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光の住人  作者: 海堂莉子
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第97話

 さらりと流れるように風が水面をなで、波紋を広げる。

 意味もなくその様子をぼんやりと見て、自分の状況を把握しようと試みていた。

 とにかく、こういう意味の分からない状況に陥った時は、はじめから整理をしていけば、分かる何かもあると思うのだ。

 まず、私もブレさんもアレックが好きだということに何の疑いもないはずだ。

 それから、今日の予定としては、ブレさんからアレックの幼い頃の話を聞くことになっていた。けれどなかなか現れないブレさんにじれた私は、暑さに耐え兼ねて(誘惑に負けて)池に入った。服は濡らさないようにと思っていたのだが、結局濡れてしまったので頭まで潜って楽しんでいた。そこへ私が自殺しようとしたんだと勘違いしたブレさんが現われた。

 遊び心で水をかけたらブレさんが怒って、慌てて逃げようとしたけれど水中で上手く歩けず、すぐに捕まってしまった。私が水浴びをすることがいかに楽しいかと語ってブレさんを見ると不思議な瞳をして私を見ていたんだ。

 そのあとだ、ブレさんが私にキスなんかしたのは。

 整理をしたところで、なぜブレさんがあんなことをしていたのか、いまいち分からない。

 私への腹いせ? アレックに近づくと嫌がらせするぞという意思表示なのか。

 ただ単にキス魔だったり? 相手なんか誰でもよくて、たまたまそこに私がいたからなのか。

 それとも挨拶? 挨拶って言っても、普通その日顔を合わせた時、またはその日別れる時にするものだよね。だとすれば、顔を合わせてから大分経ってからの挨拶なんて無理があり過ぎるんじゃないか。

 だけど、やっぱりアレックが好きなんだと考えると……。

 そっか、そうなんだ。

「ブレさん。私、分かったよ。どうしてブレさんが突然キスなんかしたのか。間接キスがしたかったんだね? 私がいつもアレックとキスをしているから、間接的にアレックを感じたかったんでしょ?」

 それに間違いないはずだ。どう考えてもその答えが一番しっくりくる。そう私は確信していた。

 自信満々な私をブレさんは、曖昧な笑顔を浮かべて見ていた。

「その気持ちは、分かるような気がしないでもないけどさ。一応私、女の子なんだからさ、もう少し気を遣ってくれてもいいと思うんだよね。私が傷付いても良いっていうの?」

「傷付いたのか?」

 食い入るように私を見つめるブレさんに疑問を覚えながらも、静かに頷き返した。

 そりゃそうだろう。好きでもない人とキスをして、傷つかない女の子がどこにいるというのだろうか。それともブレさんて、ナルシスとなのかしら。自分がキスをすれば女の子は誰でも喜ぶに違いないと思っていたりするのでは……。

「私の唇はアレックの為だけにあるんだよ。だから、他の誰かとはしたくないよ。でも、大丈夫。今のはキスにカウントしないことにする」

 意味のないキスは、キスのうちにはならない。そう思わないと、悲しくて堪らない。だってこの唇は、アレックのだもの。アレック以外が触れちゃ駄目なんだもの。

 アレックが、このことを知ったらどう思うかな……。

 ふと顔を上げて、城の方に目をやると、アレックがいるであろう部屋の窓が見える。

 咄嗟に両手で口を覆った。

 息が止まるかと思った。蛇に睨まれたように体が動かない。

 私の異変に気付いたブレさんが、私の視線の先を辿って息を呑む。

 いつの間にか、死角エリアから出てしまっていたんだ。

 こんなに離れた場所からでも分かる冷たい目が、ブレさんを確実に射ぬいている。

 アレックの姿が窓から消えた。

「ブレさん、逃げてっ。アレックがこっちに来ちゃう。ねぇ、ブレさんったら速く」

 ブレさんは、私が袖を引っ張ってもびくともせず、無人になった窓をみていた。

「ブレさん、アレックに殴られるかもしれないよ?」

 私は必死だ。アレックにブレさんを殴らせたくはない。無暗に人を傷つけて欲しくはないのだ。

「いいんだ。仕方ない」

 諦めたように言い放つブレさんは、大きく息を吐いた。

 一体何が仕方ないって言うんだ。アレックは絶対に誤解しているんだもの。ブレさんが私を好きだからこんなことをしたんだと思っているに違いない。きっと頭に血が上って、冷静な判断も出来ていない筈なんだ。下手すりゃブレさんの身の安全さえも保証できない。

 ブレさんはどうするつもりなんだろう。

 誤解を解くために、自分の気持ちをアレックに伝えるつもりなんだろうか。それとも、適当な言い訳を言いつのって同情を引くつもり何だろうか。

 ブレさんがどう考えているのかは全く分からないが、その横顔は何かを覚悟しているように見える。

 ブレさん、きっと告白するんだ。

 アレックが同性愛についてどんな見解をもっているのか聞いたこともないが、アレックがそれを聞いてブレさんを避けるようなことがあるとは思えない。アレックは、どんなに理解出来ないと思う他者の気持ちでも受け止めようとする姿勢が見られる。私のことにしたってそうだ。理解出来ないまでも、私を尊重し、私の身を十分考慮した上で、アレックの許せる範囲で私の気持ちを認めてくれている。これが、完全に私の考えを否定する人だったならば、私は今ここにはいないだろう。

 アレックだから好きになり、アレックだから傍にいたいと思い、アレックだから共に生きようと決めたのだ。

 私は、アレックを信じている。無闇やたらに人を傷つける人ではないと。

「ブレさん。取り敢えず、このまま水の中にいてもあれだから出よう」

 消え入りそうに小さく頷くと、私達は池の中をゆっくりと歩いて行く。

 一歩一歩歩くことで水が流れを変え、水中を泳ぐ小さな魚達がその流れに流されていく。申し訳ないと思いながらも、それでも私の傍から離れようとしないその愛らしい魚達に名残惜しさを感じていた。

 こんな厄介な事態にならなければ、もうすこしゆっくりと魚達と会話が出来たのに。

 池から上がると、髪の毛とスカートにびっしょりと含んだ水をギュッと絞ってある程度落とした。

「お前……」

 足を大胆に露わにしている私を見て、呆れたようにブレさんは呟いた。その頬がほんの少し赤くなっているのを見て、アレックが好きでも女性の足には弱いんだ、と感心していた。

 ブレさんは完全なゲイではなくて、アレックだけが特別に好きなのかもしれない。男に興味があるのではなく、アレックのみに興味があるのだ。そうでなければ、女性の足を見たところであんな反応を示すとは思えない。

「お見苦しいものをお見せしてすみません」

 わざとしおらしい物言いをして、ブレさんの緊張を和らげようとした。

 ブレさんの表情が幾分青白く感じられたからだ。恐いに違いない。誰だって自分の気持ちを誰かに伝える時は、恐い。ブレさんの立場なら尚更だ。

 私とブレさんはある程度の水を絞り出すとベンチに座り、やがて聞こえてくるアレックの足音と私を呼ぶ声を耳を澄ませて聞いていた。

 ほんの少しも待たずにアレックの足音が聞こえて来た。

 隣りに座るブレさんがつばを呑んだのが分かる。

 こんな時になんだが、水に濡れているブレさんは妙に色っぽい。首筋に垂れる水の雫を見て、夜のアレックを思い出し、一人赤面した。

 ああ、こんな時になんてことを思い出しているんだっ。

 アレックは猪のように猛烈な勢いで突っ込んできたかと思うと、ブレさんの襟首を掴み、殴り飛ばした。

 止める間もなく起こった出来事に、私は息をするのも忘れてただ呆然と立ちつくしていた。


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