32粒目
「石がありますが、換金した方がいいなら、明日まで待って頂けると助かります」
店を閉めた後。
男が修繕費の話をすれば。
「片付けが終わってからでいいわよぉ。店を閉めなきゃいけないわけじゃないし、別に明日の食べ物にも困ってるわけでもないからね」
女将は、
「なんなら野次馬も取り込んで、いつもより儲かったわよ」
大変に逞しい。
「この村には、何か用があって来たのか?」
自身の頭に巻かれた包帯代わりの布を取り替える店主に問われ、海を目指していると男が答えれば。
「お、知ってる知ってる。湖の何10倍もある大きさなんだろ?」
この店主も、海を大きな湖だと思っている。
新婚旅行などで行ける場所にないのかと思えば。
「うちはねぇ、新婚旅行へ行く前に子供が出来ちゃったのよ」
生まれたと思ったら、すぐに2人目ができて、
「もうね、それどころじゃなかったわよ」
ならば、今からでも行けばいいのではないのか。
「やーだもう、今更よぉ」
今更であるか。
「行くなら世話の必要のない友人と行きたいわぁ」
大きな溜め息を吐いても。
「相変わらず母さんはつれないな!」
ガッハッハと笑う店主。
夫婦の相性は良さそうである。
明日は朝から片付けに来ますと、男が頭を下げ、我も頭を下げると、
「あぁもういいからっ!謝るのはこれで終わり!」
女将がパンパンと手を叩き。
「半分はこっちのせいだからな!気にしないでくれ!」
またもガッハッハと笑う店主に。
「半分以上あんたのせいよ」
冷めた目で店主を見上げる女将。
「おっ!?」
2人に見送られ宿に戻ると、
「はいはいはーい、お帰りなさいっ」
先刻まで一緒に働いていた若い男が、受付で手を振っている。
「のの?」
「俺、ここの次男なんですよ」
次男とな。
「そ、だから夜はまた別に働いて、金貯めて旅に出るのが目標なんですよっ」
ほうほう。
「そうですか」
ではおやすみなさい良い夜を、と男が軽く手を上げると、
「えー、待って下さいよっ!」
旅人さんでしょ?話聞かせて下さいよっ!と縋られても。
「疲れたのでまた明日にでも」
男はにべもない。
まぁ疲れたのは、本音であろう。
「フーン」
わたくしめも少々疲れましたと狸擬き。
酔っ払った我が、狸擬きを捕まえて放り投げようともしていたらしく、そんな我から逃げ惑うことで必死だった様子。
男がスタスタと部屋へ向かえば、
「じゃあ朝食は用意しますから、朝は食堂に来てくださいねー」
次男坊の声が追い掛けてくる。
空気を読む狼男は、その体躯のわりに気配を消すことにも長けている。
余計な口は開かず、挨拶代わりに次男坊に軽く手を上げるだけ。
「今日は迷惑をかけてすまなかったの」
部屋に戻り男にベッドに座らされ、改めて謝罪をすれば。
「いや、あれは悪い偶然が重なっただけだ」
『君を全く止められなかった自分が不甲斐ない』
「フーン」
酒の入った主様程恐ろしいものは御座いませんと、1匹を除き慰められた。
男は、しばし視線を彷徨わせた後。
「君も」
「?」
「もしかして、色々と溜めているのか?」
男には、案じる顔で顔を覗き込まれたけれど。
我が口を開く前に、
『もし主様が、何かと溜まっている状態で酒を嗜まれましたら、この村はおろか、近隣のいくつかの街は無に帰るでしょう』
と口を開いた。
「むむ」
尻尾を引っこ抜いてやろうかと思いつつ。
「特に溜まっている自覚はないの」
この世界への疑問や不可思議さや謎は多々あれど、不満とは違う。
ただ純粋かつ単純に、
「我はお酒には滅法弱いらしいの」
「そうか……」
男の安堵を含んだ大きな溜め息。
ここは湖が近いお陰で、宿にはしっかりとした浴室がある。
「ぬふー」
心持ち熱めの湯にしてもらえば、身体に僅かに残った酒が抜けて行く気がする。
生きていれば、色々な事があるとは思ってはいるけれど。
(あれの、今度は他所様に迷惑の掛けない山の中で、熊やら猪やら鹿などを、ぶん投げてみようかの)
自覚はなくとも、何か溜まっているものが発散されるやもしれぬ。
「おっはよーございまーす!」
次男坊は朝から元気である。
朝食は目玉焼きに知らぬ煮込まれた豆にウインナー。
それに外はカリカリ、中は珍しく柔らかなパン。
「?」
「ソーダブレッドと言うらしい」
ソーダ、ええと重曹の方であるかの。
「とても美味の、我でも焼けるかの」
それに加え。
ポットで出てきたのは。
「のの、紅茶の」
「あれ、紅茶は珍しいですか?」
低い丘のような山々を越えてきたならば、こちらは紅茶が主流だと。
「ここらでお茶と言えばミルクティですよ」
ほうほうのほう。
これは嬉しい誤算。
「珈琲も入ってきてますけどね、やっぱりお茶が落ち着きますよ」
他の客にも食事を出した次男坊は、我等のテーブルの空いた椅子にちゃっかり座ってきたけれど。
「これから食堂に片付けの手伝いへ行くので」
やはりにべもない男。
「えー!?じゃあやっぱり店を壊したのお客さんたちなん?」
他の客の注目を集め、
「……」
男が眉を寄せた笑みを浮かべ。
「おわっとぉ!」
椅子ごと引く次男坊。
そう、男の目は笑っていない。
女将には、
「うちの旦那がやったって事にしておくからね、聞かれても話を合わせるんだよ」
と、何とも寛大な言葉を貰えている。
「違います、仕事で片付けを依頼されただけです」
男の否定と訂正に、
「え、行商人って、何でも屋なの?」
怪訝な顔。
「そうですね、行商人でもありますが、何でも屋も兼ねています」
否定できぬ。
「え、行商人って、他の国や街で安く仕入れたものを、別の国で高く売る仕事じゃないの?」
のぅ。
間違ってはいないけれど、正解にはほど遠く。
「ほれ、こやつが馬鹿であるの」
馬鹿の顔を覚えておくのと次男坊を指差し、相変わらず空気を読み、賢く静かに食事をする狼男に教えてやれば。
言葉は通じなくとも、自身が愚弄されたことくらいは解るらしい。
「えー!だってさ!行商人って、みんな景気良さそうだし!!」
それは。
「景気の悪そうな行商人からは、誰も買い物をしたくないですからね」
男は我の口を拭きながら苦笑い。
あのしばらく滞在した大きな街の、ええと、結局なんの祭りであったか。
あの祭りで出会った服屋の男も、仕事柄とは言え、服屋が纏うものは、祭りの終わった4日目までも、細やかに手入れのされた華やかな、成金の様なスーツを身に纏い、なんならあやつは、爪先まで美しく整えていた。
「え、じゃあお客さんたちは?」
次男坊は不躾に、我の安物には見えない水色のワンピースを見るけれど。
「ほれの」
狼男の着る、我がほつれを繕ったばかりの箇所を見せれば。
「そ、そんなぁ……!」
次男坊は、優雅に気儘に旅する行商人の夢を砕かれてガックリしている。
ほつれを直した服を着ている狼男には、すでに何着か服を与えているし、自身の給金でも服を買っていたけれど。
狼男は、自身が一番気に入った服ばかりを着る傾向にある。
テーブルに突っ伏す次男坊は。
ただ単純に大変に邪魔である。
椅子ごとひっくり返してやろうかと千切っていたパンを皿に置くと。
「風変わりな旅人さん方、将来の仕事仲間を減らすようなことをしないでくれませんか?」
隣の席の四十絡みの紳士が、上品に笑い掛けてきた。
(ぬぬ?)
身形は滅法よい。
一見地味な三つ揃いだけれど、中のチョッキは刺繍が施されたものであるし、ちらと覗くカフスにも、質の良さげな石が埋め込まれている。
今はレースがあしらわれたハンカチで、整えられた髭で覆われた口許を拭っている。
我と目が合えば、相好を崩し、
「可愛らしいだけでなく、非常に聡明そうなお嬢様だ」
そう褒めてはくれてるけれど。
食べ物に仕込まれた酒の気配にも気付かず食し、酔って好き放題に暴れた、じゃじゃ馬越えた、ただの化け物であるのだけれどの。
我を褒められた男は、満更でもなさそうで。
これはベタ惚れと言うよりも、ただの親馬鹿と言うべきか。
「あ、兄さん、いたんだ」
次男坊が顔を上げた。
兄さん?
しかし次男坊の実の兄は、厨房にいる。
では、愛称の様なものか。
「えぇ、いました」
「今日も釣り?」
「その予定です」
釣り。
「趣味が釣りでして」
この村には仕事ではなく、わざわざここまで足を伸ばして釣りをしに来ているらしい。
「湖畔でも、ボートにも乗りますよ」
狼男と狸擬きが、釣りの言葉に揃って尻尾を揺らしているけれど。
「そろそろ行かないとな」
我等は、昨日の後始末である。
「の」
皿を空にし、椅子から飛び降りれば、
「はーい、いってらっしゃい」
次男坊は、とりあえず客にはいってらっしゃいと声を掛ける癖が身に付いているらしい。
「また後でー」
と、いらぬ言葉も付いてくる。
女将と店主の自宅は、店の隣に建つ、やはり壁が白く赤い窓枠の一軒家。
ちょうど女将が出てきた所で、
「あら、早いわね、よく眠れた?」
店主はまだ眠っていると。
いつもの事らしい。
店先に放置していた、粉砕されたテーブルや椅子はともかく、脚が折れた程度のものは直せそうだ。
荷台から修理道具持ち出し。
狼男は勿論、狸擬きは、
「フーン」
案外助手として熱心に仕事をしている。
「お、昨日ぶり、早起きだなぁ」
店主が腹を掻きながらやってきた。
怪我の具合を訊ねると、
「あのくらい何ともねーわな!!」
ガッハー!と笑うため。
ふぬ。
我が直し途中の椅子を片手で振り上げて見せれば。
「うぉーっ!?」
悲鳴を上げて店の中へ逃げて行く。
「こら、やめなさい」
男の苦笑い。
そうの、また悪目立ちするであるの。
トンカチ、トンカチ。
トンカチ、トンカチ。
真っ二つに割れたテーブルをひっくり返し、補強していると。
「精が出ますね」
声を掛けてきたのは。
おやの。
先刻の釣り好きな紳士ではないか。
釣りへ向かう途中かと思えど、手ぶらであり、凝った刺繍のチョッキ姿。
「同業者がお仕事に励んでいる時に、暢気に釣りを楽しむのも後ろめたくありまして」
腕捲りまで始める始末。
(ののん)
「……ええと、仕事の話でしょうか」
男が手を止め立ち上がれは。
「いやいやいや、とんでもない」
少しお話を出来たら僥倖程度ですと、隠しもしない。
けれど、少しばかり人手は欲しい。
男も了承し、洒落た男も巻き込んでトンカチトンカチ直していると、
「あら、大工さん?」
「昨日、大乱闘があったとか」
「俺は喧嘩とか聞いたけどな」
「えっ女将さんを巡って?」
通り過ぎる人間たちの好奇心の瞳と噂話。
どうにも噂が錯綜している。
そして釣り好きの食えない洒落男は、
「なんの、随分と手馴れておるの」
「実家が建具屋なんですよ」
なんと。
「うちも兄が後を継ぎまして、私はしがない商人です」
軽々とテーブルを表にひっくり返すと、不具合がないか熱心に確かめてから。
「急げば、お古の美品を運ばせますよ」
と、身体を起こし腰を軽く叩く。
のの。
なぜ我等に提案する。
男と共に手を止めれば。
「いえ、ほらあそこ」
指を差されたのはお向かいの、換金屋と思われる小さめの店。
「たまたまあの店にいましてね。すごい音がするなと思ったら、半分開いた観音扉から様子が窺えまして」
狂乱を目撃されていた。
「奇跡的に人が少なかったのですよ」
ぬぬ?
我は無意識に人払いをしていたのか。
けれど我には、そんな力はないはず。
「フーン」
主様の薄暗いお力が辺りに撒き散らされ、無意識に人払いを招いたのかもしれませんと狸擬き。
お向かいにいた洒落男はそれを避けられたと。
(ぬぬん)
口止め料も含まれているのであろうから、我等に拒否権はない。
けれど、男が頷く前に、
「なぁに、誰かと思ったらお洒落さんじゃないの」
「あぁ、女将さん」
女将が出てきた。
お洒落さんはやめてください、と苦笑いの洒落男。
「釣りもしないで珍しい、どういう風の吹き回しよ」
女将に訝しがられる程に、相当な釣り好きな様子。
「いやいや、ちょっとした親切ですよ」
嘘こけ。
「……まーた、仕事になるとか思ってるんでしょ」
呆れた様に溜め息を吐く女将に。
「えっ」
ギクリと固まる洒落男。
女将にすら下心はバレバレではないか。
「でも、あんたん所の家具は高くて無理よ」
シッシッと手を払う女将。
「いえいえ、最近ですね、お手軽お手頃なラインも始めたんです」
ここぞとばかりに声をあげる洒落男にも、女将は寄せた眉を戻さず。
「……」
それでも。
男が黙って作り笑顔を浮かべているところからして。
洒落男には、我が暴れたこと知られていると、女将は鋭く察した様子。
「……旅人さんに適当なもの売り付けたら承知しないよ」
(おやの)
家具を卸すことを許可しつつも、洒落男はどうにも女将の信用がない模様。
全くと女将が大きく息を吐きながら戻って行くと。
「いやはや、彼女には、うっすらと嫌われてしまっている様でして」
何をしたのか。
「息子さんを唆した、と誤解が解けずですね」
唆したとな。
「息子さんに、色々な土地で、さまざまな人たちの交流もそう悪くないものですと伝えたら、この店を継ぐ前に、他の国の料理も覚えたいからと、村から出て行ってしまったのです」
あの店主と女将の息子ならさもありなん。
「それで、しばらくは私たちのいる街で働いていたのですが、そのまま、また遠くの街へ旅立ってしまったんです」
それは確かに、大事な息子を唆した元凶であるの。
「うぅん、どうも私は誤解をされやすい様ですねぇ」
困ったようにかぶりを振るけれど。
誤解も何も。
「誑かした張本人ではないかの」
「そんなつもりはなかったのですが……」
口が巧そうな男であるしの。
「こういう男には、気を付けるであるの」
洒落男を指差せば、狼男は真剣な顔で頷き。
「うーん、何だか不名誉な事を言われている気がしますねぇ」
苦笑いの洒落男。
それでも、やはり餅は餅屋。
修繕の利くテーブルや椅子は、洒落男の手伝いのお陰で昼前には直り。
「隣の街には、半日も掛からずに着くんです。これから戻って、テーブルなどを見繕い、明日には戻ってきますよ」
腕捲りを戻しつつ、立ち上がる洒落男。
洒落男が行ってしまい、直したテーブルや椅子を運び込もうと観音開きの扉を大きく開けば。
出てきた女将が、
「あら、お昼用意したのに、もう帰っちゃったの?」
忙しないったらないわねとエプロンを結び直す。
口では何やかんや言いつつ、そう仲は悪くないらしい。
テーブルや椅子を運んでくれるらしいと男が答えると、
「人の懐に忍び込むのが上手い男なんだよ」
あんたたちは冷めないうちにおいでと、その懐は底無しに広い女将に、カウンターで昼をご馳走になり。
「猪を狩った!?」
『彼が囮になってくれて、隙を付いた』
「おぉっ。弾丸小鳥がデカくなって山を走り回る勢いだと聞いたぞ」
『あぁ。その例えは“的確”だな』
仕込みをしていた店主は、ウキウキを隠せないでいるけれど、嫁の圧の強さに、安易に山へ行きたいとは口に出せない店主。
崩れたじゃがいもがとろみ代わりの羊肉のシチューは、
「ぬんぬん♪」
大変に美味。
「おかわりもあるよ」
「フーン♪」
真っ先に空の皿を差し出す狸擬き。
お腹いっぱいの昼過ぎは、我の投げた椅子が当たり、割れはせずともガタついた窓枠を直す男を手伝っていると。
「お?店は開いてるんだな?」
女将より年上な初老の客がやってきた。
「やってるわよ、あんたは一体何を聞いて来たのよ」
「何って、女将を巡って男たちが取っ組み合いの喧嘩したって聞いたのさ」
おかしそうに身体を揺らして笑いながらカウンターの前に立ち。
「はぁ!?なぁによそれっ!?」
女将が店主を振り返るも、店主は俺も知らない知らないと、ブンブンと頭が飛んでくのではと思う程にかぶりを振り。
「女将は魅力的だからねぇ」
と、昨日我が失態を犯す原因になったパウンドケーキを買って帰って行く。
「やだよ、全くなんて噂が広がってるんだか……」
大きく溜め息を吐く女将。
けれど、やってくる野次馬たちが次々とケーキを買って行くため、
「はいはいケーキは売り切れ、ビスケットかお酒買ってて!」
忙しないねぇと女将。
女将が仕込みが出来ないと言うため、代わりに狼男を立たせ、客をあしらいつつ。
それでも客が途切れている間に、男に、
「店主がしているという、正確には店主が教えていると言う習い事は何か」
と訊ねて貰えば。
「レスリングと似たような競技だそうだよ」
ふぬ、西洋相撲とやらであるか。
『?』
男が狼男に説明すると、
『俺は、武器を使いたい』
と狼男にしては珍しく意見が出た。
「なんだ、物騒だな」
『山などで獲物を狩る時に、とても有効なんだ』
「そうか、獣相手か」
うーんと唸る店主。
ここらは、特に平穏平和の証か、
”武器は卑怯者が持つもの”
と考えがあり、発展も広がりもしてないと。
(ふぬぬ)
「でもの、お主の場合、その武器を弾かれた時には、最後は取っ組み合いになるからの、生身の攻撃も防御も大事であるの」
我の言葉に。
『そうか、それは大事だな』
大きく頷く狼男。
こやつは、我の言うことには、1つの疑い無く、盲従している。
これではあまり下手な事は言えぬと思えど、
(時すでに遅し、であるかの)
教育とは、難しいものである。




