第93話
私達が王城に戻って3日ほどたったある日のことだ。
翌日から溜め込んでいた書類と格闘しているアレックの邪魔もしていられないので、私はシルビアや璃里衣、エレーナ達と時間を過ごしていた。
午前中は、璃里衣に夏休みの宿題をやらせた(下手すりゃ、全くやろうとしないので)。
午後には、三人と侍女たちを引きつれて散歩を楽しんでいた。
たくさんの人と一緒に何かをして過ごすのは、とても楽しいが、たまには一人で王城を探険したくなる。そっと抜け出した私は人気のない通路を入っていく。
探険をするのは、酷く久しぶりだ。逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと歩いた。早く色んな物を見たいとも思うが、そうしてしまうことで何かを見失うのは、勿体ないことだ。
薄暗い通路をゆっくりと歩いていくと、その道が延々と続いているような不思議な気持ちになる。もしかしたら、この通路の先には私の知らない世界が広がっているのかもしれない。今まで地球という世界しか知らなかった私が、この世界を知ったことでそれらが必ずしも絵空事ではないことを知ってしまったのだ。
「一体どれだけの世界があるんだろう」
誰にともなく呟いた。
あまりにも大きい世界の不思議に思いを馳せた。
答えの出ない不思議に触れると、次の不思議に打ち当たる。それの繰り返しでしかないのだ。
「そこのお姫様。一体こんなところで何をしているんだい?」
後ろから声をかけられて、飛び上がらんばかりに驚いた。こんな薄暗い通路を歩きたがる物好きは私しかいないと、思い込んでいたからだ。
もしかして、幽霊?
これだけ古いお城なのだ。しかもこの城では、血生臭い争いが繰り広げられていたのだ。未練を残して、この城を徘徊していたとしても不思議はないはずだ。
そうである筈だと勝手に結論づけた。寧ろそうであってほしい。
私の心の鼓動は、ゾクゾクではなくワクワクとしていた。
意を決して振り向いた。顔の表情が綻びるのを我慢して(嬉しすぎて顔がしまらないのだ)。
男が一人、立っていた。足は……残念ながらついていた。
がっくりと肩を落とした。
幽霊じゃなかった……。でも、待てよ。もしかしたら、今時の幽霊には足がついてるかもしれないじゃないか。
「幽霊さん?」
勢い込んで聞く私を幽霊は目を瞠って凝視している。
幽霊ってこんなに表情豊かなんだろうか? しかも、幽霊って透けてるもんだと思ってたけど。そして、幽霊は実体がないから触れられないんだったよね。
私は、驚いた表情の幽霊のすぐ前に立って手を出し、幽霊の腕に触れた。
「何でっ」
幽霊の腕に私の手が乗っかっている。ということは、私の手を通さなかったということだ。
幽霊の顔をしっかりと見据えた。よくよく見てみれば、輪郭がしっかりとしている。薄暗いのではっきりとは言えないまでも、血色も良さそうだ。
「マリィっ」
薄暗い通路の先から、アレックの声がする。
「マリィっ。ここにいるのか、いるなら返事をしろっ」
「アレックっ」
アレックは、私を探しに来たんだ。恐らく、私がいなくなったと騒ぎになってしまったんだろう。
思ったより早かったな。見つかるの。
アレックは物凄いスピードで走ってくると、これまた物凄い勢いで私を抱き締めた。
「痛っ、痛いよアレック」
「毎度心配させるお前が悪い」
「それは、ごめんなさい。でも、アレックなら私が行きそうなところは分かってるでしょ?」
いつだって真っ先に私を捜し出すのは、アレックなのだ。私を、一番に理解している。そして、分かろうとしてくれている。
こんな人だから、私は大好きなんだ。
「当たり前だ。そうじゃなきゃお前の相手は勤まらん」
私は、無性にアレックが愛しくなってギュッと背中に腕を回すと、頬を胸にぐいぐいと押し付けた。
「あ〜、こほんっ」
突然の聞き慣れない声に驚き、アレックの胸にしがみついたまま声のするほうへ目を向ける。
幽霊さん?
「何故こんなところにいるんだ、ブレット?」
「ご挨拶だね。君の愛するお兄様が君の顔を見に、はるばるここまで来たというのに」
どうやら幽霊ではなかったようだ。イヤ、初めから分かってはいたのだが、それを認めてしまうのはあまりに偲びない。
本当の幽霊に会いたかった……。
「見え透いた嘘を吐くな。エレーナの荷物を持って来ただけだろ」
「当たり。だが、それだけじゃないさ。君のお姫様を見にね」
そう言うと、私の前まで来ると私の右手を取り手の甲にくちづけをした。
身のこなしが優雅というか、おとぎ話で出てくる王子様みたいに全てが自然だ。
隣から漂ってくる冷たく重い空気もものともせずに、名を名乗った。
「ブレット・カリビアナ、アレクセイと同い年の兄です。よろしく、マリィ。アレクセイに飽きたらいつでも俺のところにおいで、優しくしてあげるよ」
この人がアレックと血の繋がりのない同い年のお兄さん。
なんと云うか、王子様って感じでキザっぽいところがある。本気で言ってるのか、冗談で言ってるのかつかめない人だ。
「よろしくね、ブレット。幽霊と間違えちゃってごめんなさい」
冗談で言っていると判断して、最後に言われた言葉への言及はしないことにする。
「マリィ、お前まさか幽霊に会いたかったとかいうんじゃ……。ここには恐らくいないだろうと思うぞ?」
「本当? でも、これだけ古いお城だもんいないこともないんじゃないかな」
いるいないの問題ではないのかもしれない。見える見えない、聞こえる聞こえない、感じる感じないという問題であって、今までこんなに城中を歩き回っているのにかかわらず、一度も出くわしていないというのは、たんに私に霊感がないということなんだろう。
「アレックも見たことない?」
「ないな。そもそも存在するのかすら疑わしい」
アレックも霊感がないんだ。
そういえば、璃里衣は霊感が強かった筈だ。たまに、声が聞こえるとか、誰かいるとか言っては、私を興奮させていた(怖がっていたわけではない)。
「そっか。いいこと考えちゃった。今夜、肝だめししよう。ね、アレック良いでしょ?」
「肝だめしとは何だ?」
私は嬉々として首を傾げる二人に日本の肝だめしというものがなんであるかを、語って聞かせた。
聞いていくうちにアレックの表情が渋くなるのにたいして、ブレットは乗り気といった表情を浮かべている。
「ブレットはすぐ帰っちゃうの?」
「いや、久しぶりだからね。暫く滞在しようと思っているよ」
私は満足気に何度も頷く。
「アレック。いいでしょ? 別に墓場をコースにしようっていうんじゃないし、王城内の短いコースなんだし、必ずペアになって行くから問題ないと思うんだけど……」
「お前のペアは、俺なんだろうな?」
「肝だめしのペアは、くじ引きで決めるって決まってるの。ね、いいでしょ?」
渋っているアレック。一体何をそんなに渋っているんだろう。
「あっ、もしかしてアレック怖いんじゃ……」
わざと挑発的な言葉と視線で煽って見せた。大したことのない作戦ではあるが、アレックにはこれが効果的なのだ。
「そんなわけがあるかっ。仕方ない。お前の好きにやってみろ」
作戦成功。
そうと決まれば、色々準備しなきゃいけないこともあるのだ。
「それじゃ私、璃里衣のところ行ってくるね。今夜、楽しみにしててね」
二人を残して、私は薄暗い通路を抜けて明るい世界へと戻って行った。