3粒目
「♪」
蝙蝠は、パタパタとこちらに飛んで来た。
そして近くの枝にぶら下がり、身体を左右に揺らす。
「あれの、お主はあの吸血鬼の従獣かの」
「♪」
我の問いには、小さく羽を広げる。
言葉は通じれど、話は出来ない様子。
そして特に手紙も言付けもなく、すぐにどこかへ飛んで行ってしまった。
「?」
首を傾げていると、
『あなたの従獣も4つ足と言うのならば、ここ数日の雨のせいで道を塞がれ、立ち往生しているのかもしれません』
今までなかった場所に水が流れ込み、我もそれに乗りこちらまで流されて来た可能性が高いとも。
ほうほう。
そして。
一戦交えた我と狼は。
心が通う、仲良くなる。
どころか。
『……』
「……」
我は一方的に、狼たちから軒並み距離を置かれた。
ふぬ。
しかと正しい獣の在り方である。
「では我は、我が辿り着いたあの川辺へ戻るの」
狼男と長に伝えれば、
「俺が送ろう」
おやの。
狼男は大変に紳士である。
「お願いするのの」
両手を伸ばせば、狼男に抱き上げられ、
「場を引っ掻き回してすまなかったの」
長に手を振り、狼男は、我を抱いたまま斜面を飛ぶように駆け降りながら。
『君は、とても甘い匂いがするな』
案外、無遠慮に嗅いでくる。
結構な角度があれど、狼男にはこの斜面も、まっすぐな一本道を歩いている程度にしか感じていないのだろう。
「甘い匂いとは、我の男にも言われるの」
『おとこ。人のおとこか』
「そうの、我の男の」
『従獣とは違うのか』
「また別の」
『先刻の蝙蝠は』
「あれは知り合いの従獣であるの」
きっと手紙を届けてくれた折に、我が不在だと知るなり、そのまま帰らずに空から我を探してくれていたのであろう。
結構な距離と高低差があるにも関わらず、狼男の足だと、あっという間に、我の流れ着いた川辺に到着した。
そして少しばかり名残惜しそうに草の上に降ろされ。
我はそんな狼男を見上げ、
「考えなしに付いて行き、仲間を蹴散らしてすまなかったの」
改めての謝罪をすれば。
『いや、俺も浅はかだった』
息を吐いた狼男は。
しかし、その身体が不自然に揺れたと思ったら、
「?」
狼男は、声を出さずに笑っている。
「の?」
『あぁ悪い。さっきのことを思い返したら、何だか、とても愉快なんだ。勿論、仲間だし、気の毒な気持ちはあるんだけれど……』
ブフッと堪えきれずに噴き出している。
「愉快かの」
『あぁ。俺の頭上を、仲間が円を描いて飛んで行く姿を思い出したら』
確かに、空を飛べぬ4つ足の生き物が宙を舞うのは、奇抜な光景ではある。
我は、蔦に巻かれ文字通りの“ニコイチ”になった狼の姿を思い出し、
「くふっ」
しばらく笑い合った末。
『キミの迎えが来るまで、キミと一緒にいさせてくれないか』
そんな提案をされた。
おやの。
「戻らなくてよいのの?」
『俺は別に行動が制限されているわけじゃない』
山の暮らしは、適材適所だと。
それぞれに出来ること、出来ないことを分担しており、狼男はそれなりに重宝されている様子。
『キミは、腹は減らないのか?』
「そうの、食べなくても平気の」
たまに水は飲みたくはあるけれど。
狼男は、空腹を感じているらしい。
「普段は何を食べているのの?」
『食べられるものは何でも食べる』
魚なんかは捕りやすいから特に食べると。
けれど、今はまだ川は濁っていて魚を捕るの難しそうである。
『周りはだいぶ崩された様だし、少し歩けば、何か落ちているかもしれない』
辺りを見回すと、狼男は、また我を当たり前のように抱き上げてくる。
我の男と似て世話焼き体質であるか。
『キミは、遠くから来たと言っていたな』
「の」
『何か、理由があるのか?』
「そうの」
色々あるけれど。
「この世界のことを知るための旅であるの」
『たび。……ええと、縄張りの外に大きく出ることだな』
「そうの」
『怖くないのか?』
「我は強いからの」
『言葉が強いな』
ふぬ?
説得力がある、と言いたいらしい。
川を少し下ると。
流木が固まっている所に、
「黒い実があるの」
「あれは甘いものだ」
狼男は我を降ろしてザブザブ川へ入っていくと、根っこから流された黒い実の付いた木を片手で持ち上げ、ザブザブ戻ってくる。
枝から実を外すと、まず我の口に運んでくれる。
「あむぬ」
1粒が大きく甘い。
「ぬん♪」
数粒貰い、もう平気のと礼を伝えると、
『あまり食べないんだな』
と自分も少し口に放り込むだけ。
「仲間の元へ持っていくのの?」
『あぁ』
枝を折るにしても、嵩張りそうだ。
(ふぬぬ)
「の、細目の蔦が欲しいの」
「?」
首を傾げられたけれど、黙って少し山に入り、蔦を探しては引っ張り、ほどほどの数が集まれば。
『何をするんだ?』
「カゴを編むの」
『カゴ?』
「入れ物の」
カゴを編んでいけば。
『いつか鳥に、それらしいものを教えて貰ったけれど、詳しくは解らなかったものだ』
じっと覗きんで来るため、
「こうの」
『んん……』
ゆっくりと指を動かしてやれば。
狼男も、見よう見まねで蔦を太い指に絡める。
「そうの、上手であるの」
背後で川の流れる音が、徐々に緩やかになって行くのを感じる。
手が覚えれば、決まった動きになるため完成は早い。
幼子と半獣の手で編まれた蔦を繋げたそれは。
それでも何刻程たったか。
大層いびつで不恰好ながらも、持ち手の付いたカゴになった。
「これならば、お主も、長も咥えて使えるであろう」
『いいのかっ?』
両手で掲げるように持ち、全身で喜んでいる。
「無論、構わぬの」
今の我に出来る礼と謝罪はこの程度。
捥いだ黒い実をカゴに落とせば。
『すぐに戻る!』
カゴを持ち、山へ消えて行く。
(ぬん……)
その姿を見送れば、陽射しは緩やか。
偶然にも、蝙蝠が来てくれたのは僥倖。
手紙をまめに寄越してくれる吸血鬼にも感謝を伝えなくては。
蝙蝠を経て、狸擬き伝に。
男にも、例え我は死なぬと解っていれど、我の確実な生存が伝われば、多少は安心するであろう。
『とても喜んでいた!』
狼男はあっという間に戻り、戻ってくるなり我を抱き上げ、ぎゅうと抱き締めてくる。
「くふふ、少し力が強いの」
小豆が溢れそうである。
『おっと、悪い』
ただ、もうしばらくは我の迎えは来そうにないと告げると、
『そうか』
気にした様子もなく、我を膝に乗せてその場に座り込んだ狼男は、我の指を爪を手の平に乗せ。
『小さいのに、細部までよく出来ている』
まじまじと眺め、観察を始める。
『毛も、艶、艶み?があるな』
髪に触れ。
「艶がある、であるの」
『あぁ、艶がとても美しい』
触れ心地が違うと自身の髪と比べている。
『この毛のない肌も、なんと言うか、気持ちが柔らかくなる触れ心地だな』
頬をつつかれ、なぞられ。
狼男が満足するまで、おとなしくお人形になってから。
「お主は、自身のことを、どれくらい聞いておるのの?」
今度は我が訊ねてみる。
『あまり。いや、知らないことばかりだ。……長に訊ねても、あまり知らないと困らせてしまうため、もうあまり訊ねることもしていない』
狼男は、長の次に寿命が長いと。
『俺の生きてきた数は、ええと今は、“10を2度合わせて満たない程度”らしい』
のん。
野性味に溢れているくせに整っている顔と、そう無駄にはしゃがないため、20歳は越えていると思ったら、まだ未満であるらしい。
それでも。
「自身のことは知らないとは言え、山のことには詳しいであろうの」
お山は、大きな家と言えるのではないか。
『どうだろう、自由に飛べる鳥に比べたら、きっとそうでもない』
至って控え目な性格。
嫌いではない。
「お主は、人のいる場所へ行きたいと思わぬのの?」
我の問いに、ちらと目を見開く狼男は。
しばらく晴天の空を見上げ。
『一番の気持ちは、怖い、だな。俺は長曰く、とても臆病だから』
臆病。
「我を見ても恐怖心などこれっぽっちも持たず、好奇心丸出しで話し掛けて来たお主のどこが臆病かの」
あの長の方がよっほどであると身体を揺らして笑ってしまうと、
『そうだな。でも、臆病だから生きていけると、長には言われた』
狼男も身体を揺らして笑う。
「一理あるの」
狸擬きもそうだ。
大事な生存戦略。
しかし。
なぜこの狼男には、我は化け物ではなく人の幼子に見えるのか。
我が思っている以上に、この狼男は、“人寄り”なのであろうか。
狼男の膝から降り、絡まった毛先を手櫛で梳いてやっていると、
『こそばゆいけれど、悪くない』
と身動ぎし。
『キミは、人と、どんな生き物との混じり物なんだ?』
振り返って問われた。
「我は小豆洗いの」
『あ、あずき、あらい?』
「そうの。豆を研ぐの」
『まめ、まめは知ってる』
「それを研ぐ者の」
『……?』
到底、理解に辿り着けない狼男を笑っていると、
「♪」
「おやの?」
狸擬きではなく、再び蝙蝠が飛んできた。
しかし。
「早いの」
お山の上空の風に乗ったか。
足首に、小さな金筒を嵌めている。
見覚えのある金筒。
間違いなく我の男からである。
腕を伸ばし指先も伸ばせば、蝙蝠は我の指先に足で掴まり、ぶら下がる。
吸血鬼の蝙蝠たちは、2本足で自立も出来るようだけれど、やはりぶら下がるのが楽らしい。
「ありがとうの、お使いをさせてすまないの」
今はろくな礼も出来ない。
「♪」
蝙蝠は気にするなと羽を広げてくれる。
大変に気のいい蝙蝠である。
蝙蝠の主であるあの吸血鬼も、大変に太っ腹であり、好意も言葉も土産も、何も惜しむことはなかった。
やはり従獣は主に似るのであろうか。
狸擬きのことを考えると、その説は否定したいのだけれど。
金筒の中に丸められた紙には、男の書いた文字が並んでいた。
『蝙蝠から君の従獣伝に、君の無事を聞いた』
『今、その彼は君を必死で探してくれている』
『君が落ちたあの瞬間から、すぐさま君を追うために飛び出してくれたけれど、土砂崩れが広範囲で起きており、彼は川を山を越えられずにいると。
けれど、その彼曰く、別の場所へ走っても、まるで自分を阻害するように崖が崩れるか、同じ場所に辿り着いてしまうと聞いた』
崖が崩れるはともかく。
(同じ場所に辿り着いてしまう?)
『タイミング良く蝙蝠が来てくれ、君を探し、存在を確認してくれた』
『君の従獣からの伝言だ。
“自分が山を2つ越える、主様は最後の場所に橋を掛けて欲しい”
と』
ほう。
最後の場所とは、狸擬きが辿り着いてしまうと言う場所であろう。
『そこまでの誘導は、君に手紙を運んでくれる蝙蝠が買って出てくれた』
『君の無事を祈ることしか出来ない俺を許して欲しい』
ふぬ。
ふぬぬん。
どうやら。
我等に、何かしらの力が。
都合の悪い力が働いている様子。
(なんであろうの)
蝙蝠が、少し休みたいと羽を閉じる仕草。
「勿論よいの」
たった1匹の蝙蝠に、だいぶ無理をさせている。
「♪」
蝙蝠は、我の指から山の方に飛ぶと、木の枝に逆さになってそよそよと風に吹かれ、眠り始めた。
『これは、もじ、か』
狼男が手紙を覗き込んで来る。
「そうの」
これは、お隣の国の文字のと指を差し。
「これは、ま」
『ま』
「これは、ほ」
『ほ』
「う」
『う』
狼男も、当然のように魔法は使えない。
『まほう、聞いたことがある』
「の、人間のみが使える力であるの」
『凄いな』
「の、人は凄いの」
文字の読みを教えていると、狼男の腹が大きく鳴り。
狼男は、流れが緩やかになってきた川に足を浸し、動かずに影を作り。
『よっ』
その影に集まって来た魚を易々と捕まえる。
そして、そのまま、ザブザブと上がると、
「ほら」
ビチビチ跳ねる魚を、我の口に寄せてくれるけれど。
「の、のぅ……」
気持ちだけ貰うのと遠慮すると、
『魚は食べない種か』
狼男は、魚を頭から齧っていく。
我は、意識して耳を遠くへ澄ませる。
「……」
狸擬きは、隣国まで走る勢いで迂回に迂回を重ねている様子。
そう。
じっと集中すると、確かに、僅かながら気配を感じる。
戸惑い、少しの焦り、知らぬ山中への好奇心。
ただ、それも一方的であり、こちらの感覚は伝わらない。
「……?」
こうなると、もう吸血鬼の蝙蝠頼りである。
夜まで目を覚まさないかと思われた蝙蝠は、狼男が魚を5匹程度食べた所で、あっさり起きて飛んできた。
仮眠らしい。
山の陽が落ちるのは早い。
まだ陽はあれど、男のためにも、戻らねばならない。
「我は、そろそろ行くの」
ありがとうのと、狼男に礼を伝えれば。
『……』
口に出さずとも、惜しむ顔と、引き留めるように伸びる狼男の腕。
ののん。
我としては、あの長や他の仲間の元へこやつを帰さねばと、気を遣ったつもりなのだけれども。
狼男自身は。
我との別れを、拒んでいるし、惜しんでいる。
悲しげな名残惜しげな顔を隠しもせず。
(ののん)
本人の意志を尊重するならば。
「我を、途中まで見送って貰えると嬉しいの」
『勿論だ』
曇り空が瞬く間に晴れ渡るような、我でも、ほんのりドキリとさせる笑顔になった狼男は。
我を抱き上げ、蝙蝠の飛んで行く先へ山を駆け、浅瀬の川を越えて行く。
『キミの話を聞く限り、周りはだいぶ被害が多いようだな』
「ふぬ、こちらは異様に被害が少ないの」
走り回った山でも、真新しい大きな崖崩れの跡などは見えなかった。
狼男は、我を片手に抱き、ザッと崖を飛んで降りるため。
狼男の首にしがみつけば、
『怖いか?』
不思議そうに問われる。
「のの。つい先日、従獣に振り落とされたばかりであるからの」
用心のためにしがみついているだけである。
『そうか』
狼男は我を強めに抱くと、
『やはり少しおかしな気持ちになる』
と、斜めに生えた木の上に立ち止まり、胸を押さえる。
ふぬ?
「狼たちに、そういう気分になったことはないのの?」
『ないな』
ぬぬん。
やはり、だいぶ人間よりの感情と肉体らしい。
「今は我慢であるの」
『君は、ならないのか』
先を飛ぶ蝙蝠を見上げ、また走り出しながら問われるけれど。
ぬん。
「淑女にそれを訊ねるのは、“まなー違反”であるの」
『まなー?』
「礼儀に欠ける行為の」
『んん、そうか、気を付ける』
今度は我をきつめに抱いたまま、高さのある崖下へ一気に飛び降りる。
「わほーぅ」
川の水は徐々に引けど、崖の一部が落ちた後や土砂が溜まっている。
「ここいらは、まだお主等の縄張りの?」
「あぁ、けれど、もうすぐ外に出る」
ならば。
では、と耳を澄ませてみれば。
ほんの微かに、
「……フーン」
やはり何かおかしいです、と狸擬きの困惑が、川の流れに乗って伝わってきた。




