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僥倖(ぎょうこう)

24 僥倖ぎょうこう




 食事の済んだダイニングテーブルに、アルカナンサスは大きな紙を広げた。

 私は、アルのすぐ隣でその広げられた紙を覗き込む。


「ああー姫様、俺、体大きいし力もあるから、あまり近づくと危ないよ」


 アルが、私から距離を取りながら言う。

 その言葉に、私自身も驚いた。

 さっきまで恐怖の対象でしかなかったのに、今は全く怖くない。


 それどころか、親しみを感じるのだ。

 私から父を奪ったかたきであるはずなのに・・・。

 私は、アルの広げた大きな紙に視線を落とす。


 それは、ジープ国全体の地図であった。

 見慣れない地図に、最初はどこの地図か解らなかったけど、端のほうに我が国エルスカ王国の名があった。


「アル・・・湿地には何人たりと近づけないようにするわ」


 私は、我が国の南に広がる湿地帯を指しながら言った。


「姫様、しかしそれでは、我が国にとっては大きな損失です」


 バンモが、私の隣で背伸びをしながら唸る。

 そう、湿地帯でとれる魚や水鳥は勿論、葦や蓮根などの植物も我が国には必要なものだった。


「我々リザードにとっても、重要な土地なんだ。このあたりは、最初のリザードが誕生したという聖地なのさ」


 アルの言うことも、知っていた。

 何かの書物で読んだことがある。


「そこでだよ」


 アルは、地図から目を話して私たちの方へ向き直る。


「君たちが湿地に近づかなくても良いように、我々リザードが魚や植物を採って、君たちに買ってもらうというのはどうだろう?」


 なるほど、商人らしい考え方だ。

 私は、バンモの様子をうかがう。

 良い案だと思うのだが、バンモはどう考えるだろう?


「それは、我が国と貿易をするということですな・・・」


 バンモは、難しい顔でアルカナンサスを見る。


「良い案だと思うの・・・」


 私は、おねだりをする子供のようだと、自分の言葉を飲み込んだ。


「そうなれば、リザードがこのエルスカの地を往来するのです」


 バンモは、腕組みをして天を仰ぐ。

 良いじゃない別に・・・。

 私はそう思うのだが、口にはできなかった。

 その影響が、私には想像できないからだ。


「それだけじゃないんだ。我が国も、貴国の技術や製品が欲しい。特に鍛冶の技術や、お酒だね!」


 アルは、ウインクして見せる。


「酒はともかく、鍛冶の技術は、武器の製造に関する技術です・・・厳しいですな」


 バンモは渋った。

 なるほど、バンモの懸念も理解できる。

 最初だけ仲良くしていて、技術を得たらまた戦争じゃ困るものね。

 でも、そうはならない気がする。

 アルがいれば・・・。


「バンモ殿の心配も、ごもっともです。ですから、約束を交わします」


 アルカナンサスは、大きな体をかがめて床に置いてある小さなかばんをまさぐり始めた。

 取り出したのは、1枚の封書である。

 アルは、それを私に差し出してきた。


 とても大事な封書なのだろう。

 高級な羊皮紙に包まれたそれは、美しい人語とリザード語で書かれた契約書のようであった。


「これは・・・」


 人語の部分を黙読する。

 たぶん、リザード語の所も同じ内容なのだろう。

 それは、未来永劫、両国間の争いに武力を用いないことを宣誓するものだった。

 争いごとがあれば、両国間の代表同士で話し合い、解決することとなっている。

 さらに、自国の利益よりも相手の利益を重んじるよう、注意書きが加えられていた。


「あ、そこはね。リザードの方にも同じことが書かれているからね」


 アルは、宣誓書を覗き込みながら言う。

 私は、乱暴に宣誓書をアルに突き出してしまった。


「え・・・ダメ?」


 不思議そうにアルカナンサスは、私の顔を覗き込もうとする。


「ちがうの――」


 私は、顔を背け片手で鼻と口を押える。


「大事な紙を濡らしてしまう」


 私は、感動した。

 心が揺さぶられていた。

 私には、武力を放棄するなんて考えは思いつかなかった。


 いや、私だけでなく、我々この国を預かる要職に就いている者皆、このような考えを持つ者などいないだろう。

 なんて浅ましい自分なのか、悲しくも悔しくもあった。


「泣いてばかりですね」


 そう言って、背後からアスハが私の頭をなでる。


「ここに、私が署名すれば良いのですね?」


 私は、紙を遠ざけたまま人語の後の空いた場所を指した。


「うん。そう」


 アルは、にこりと笑い頷いた。


「なりませんぞ、姫様!」


 以外にも、険しい顔でバンモが制した。

 私は、驚いてバンモを見る。

 何故?

 何故だめなの?

 言葉にはせず、私はバンモに問う。


「時期尚早に過ぎます。それに、リザード語の方も同じ内容であることを確認せねばなりません」


 バンモの懸念は、それだけではなかった。

 所詮は、紙に書かれた文言で、いかほどの効果があるものかと、バンモはアルカナンサスに問いただす。


「破れば終わりだし、燃えれば消えるよね」


 不思議なことに、アルは平然とそう答えるのだ。


「これはね。国同士を拘束する契約書ではないんだ」


 アルカナンサスは、バンモと私を交互に見つめて言葉を続ける。


「両国とも、国民をこのように教育しましょうと言う誓約書さ」


 契約書も誓約書も似たようなものだと、思うのだが・・・。

 私がそんなことを考えていると、アルがにこやかに付け加える。


「今のところ、両国間を縛る法は無いからね。法的効果は全くない。でも、努力はできるよね。」


「努力・・・するための宣誓?」


 私は、なんとなくそんなことを言った。


「そうだよ。きっかけで良いんだ」


 私は、バンモを見た。

 優秀な家臣は、どう考えるだろうか・・・。

 バンモは、腕を組んで険しい顔をしている。


「貴殿の言うことは、よくわかりました。しかし、貴国の要職にある方々はそう考えておられるのか?」


「いやぁ~、実はまだ言ってないんだ。昨日思いついたんでね」


 あっけらかんと、アルカナンサスは言う。

 私も、バンモも絶句した。





「良い案だと思うんだけどなぁ~」


 アルカナンサスには少し狭い通路を、私が先頭で歩いている。

 私は、振り返りながらそれに答えた。


「とても素敵な案よ。私、感動したもの」


 私は、この体の大きなリザードを好きになっていた。

 体は私の倍ぐらいあって、見た目は違いすぎるけど、私はこのリザードに親しみを覚えている。

 あの後、賢者パスカル様の意見を聞いてみようということになって、私はアルを連れて礼拝堂に向かっているのだ。


「ねぇ、アル。パスカル様のことは知っているの?」


「ああ、アスハに聞いているよ。人間のおじいさんだって」


 それだけかよ! 


「賢者パスカル様は、エヴァ大神殿からいらしている高名な賢者様なのよ」


「へぇ~」


 アルは、気のない返事をする。


「歩く図書館ともいわれているんだから」


「それは、重そうだねぇ~」


 その感想が面白くて、私は吹き出してしまった。

 アルカナンサスは、穏やかで明るくて素敵な人だ。

 見た目なんて、全く気にならなくなった。


 こんな人が勇者だったら良かったのに・・・。

 私の記憶の中から、何故かヒデオの嫌らしく卑屈な顔が現れた。

 私は、かぶりを振ってヒデオの顔を脳裏から追い出す。


 ヒデオの顔を思い出したら、寒気すらした。

 しかし、あのヒデオですら、この国を救うために動いてくれているようだし・・・。

 先王が亡くなられて、信頼していた多くの家臣が去っていったけど、何故か今は会ったこともなかったような人たちが、この国に手を差し伸べてくれている。


 不思議だ――

 人間は、不思議でよくわからない。

 人間というのは、もちろん獣人も含めてだ。

 そう、私の中で、獣人と言う種族が、人間に含まれるようになってきた。

 これも、不思議な私の中の変化だ。


「姫様? ここはどっち?」


 岐路にて、アルカナンサスが私の顔を覗き込んでいた。


「フフ、こっちよ」


 私は、アルの手を取って礼拝堂に続く少し広くなった通路にいざなう。





 礼拝堂の大きな扉の前で、私たちは歩みを止めた。

 扉の把手に手をかけようとすると、中から大きな声が聞こえてきた。

 その内容に驚いて、私は扉に伸ばした手を引っ込める。


「ヒデオめぇ~、アヤツを勇者に選んだのは失敗だった! 何たる失態だ」


 声の主は、まごうことなく賢者パスカルであった。

 とても怒っているようだし、ヒデオを非難している。

 ヒデオは、また何かやらかしたのだろうか?

 私は、賢者パスカルの沈黙を待って、扉を開けた。


「パスカル様、よろしいでしょうか?」


 そう声をかけると、賢者パスカルは今まで見せたことのない険しい顔で、私を睨みつけた。

 怖くて、私は肩をすぼめる。

 怒られる前兆?


「・・・ああ、姫様でしたか・・・」


 賢者パスカルは、一度女神像の方へ向いて背を向けると、再び振り向いた時には穏やかな顔になっていた。


「あの・・・何かございましたか?」


 私は、ちょっと安心してパスカルのもとに歩み出る。


「聞こえてしまいましたか・・・ヒデオの身勝手に少々腹が立ちましてな」


 老賢者は、恥ずかしそうに苦笑する。

 賢者でも、そのようなことがあるのだな。

 まぁ、同じ人間だもの・・・。


「私など、毎日のようにあの男には腹を立てていましたわ」


 私は、パスカルに同調して笑って見せた。


「おや、大きな客人ですな」


 賢者パスカルは、私の背後で物珍しそうにきょろきょろしているリザードに目を止めた。


「ご紹介します。ジープ国のアルカナンサス殿です。リザード族ですが、とても優しい方です」


 私は、アルの手を引っ張ってきてパスカルの前に立たせた。


「え~、たった今ご紹介にあずかりました~、ジープ国特務隊長を務めさせていただいております~、アルカナンサス・ガン・スリマーと申します~」


 アルカナンサスは、仰々しく大げさに挨拶をした。

 結婚式の来賓かと、突っ込みを入れたくなる。


「これは、これは、お初にお目にかかります。エヴァ大神殿より参じておりますパスカルでございます」


 パスカルは、優しい目をして大きなリザードを見やる。

 まるで、孫を見る祖父のような眼差しであった。


「はて・・・お初でございましたか?」


 おや? アルカナンサスは、探るような眼で賢者パスカルを見定めている。


「そのように記憶しておりますが、どこかでお会いしましたかな?」


 パスカルは、変わらぬ穏やかな眼差しで問う。


「いや、気のせいですな。アハハハ――」


 アルは、頭をかきながら訂正した。

 そうだよね。

 リザードが、エヴァ大神殿と関りがあるとは思えないし。


「して、どうかされましたかな?」


 パスカルは、私に向き直ると来意を訊いてきた。

 私は、先ほどのアルの提案について老賢者の知恵の教示を乞う。


「なるほど・・・まぁ~何にせよ、一度ジープ国に赴かねばなりますまい」


 老賢者は、顎のひげを摘まみながら言った。

 アルの素敵な案を聞いても、感想がなかったのが不思議だった。


「パスカル様、案についてはいかがですか? 良案だと思うのですが・・・」


「ええ、確かに良案ですな。しかし――」


 パスカルは、言葉を濁す。

 何か、気になることでもあるのだろうか?


「いや、とにかくジープ国の反応を見るべきですな。片思いではいけない」


 確かにそうなのだが、私は、ちょっと不安になり不満だ。

 この案の内容に対し、賢者の感想が欲しいのに――






 

 


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