳴る音までが聞こえてくる。

「今私が感じているのは悪夢なのかしら現実なのかしら」

カウンターの内側にいた女将も異常を察し、

「ちょっと、どうしたのさっ?」

レースの女に駆け寄るも。

「怖いのよ怖いのよ怖いのよこの目が見えない事が……っ」

視えない天井を仰ぐように両手で頬を覆うように声を上げ。

「何を言ってるのさ。……あんたは、その、生まれつき“見えない”じゃないの」

困惑する女将に。

「だからこそよっ!私は全てを想像するしないの。だからこそ、あああ助けて怖いのよ怖いのよ怖いのよあの闇が……っ」

闇とな。

「えぇえぇそうよ私は知ってしまったのよ黒と闇は違うのよ私の目の前に広がるのは黒よ、とても優しい黒。でも、すぐ先にあるのは……っ」

先にあるのは。

「あるのは……っ」

酷く呼吸を乱し、歯を食い縛り、頬に当てていた手で、喉を胸を強く指先で引っ掻くような仕草に、娘と女将が必死に止めている。

「彼女を外に出そう」

男が立ち上がると、

『では俺が運ぶ』

狼男が駆け寄り、易々とレースの女を抱き上げると店の外へ連れ出し。

それに娘と女将が続き、店には、我と男と狸擬きだけが取り残された。

どうやら我から引き離すために、少しばかり離れて行った様子。

「……フーン」

大変に感情表現が豊かな人間でしたねと狸擬き。

「そうの」

獣の視点からだとそう感じるらしい。

「彼はなんて?」

狸擬きの言葉を伝えると、男は苦笑いで、

「おいで」

我を抱き上げてくれた。

そして、

「……彼女は、君の何を感じ取ったんだろうな」

我の頭に唇を寄せてくる。

「さての」

解らぬけれど。

あの反応からして、きっとろくでもないものであろう。

「フーン」

あの人間は大変に正しく主様を認めておりますねと、なぜか誇らしげな従獣。

(ののん)

今まで。

この世界に来てから、我は、ああいった人間には出会ったことがなかった。

良くも悪くも。

男曰く、いないことはないけれど、やはり、あまり長生きではなく、だからこそ我も出会うことはなかったと。

「おー帰ったぞ……お?」

お使いから帰ってきた店主が、女将の不在だけでなく、建物の中にほんのり残った少しばかりのおかしな空気に、

「おおっ?なんだ、どうした?」

何かあったかと、こちらへズカズカやってくると。

それでも。

「ほれ、嬢ちゃんに土産だ!」

と袋を貰えた。

「のの?」

「こいつは酒じゃなくてな、果物を紅茶に漬け込んだもんが生地に練り込まれたパンだ」

女子供が特に好むパンだと。

なんと。

わざわざ寄り道をして買ってきてくれた様子。

「のの、ありがとうの」

男が我の分も含めの礼を伝えつつ、目許をレースで覆ったご婦人が現れたけれど、体調を崩したと伝えると。

「レース、……おぉなんだ、お嬢様が来てたのか」

お嬢様とな。

「俺らの幼なじみなんだよ」

思ったより長い付き合いな様子。

「もうマダムって年だけどな、お嬢様ってのは、昔からのあだ名みたいなもんだ」

木の街に近い、少し大きな屋敷に住んでおり。

「先祖代々、(まじな)いで食ってる家なんだよ」

(まじな)い。

「占いであるかの」

「あぁ。わりとでもなく、これがまた当たるんだ」

ほほぅ。

村人や、自分達を頼って遥々(はるばる)とやってきた者たちには安価で、街の方の裕福な貴族辺りからは、それ相応の金額を請求すると。

当たるも八卦当たらぬも八卦、などではなく。

いいことも悪いことも存外に当たるため、ここ一番の時に占って貰うのだと。

「お嬢様は特に深く血を受け継いだみたいでな。昔から、余計なことは言わなくかったな」

両親共に、物静かな少女だったと。

近くの椅子を引き寄せ跨がる様に座り、背凭れに肘を乗せた店主は。

「俺が一番強く覚えているのは、

『次の雨の日は、湖に近づかないで』

って訴える様に、お嬢様に念押しされた事だなぁ」

雨の日とな。

「あぁ。

あの頃な、まーだまだ俺がガキんちょの頃だ、

『湖に、人の来ない雨の日の夜に、妖精が出てくる』

なんて噂があったんだよ」

のの、それは気になるの。

「だろ?俺はそれを聞いてさ、誰にも言わず、こっそり1人で行こうとしてたのにだ」

お嬢様が、店主の顔を見るなり。

「『雨の音と水の音、ボートのオールを動かす音が聞こえてるの。でも、雑木林の葉に当たる雨音に混じって、ボートが静かに沈んでいく様な、とても嫌な音が、あなたの後ろから聞こえるの』

なんて言うんだよ」

ほうほう。

「お嬢様のお袋さんも、このあたりじゃあな、結構名の知られた呪い師だったしな。お嬢様には、どうやら俺が、雨の湖へ行くことすらも見抜かれてた様でさ」

店主は、結局、大人しく雨が止むのを待ち。

昼頃に、夜にこっそり拝借しようとしていた、古いボートが並んでいる湖畔へ向かったならば。

冬に薪にくべるためにボートを解体していた大人たちが。

「これも壊すのか?」

「それは一見綺麗に見えるだけで、もうボロボロなんだよ」

って話しながら壊しててな」

それを知って胆が冷えたと。

それ以来、お嬢様には、頭も上がらず。

他にも、お嬢様には色々と逸話があるらしい。

「おっ!そうだっ!!」

いきなり普段以上に声を上げられ、狸擬きと、我を抱っこする男がビクッと跳ねるも。

「そうだそうだ。少し前に、春先だな。街の方に用があってな。ついでにお嬢様の屋敷に顔を出しに行った時だ。

そん時に、お嬢様に言われたんだよ」

何をであるか。

「『もう少し先、数日続いた雨がやんだ頃かしら。あなたに、凄く楽しそうな事が起きるみたい。少し先のあなたから、とてもウキウキした感じが伝わってくるの』

ってさ」

その時は、あまり気にも留めてなかったと。

「全くな。でも今思えば、あれは、あんたたちが来る事を予言していたんだなぁっ!」

(ののぅ)

店を破壊され、自身をボコボコにされる事を、

「楽しそうな事が起きる」

に結び付けるとは。

女将の器の広さと合わせると、こやつらの懐の広さは空の広さを越える。

宇宙である。

店主は、

「こんないい店に生まれ変わったんだから、そりゃウキウキもするな!」

ガッハー!と笑い。

けれど。

「おっと、仕込みしておかないと母ちゃんに怒られる!」

慌てて立ち上がり。

では、

「手伝おうの」

我等もカウンターに入れば。

女将も狼男も、なかなか戻ってこないのと気にしつつ。

(ふぬん)

ふと思い出していた。

占い師と言えば。

以前も、自身で自作のカードを作り、占いをしていた若い女と、絵描きの女がいたことを。

牧場の村で出会い、港の街で偶然に再会のち、確か、少し寒い土地の方へ向かっていた気がするけれど。

今も、2人で仲良く旅を続けているのであろうか。

男伝に店主に教えてやれば。

「カードで占いをする?ははぁ、そんな占い師もいるのか!」

面白いなぁ!

と店主が声を上げると、開いた観音扉から、女将が戻ってきた。

レースの女は、今は我等も世話になっている宿の1室に寝かせていると。

「今日はね、散歩がてら、途中で馬車を降りて歩いて来てたらしいのよ」

今は迎えを呼ぶために、屋敷までの道を印したメモを持った狼男が迎えを呼びに走っていると。

おやの。

「結構な模様替えしたし、少し建物の空気が変わって混乱したのかねぇ」

女将が建物をぐるりと見回す。

(の?)

「お嬢様はだいぶ俺らとは違うからな」

ののん。

あのレースの女は、明らかに我を意識し、我に怯えていた。

いや怯えていた程度では済まず、あれは。

(我の中の上澄みに触れていた)

なのに。

「あら今日はやってるのね。やぁだ、随分素敵なお店になっちゃって、どうしたのよ?」

「はいはい、いらっしゃい、見ての通り模様替えしたのよ。お好きな席にどうぞ」

女将は新しく来た客の姿に振り返り、店内を眺める客に愛想よく席を勧めている。

1人の客が呼び水になったのか、村人だけでない旅人なども顔を覗かせ、狼男不在の中、男はカウンターの中で、我は狸擬きと共に、給仕に徹した。


夜の宿。

背中の毛を梳かしてやりつつ狸擬きに問えば。

「フゥン♪」

心地好さそうな狸擬き曰く。

「フーン」

あの人間の女には視力、であれば視線もありませんと。

「ふぬ」

そうの。

「フーン」

感覚は鋭くとも、それは“あの人間のみ”が感じていることですと狸擬き。

「ふぬ」

「フーン」

ですから他者は案外、あの人間が、

“何を見て何に怯え何に冒されているのか”

解らないものですと狸擬き。

「ふーぬ」

しかし。

「あの女は、露骨に我に怯えていたけれどの」

何とも非常に解りやすく。

「フゥン」

あの女将と呼ばれる女は、主様にとても良い印象を持っております故と。

「のの?」

それは、見ている事実をも歪めると?

「フーン」

無論それだけには御座いませんと狸擬き。

「では?」

「フーン」

あの人間の女は、きっと“視えない故”に、以前から、

『あそこに何があるのか、あそこに何がいるのか』

と、“自身にしか感じられないもの”を、周りに問うていたのでしょう。

「ほうほう」

女将も店主も、レースの女が、

「自分達に見えぬものが視える事」

に関しては、すでに日常であり慣れっこな姿であるのか。

「フーン」

そうですと狸擬き。

大方、レースの女は、我ではなく我との間にある空間を指差したと、女将は思っていると。

「フーン」

雑な推測にしか御座いませんがと狸擬き。

「いや、正しいのだろうな」

男が、我伝に狸擬きの推論を聞き、大きく安堵の息を吐き、煙草を咥えた。

『あの人の女性は、キミに、何を見ていたんだ?』

狼男は怪訝な顔で首を傾げる。

『あれほどではないけれど、山では長も、あれに似た反応を見せていた』

そうの。

あの反応からして。

「あの女に限っては、我が飲み込んだ、黒い靄たちかの」

解らぬけれど。

そう言えばで、ある。

青のミルラーマから出る時に、白い靄もあった。

両手でぎゅむぎゅむと引き寄せ小さく小さく纏めている間、手の平から辺りでも、だいぶ体内に吸収していたのであろう。

手の平からは、小豆が出るくらいであるし、逆に吸い込みもするのであろう。

(……まるでブラックホールの様であるの)

我ながら小さな手の平を見つめれば。

『キミは、謎が多い』

向かいのベッドに腰を下ろす狼男に、真顔で見下ろされる。

「ふふん、魅力的であろうの」

胸に手を当てれば。

『あぁ、とても魅力がある』

冗談の通じない狼男がやはり真顔で頷けば。

「……」

ベッドに座る我を、窓際に寄り掛かっていた男が、咥え煙草で抱き上げて来た。

「の?」

なんの。

「いや」

何とも言えぬ顔を見せている。

なんの。

我が自分のものであるとの主張か。

(大人気(おとなげ)ないの)

ベッドに横たわっていた狸擬きは、我関せずと今は仰向けになり、自身の腹の毛を梳かしている。

のの、そうである。

「の」

『?』

レースの女の屋敷はどうだったかと問えば、

『大きな建物だった』

馬車に乗って村に戻ればいいと声を掛けて貰ったと言うけれど。

『走った方が早いからな』

店に戻ってきた狼男は、息の1つも乱していなかった。

村で、相当目立っていたことであろう。


晴れの翌日。

女将が、

「昨日はそれどころじゃなく渡しそびれてたわ」

と、自身の焼いた焼き菓子を持つと、見舞いがてらレースの女の家へ向かい。

戻ってくれば、

「この年になると、少しの不調は出ても不思議じゃないって言われたってさ」

レースの女は、屋敷に呼ばれた医者にはそう診断されたと。

そして、

「お兄さんにね、お礼したいから悪いけど屋敷に来てくれないかって言伝てを頼まれたよ」

と狼男への屋敷へのお誘い。

『いや、俺は特に何も』

してないと狼男。

「なぁによ、何もしてないはないでしょうよ」

女将はカラカラ笑うと、

「ほら、あの通りさ、本人はそうは見せないけど色々と不自由も多いしさ。明日にでも、ちょっと顔出してやって欲しいのよ」

『……』

それでも狼男は、黙ってこちらを窺ってくるため。

「どう見繕ってもあの者の不調は我のせいであるからの、我の代わりの詫びのために行くのの」

あくまでも我のためであると念を押せば。

『では、明日伺おう』

と狼男。

この忠誠心、狸擬きにも見習わせたい。

してそれならば。

我は、仕込みをしない時間の厨房を借り。

「フーン?」

「スフレチーズケーキを焼くのの」

「フンッ?」

「の、味見も必要であるから、我等の分も焼くのの」

「フーン♪」

材料を混ぜ、火の番は狸擬きに任せ、冷まし。

夜の食堂が終わってから、今日に限って休みの次男坊を除いた皆に振る舞えば。

「あぁ、美味しいな」

我の作るものは何でも、そう、苦手な蛇でも食べる男に。

「フゥン♪」

主様の作るものは無条件で美味しいのですと大歓迎する従獣。

そして、

『美味い、凄く美味いっ!』

我が捌けば腐った肉でも美味いと言いそうな狼男はあっという間に皿を空にし。

無論。

それが悪いというわけではなく、大変に嬉しいものではあるけれど。

「へぇ、こんなケーキもあるんだねぇ」

「軽くて食った気にならないな!!」

戸惑う女将や、ガッハーッと笑う店主の反応は新鮮である。

ふぬぬ。

これはあまり土産には向かぬかと問えば、

「珍しいものだから喜ばれると思うけど」

「白ワインなんか合いそうだから、お嬢様にはちょうどいいんじゃないか?」

ふぬふぬ。

2人の皿も空にはなっているし、及第点と言ったところか。


薄曇りの翌日。

狼男に手土産のスフレチーズケーキを持たせ。

揺らすなのと念押しして見送り、我等は食堂へ向かう。

(いつまでこの店で給仕に励むのかの)

そんな事を思いながら、紅茶と焼き菓子を運ぶ。

そう。

食堂が改装されてから、女将の焼いた焼き菓子を、持ち帰りでなく、洒落た店内で食べて行く客が増えている。

ええと、単価であったか、飲み物の料金で儲けが増えると、いいことではあるらしい。

昼過ぎに戻ってきた狼男は、

『……』

両腕どころか、背中にまで土産を背負わされて帰ってきた。

(ののん)

こやつのことである。

断りきれなかったのであろう。

「あそこは仕事柄、お客さんも多いからね、余り物のお裾分けだと思えばいいよ」

ほうほう。

では有り難く頂戴することにしよう。

戦利品を確かめる楽しみも出来た。


給仕を終えた宿の夜。

土産物を広げながら狼男に話を聞けば。

あのレースの女は、もう身体は起こせる程になっており、あまり飾り気のない客間で、茶を振る舞われたと。

対面したレースの女は。

その裏、本音などは到底解らぬけれど。

表向きには、分かりやすい不満や切望は見られないと、狼男は、思い出すように視線を伏せ。

「もうこんな年ですから。夫がいて娘がいて、気の許せるお友達もいて。

何も見えない分、色々なことを感じられて、この特殊な力のお陰で、夫に頼りっきりにはならずに、自身の食い扶持程度なら稼ぐこともできますから」

そう語っていたと。

食堂での出来事は。

しばらく言い淀んでから。

「……私の前には絶えず、寝ても起きても尚、漆黒と呼ばれる色の世界が広がっているのですけれど」

「……あれは、それとは全く異なる闇の様なもの。底無しのどこかに落ちていく様な怖さ」

「それは逆らおうとも手足を捥がれた様に抗えない、幾多数多のおぞましいものたちが身体の中に入ってくる様な絶望感」

「……思い出すだけで『発狂』と言うものの入り口に立てそう」

と怯えていたと。

ぬぬん。

ただ、スフレチーズケーキは、母親だけでなく、娘もとても喜んでいたとも。

目新しさ故であろう。

『彼女の娘に、作り方を教えて欲しい、メモを貰ってきてくれはしないかと頼まれた』

おやの。

『もちろん、無理なら無理でいいから、返事が欲しいとも言われた』

おやおやの。

それはそれは。

ちらと唇の端を上げてみせれば。

『……なんだ?』

狼男が耳をちらと揺らす。

「それは、お主に会う口実であろうの」

『……んん』

何か言いかけつつも、

『……いや、どうだろう』

真っ向から否定しない所からして、何やら心当たりはある様子。

この鈍感な狼男が“察する”くらいには、娘の方は、なかなかに積極的らしい。

「なんと返事したのの?」

『この菓子の作り方は価値のあるものだから、返事は期待しないで欲しいと伝えた』

ののん。

狼男は、意識的か無自覚か、何より菓子の作り手の我を尊重した返事を選び伝えている。

それは、決して嬉しくないわけではないけど。

若干のこそばゆさと、やはり少々性格に難がある我といることで、その純真さが捻くれてしまうのではと不安も(よぎ)る。

我が黙っていたせいか、

「フーン?」

主様のお菓子は主様が作るからこそ大変に美味で価値もあるのですから、分量や手順などは大した問題ではないのではと狸擬き。

のん。

「お主もたまに“かます”のぅ」

「フン?」

こちらも無意識か。

我の、多分おかしな顔に小さく笑った男は、

「あのケーキは少し珍しいし、彼女の目的が彼ならば、レシピは伝えなくても大丈夫だろう」

我の頬を軽くつついてきた。

「ぬぬ。そうの」

そんな積極的ならば、娘自ら食堂へ来るであろう。

そう思っていたら。

レースの女の娘は、翌日には食堂にやってきた。


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