12粒目
「ほんの短い時間で、お主は肉が付いたの」
出会った時も、引き締まった上半身を見せていたけれど、服越しでもすでに少し身体が大きくなっているのが解る。
『あぁ、力は付いている気がする』
身体に合ったものを食べているためであろうか。
良いことである。
リスや兎でも狩るかのと提案すれば。
いいなと楽しそうに大きく頷く狼男。
「リスはともかく、兎はなるべく頭を狙うの」
小石を拾い、葉に埋もれるようにキョロキョロしているリスの頭を目掛けて飛ばせば。
「……ヂッ!」
「のの」
『おお……』
「ぬ、力を入れすぎたの」
リスの頭が弾け飛び、背後の木に血と脳髄やらが案外派手に飛び散る。
辺りを見回すと、もう1匹。
狼男が男から借りていた小型の投げナイフを飛ばすも。
『……ぐ』
ナイフはリスの耳横をすり抜け先の木を抉り、リスは我が直後に飛ばした小石が貫通し絶命する。
『なかなか難しいな』
「お主は力は充分にあるから、後は練習だけの」
それに。
「お主はよく食べるからの、兎の方が効率が良いの」
『そうしよう』
互いに耳を澄ませていたけれど、
『あそこにいる』
「の?」
狼男の指を差す方に目を凝らせば。
「ほうほう」
薄茶色の兎。
またぬいぐるみの様な愛らしさ。
「ここから飛ばしてみるの」
『あぁ』
狼男がナイフを投げた瞬間、野性の勘か、兎がこちらを振り向き、飛んでくるナイフに身体を固まらせたけれど、もう遅い。
ナイフが貫通し、ドサリとその場に倒れ込む。
「見事であるの」
『なんだ、ええと心臓、胸が上がる』
ドキドキやワクワクすると言いたいのであろう。
もう数羽程狩ってから沢へ向かい、
「解体は男の方が遥かに丁寧で上手だけれどの」
我のは悪い見本として覚えるのと、兎を捌いていく。
『……人は、“てまひま”を掛けるな』
「味覚が発達しておるからの」
それに適した技術と器用さを持ち合わせている。
『……それらを知れば知るほど』
狼男の溜め息。
「?」
『俺は、独り立ちを出来る日が来るのかと、不安になる』
おやの。
並んで血塗れの手を洗い流しながら。
「それでも、我等と共に春夏秋冬を一巡りでもした頃には、1人で何でも出来るようになっているであろうの」
そう伝えれば。
『……しゅんか』
「春夏秋冬の」
水を払う我を見て、じっと固まる狼男。
「?」
『……そ』
そ。
『そんなに、一緒にいていいのか?』
何を言う。
「それくらい一緒に過ごさねば、人の世界でまともな生活を営めぬのであろうの」
『……そ、そうか、そうなのか』
ホッと大きく胸を撫で下ろす狼男。
「くふふ、早々と放り出されると心配したのの?」
『あぁそうだ。俺はもう、人と比べても、身体は“成体”だから』
そうの。
けれど。
「人の世界では、お主はまだ赤子も赤子であるの」
それに、山の長に世話を頼まれているからの。
簡単には放り出せぬ。
狼男は、濡れた手を胸に当て、
『心が落ち着いた理由は、まだ、ある』
肩で大きく息を吐く。
「の?」
『キミと、まだ多く居られる時間があると思ったら、安心した』
おやの。
可愛い事を言うではないか。
にんまり笑ってやると、
『俺はキミの、その、悪い顔も、とても魅力的に思っている』
「そうであるかの」
どうやら、趣味はあまり良くない模様。
狼男は、頭上を飛んで行く鳥の鳴き声に耳をちらと揺らす。
狼男の元々の聴力は勿論、聴解力とでも言えばいいのか、男曰く、人との会話で必要な細やかな発音も、きちりと聞き分けていると。
「お主は大変に優秀であるから、案外、旅立ちも早いかもしれぬの」
『そうか?』
狼の習性として、雄は成長して親離れすれば、自ら群れを抜けてツガイを探したり、自身が統率者となるために仲間を探すと聞いたことがある。
この世界もその辺りは同じらしい。
例外として山の主はそれには該当せぬけれど、こやつは山の主ではない。
それに。
「お主は半分は人であるの。旅を続けずとも、居心地のいい場所を見付け、そこに落ち着くのも、1つの未来であるの」
『あぁ。……でもキミたちは、旅と言うものをしているな』
「そうの。でも、我等は家を買ったのの」
『家』
「お主で言えば、あのお山の様な場所の」
『おぉ。俺も、キミたちの家を見てみたい』
「良いの」
そう言えば。
先刻から、森から狸擬きの気配が消えている。
「?」
まぁ良いのと、兎の肉をしまうために、小さな天幕を広げた森の外へ戻りつつも、狸擬きの気配を追えば。
狸擬きは、どうやら男が向かった山の方へ走っている。
散歩がてら様子を見に行ったらしい。
冷蔵箱に兎を放り込み、敷物の上に腰を下ろした狼男に促されて、そのあぐらの中に収まれば。
『先刻の話だけれど』
「ぬ?」
『キミは、キミの身体は、成長を行わないのか』
耳の上で2つに結んだ髪を掬われる。
「そうの、髪や爪は僅かに伸びているけれどの」
『それは、人の里の中でも、珍しい個体、であっているか?』
「正解の。珍しいと言えば、知り合いに吸血鬼もいるの」
『きゅうけつ、……血を吸う。……ヒルか?』
蛭とな。
「ヒルと言ったら、あやつはさすがに怒りそうだけれどの」
あやつの事である、ヒルも眷属にしてるのではないか。
「我の出会った吸血鬼は、人形であるの」
山の中に我を探しに来てくれた蝙蝠の主であること、今は従獣のツガイを探していてる旅をしていると話せば。
『……キミといい、その吸血鬼といい、彼等は従獣であるのに、キミたちは彼等を、同等か、それ以上の扱いをいると感じる』
「ぬぬん、そうの」
わざわざ記憶を振り返らなくても、心当たりは多い。
それでも。
「従獣は従獣の。言葉は悪いけれど、あの吸血鬼が従獣のツガイを探すのは、長い生をもて余した、要はただの暇潰しであるの」
『暇潰し……』
「そうの。だから、お主の寿命がいかほどあるかは我は知らぬけれど、お主も、気楽に生きればよいのの」
顔を上げて目を合わせれば、
『あぁ、がんばる』
狼男も目を三日月にして笑う。
「フーン」
テッテコテッテコと狸擬きが戻って来た。
「おや、お疲れの」
「フーン」
遠目から眺めて見ましたが、馬車の車輪に嵌めた万能石の様子がおかしく、馬車はよりによって山のてっぺんで立ち往生し、難儀している様子と。
「おやの」
万能石。
あれはわりと色んな場所で売られているけれど、元々の素材が安定しているため、酷い粗悪品などは見たことがないし売られてもいない。
我の知らぬ場所では、粗悪品も珍しくないのであろうか。
『馬も必要以上の負荷を受け、弱っている様子が見受けられます』
それはそれは。
「まだ掛かりそうかの」
『馬車の修理も、乗り手ではなくあの男も含め、後ろに続く馬車の御者たちが担っています』
おやの。
それはまた面倒になっている。
我は鍋で湯を沸かし、そこに小豆を落とし、少しばかり煮込んだものを、革の水入れに注ぐ。
「これを水で薄めたものを馬たちに飲ませるように、男に伝えて欲しいの」
「フーン」
革の水入れを咥えた狸擬きが、畏まりましたとテテテと駆けていく。
それを見送っていると。
『……キミは、“まがまがしい”』
「ぬ?」
唐突にどうした。
狼男を見上げると、
『いや、違う。キミを、下げる、ええと、酷く言いたいわけじゃない』
ふぬ。
『長の言葉だ、長は、キミをまがまがしい、恐怖を上回る存在だと言っていた』
確かに、そんな事を言われた気がするの。
『けれど、キミは、今も、馬や人だけでなく、俺も助けた』
そうであるかの。
『それは、長の言うことと、正しくない。正解が違う』
なるほど。
「良薬口に苦し、であるかの」
『?』
ぬん、それも違うか。
「そうの。それは、そう単純な話ではないのの」
この浮世は、表と裏、白と黒だけではない。
だからこそ、あの山の長は、自身の山を死の山にしかねん我に、大事なこやつを我に預けた。
「我に中も、色んな色があるのの」
『花の色や形のようにか』
ぬぬ。
こやつは見た目に反し、例えが乙女寄りである。
『そうの。そして我は、売れる恩は売っておくべきだとも思うのの」
『おんを売る?』
「の」
『……?』
おんとは何だと、勉強してきた単語を思い出している様子。
『売る、は知っている』
「恩は、物ではないの」
『???』
身体が傾く勢いで首を捻る狼男に、
「くふふ、また知恵熱が出るかの?」
笑ってしまうと。
しかし、
『そんな勢いだ』
狼男には、真剣な顔をして頷かれた。
しばし後。
そう待たずして馬車で男と狸擬きが戻ってくると。
「とても助かった。馬が消耗していたから、車輪を直してもあのままでは動けなかっただろう」
空になった革の水袋を片手で軽く掲げられた。
それは良かった。
「お疲れ様の」
「あぁ、お疲れ」
馬車から降りた男が我を抱き上げると、少し遅れて馬車がやってきた。
明らかに乗りなれていない馬車の乗り手に、馬たちも戸惑い気味なのが見て取れる。
それに。
(……何の?)
何か。
「フーン」
主様と狸擬き。
「の」
馬車が停まるのを待つ。
よたよたと馬車から降りた女は、そう、たった1人。
小柄な姿は、あの自己愛と悪い意味で学者脳に支配された隣国のサイコパス娘と似ているけれど、あちらの娘の見た目を子兎とするならば、こちらはリスザルか。
頭にはキャスケット、大きな丸い瞳には銀縁の眼鏡を掛け、焦茶のジャケットに薄茶色のベスト、黒いボックススカートにブーツ。
滞在している村の人間の服があまりに簡素なため、眼鏡女の格好も、色味は地味でも十分に洒落ていると思える。
実際よく見れば、地味な色合いで纏めてあれど、スカートは目立たぬものの格子柄、ブーツも編み上げでリボンの先がくるりとカールしている。
ただ。
一方で長い髪は雑に後ろで纏められ、顔にも明らかに疲れが見て取れた。
そしてこちらに向かってくる歩き方は、疲れとは違う、またなんともギクシャクとした足の進め方。
「……」
我としても。
積極的に恩を売りたいわけではなく。
むしろ厄介事は避けたい。
けれど。
土を踏み締めるようにやってきた女は、
「すみません大事な仲間の方をお借りしてしまって。でもお陰さまで山を降りられました」
ぎこちない動きとは比例せず割りと早口。
狸擬き曰く、我等がやってきた隣の国の言葉だと。
ぺこりと大きく頭を下げると、大きめのキャスケットが頭から落ち、
「あっ……」
慌てて拾い上げる。
そして、自身の被っていたキャスケットのくせに、不思議そうに眺め、頭に被せ、小さく息を吐く。
その吐き出される吐息は。
(ふぬ……)
やはり男にも、狼男にも見えていない。
きっと、あの山の長なら見えるのであろうけれど。
狸擬きは、じっと静観している。
「の」
「ん?」
「こやつは、我等に礼が出来そうな何かを持っているかの?」
男に問えば。
「んん?」
我の、唐突な恩着せがましさと礼の強要に面食らった男は。
それでも、我がゆっくりと瞬きし、男のシャツをぎゅむりと引けば。
「……ええと彼女は、俺たちがいかなかった、山向こうから来た方だそうだよ」
なんと。
「可能なのの?」
「迂回に迂回を重ねたと言っていたよ」
ほほぅ。
根性が凄い。
「なんのための?」
「それは聞いていない」
ぬぬん。
男の、その無駄に踏み込まない姿勢、我は大変に好感が持てる。
娯楽の少ないこの世界。
旅人や遠くから来た人間はそれだけで大きな娯楽の1つになるし、情報は大きな取引材料になる。
それでも。
男は、意識的か無意識は知らぬけれど、好奇心と何かしらの勘、その2つを天秤に掛け、その一歩を、引いた。
我も、向かうことをしなかった土地からやってきた人間には、純粋に興味がある。
眼鏡女は、
「是非お礼をしたくてですね、でもお兄さんはお礼は必要ないと言うのでせめてお仲間さんたちにお詫びとお礼を伝えたいと思ったんです」
早口でありつつも、今は頭に乗せ直したキャスケットを押さえながらまたぺこりと頭を下げてくる。
ならば。
「礼ならば、そちらの土地の話を聞かせて欲しい、と伝えて欲しいの」
男は、君がそう言うならと、我の言葉を眼鏡女に伝えてくれる。
眼鏡女は。
「……はい、勿論」
薄く微笑んだ唇から、もわりと、黒い靄を、吐き出した。




