24粒目
『た』
狼男が口を開いた。
「?」
『た、助けることは、出来なかったのか?』
「の?」
男が、我を抱き上げて狸擬きの背に座らせると、左肩に掛けていた鞄から、水の入る革の水袋を取り出し、我の右足の靴を脱がせ、靴裏に水を掛けてくれる。
「あれをかの」
今はぺしゃんこになり、黒い靄は消えた鳥擬き。
『あ、あぁ……』
こやつは山と言う弱肉強食な土地で長年暮らしていたくせに、何故こうも、世界に対し深い慈愛を持っているのか。
半獣とはいえやはり狼と言う、山でも強い生き物である故の余裕なのか。
「片目で足が3本、鳥に必要な視界は狭まり、無用な足だけが多い鳥に、どんな未来があると言うのの?」
『それは、……そうだけれど』
男が、靴裏の綺麗になった靴を履かせてくれる。
「なんの、お主が育てるのかの?」
靴を履いた足で、狸擬きの背から飛び降り、狼男を見上げれば。
『う……』
責めるつもりなど毛頭なかったけれど、我は、基本愛想もない。
笑わずもせずに問うたせいか、
『……いや』
ぐっと詰まられ、
『すまない……』
俯かれてしまった。
(のの)
相手が狸擬きならば、
「焼き鳥にでもすれば珍味だったかもしれません」
などと抜かすであろうからこそ。
「なんの、もう少しやり方を考えるべきであったのは我であるの」
狼男のいない場所で、形も残らぬくらいに木にでも投げつけるか、握り潰すべきであった。
卵の中身が分からない以上、もう少し慎重になるべきでもあった。
潰した卵の中身は、あの眼鏡の女の様に、黒い靄に乗っ取られたわけではなく、すでに命を授かった瞬間に、黒い靄に全てを侵食されていた。
『……』
この世界の人間は優しく、我に慈悲はなし。
あの山の長は、我の強さのみを見て、この子を守れるからと、我に狼男を預けはしたけれど。
長は、山から離れた人里の人間たちが、滅法人が良く、優しく、半獣半人の狼男を難なく受け入れ、歓迎することを知らない。
こやつが我と居ることで、無駄に心を傷付けるより、早々と自立を促すべきか。
黙って水の入っていた革袋を仕舞った男は、何も言わず。
代わりに、我に両手を伸ばしてくれた。
「の」
男に抱き上げられ、ぎゅむりとしがみつくと。
『……山は、人里とは比べ物にならないくらい、残酷なことはあっただろうけれど、長が、きっとそれを、俺には見せずにいてくれた』
長の苦労は相当なものであっただろうの。
狼男は、大きな手を強く握り。
『……でも、俺は』
「?」
『キミの見ている、キミに見えている世界を、俺も見たい』
ぬぬん。
「大変に悪趣味であるの」
軽く茶化してみせても。
『俺も、ええと、寄り添う、ことをしたい』
寄り添うとな。
『あぁ。キミたちが俺にしてくれた様に、俺も、キミたちの気持ちに添いたい」
狼男は思い詰めた顔をして、我を見つめてくるけれど。
「お主に優しくしたのは、たまたま我等であっただけで、この世界の人間ならば、同じように、のの、きっとそれ以上に、お主を大事にしてくれるであろうの」
それは断言できる。
『それでも』
「?」
『俺を、あの山から連れ出せるのは、キミだけだった』
「……の」
のの。
「フーン」
色々な経験を積むのも楽しいものですと狸擬き。
ぬぬ?
「要らぬ経験でもかの」
「フーン」
それはこの狼男が決めることです、と。
ふぬ。
「それもそうの」
ふんと息を吐いて男の肩越しに空を見上げれば、また久しく、鯨と蛇が飛んで行く姿が見えた。
森から、ぞろぞろと街の方へ戻ると、やけに顔を青くした見知らぬ男が、我等に気づくなり、ダダッと駆けてきた。
そして、
「た、卵を」
ぬ?
「あの卵を買ったのが、君たちだと聞いたんだが」
あの卵とな。
狼男を除いて、はて?とすっとぼけて見せると、顔を青くしたままの男は、格好からして街の人間であろう。
厚手のシャツに、厚手のパンツ、古さはあれど手入れされた編み上げのブーツ。
ベルトには油で汚れた布をぶらさげている。
鍛冶屋辺りであろうか。
走ってきたお陰で息が上がり、我の男が曖昧に首を傾げて見せると、
「失礼した。僕は、向かいの道の先にある、金物屋だ」
唐突に悪かった、怪しい者ではないと、それでも、どうやら視線からして卵の行方を気にしているため、
「つい先刻、森の方へ行った時に、彼女がうっかり落としてしまい、卵は割れてしまった」
男が肩を竦めると、
「わ、割れた?」
「えぇ」
「……な、なんだ、そうかぁ」
良かったと、謎に大きく安堵の息を吐かれた。
(ぬぬ?)
この金物屋の男は、あの黒い靄が見えているのであろうか。
「金物屋の方なのですか?」
「あぁ。うちは主に小さい鍋とかハサミとか、細かいものを何でも扱っている」
ちっちゃい店だけどと照れ臭そうに笑う。
どうやら店主らしい。
「見せて貰っても?」
「おぉ、是非!小さくとも品揃えには自信があるんだよ」
道を渡ると、こちらの通りは鍛冶屋通りと言うべきか。
油や金属の臭い。
他の店も興味深いけれど、まずは男の店へ。
「ただいま」
「あなた、お帰りなさい、あら、お客様かしら?」
「あぁ、先に休憩入ってくれ」
店は大きくはないけれど、品物の並ぶ大きな机だけでなく、棚にも壁にも天井近くまで商品で埋められている。
金物屋の男の言う通り主に小物。
我は綺麗に並べられた小さなナイフが気になる。
奥の小さな椅子から立ち上がった嫁らしき女は、ふくふくとふくよかで、2人で店を営んでいる様子。
「いいの?」
「君は少し休んでいてくれ」
「じゃあ、何かあったら声を掛けてね」
「大丈夫だよ」
仲は良さそうだ。
2階が住居と思われる。
「フンフン」
まずは狭い店内を一通り確認する狸擬きを、珍しそうに目で追っていた店主は。
「あの卵に、何かありましたか?」
男の問いかけに、
「おぉ、失敬。まずは質問に質問で返すことを許して欲しい。あんたたちは、なぜ、あの卵を選んだ?」
にこりともせずに問い返され。
なぜ。
「勘であるの」
「勘だそうです」
男が答えれば。
「勘……。んん……勘か……」
眉間に皺を寄せて腕を組まれた。
そして、
「割れたって言ってたな」
「えぇ」
「中は、どうなってた?」
「中は、ただの卵の中身でしたよ?」
卵白と卵黄でしたがと、男のさらりとした嘘に、
「ただの卵の中身……」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした店主は。
「そ、そうか……」
はぁーっと、身体ごと大きく傾くように息を吐き出した。
そして、
「……また重ね重ね悪かったな」
表情が弛み。
「その、旅人さんなら、こう、たまには、気色の悪い話を訊いたりしないか?」
窺うような低い声に、男も、
「そうですね、なくはないですね」
訳知り顔で頷けば。
金物屋の男は、
「ほら、一芸まではいなくても、ちょっと手先が器用だったり、計算が早い奴とかいるだろ?俺はさ、そんないいもんじゃなくて」
ごくたまに、変なものを感じたり感じなかったりするんだよと、太い首筋を掻く。
変なもの。
男が黙って先を促すと。
「あの店先の籠に入った卵たちが並んだ辺りから、なんか嫌なものを感じてな。よーく眺めてみると、どうやらその中の卵の1つにぞわぞわするんだ。気になって聞いてみたら、あの卵の柄は店の奥さんと娘さんの2人で描いたって言うんだよ」
でも、観察を続けると、ぞわぞわするのは、どうやら卵の表面でなく、中身からっぽいと気づいたと。
「んで、さっき通り過ぎた時に見たら、あの卵のあった場所がポッカリ空いてなくなってるだろ?よりによって、なぜあんな良くなさそうなものを買ってる奴がいるんだ、あんなもの持っていたら危ないんじゃないかって、店の奥さんに聞いたら、あんたたちの特徴教えてくれてな」
血相抱えて探してたら、我等がのこのこ現れたと。
ふぬふぬ。
理由は解った。
しかし。
「の、お主の言う、変なものとは何の?」
男伝の我の問いに。
「んんん、なんだろうな。目で見えているわけではなくて、実際は、予感、みたいなさ?風邪の前触れみたいな、鳥肌が立つようなものを、首の後ろ辺りに感じるんだよ」
黒い靄が視えているわけではないと。
「あの卵は、割ってしまい……」
そう、すでに中身を確かめる術もない。
男が申し訳なさそうに謝ると、
「ああいやいや、感謝したいくらいだ。僕は感じるだけで、何も出来ないんだ。あんなものを家に持ち込みたくもないし、かといって捨てるのも気が引けるし。じゃあ誰かがあれを手にして、もし何かあったらと思うとな、ずっと落ち着かなくて」
気掛かりが消えて助かったと。
そのおかしな予感は頻繁にあるのかと問えば、
「ないない。数年に一度あるかないかだ。それに大概は、
『あ、この作業は危ない』
とか、
『これはフラれるな』
とかだからなぁ」
歯を見せて笑って見せる店主は、
「こんなに嫌な感じで気を持っていかれたのは、あれが初めてだよ」
と、組んでいた腕を解くと。
「なんかおかしな中身なのかと勘繰ってたから、ただの卵と聞いて安心した」
またもぽりぽりと首筋を掻く。
(ふぬ)
この店主に、あの卵の本当の中身を伝える必要はない。
店で買い物をさせてもらい、店主に元気に手を振られ店を後にすると、
「フーン」
あの店の、人の女の方は、腹を少し膨らませていましたと狸擬き。
「そうの」
だからこそ、余計に心配だったのだろう。
気掛かりがなくなったのなら何より。
我等は再び、卵、卵、卵な黄色い街を歩く。
『人は、とても凝ったことをするんだな……』
花壇にも飾られた愛らしい模様の卵たちに、狼男が感嘆の息を吐いた時。
(のの)
「フンッ?」
視界の端から何か飛んできた。
頭の辺りに飛んできたため、反射で受け止めれば、
「小石の」
ほんの小さな小さな欠片のような小石。
振り返れば、再び。
今度は迷いなく小豆を飛ばぜは、飛んで来た小石に小豆が当たり、地面に落ちる。
小豆より小さな小石だけれど。
「……?」
どうやら標的は、我の様子。
我の男は、すかさず片膝を付いて我を庇うように胸に抱え、狼男も我等の前に立ちはだかってくれるけれど。
(……?)
飛んできた方には、誰もいない。
「?」
「フーン」
人外の気配ですと、主の危機に警戒し膨らむ狸擬き。
おやの。
「最近、妙に縁があるの」
今度は透明人間とでも知り合いになれるのかと思えば。
「や、やめなよぅ」
「な、何で効かないのよっ?」
(のの?)
すぐ近くで声がする。
そう。
声からして、わりと近い。
耳に意識を向け、じっと目を凝らすと、微かに、小さな小さな光が見える。
ただ、男や狼男には見えないらしい。
けれど。
我と同じように光が見えるらしい狸擬きが、
「フーンッ!」
我が主に狼藉を働くのはお前らか!と飛び跳ねると。
「フンッ!」
右の前足を伸ばして、光を叩くように上から下に振り下ろせば。
「ギャッ!!」
「ぐっ……!!」
悲鳴と共に、石畳に何かが打ち付けられるのが見えた。
『……なんだ、これは?』
数歩進み、屈んだ狼男も、不思議そうに覗き込み。
男も。
「……蝶々?」
怪訝な顔。
「フーン」
我の従獣に叩かれ、勢いよく地面に落ちたのは。
背中に、紋白蝶の様な白い羽根を付けた、我には人形に見える妖精?が、文字通り、虫の息で痙攣していた。




