襲撃
9 襲撃
巫女らと賢者パスカルは、一昨日の朝方にエヴァ大神殿に向け出立した。
パスカルが勇者と話しをすると言っていたが、その結果は聞かされていない。
巫女らがいなくなるのは寂しかったが、見送りに出ても気まずい雰囲気は改善できなかった。
私も、気の利いたことを言えればよかったのだが、周りの目もあって尊大な態度をとってしまった。
また会えるといいのだが・・・
その時は、もっと素直な自分でいたい。
いや、そうなれるように努力しよう。
窓から射し入る日の光は、秋の色をしていた。
何もない穏やかな日々が続いている。
私は、束の間の平和を感じていた。
いや、私の心の中の平和だ。
まだオークらとの戦闘は続いているのだから、実際には平和ではないのだが、勇者を放ったことで、私の心は安らかだ。
「おはようございます。姫様――」
バンモが入ってきた。
「おおー、なんとお美しい――」
「出て行け!」
私は、いつもの挨拶をさえぎってバンモを追い出した。
バンモに変わってエリリカが入室する。
「姫様、もう少しお優しくなさいませ」
エリリカは、私の髪に櫛を通しながら叱った。
わかってはいるのだが、あれ以来、男はみんな嫌いになった。
汚い生き物に見える。
見えてしまうのだ。
私を助けてくれたディコムにすらまだ会えていないし、もうどうでもよくもなっている。
私には、エリリカとサラさえいてくれれば良い。
窓際の一輪挿しの花瓶に、コスモスが活けられていた。
数日前に、エリリカが活けてくれたのだ。
「まだ枯れていない。強い花だ」
私が、ぼんやりと花を見ていると、エリリカは私から離れて花瓶を手に取る。
「中庭に・・・コスモスなど咲いていたかな?」
私は、中庭に咲く花々を思い返した。
「この花は・・・」
エリリカは、花を眺めながら、言い淀んでいる。
「どうかしたか?」
私が訊ねると、エリリカは意を決したように切り出した。
「姫様、もう少し時間をおいてからお話ししようと思っていたのですが――」
私は、花の送り主の名を訊いてうんざりした。
ヒデオだ。
「姫様、勇者様は心より悔いておられました。小さなお花ですが、これは勇者様の反省の意なのです」
安い反省だな・・・どこかで拾ったものではないか。
私は、立ち上がると鎧掛けから脚絆を手に取った。
「姫様は、大人びていらっしゃいます・・・勇者様も知らなかったのです。姫様がまだ17歳であるということを・・・」
私は大人だ。
年齢など、どうでも良い。
屈みこんで脚絆を脚に巻く。
「パスカル様や巫女様方も悪いのです。姫様が勇者様の物のようにおっしゃるから・・・」
確かに、あの言いようには腹が立った。
「しかし、理由はどうあれ、姫様に怖い思いをさせてしまった事は申し訳ないと、勇者様がおっしゃっていました」
言うわけないだろう。あの男が!
エリリカも芝居が下手だな。
しかし、なぜあの男をかばう?
「エリリカ、その話はもういい。どうせ勇者などもういないのだから」
私がそう言うと、エリリカは黙ってしまった。
私たちは、無言で甲冑を着る。
麦が二期目の収穫期を向かえようとしている。
収穫の時期は近い。
私は、バルコニーに出て城壁の外に広がる広大な麦畑を眺めていた。
うっすらと黄みを帯びた麦穂は、風を受け海原のようにうねっている。
ん?
城下を行き交う人々が、慌ただしい。
何の騒ぎだ?
祭りにはまだ早いけど・・・
――カーンカーンカーン――
城壁の警鐘が、いたるところで鳴り響いている。
何だ! 何事だ!
私は、城下に目を凝らした。
何が起きているのか、全くわからない。
ただ、城下の街で人々が逃げ回っているようだ。
――グゥァァァァァァン――グゥァァァァァン――
城の警鐘が鳴った。
ひときわ大きく、ひときわうるさい。
「姫様! 一大事です!」
エリリカが血相を変えてやってきた。
「何事だ!」
「襲撃です! 城下にリザードが侵入したのです」
息を切らせながら、エリリカがまくしたてる。
「何だと! いったいどうやって!?」
考えている場合ではなかった。
私は、エリリカをその場に残し駆け出した。
一階の広間を目指して駆けていくと、衛兵らが騒いでいるのが聞こえる。
リザード、リザードと皆言っている。
どうやら、敵はリザードで間違いないらしい。
広間にたどり着くと、すでに大勢の兵士でごった返していた。
「姫様!」
私の姿を見つけると、兵士たちは皆私の名を呼んだ。
私に指示を求めている。
「バンモ! サラ将軍はいるか!」
私は玉座の前に立つと、大勢の兵士たちの中に、バンモとサラの姿を探した。
「姫! こちらに!」
兵士たちの人垣をかき分けながら、赤い甲冑の大きな女がこちらに向かってやってくる。
「姫様ぁー」
バンモの声も、どこからか聞こえはするが、小さな老人の姿は大勢の兵士たちに隠れてしまって見えなかった。
「静まれ! 皆の者!」
私は、玉座の前に立ち叫んだ。
嵐が静まるがごとく、静寂が訪れる。
「サラ将軍は、リザード討伐隊を指揮せよ!」
私は、玉座のすぐ下にやってきたサラ将軍に指示した。
サラ将軍は、返事をして大勢の兵士たちに命令を下す。
「城下に侵入したリザードどもを駆逐する。総員、戦闘用意!」
「バンモ、私も近衛兵と出るぞ!」
私は、息を切らせながら兵士たちをかき分け、現れたバンモに告げた。
「お、お待ちなされ――ハァハァ――」
「バンモ、あいつを探せ! ここで役に立たなければ、ただのクズだ」
あいつは、城下のどこかにいるはずだ。
見せてもらおうじゃないか、勇者の資質を・・・
私は、広間の端に整列する近衛兵の前に出る。
「我が兵は、住人の避難誘導を優先する。良いか! 一人も犠牲を出すな!」
私が命じると、優秀な兵たちは臆すことなく整然と出立した。
近衛兵を引き連れて、城下町の目抜き通りを進みゆくと、すでにサラ将軍が率いる兵とリザードどもとが戦闘を開始していた。
リザードの体躯は、人間の倍に近い。
その巨体が、大きな槍と尻尾を巧みに使い、兵士たちを薙ぎ払っている。
「10人で1匹ずつ取り囲め――」
朱色の甲冑姿が、細身の長剣を振りかざして兵士たちを鼓舞している。
奇襲は、不利が大きい。
兵士たちの兵装が整っていないからだ。
相手が長槍であるのに、こちらの兵は盾と片手剣で、長物の用意はほとんどない。
配置優先で、兵士たちにすれば着の身着のままの状態だ。
それでも、勝たなければならない。
「5人一組で散開し住人を探せ――」
私が指示するまでもなく、近衛兵は隊長が指揮して散開していた。
「隊長! 住人の避難が終わったら、我が兵は背後から奴らを討つぞ」
私は、隊長の傍まで行きそう告げた。
隊長は、細身で口ひげを蓄えた初老の男だ。
ヴァンズナーという。
「姫! 危険ですからもう少しお下がりください」
駆け寄った私に、ヴァンズナーは険しい顔で言う。
思わず、ごめんなさいと言いそうになった。
「下がったところで、安全なものか!」
私は、腰の剣を抜いて戦う意思を見せた。
「王は、あなたしかいないのです。何かあったらどうするのです?」
ヴァンズナーは、なだめるような口調になる。
「王はもういないのよ。ヴァンズナー・・・私は、王ではない」
そう。私は王ではない。
先王の代理だ。
「私を――うまく使え」
私は、ヴァンズナーに笑って見せた。
本当はすごく怖くて、足が震えていたけど・・・
ヴァンズナーは、ほんの束の間私を見つめた。
「御意」
ヴァンズナーは、優しい目で私を見た。
そして、前方に剣を掲げ歩き出す。
「野郎ども! お前たちの大好きなアザリナ姫様がここにいるぞ! かっこいい所見せてやれ!」
ヴァンズナーが叫ぶと、地響きのような歓声が上がった。
みんな、私がここにいるのは知っていたとは思うけど、士気が上がった。
「おうおう、スケベどもが、やる気になったな」
ヴァンズナーが笑って見ているのは、直属の部下たちではない。
サラ将軍が指揮する兵士たちだ。
「お前たち! 姫様に手を出したら、あたしが許さないからね!」
朱色の鎧で、サラ将軍が叫んでいる。
笑いが起きた。
「敵の数は、いかほどだ?」
私は、ヴァンズナーに訊ねた。
どうやら、ヴァンズナーは私の傍にいてくれるようだ。
自分の部下たちが、住民の捜索に散って行ったが彼は残っている。
「多くはないようです。先発隊でしょう」
「では、本体がどこかに?」
「そう考えるのが、自然ですね」
サラ将軍が率いる兵士たちが、2体のリザードを討ち取った。
しかし、こちらの被害も甚大だ。
30人ほどの兵士が、路肩に横たわっている。
私は、倒れている兵士の元に駆け寄った。
「姫! 近すぎますぞ」
ヴァンズナーが、私を追いかけながら忠言する。
私は、手近な兵士に声をかけた。
返事はない。
脈も・・・なかった。
ざっと、他の兵士にも声をかけたが、息があったのは2人だけだ。
5人は、もう息をしていない。
「衛生兵! こっちにきてくれ」
私は、反対側の路肩で治療にあたっていた衛生兵に声をかける。
「そっちは、助かりません」
衛生兵は、顔もむけずにそう答えた。
私は、絶望した。
浅い呼吸をする、傷ついた兵士の手を取る。
まだ若い兵士だった。
私と同じくらいだろうか・・・
「しっかりしろ、どこが痛い?」
私は、兵士の身体中をまさぐった。
「ああぁ、姫さま」
兵士の声がしたので、私はできる限りの笑顔で顔を見た。
事切れる瞬間だった。
瞳孔が、ゆっくりと開いていく。




