第95話
「そっか、そっかそっかそうなんだ。ああ、驚いた」
気付けば二人とも足を止めていた。
そりゃ、驚くはずだよね。ブレさんに宣戦布告されちゃったんだから。まさかそんなことが起ころうだなんて夢にも思わなかったんだから。
「驚いてるようには見えないな」
そう見えるかもしれない。私もどこか心の中でしんと静まり返っている場所があるのに、気付いていた。これでも大いに驚いているつもりでいるのだが。
「歩かなきゃ。アレック達が来ちゃう」
アレックがここで現われてしまったら、またややこしいことになりかねない。それは避けたかった。
通路に響く私とブレさんの足音、それから遠くに別の足音が聞こえる。前を歩くシェリー達か、それとも後ろを行くアレック達か。どっちにしろ足音は遠い。
「ここだよ。この部屋の机に人形が入ってるの」
低く唸るように頷くと、ブレさんがドアを開ける。
暗闇の中でほこりっぽさだけが妙にはっきりと感じられた。
ブレさんがつかつかと机に向かうと、人形を掴んですぐに戻ってくる。
幽霊は、やはり私の前では現われてはくれないみたいだ。
部屋を出ると、通路をまた並んで歩きだす。
「ブレさんはさ、その気持ちに気付いた時、どう感じたの?」
「……信じられなかったよ。まさか俺が男を好きになるなんて考えられない。俺は女が好きなはずなんだ。今でも認めたくない気持ちが残ってる」
この世界では、もしかしたらそういう人は珍しくないのかとも思ったのだが、どうやらそうでもないようだ。
「どうして私に言ったの?」
「分からない。なんでお前なんかに言ってしまったんだって、俺が一番驚いてるよ」
ねぇ、ブレさん。その想いをずっと隠し続けてきたの?
「他に誰か……、アレックは知っているの?」
「お前はさっきから質問ばっかりだな。……誰も知らない。言えるわけがないだろう」
ブレさんの口調は、とても荒っぽいが、質問には何だかんだと答えてくれる。基本的にはやっぱり紳士的で優しい人なんだと思う。初対面の時の身のこなしなんかを見てるとそう思う。だが、本性はこっちなんだろうけど。
私は衝動的に、背伸びをしてブレさんの頭を撫でた。それが同情から来るものなのか、好きなのに好きと認められなかった頃の自分とかぶってしまったからなのかは分からない。
「何すんだっ」
「ごめん。なんでこんなことしたのか自分でも分かんないや。この世界で同性を愛することは罪なの?」
「罰せられるようなものではない。だが、非人道的だとは思われている。公に公言する者はいない」
そうであるのなら私なんかに一番知られたくなかったんじゃないかって思うんだ。アレックについた害虫とでも思っている私に、弱みを見せてしまったようなものだ。
つい話の勢いでぽろりと口をついて出てきてしまったというのが、実際のところだろう。
「話は分かった。だけど、アレックから手を引いたりはしない。ブレさんがいくらアレックを好きでも、いくら私なんかじゃ認められないと言っても、私もアレックを愛しているから、離れたりはしない」
ムッとしているのが、空気で分かる。
だけど、どんなに誰がなんと言おうとも引けない想いが誰にだってあるんだ。
「私は、アレックといるために今まで住んできた世界を出て来たの。育ててくれた親も妹とも別れてこの世界で、アレックと共に生きていく覚悟でここにいるの。誰かに何かを言われて、はいそうですかって離れられるような愛し方はしていないから」
色んな想いをした。辛いことも、楽しいことも、迷うこともした。ようやっと手に入れた私の幸せを私は手放せるわけがない。
手放したくない。
「ブレさんがアレックを好きなことを否定したりはしない。忘れてなんて言わない。そう言われて、忘れられるならきっととっくにそうしているでしょ?」
一人でペラペラと喋りすぎてしまったかと、口をつぐんだ。
だんまりとしているブレさんを伺う。先程までの不機嫌な空気はいつの間にか霧散していたようだ。
ルドルフに似た綺麗な横顔は、何を考えているのか分からない。
「好きでいていいのか?」
「だって、止められないでしょ? そういう気持ちは分からなくもないから。でも、アレックを押し倒したりしたら承知しないからね」
別に余裕があるわけではない。今は、私を好きだ好きだと言ってくれているけれど、それが永遠に続くとは限らないのだ。
勿論、アレックを信じていないわけじゃない。
怖いのだ。もしも、いつかそんな日がきたら私は耐えられないかもしれない。だから、こうやって冷静な部分で最悪な結末を予想して、免疫を付けているのだ。
「そんなことするわけない」
「そっか、なら安心。あ〜あ、ずっと話してたから幽霊に会いそこなっちゃったよ。もう、ブレさん罰として私のお願いを一つ聞くこと決定っ」
あんまり私達がぺちゃくちゃ喋っているものだから、幽霊だって近づきたくても近付けなかったでしょうよ。
「はあ?」
「私のお願いなんて簡単なものだから大丈夫。あのね、アレックの小さな頃の話を聞かせてほしいの」
アルさんにはアレックの辛いときの話を聞いた。
けれど、辛いばかりの少年時代ではなかったはず。アレックに直接聞いても、照れ臭いのかすぐにはぐらかしてしまうのだ。
アレックの幸せだった日々の話を聞きたい。兄弟が血のつながった兄弟として仲良く暮らしていた日々の話を。
「なんだ、そんなことか。それならいつでも話してやる」
ブレさんの瞳からほんの少しだけ光が戻って来たように感じる。
自分の秘密を暴露するのは骨の折れる作業だ、心身ともに堪える。けれど、話してしまったあとはすっきりとした気分になる。その秘密をずっと誰にも言えずに心の中に仕舞い込んでいたブレさんならなおさらのことだ。
「あっ、もうみんな戻ってる」
それぞれの灯りでふんわりと明るい光が灯っている。
マーシャがよほど怖かったのか、涙を流している。それを慰めながら困った表情を浮かべるキールの姿が可笑しい。
女性の扱いにはなれていそうなキールだけれど、泣いている女性を慰めるのは苦手なようだ。キールは私の姿を確認すると、眉をハの字に下げた情けない顔で私に助けを求めている。
「ああっ、キール。マーシャを泣かせたんでしょ? もしかして、マーシャを暗闇の中で一人きりにしたんじゃないでしょうね?」
その情けない顔に容赦のない言葉をかける。けれど、キールは助かったと言わんばかりのホッとした顔で弁明をはかる。
「違いますよ、マリィ様。ちゃんと約束は守りました。暗闇がどうしようもなく怖かったようで……」
「マーシャ。もうみんないるから怖くないよ。なあに? もしかして、一番幽霊に会いたがっている私を差し置いて幽霊にあったっていうんじゃないでしょうねぇ」
手で顔を覆うマーシャを覗き込んで、呑気な声で語りかける。
「マリィ様っ。怖かったですっ。あんなに真っ暗なところ今まで行ったことありません。私、肝だめしなんてもう二度とやりませんからっ。……幽霊は出て来ませんでした」
あまりの恐怖だったのか、私の首に抱き付いたマーシャ。残念なことに幽霊との遭遇はなかったようだ。
マーシャは暗闇が怖いのか……。私はわりと好きなんだけどね。夜中にこっそりベッドを抜け出して、王城内を探検したいと思っているほどにね。
「分かった、分かった。もうしないから、もう泣かないの。もうみんないるんだから怖くないでしょ?」
何度も手で涙をぬぐい、こくりと素直に頷くマーシャはとても可愛い。
「マリィっ」
突然、背後から手を取られ、マーシャと引き剥がされる。そして次の瞬間にはアレックの腕の中にいた。
「マリィっ。大丈夫だったか? ブレットに何かされてないか? 幽霊に攫われていないか? よく見せてみろ」
上から下までチェックされる。
何かされるわけないし、幽霊に攫われてたらここにいないし。と、言いたいのを必死で我慢してアレックになされるがままになっていた。
どこかから切ない視線を感じる。出所は分かっている。けれど、そちらを見てはいけない気がした。