第8話
「俺がプロポーズしたってのに、それに関しては全く何にもなしか?」
プロポーズ……。
プロポーズって、求婚……。
って、えぇっ!
「聞き間違い……だよね? そうだよ。うんっ、そう。そうだよ。聞き間違い。そう。そうなのよ」
「そんなに聞き間違いであったことにしたいのか?」
不機嫌そうなアレックの口振りに私は唖然と口をだらしなく開いていた。
「だって、そうでしょ?」
だって、だって私達が会ったのはほんの一週間ほど前なんだよ。
それに、アレックにはマリィーシアがいる。
私にだって祐一がいる。
信じろって方が馬鹿だよ。
「馬鹿で悪かったな」
小声でぶつぶつと何やら呟いていたが、突然顔をあげて私を見ると、
「嘘だよ」
と言った。
「えっ?」
「今のは全部嘘だ。出会ったばかりでお前のようなじゃじゃ馬を俺が好きになるわけがないだろ?」
「そっか、そりゃそうだよね。自惚れんなって感じだよね」
私は何だかホッとした。でもそれと同じくらいガッカリしてもいた。
何故ガッカリするのか自分でも理解できない。私がアレックからプロポーズされたかったみたいなじゃないか。
ふと気付くと、不機嫌そうなアレックの表情が目に入った。
「アレック? 怒ってるの? 私なんかマズいこと言っちゃった?」
アレックの顔を覗き込むも、ふいっと目を逸らされてしまう。
「アレック。私、なんかしたんだったら謝るよ。ごめんね。だから機嫌直して」
アレックの機嫌が直るようにと、違う話を振ってみるもアレックはそっぽを向いたまま目を合わせようともしない。
私は押し黙って俯いた。
私は変人扱いされることにはなれていたが、他者に無視されることには免疫がなかった。
無性に悲しくて、無性に腹が立って、無性に寂しくて涙が零れそうになった。
私はお姉ちゃんではあったが、妹よりもよく泣く子供だった。妹の方が現実的だったのは、あまりにも私が非現実的だったからかもしれない。妹が泣かなかったのは、私が誰よりも真っ先に泣いてしまっていたからかもしれない。本当は妹は泣きたかったのかもしれない。
妹のことを思い出し、涙が止まらなくなってしまった。
「おっ、おい。マリィ。何故に泣くっ」
突然泣き出した私に慌てるアレックを見るのは可笑しかった。
笑っているのに、私の目から溢れだそうとする涙は止まることを知らないどころか、先程よりも激しくなるばかりだった。
「だって、アレックがぁ……璃里衣がぁ……えぇん」
自分でも何を言っているのか解らなくなっていた。自分が子供みたいに大泣きしていることに対する羞恥心にすら気付けなかった。
「落ち着け、俺は何も怒ってないぞ」
アレックは私をどうやって宥めすかしたらいいのか解らないといった感じで、おどおどしていたが、意を決して私を自分の胸に招き入れた。
アレックの戸惑いと焦り、それから面白いくらいに照れているのがイヤと言うほど感じられた。
プレイボーイだったなんて嘘なんじゃないの?
そんな疑問さえ感じられるほど、アレックの優しさはぎこちなかった。
「俺はお前に泣かれるのがどうやら弱いようだ。話なら俺が聞いてやるから泣くなよ」
最後の泣くなよ、には懇願が込められていたように思う。
「アレックが私を無視するから悲しくなって腹が立って、寂しくなって涙が出て来た。泣いてたら妹のことを思い出して、余計に悲しくなって……」
「リリィとはお前の妹の名か?」
こくりと頷いた。
アレックの胸に押し付けた耳から規則的な心音が聞こえてくる。その心音が私のそれよりもいくらか速いような気がするのは私の気のせいだろう。
「璃里衣はね、大人しくって引っ込み思案で、人見知りでいつも私の後ろからこっそりと覗いているような子だったんだ。だけど、私が泣きだすとね、そんな大人しい璃里衣に何処にそんな力が隠されていたんだろうってほどに強くなるの。私の方がお姉ちゃんなのに、いざって時には璃里衣に助けられてた。璃里衣は涙を流さない子だった。私が泣き虫すぎたから泣けなかったのかもしれないな」
「好きだったんだな、妹のことが」
「うん、大好き。きっと心配してるんだろうなぁ。璃里衣には私が陰で泣いているだろうってことは解ってしまうだろうから」
「帰りたいか? お前の元いた所に」
「うん。ここはとっても奇麗で平和で、優しい人も沢山いて、良くして貰ってるけど、だけどやっぱり皆に会いたいよ」
この国に来て初めて零した弱音を、アレックは胸に受け入れてくれた。
「大丈夫。お前は帰れるさ。ずっと帰れるって信じていれば、きっと大丈夫だ。な?」
何でこの人はこんなに優しいんだろう。何でこんなにこの胸にいることが心地いいんだろう。まるで、この場所が自分が本来いるべき場所なのだと勘違いするほどに、その胸は私を落ち着かせ、そして時に震えさせた。心を……。
日本に、自分の場所に帰りたいと思っているのに、もう少しだけここに、この胸に留まっていたいと望んでしまう私がいた。
アレックが、侍女達が、王城にいる全ての人々が、国民が、大地が、草花が……この国にある全てのものが、私がここに来ることを望んでいたように、喜んでいるように感じる。私の胸にその温かい想いが伝わってくる。
……不思議。
何故この国は、こんなにも私を迎えてくれるの? 何故……。
その心地よい胸の中で私は瞳を閉じた。
ふわふわと自分の体が空に浮かんでるように、心地よい胸の中で、私はすっと眠りに入る。
「おやすみ、マリィ。いい夢を……」
これまでにないほどのアレックの優しい低い声と、頭を撫でる大きな手を薄れ行く意識の中で感じた。
おやすみ……アレック。
口をもごもごと動かしたが、それは言葉にはならなかった。
翌朝、私が目覚めたのは自分のベッドの上だった。
「「「おはようございます。マリィ様」」」
三人の声が私を起こしにかかるが、私の瞼は恐ろしく重い。
三人とも私がそう簡単に起きないことは百も承知で、勝手に布団をはいで、寝間着をはいで、ドレス(ドレスと言っても私が嫌がるので、シンプルなもの)を着せる。
私の体内時計は、正確な物のようで、着せ替えが終わった頃にパッと目が覚める。
「みんな、おはよう。あれっ、私、昨日……」
「アレクセイ様がここまで運んでくださいました」
ええ、まあ。予想はしていたけれど。だって、昨夜私が自分でここに戻った記憶が全くないのだから。
また、アレックに運んでもらっちゃった。
一人、反省していると乱暴にドアが開けられた。
「マリィ。準備は整ったか? 今日は出掛けるぞ」
朝から元気なアレックが、大きな声をあげて入って来た。
「あっ、アレック。おはよう。昨日はごめんなさい。運んでくれてありがとう」
「そんなことはいい。早く用意をしろ」
「えっ、でもまだ朝ご飯が……」
朝ご飯を食べなきゃ力がでないよね。私はきっちり朝ご飯は食べなきゃすまない派なのだ。日本にいた時だって、遅刻が迫っていたってゆっくりと良く噛んで朝ご飯。その為、私は遅刻の常習犯だったりする。
「朝食か……。すっかり忘れていた。ジョゼフ、俺もここで食べる。食事をここに運んでくれ」
はっ、とジョゼフが頭を下げて出て行った。
「えっ、ここで?」
「駄目か? 俺がここで食べては」
「いやっ、そんなことないけど」
「では、お前も座るといい」
すみませんっ、遅くなりました。