第80話
目を開ければ、和気あいあいと食事を囲んでいる面々が目を見開いてこちらを凝視していた。
「あはっ、また来ちゃった」
取り敢えず笑って誤魔化しておいた。
「マリィっ」
「へへっ、ちょっと急な用があったから。ごめんね、食事の邪魔して。それじゃ。アレック、行こう」
早口にまくしたてて、急いでリビングを出た。
璃里衣の私を呼ぶ声が聞こえたが、ゆっくりと話をしている暇はなかった。
玄関を出ると、外は暗かった。
そうか、日本はもう夜だったんだ。
それは、今の私達には好都合だった。
あの通りは人通りは少ないとはいえ、昼間の時間に派手なことをするのはやはり目立ってしまう。
夜なら、この道を通るものは皆無なのだ。
「急ごう、アレック」
外はとても静かだった。
それは、まだ誰にも公園に異変が起こったことを知られていないのだと、考えていいんじゃないか。
家から公園は近い。走ればすぐについてしまう。
それにしても、公園が空き地になってしまっている事実は私を驚かせるには十分だった。知っていてもなお。
私は無意識にアレックの手を握った。大丈夫だと言われたように、その手を強く握り返された。
見上げれば強く頷かれ、力が湧いてくるのが分かる。
アレックに頷き返すと口を開いた。……のだが。
「お姉ちゃんっ。これどういうこと? 公園は?」
私達の慌てた様子に何かを感じた璃里衣は、私達を追い掛けてきたのだ。
「ごめん、璃里衣。説明は後でするから」
私の真剣な表情にそれ以上突っ込んで聞いてくる様子は無いようだった。
「お母さん。お母さん聞こえる? こっちに着いたよ」
カリビアナにいるお母さんに呼び掛けるとすぐに返事が返ってきた。
『分かった。これから同時に対象物を呼び寄せるわ。いいわね?』
「うん。こっちはいつでもいいよ」
リューキを強く抱き、アレックの手を強く握った。
やってみせるっ。私にはこの二人がついていてくれるから大丈夫。
『こっちも大丈夫。じゃあ、いくわよ。呼び寄せなさいっ』
私は意識をお母さんから、思い出深いあの公園へと移行した。
公園の端から端まで事細かに思い浮べると、有りったけの思いを込めて叫んだ。
「来いっ」
こんなことで上手く行くか分からない。
私は固く閉じていた瞳をゆっくりと開けた。
ちょうどその時、草原の一部が消え、更地になった。
その一瞬後、小さなブラックホールが現れ、その小さな穴からまるで歯みがき粉のように何かが練り出て来た。その物体が全て出終わると、上空で一旦丸まるとバナナの皮を剥くかのように、少しずつ開いていった。
全て開ききったそれは、巨大なものになり、唐突に落下した。
そして、パズルのピースのように更地になったこの場所にパチりと当て嵌まった。
「成功……したな」
「ううん、まだだよ。あれを縫わないことには成功したとは言えないよ。急がなきゃ、大きくなっているような気がする。リューキは璃里衣と待ってて」
胸に抱いていたリューキの拘束を解くと、リューキは翼を広げて璃里衣の元まで飛んで行く。
公園の上空で漂っていたブラックホールは、その大きさを広げながら地面近くまで降りてきていた。
このまま、大きさを増してしまえば、再び何かを吸い込んでしまう。
お母さんから譲り受けたあの小さな箱に入った針を使う時が来たようだ。
その箱を開くとボンと煙が出てきた。
もしや玉手箱……?
なんて一瞬焦ったが、針が大きさを変えたために生じたものらしかった。
煙が晴れて私の手元を見れば、お年寄りが使用する杖と同じくらいの針が握られていた。
一見重そうに見えるが、びっくりするほど軽かった。持っている感覚さえ分からないほどの軽さだ。
綻びの前に立つと、そのあまりの闇の深さに自分自身が吸い込まれてしまいそうで、恐怖を感じた。
これを縫いあわせるには両端を手繰り寄せなければならない。
そもそも掴めるものなんだろうか。
「迷ってる暇なんてないよね? アレックは、そっち側をこっちに寄せて。私はこっち側を持っていくから」
「分かった。マリィ、気を付けろよ」
「うん。アレックも」
物体とも言えないものを掴むのには勇気がいった。
だが、使命感のようなものが私を突き動かしていた。
掴んだ感覚はまるでない。しかしながら、掴めているようだ。
綻びの穴からは油断をしたら吸い込まれてしまうだろう強い風が内部に向かって吹いている。
それでも歯を食い縛って足を踏張る。
アレックに私が寄せてきたそれを手渡した。一旦手を放した私は針を握り直した。
「ごめんね、アレック。すぐに縫うからもう少しだけ頑張って」
開こう開こうとする力は、想像以上に強い。それをいくら男だといっても一人で押さえ付けるのは相当な体力を消耗する。現にアレックが歯を食い縛っている。
私は針を操り、綻びを縫い合わせていった。針を通した箇所から、まるで何もなかったように縫い目さえも消えていく。
最後の一針を縫い終わると、そこには不吉な黒い穴は跡形もなく消えた。
役目を終えた杖大の針はしゅるしゅると小さな一般的なサイズに戻っていった。
「終わった……」
「よく頑張ったな、マリィ」
アレックが私を抱き寄せ、頭のてっぺんにキスをくれた。
「アレック。私ね、アレックがいなかったら怖くて何も出来なかったかもしれない。ありがとう」
「良かった。お前の役に立てて」
二人顔を見合わせて微笑み合った。
『マリィ。ボク、頑張った?』
パタパタと翼をはたばかせてこちらに寄って来たリューキが、褒めてと言いたげな大きな瞳を、ウルウルと潤ませている。
「うん。リューキもいつも力貸してくれてありがとう。頑張ってくれたもんね」
リューキを胸に抱き、頭を撫で回した。リューキは気持ちよさそうに、満足そうに目を細めている。見ようによっては、温泉に浸かって寛ぐおじさんのように見えなくもない。
リューキがチラッとアレックに視線を投げたのを見逃さなかった。
その視線は、まるで勝ち誇ったような、相手を挑発するようなものだった。
ああ、また始まったよ。
『アレックよりボクの方が頑張ったぞ』
「俺のほうがマリィに頼りにされてる」
リューキは子供なんだから、手加減してあげればいいのに、アレックは相手が誰であろうとも容赦はしないつもりのようだ。
『ボクの方がマリィの役に立てる』
「俺のほうがマリィに愛されてる」
二人を止めるのも面倒になった私は、意識をカリビアナに向けた。
「お母さん。お母さん」
『マリィ。こっちは元通り草原に戻ったわ。そっちはどうかしら?』
「うん。成功したよ。綻びも縫えて、穴も消えた」
未だに揉めている二人は私がお母さんと会話しているのも知らずにがなり合っている。
正直二人のがなり声がうるさくて、げんこつでもおみまいしてやろうかと、本気で思った程だ。
『そう、良かったわ。マリィ、よくやってくれたわね。ご苦労様。怪我しなかった?』
「大丈夫。どこもなんともない。お母さん。お母さんは、今日はそっちに泊まるの? それとも直ぐに帰っちゃう?」
まだ、ゆっくりとお母さんと話が出来ていない。
もっともっと話が聞きたい。幼い頃の私のこと。光の住人のこと。お父さんのこと。お母さんのこと。グルドア王国のこと。
『ダーリンはグルドアに戻ったから、私が直ぐに帰らなくても困ることはないの。あるとすれば、私がいなくて寂しいってことくらいかしら。だから、あなたたちを待っていようかと思ってるわ』
「本当? じゃあ、日本の両親に挨拶したら帰るね」
交信を切ると、依然口喧嘩をする二人に溜め息を吐いたあと二人にげんこつを降ろした。
「さあ、行くよ」
頭を抱えて痛みに苦しむ二人を見下ろしてそう言った。